市場と自社の成長スピードのバランスを確認する
ここまでで、市場の現状分析と戦略、計画の作り方について考えてきた。あとは精度の高いオペレーションとなるが、その具体的な話をする前に、デジタルマーケティングにおける中長期視点でのオペレーションとリスクコントロールについて簡単に触れておきたいと思う。
以前にデジタルマーケティングの成功の重要な要素として、「小さな失敗を、早く、意図思って行う」という考え方を紹介した。詳細については、ここで繰り返すことはしないが、ここでは、事業計画の実現性を高めるという視点から失敗の重要性について考えてみたい。
前項でオークション型のデジタルマーケティング広告というのは、完全競争市場に近いロジックで動くため、基本的には需要と共有で価格=マーケティングの効率が決まってくるという話をした。通常の毎年成長を強いられる企業においては、今年の目標よりも来年の目標と、年を経るごとにマーケティングの目標も高く設定されるのが普通であり、部門の責任者は自社の事業計画と市場の需給バランスを見ながら中長期の施策を検討することは当然の備えであると考える。
前項においては、日々のオペレーションから市場環境を評価する方法を説明したが、ここでは、もう少し長期的な視点と事業環境全体の視点が、どのようにマーケティングのオペレーションに影響するのかを考えてみたいと思う。
重要なのは、マーケットの需要の成長率と自社の長期的な成長率のバランスである。例えば、私が一社目で働いた楽天という会社は年率30%とかでそれなりの規模になってからも成長して、創業10年程度で売上1000億円以上の会社に急成長したが、これはもちろん楽天自身で市場開拓をしたということも含めて、メインの事業ドメインであったECという市場が急速な勢いで伸びていたから実現できた結果である。このような急成長事業セグメントでは、需要=ターゲットユーザー数の増大が大きいため、マーケティングコストを増大させてもマーケティングの効率を悪化させないで成長し続けられる可能性が高いと言える。但し、このような急成長事業ドメインには、新規参入も多く発生するため、需要の拡大ペースと自社の成長スピードが同程度であったとしても、それ以上に新規参入とそれによる市場全体のマーケティング費用の増大が起こると、マーケティング効率が悪化する可能性もある。急成長市場では、市場成長率と自社の成長率、新規参入企業の多さを見ながら、中長期的な戦略を考える必要がある。
一方、私が直近で働いていた、医療福祉系の人材紹介のようなビジネスの場合は環境が大きくことなる。特に、看護師とか保育士のような資格保有前提の職種の場合、そもそも資格保有者数は毎年一定数しか増えないため、マーケットサイズ全体のターゲット数の上限が決まっている。これに対して、会社はそれ以上のスピードでの成長を求めていたため、普通に考えれば、マーケティング効率は落ちていくことになる。このような市場において考えなければいけないことは、マーケットシェアの拡大である。その手法は、一時的にマーケティング効率の悪化を一時的に許容して、体力のない会社が許容出来ない程度に顧客獲得単価を挙げてしまい市場から退出させたり、M&Aを仕掛けて、そもそもマーケットシェア自体を競合からお金で買うなどの方法がある。実際に前職では、ある職種において、自社がNo.1のポジションを持っている状況で、No.3のポジションの会社を買収し、圧倒的No.1の状態まで市場シェアを拡大するようなことをした。
今回の中長期的なオペーレーションとリスクコントロールを考えるうえでは、当然後者の医療福祉の人材紹介のようなビジネスにおいてターゲットユーザー数の増加スピードを越えた成長をし続ける方が厳しい条件であるため、このようなケースを用いて基本的な考え方について説明したい。
自社のマーケティングがどの程度安定しているのかを把握する
前述したように、資金力が競合対比で強ければ、高顧客獲得単価での消耗戦を仕掛けたり、M&Aなどの手法を取ることができるが、この選択肢は戦略レベルの話になるた。ここでの議論は、そこまでハイレベルの話ではなく、オペレーションレベルでの考え方、取り組む方法の話だと理解していただきたい。
これまで何度も述べてきたように、デジタルマーケティングのオペレーションのレベルでは、PDCAのDCAの3プロセスに重点を起きつつ、どれだけ高速回転で競合との差をつけるかしか、改善の方法はないと話してきた。そして、PDCAの高速回転には「小さな失敗を、早く、意図を持って行う」ことが重要であると申し上げた。マーケティング部門の責任者が検討しなければいけないのは、今後要求される成長スピードに対して、現在のPDCAの回転スピードとその精度は十分なのかをどのように判断するかである。市場の成長スピードより大幅に高い成長率を求められるのであれば、当然競合企業よりも相対的に早く精度の高いPDCAを求められるからである。
この場合、まず見ておかなければいけないのは、自社のデジタルマーケティング施策のパフォーマンスの安定性である。PDCAを十分に行い、競合よりも洗練されたマーケティング施策や広告のアカウントなどは、基本的にパフォーマンスは安定するし、もしブレが出たとしては、理由が理解可能な場合が多い。例えば、人材業界で言えば、年間で転職需要のシーズナリティは必ずあるので、特定の職種で前月からパフォーマンスが突然良くなったり、悪くなったりすることがある。しかし、これが職種特性に従ったトレンドであり、前年同月比が前月と変動していなければば、それは大きな問題ではないと理解できるはずである。
しかし、PDCAが回りきっていないマーケティング施策というのは、そもそも仮説の精度が高くなかったり、そもそも検証が十分行われていないパラメータが多数施策に組み込まれているといったことから、パフォーマンスが不安定かつ、変動が発生したときに、何故それが起きたのか納得いく説明が得られない場合が多い。
中長期視点でのPDCA=事業成長スピードに合わせて安定部分を増やす
この前提で、自社のマーケティング活動や広告アカウントを細分化して、それぞれの細分化した施策や広告媒体のキャンペーン・アドグループのパフォーマンスの推移が安定しているものと、安定していないものに色分けしてみるとよい。
例えば、今年は月平均で1000万円のデジタル広告の予算を使って、顧客活動を行っているとする。来年の成長目標は年率20%であるため、月平均1200万円を同一の獲得単価でマーケティングを実施しなければいけないとする。
この状況において、現状の1000万円を施策、広告アカウントのキャンペーン・アドグループ単位を詳細に分析して、安定と不安定の2種類に色分けしてみたところ、安定が90%で不安定が10%と分類できたとする。幸いKPIの達成状況も順調である。このような状況で来年を考えてみよう。現状900万円は安定して費用が使えているため、競合が今年と同程度の成長で無理な成長を狙った大幅な運用方針の変更がなければ、この部分は現状維持で安定して費用は消化できるはずである。しかし、来年は1200万円を月次で消化して、パフォーマンスを維持しなければいけない。しかし、安定の範囲が900万円では、75%に減ってしまう。安定比率が15%も落ちてしまうことになる。もちろん不安定にはポジティブなブレと、ネガティブなブレがあるわけであるが、多くの場合ネガティブなブレの方が大きいことが多いため、25%も不安定要素が予算に含まれていると、KPIの達成状況も10%単位で大幅にぶれてしまうことになり、業績が安定しなくなってしまう。
この状況で、今年の残り期間をどう過ごすべきか。一つ目の方法は、安定している900万円を活用している施策やキャンペーンの予算をさらに引き上げられないか検討することになる。この部分を10%増やせるとすれば990万円使えることになる。しかしこの方法は一件安全策のように見えるが、リスクが伴う。それはもし対象としている顧客セグメントにおいてターゲットユーザー数に限界まで接触してしまっているという場合、10%予算を増加しても、10%顧客獲得が増えるのではなく、10%CPAが上がるだけとなってしまう可能性も最悪のケースとしてはあり得るからだ。このため、もしこのオプションを取るのであれば、いきなり全額増やすのではなく、キャンペーン等細分化された単位ごとの過去の推移などを見ながら、ユーザーリーチに余裕があるところを探して予算を増やす実験をしてみるなど、少しずつ時間をかけてテストをすべきである。なぜなら、ここで安定部分を壊してしまって、安定して使える予算が900万円よりも減ってしまうとすると、来年のリスク度合いがさらに増してしまうからだ。
二つ目のオプションは、10%の不安定に分類される予算から、来年に安定に昇格させて、さらに予算を拡大出来そうな余地がありそうな施策やキャンペーン等を見つけるPDCAを今年のうちに目途を立てていくことである。私は、この方法を強く推奨する。安定している施策・キャンペーンというのは需要と供給が絶妙なバランスで均衡している状態であるため、ここに何の改善のアイディアもなく単純に予算だけ増やすという行為を行うとこの均衡を崩してしまう可能性がある。一方、不安定に分類される施策に対して課題の解決方法などが見つかれば、、そこは将来に向けてより多くの予算を使える余地として安定部分の拡大に寄与できる可能性が高い。不安定の10%部分の予算というのは、そのような実験・テストをするための予算であると考えてみるとよい。どうせ不安定で上手くいくか行かないかが五分五分なので、あればこの部分でテストをしたとしても半分は失敗しても大きなリスクではないわけだし、この例でいえば、不安定な100万円を使って、そのうちの50万円くらいで来年度4倍くらいまで予算が使えそうな施策・キャンペーンが見つかれば、来年の1200万円は大半を安定的に運用することが出来、余裕をもって、再来年の準備を1年かけてできることになる。逆に言えば、安定に昇格できる新しいアイディアを発掘出来ていないと、オプション1で拡大しなければいけない余地が増え、多くの場合マーケティングの効率は中長期的に落ちていくことになる。なぜなら、再来年は来年よりも普通に考えるとさらに予算を拡大しなければいけないことが予想されるためが。
私は、よくチームメンバーに安定=硬い部分をどれだけ作れるかが重要だという話をする。今回の例のように、90%安定に分類することを一つの指針とするのであれば、今年900万円なのを、来年は1080万円まで増やさないといけない。つまり今年と、来年で同じことをしていては、実現できないわけである。私は、PDCAとはマーケティング活動の精度を上げ続けることで、この硬い部分を増やし続ける活動であると考えている。今回の例では自社の話しかしていないが、当然競合企業も成長を試みるわけなので、環境はより厳しくなるわけだ。事業活動をしていると、どうしても足元のKPIの達成に目を奪われがちである。しかし、中長期的な視点を常に持ちつつ、1年後、2年後の姿と現状のGAPがどの程度あるのかを定期的に考えながら、現状のPDCAの回転スピードが適切なのかどうかというのを検証することがマネジメントには求められていると思う。