マーケティングの基礎体力

すべてのマーケティングの基礎とは?

人材育成の一般的な私の考えを議論してきたが、ここからはいよいよマーケティング人材の育成について具体的に考えていくことにしたい。まず最初に考えたい事項は私がいわゆるマーケティングの基礎体力と呼んでいる、細分化される様々なマーケティングスキルに共通する基礎スキルについてである。

伝統的マーケティングの教科書で何百ページに渡って議論をしたり、このブログで長々と私の経験や考え方を読んだいただいている中で、マーケティングという活動は何をしているのかということのそもそも論を考えてみたい。私はマーケティング活動というのは、分かりやすく言えば企業が顧客に対して自社の商品やサービスを購入したり、利用してもらったりするための活動になるわけだが、究極的に何を突き詰めて考えているのかといえば、「誰に、何を、何時伝えるのか?」ということだと思う。

「誰に」をマーケティング用語で言えばターゲティングということになるであろう。「何を」は、商品・サービスのポジショニングであったり、差別化のポイントの明確化、さらには広告宣伝活動におけるクリエイティブワークの話となる。最後に、「何時」というのは、顧客とのタッチポイント、広告宣伝の利用媒体の選定ということになる。

マーケティングというのは、その精度を上げるために、様々な手法やテクニック、最近ではそこにAIを中心としたテクノロジーが開発され、高度化が行われてきた。しかし、私は、その細かい手法やテクニック、テクノロジーというのは、この3つの要素を精度高く行うためのものでしかなく、マーケティングは、どの時代においても「誰に、何を、何時伝えるのか?」をシンプルに考え続ける活動だと思っている。

つまり、この3つの基本をしっかり身に着けることが出来れば、マーケティング活動の専門的に分化された様々な機能や手法は、その応用とツール使い方などテクニック的なバリエーションと考えればよいのである。ところが、現在のように機能が分化し、それぞれに専用のツールであったり、メディア・媒体毎の機能の複雑化・高度化が進んでいる状況を目の当たりにすると、マーケティングのスキルを上げる、マーケティングの能力を育成するという議論になると、どうしても私の言う基礎体力部分ではなく、テクニックの習得に目が行きがちになってしまう。私はこの考え方がまず間違っていると思っている。

ちなみに、このテクニックを習得するということがマーケティングのスキルが高いという事であれば、ここで偉そうにマーケティングの話を書いている私自身は全くマーケティングのスキルがないということになる。私は2002年くらいから本格的に事業会社でのマーケティングを始めたが、ここでテクニックの習得と言っている具体的な広告媒体の運用や、CRM関連のMAツールなどを自分で運用するということを自分自身で手を動かして行っていたのは、おそらく最初の半年から1年程度であり、それ以降は自分で手を動かすのではなく、優秀なチームのメンバーにやってもらい、その報告に対して、言いたいことを言うという方法でマーケティングに関わってきた。このため正直に言うが、例えばGoogleの広告アカウントの管理画面すらまともに見たことがないので、明日から担当者がやめてしまって、Googleの広告運用を自分でやらざるを得なくなってしまったら、自信をもって何もできないのである。

では、私がなぜ、デジタル広告の運用やオフライン広告、CRM、データ分析、コンテンツマーケティングやインフルエンサーマーケティングなど(正直、後半に向かってドンドン苦手になっていくのだが)、様々なマーケティングの手法やテクニックを活用した活動についてマネジメントし、おそらく、部下に正しいディレクションが出来るのかといえば、20年以上に渡って現場でこのマーケティングの基本となる「誰に、何を、何時伝えるか?」の3点を考え続け、それぞれの手法において、この3点をどのようにコントロールして、効果を上げようとしているのかを誰よりも真剣に考え続け、理解しようとし続けてきたからだと思っている。

AI化が進んでも基本は変わらない!

例えば、最近はAIが物凄いスピードでデジタル広告の分野で発展してきている。ではAIがやっていることは、これまで人間が考えてやってきたことと根本的に何か違うのであろうか?私はそのように考えてはいない。AI化が進む以前にも、真面目にマーケティングをしている人であれば、可能な限りの顧客のデータを集め、マーケティングのプランを作成し、その答え合わせをDCAを回しながら精度Upしていたはずである。AI、特にマシンラーニング、機械学習というものが行っているのは、このプロセスをAIが行っているにすぎないのだ。但し、AI化によって世界が変わるのではと思われている理由は、AIがこれまで人間が行っていたデータの処理能力を遥かに超えて、人間ではほぼ真似ができないレベルに達してきたからなのだ。つまり、現在のレベルであれば(将来まではわからないが)AI化が進んだからといって、AIが自分の想像できないようなロジックでマーケティングの精度向上をしているということは余り想像できないと思っている。という前提に立つのであれば、AI化が進んだとしても、ここで議論している3つの基本は相変わらず何も変わらないといえ、これまで通り、基本に忠実に考えていくことが有効なのだ考えている。

基礎体力強化には一人で3要素をコントロールしやすいものが最適

ということで、マーケティングのスキルを伸ばすために最初に考えるべきはこの基礎体力をどのように習得していくのかということになる。そこで登場する考え方が、人材育成の一般論の項で説明した「狭く深く」の考え方である。マーケティングにおいて、この狭く深くの基本となるのが、自分が行った施策に対して「誰に、何を、何時伝えるのか?」のどの項目がどのような結果になるという仮説とその検証を行い、それが想定どおりであったか、そうでなかったのかを確認する。そのうえで、何故それがそのような結果となり、より改善するためには何をすべきかという仮説を新たに立てる。このプロセスをひたすら繰り返すことにより、「誰に、何を、何時伝えるのか?」という3つのポイントを深く考え、様々な施策や顧客の理解を深めていく。そして、この深めていくプロセスを実践するために必要な環境的な条件が「狭く深く」なのである。もちろん「広く深く」が出来る能力があるのであれば問題ないのだが、人材育成の前提条件はそのような特殊な人材ではなく、普通に優秀な人材を優秀なマーケターに育てるという事なので、深い思考を繰り返し行うことを強制するために業務範囲を狭くすることを検討すべきである。

では、もう少し具体的に、この狭く深くの範囲にどのような業務を選択するのが良いのだろうか?私のおすすめは、「誰に、何を、何時伝えるのか?」の3つの要素をなるべく一人で完結してコントロール出来る範囲が大きい業務を選択することである。といっても、概念的な説明では分かりにくいと思うので、具体例を用いて説明する。例えば、デジタル広告の運用で、未経験や経験の浅い人材がチームに加わったとして、狭く深くのお題として何を与えるかを、この基準で選択する時、私がマネジメントしてきたチームにおいては、リスティング広告の運用を選ぶことにしている。リスティング広告というのは、Googleなどの検索エンジンの検索結果ページにその検索キーワードに関連した広告を表示するという広告メニューである。リスティング広告における「誰に」は、どのようなキーワードを検索している人に広告を当てるのかとなる。つまり、広告を購入するキーワードのリストを考えるということである。次に「何を」は広告が表示される広告テキストの内容になる。どのようなキーワードを検索した人に、どのような広告文を表示し、自社のサービスや商品に興味を持ってもらい広告をクリックしてもらうかを様々な訴求要素を組み合わせ、伝わりやすい表現を考えることになる。最後に「何時」であるが、これはそのキーワードで検索をした時なのである程度決まっているわけであるが、例えば広告が検索結果の最上部に3つ表示され、中段に3つ、下段に3つと表示位置が違う場合、どのくらいの広告単価を支払って(当然高い単価を払うほど基本的には上部に表示されやすい)、どこに表示するかで「何時」が変わってきたりする。リスティング広告は、マーケティングを構成する3つの要素の組み合わせを最適にコントロールすることで、パフォーマンスを改善していく分けであるが、当然組み合わせは無限にある。このため、ひたすらABテストを繰り返しながら、一つ一つの要素の変更とその反応を観察しながら、辛抱強く正解に近づいていく思考を繰り返すことが要求される。そして、リスティング広告の良いところは、この作業をほぼ一人で完結して出来るということである。

ただ、この作業をやったことがある人であれば、私の言わんとしていることがすぐに理解できるのであるが、そうでない人には何を言っているのか分からないと思うので、別の広告の例を使って、リスティング広告の一人完結度合いを理解してもらえればと思う。対比する例として、さすがにTVCMまではやりすぎな気がするので、Youtubeに動画広告を流して、商品の認知度向上を図る施策を考えてみよう。

まず、「誰に」と「何時」については、Youtubeもリスティング広告も同じGoogleの商品であるためそれほど変わらない。しかし「何を」の部分にオペレーションは大きく異なる。広告のクリエイティブというのは、テキスト→静止画→動画の順番で構成要素が増えていき、制作予算も大きくなっていく傾向にある。そして、制作予算が大きくなっていくということは、ABテストをする事のハードルが高くなる(失敗が大きくなる)し、時間もかかるということになる。そうすると、会社としてはもちろん失敗する確率を減らしたいと当然考えるため、プランニングの精度を上げるために時間を使い、その出来上がったプランを予算の範囲内で可能な限り意図通りに表現するために、撮影や、制作、編集などを何度か確認しながら一つのクリエイティブを作り上げていくことになる。また、工程が多いということは、当然それぞれの専門技能を持ったスタッフの数も増えていくことにも繋がる。このように、広告施策の実行というのは、実は取り扱う広告クリエイティブの種類によって、関わる人の数、かかるお金と時間が変わってくるのが一般的である。この点から考えると、一番フットワークが軽く、広告運用の担当者が自分でABテストを完結してスピーディーに行えるのがテキスト広告中心のリスティング広告ということになるわけである。

このように考えると、例えばCRMの領域の業務を選択する場合なども、HTMLメールよりも、テキストメールや、SMSのテキストメッセージ、Lineの配信などの方がクリエイティブワークを自己完結しやすいため、人材育成に選択する項目としては適していると言える。

今回は、例として、広告運用とCRMの具体例で狭く深くの選択肢となる業務について考えてみたが、最初にどのような業務をアサインするは、マーケティングの基礎体力強化のスピードに深く関係してくる。正しい業務にアサインし、3つの要素をコントロールしながら、出来るだけPDCAを正しく早く回す訓練の機会を提供し、その実施が正しく行えるように教える人間がサポートする。これから、自分のチームで人材育成をしなければいけないマーケターの皆さんは、「誰に、何を、何時伝えるか?」を正しく、スピーディーに学びやすい業務が、自部署のどの業務なのかというのを是非見直していただき、その業務に狭く深く取り組む機会を教えられる人材に提供して上げてもらいたい。