シリコンバレーの強さの源泉とは?

円安が示す日本の成長力の低さ

この文章を24年5月に書いているが、この1-2週間の最大の話題は急速な円安である。ちょっとびっくりするくらいのスピードで進んでいて、ニュースを聞いていて驚いたのが余りの急激な円安で海外旅行を控える日本人が多いらしく、ゴールデンウィーク中のハワイ便の航空券が余っていて、エコノミーが10万円程度で買えたらしかった。

正直、円相場は相当乱高下していて、日米の金利差を背景として投機マネーが極端に動いている部分も大きいのだろうと思うので、今の円安水準が日本経済のファンダメンタルズを反映した動きであるとは思い難いが、中長期的に見れば、日米の経済成長率の差が、金利差として現れているということを考えれば、基本的なトレンドとして円安ドル高という基調はしばらくの間変わらないのであろう。

この日米での経済成長力の差がどこから来るのかというのはいろいろ複雑な原因があるし、私自身経済学者でもないし、経済指標を詳細に分析しているわけでもないので、信憑性が確かでない話をするのも良くないと思うので、日米で仕事をしたことがある人間の目線で私が肌で感じた範囲で考えたことをここでは述べたいと思う。

シリコンバーレーという巨大な仕組

ここ5年くらいで、日本の若い人たちの起業に対するスタンスも大分変ってきたような気もするが、まずシリコンバレーに3年いて感じたのは、アメリカという社会に起業というプロセスが強烈に仕組みとして組み込まれているという事である。そのプロセスは、大雑把に言うと3つの要素で構成されていると思う。大学という世界トップレベルでの高等教育とベンチャーキャピタル(VC)を中心としたリスク投資の仕組み、そして、人材と情報が流通するコミュニティーの仕組みである。

グローバルな人材プールの活用

まず、日本とシリコンバレーにいて最も大きな差として感じるのが、グローバルな人材プールの大きさ、充実度の違いである。シリコンバレーで仕事をしていて結構最初の段階で驚いたのが、成功している企業で働いている人材のグローバル化である。アメリカに住み始める前は、アメリカの会社で働いているのはアメリカ人が殆どなのかと思っていたが、AppleやGoogleを始めとしたトップクラスの会社や有望なスタートアップであればあるほど、働いている人材は多国籍である。

では、なぜそんなことが実現しているのだろうと話を聞いていると、私は2つ大きなポイントがあると感じた。ひとつは、言語である。英語がグローバルビジネスをするうえで一番容易にコミュニケーションがしやすい言語であるのは間違いがないが、その英語で仕事を当然できるため、対象となる人材をグローバルで集めやすいということは日本語という世界中で1億人ちょっとの人間の間でしか通じない言語を使っている国とは単純に優位性が全く異なると思った。

しかし、ここに「優秀な」人材を集めるという意味で「優秀な」という形容詞を追加すると、実は英語以上に重要な仕組みがあると思っている。それは米国の世界トップクラスの大学教育である。

大学のランキングも複数あるので、あくまで一例であるがこちらの大学ランキングでは、Top10のうち7校がアメリカの大学(残り3校も英語圏のイギリスの大学)、Top20でも13校がアメリカの大学である。ちなみに日本は29位に東大、55位に京大がトップ100に入っているのみである。シリコンバレーで働いている外国籍の人材と話していると、驚くほど大学や大学院の時に米国に留学してきたというひとは多い。自分の部下にも台湾人で米国のビジネススクールを卒業した新卒の学生を採用したが、驚くほど優秀であった。ちなみに、Alphabet(Googleの親会社)のCEOであるスンダー・ピチャイもMicrosoftのCEOであるサティア・ナデラ、テスラのCEOであるイーロン・マスクも大学や大学院から米国で教育を受けている。

特に、シリコンバレー周辺には、スタンフォード大学と、UCバークレーという2つの超名門校があり、ここに世界中から優秀な学生が集まって来て、そこからいきなりスタートアップが出てきたり、有力IT企業に人材を排出したりしている。

よく日本で人口減少、移民の可否について議論になるが、私が議論のポイントがずれていると感じるのは、ブルーワーカー的な労働力についてばかり議論していて、シリコンバレーのように優秀な人材を世界中からどうやって集めてくるのかという議論をほとんど聞かないことである。もちろん米国においても、中南米や中国からの労働力的な移民の流入が問題になっているので、その側面でも移民問題は議論しなければいけないとは思うが。ちなみに、私は日本においても、外国人の留学生は非常に前向きに採用することにしている。経験的にワザワザ日本語を学んで高等教育を日本で受けようという気概がある学生は、相対的に優秀な人材である確率が高いと感じているからだ。

資金調達ポテンシャルの違い

二つ目の差は、やはりVCの充実度である。私自身シリコンバレーのVCから投資された企業で仕事をしたことがないので経営サポートという面の評価は出来ないが、やはり起業するときに集まる資金の大きさが日米では全くレベル感が違うと思う。但し、この点についてはVCのファンドとしての資金力の問題もあるのかもしれないが、同時に日米で起業する会社の成長のポテンシャルの問題もあると感じている。そもそも、日本のスタートアップでターゲットの市場をグローバルに向けて起業している会社というのは正直非常に少ないと思う。このため、日本のスタートアップにはTAM(Total Available Market)が小さいため、そもそもバリエーションがつきにくいという問題もありそうな気がする。逆に言うと、日本のスタートアップというのは、日本という日本語のバリアがある世界で日本国内マーケットだけをターゲットにしているから成り立っているという会社が多く、個々の企業でいえば上手くビジネスチャンスを活用しているということも出来るのかもしれない。

投資規模の問題は必ずしもVCだけの問題ではなく、スタートアップ企業自身の問題なので、日本のスタートアップが積極的にグローバル展開してTAMを大きくする努力をしていかなければいけないが、日本のスタートアップに対する資金調達環境はもっと改善されていくべきであると思う。もちろん、スタートアップへの投資という面でいうと、最近は10年くらい前と比較すると環境もかなり改善されてきている感じもするが。

人と情報が交わる巨大なコミュニティ

そして、3つ目の差がコミュニティの差である。私がシリコンバレーで働き、一生懸命Business Developmentの仕事をしていたメンバーと話していて感じたのは、シリコンバレーという場は、個々の企業という単位を越えて、人材や情報が流動するひとつの巨大なコミュニティであるという事である。もちろん個々の企業には営業機密があり、外部に公開できる情報は制限される。それは、日米において最低限のルールとしての差はないと思う。但し、例えば新製品の発売のスケジュールであったり、商品・サービスの詳細のような情報ではない、日々の業務の中での学びであったり、マーケティングであればそのGeneralな手法のような情報は、日本にいるよりも遥かに風通しよく企業間で情報が行き来している。

何故なのかと考えてみると、その最大の原因は、日本より遥かに流動的に人材が会社から会社へと移動しているからであろう。もちろん、その際に転職元の会社から転職先の会社への、ある程度Generalなノウハウのようなものは移転しているのが当然と皆考えているように感じられた。さらに、人が流動的であるということは、当然会社の垣根を超えたネットワークも拡大していくため、会社の垣根を超えて、何か分からないことがあると、あの会社がこういうサービスをやっているであるとか、あの会社の〇〇さんであればきっと相談にのってくれるというような、アドバイスを社外の人から教えてもらえたりする。

私個人が、余り飲みに行ったり、交流会的な場が苦手であったりという性格なため、日本でそういうコミュニティに入っていないというのもあるのかもしれないし、そもそも私と一緒に働いたチーム自体が新しい事業を海外から始めるというちょっと斬新な事業展開をしていたという特殊事情もあったのかもしれないが、結論として、シリコンバレーと日本の違いというのを強く感じた。

もちろん、それ以外にも日米の差はたくさんあるのかもしれないが、私は、日本と米国に経済成長ポテンシャルにここまで大きな差ができ、日本の経済が30年間殆ど成長できないという悲しい現実を目の当たりにせざるを得なくなってしまった原因はこの辺にあるのではないかと思う。

日本の閉塞感を打破する方策とは!

じゃあ、どうすれば良いのかという事であるが、まず最初に取り組むべきは、日本の大学教育を考え直す事だと思う。その一番分かりやすい方法は、大学の授業を全部英語にしてしまうのが良いと思う。一部の先進的な大学ではそのような大学も出始めているが、いっそのこと10年とかの準備期間はいるかもしれないが、どこかのタイミングで国文学とかの一部の例外を除いて、原則英語にしてしまえば良いと思う。そうすれば、今の日本の物価安と円安もあいまって、世界中から優秀な学生を今よりも遥かに集めやすくなるし、そもそも英語で教えられるのであれば、教員もグローバルで集めやすくなるであろう。もちろん、日本の大学で大した業績もなく給与をもらっている大学の教員の既得権益は一気に崩壊するわけであるが、申し訳ないがそんなことは自業自得であると思う。

当然、そうなると大学の英語の入学試験もTOEFLに統一してしまえばいいと思う。そもそも、大学受験に英語のテストがある理由は、ロジカルに考えると大学に入って海外の文献を読んで勉強するときの基礎的な語学力があるかどうかを確認するためであろう。そうであれば、本場のアメリカの大学がその判断基準に使っているテストをそのまま使う方が、ネイティブでもない日本人が作った英語のテストで実力を図るよりも遥かに信憑性が高いと私には思えてならない。もちろん、ここにもTOEFLの英語なんて教えられないという高校教諭の悲鳴も聞こえてくるような気がするが、6年英語教育をして英語をまともに話せるようにならないような今の学校の英語教育などハッキリ言って全く意味がないので、これも現状を何十年も放置してきたという意味で自業自得であるとしか言いようがないと思う。

私は、実は、この日本の大学教育を変えることが出来れば、今の日本の閉塞感的なものは、一気に解決しそうな気がしている。正直多くのMBAホルダーと一緒に仕事をしてきた経験からすると、ハッキリ言ってMBAなどの米国の高等教育(理系は知らない)の内容自体は、別に物凄く洗練され、有用なわけではないと思っている。MBAを持っているからといって必ずしも優秀というわけではないし、全然イケていない人もたくさん見てきた。ビジネスの世界のMBAというのは、アメリカの大学が作り出した超優良な資格試験みたいなもので、それが一流ビジネスパーソンになるための教育メソッドであるかどうかは正直疑わしいと思っている。もちろんマーケティングの基礎体力ではないが、マネジメントをするために知っておかなければいけない基礎体力的な知識を学ぶという意味では良いのだとは思うが、正直そのレベルの知識であれば、別に独習でも全然OKである。

それがどこまで国家として意図的なのかは分からないが、例えばマネジメントの人材であれば、MBAという世界中で通用する資格の提供は、アメリカにとって世界中の優秀な人材を集めてくる集客装置としては完璧に機能していると思う。そして、この装置が機能しだすことによって、それ以降の2つはポイントはおそらく自動的に回っていく可能性が高い気がする。

私自身の人生における大きな心残りの一つは、真面目に語学を勉強しなかったことと、海外留学をする機会を自分で作らなかった事の二つであるが、そのような人間がシリコンバレーで仕事をしながら、何故ここから湯水のように新しい企業が生まれ、アメリカという国があげたらきりがない程多くの問題を抱えながら、資本主義の世界でなんだかんだ言いつつも、圧倒的な経済力を持ち得ているのかを考えた結論である。

理系の研究職は分からないが、正直言って大学で何を勉強しているかについては、私個人はそれほど興味がない。なぜなら、マーケティングに関しては大学で主に教えられているのは伝統的マーケティングなので、私が仕事をしているフィールドにおいては業務と直結する機会が少ないからである。正直それは、日本でも米国でもそれほど変わりはないと思っている。

そのように考えると、大学という高等教育機関の役割は違うところに見出さないといけない気がする。これは、本音と建前の本音側の話なので、余り表立っていう話ではないのかもしれないが、個人的には結構重要で、日本のゲームチェンジ的な話になる可能性もあるのではないかと思う。