何でもないことを徹底すること
このブログで私はPDCAの高速回転の重要性を嫌になるくらい繰り返して来た。実はそれと似たような言葉でビジネスの成功法則的な話でよく使われるワードに「凡事徹底」という言葉がある。辞書で凡事徹底を引いてみると次のような感じである。
”なんでもないような当たり前のことを徹底的に行うこと、または、当たり前のことを極めて他人の追随を許さないことなどを意味する四字熟語。”
出典Weblio
最近は大谷選手のパフォーマンスが振り切れ過ぎているので、若干印象が薄くなっているが、大谷選手が登場するまでMLBで最もインパクトのある成績を残した日本人選手であるイチロー選手が座右の銘にしていたらしく、それでも有名になった言葉でもある。日々行う一つ一つのことはそれ程特別な事ではなく、それを徹底的に行い、他人の追随を許さないという意味では、私の大好きなPDCAと似ているのであるが、個人的には余り好きな言葉でなかったりする。ちなみに、私自身は部下に話すときに口にしたことはおそらくない。
では、凡事徹底とPDCAの違いは何であろうか?それは、徹底する対象の「何を」を選ぶプロセスが、凡事徹底というスタンスには存在していない事なのではないかと思っている。そして、この「何を」を正しく選べないと、この凡事徹底という仕事に対するスタンスは、上手くいかないだけでなく、障害となったりするケースまである。
PDCAというのは、Plan→Do→Check→Actionの4つのステップで構成されるわけであるが、凡事徹底というのは、Doにフォーカスして、Doの精度を徹底的に極めようという事であると私は理解している。もちろん、PDCAを回す際に、Doをいい加減にやってしまうと、CheckとActionの精度も当然落ちるので、PDCAの高速回転による改善活動のスピードが落ちることになる。しかし、PDCAで重要なことは、4つの段階のそれぞれの精度をあげることで、対象の課題を改善、解決していくことであるので、Doの部分だけ精度向上する事だけではそれ程意味がないということになる。
凡事徹底が成功する2つのパターン
では、なぜ「凡事徹底」という言葉がもてはやされるのであろうか?可能性は2つのパターンであると思っている。①凡事徹底といっている人がそれなりに優秀で意識/無意識に関わらずP・C・Aも正しく行っており正しく「何」を選択出来ているパターン。②企業や部署のオペレーションが長い年月のPDCAの末に確立しており、P・C・Aに改善の余地が少なくDの精度を徹底的にあげることが成果に直結する可能性が高いパターン。私は、「凡事徹底」というスタンスを組織に強固に浸透させ(それが徹底出来ない人はそもそも凡事徹底などと部下に言う資格がない)、高い業績をあげているパーンは、この2つのパターンのいずれかであると思う。
まず、①の実はPDCAをやっていますというパターンについて見てみよう。おそらく、冒頭で例にあげたイチロー選手などはほぼ間違いなくこちらのパターンに属する凡事徹底であると思う。なぜなら、若いころからP・C・Aもなく、Doだけ極めた人が、誰もマネできないような振り子打法などというユニークなバッティングフォームになるわけがない。必ず、PDCAの限りない繰り返しの中で、誰も到達しえなかった技術の領域に達し、日米通算4367安打という前人未踏の記録を実現したはずである。もし、彼が凡事徹底が重要といって、チームに決められた練習メニューを誰よりも精度高く愚直に行っただけでは、絶対にあのような成績を残すことは出来なかったと思う。このようなスタンスの人が凡事徹底を協調する場合は、D以外のP・C・Aは通常レベル以上に精度高く高速で回転させている前提で、その中でもDの精度を徹底的にあげることが、超一流の世界の競争において差を分けるということを言っていると理解すべきであろうと思う。
一方で、②の長年のオペレーション経験において、PDCAによる改善余地が少ないケースというのは、当然新規事業などではなく、歴史と実績のある事業などで見受けられるケースであるといえる。このケースにおいては、競合との差別化要因はDoの精度であることが当然多くなるので、Doに特化した「凡事徹底」が強調されるという分けである。ぱっと思いつく例としては、私はやったことがないが、大手ハンバーガーショップの店舗オペレーションの話をメディア等で見ると、おそらくDoの徹底的な精度向上による生産性Upが店舗のサービスクオリティを決定する重要要因であるため、実際に言われているかどうかは知らないが「凡事徹底」系の現場であるのだろうと想定される。
間違った凡事徹底
ここまでで、「正しい」凡事徹底の理解と、事業現場への適用方法を見てきたが、私がこの言葉を重視せず、PDCAという言葉を重視する理由は、この「正しい」理解の基に運用されずに、間違った凡事徹底が行われる現場を多く目にするからである。
「正しい」凡事徹底を理解いただけている読者の方にはすでに予想できると思うが、凡事徹底が上手くパフォーマンスしないケースというのは、Doしか現場もマネジメントも見ておらず、P・C・Aの状況を正しく評価・分析出来ていない時に発生をする。
上手くいかない時に発生しがちな失敗は、凡事徹底するDoの実施中にPDCAがきちんと回っていないために、そもそも現場に何故そのDoの徹底を行い、どの方向で精度向上を図っていけばよいのかが理解されていなかったり、正しくディレクションがされていなかったりする事である。
例えば、次のような話を身近で効いたことはないであろうか?
ある営業部門が営業人員一人当たりの売上額の最大化を行うためにデータを分析したとする。その結果、一人当たり売上高が高い上位〇%の人材のデータから、一人当たり売上高と一人当たり月次のアポイントメント件数の間に相関関係があることが分かった。このため、この営業部門は、各営業人員に月次のアポイントメント件数の目標値を設定し、その達成を重要KPIとして定めることとした。
ここまでは、あくまで架空の事例なので、データ分析の精度は大雑把であるが、ロジックとしてはそんなに変なことはしていないような気がする。では、少し時が経って、それから2年後の同じ営業部門である。
この営業部門は、非常に「数字にこだわる」チームで、部署で決められたKPIの達成を重視して部署運営がなされている。重要KPIは一人当たり売上額とそれを実現するための一人当たりの月次アポイントメント数の目標達成である。この2年間の経験から、月次アポイント数を達成するためには、徹底して顧客リストに対して架電をすることが重要だということが分かっている。このため、営業スタッフ、特に、一人当たり売上高が未達成の人員には徹底してアポイント獲得の架電数を増やすように指導している。この2年間で架電数は倍に増えており、アポイント件数も20%増大した。しかし、一人当たり売上高の改善はわずか3%で計画値を大幅に下回っている。
この事例において、何が問題なのであろうか?まず、2年前に一人当たり売上高とアポイントメント件数の連動性をデータ分析の結果発見して、重要KPIとして設定したところまでは、それ程おかしなことではなかった。しかし、この2年間で行ってきたことを見てみると、その成果は思った通りに上がっておらず、計画から改善幅は大幅に下回っている状況である。では、何が問題であろうか?
この2年間で起こったことは、アポイント件数というKPIを達成するために、それを増大させるサブKPIとして営業人員の架電数という行動KPIを分析の結果設定した。そして、そのサブKPIをKPI管理し、架電数を2年間で倍に増やすことに成功した。しかし、アポイント数は20%増にとどまり、一人当たり売上高は3%増にとどまっている。つまり、何が起こっているかといえば、架電あたりのアポイント獲得件数は大幅に悪化し、アポイント当たりの売上高も大幅に悪化しているという事である。
凡事のシンプル化と行動量管理
このような話を文章で論理的に書いて説明すると、一定レベルの論理的思考力がある人であれば、こんな稚拙なオペレーションの会社があるのだろうかと思ってしまうかもしれないが、私が知る限り、このような話に似た状況に陥っている企業や部署は意外と多いと思っている。そして、その最大の原因が「間違った」凡事徹底にあることが多い。
今回のケースで、当初凡事徹底の対象となるKPIは月次のアポイント件数最大化であった。その指標が一人当たりの売上高と連動性があるという統計データがあったため、この判断自体には問題はおそらくないと思う。
しかし、2年間運用する中で2つの変化が起こっている。一つ目の変化は、架電数というサブKPIが現場において設定されたこと。二つ目の変化は、アポイント件数と一人当たり売上高の相関性が低くなったことである。
まず1つ目の架電数というサブKPIについて考えてみよう。発想として、ひとつのKPIを実現するために、要素を因数分解して、サブ的なKPIを設定すること自体は全く間違っておらず、寧ろロジカルな話である。この場合は、アポ件数=架電数×アポ獲得率という因数分解を行い、架電数をサブKPIとしたわけである。ただ、架電数を目標値として設定する場合、因数分解の数式を見れば一目瞭然な大前提がある。アポ件数と架電数が連動して増えるためにはアポ獲得率が一定でなければいけない。しかし、今回のケースでサブKPIとして設定されているのは、架電数のみである。実はここに凡事徹底の罠がある。凡事徹底という言葉が好きな人にありがちなのであるが、凡事を非常にシンプル化・簡略化しようとする傾向にある。また、凡事の結果を簡単に計測しやすいものにしたがる傾向も強い。そこで出てくるKPIが組織の構成員の行動量をカウントする行動KPIである。この場合は、架電数が行動KPIである。この思考プロセスをたどると、組織において、KPI(アポ件数)=サブKPI(架電数)という間違った方程式が出来上がり、より現場マネジメントがコントロールしやすい行動KPIである架電数の方を凡事と定義し、コントロールするようになるわけである。多くの場合、固定値として暗黙的に見過ごされたアポ獲得率は短期的に大きく変動することはないので、アポ件数と架電数の連動はある時期までは連動することも少なくない。このため、架電数を増大させるようなマネジメントをすることが正しいと考えるようになる。結果的に電話をかけるという誰でも出来る「凡事」を愚直にやれば売上が上がるというような間違ったロジックが組織に浸透してしまうわけである。
連続した微細な変化に気が付けない
そして、このような状況が常態化してしまう理由が、2つ目の変化であるアポイント件数と一人当たり売上の相関性の悪化が見過ごされてしまう事である。
この文章では、2年間の間を端折って見ているので、この変化量は明らかであるが、例えば2年間24か月分の変化を24分の1ずつ前月比とかで見ていると、ひと月当たりの変化量が小さいので、そこまで大きな変化として認識されず、事業管理のロジックに問題があるのではなく、日々の現場のオペレーションに問題があると誤解されてしまったりすることも少なくない。よく経営会議などで、「目標達成に向けた現場の粘り強さが足りませんでした」みたいな精神論が語られたりするのを聞いたことがないだろうか?私の経験上、前月と今月のパフォーマンスの違いで、今回でいえばアポイント→売上の相関係数の変化が明確に認識されることは難しかったりする。なぜなら、それが日々のオペレーションの精度の悪化による変化なのか、そもそも長期的なトレンドとしての変化なのかが、直近の数字だけをみているとわかりにくいからである。そうするとロジカルな改善ポイントが見つからないので、精神論か、現場のオペレーションを原因にするしかなくなるわけである。そうするとまたやってくるのが凡事徹底である。数字にこだわり、当たり前のことを当たり前にすれば、今月目標に未達であった数%の売上は実現できたはずであるとなるわけである。
P・C・Aを組み合わせプロセス全体の健全性を確保する
このように見てくると、PDCAに比べて、凡事徹底というのは誤解を生みやすい、間違った運用になりやすい言葉であることがお判りいただけるのではないだろうか?Doに集中しすぎることによって、Doが当初の想定とずれてきたり、機能しなくなったときに修正が効かなくなるリスクが高くなるのである。私はこれを「凡事徹底による思考停止」と読んでいる。上で述べたような架空の事例における2年間は、正に凡事=架電数最大化を愚直に信じてしまった思考停止が産んだ悲惨な状況である。
こうならないためには、常にP・C・Aをセットで行い、今行っているDoが当初の想定通りWorkしているのか、もし、想定通りに事が運んでいないのであれば、何が原因でどのように改善しなければいけないのかを考えることが重要なわけだ。
凡事徹底という姿勢は、Doのパートの精度向上という意味では素晴らしい金言である。同じような言葉に、「神は細部に宿る」とか「Devil is in the detalis」のような言葉もあるが、要は、一つ一つ丁寧にやるみたいな視線を美徳とする感覚が結構もてはやされがちである。しかし、イチロー選手の例でも述べたが、ほぼ確実に成功している人というのは、Doの精度の向上と同時に、P・C・Aのサイクルも必ず同時に行っている。この点を理解せずに、凡事徹底という美しい言葉を真に受けると、長い時間軸で俯瞰してみると、今回ご紹介したストリーのような状況に陥るわけである。
繰り返すが、言葉には罪はないし、その姿勢にも全く誤りはない。しかし、必ずその凡事がPDCAサイクルのいちパートであるということは忘れないでもらえればと思う。