知識とスキルの違い

優秀な若者の悩み

先日、私が非常に優秀だと思っている若者と話していた時の話が面白かったので、少しその話題を書いてみたいと思う。その若者は、ある特定の業種向けのマーケティングのサービスを提供して高い成果を出した実績があり、そのころの仕事ぶりをパートナー企業の立場で見ていた私としては、非常に優秀な人材であると感じて、継続的にコミュニケーションをしているのだが、彼がとある案件で私と仕事をしているときに、自分には能力が足りないと痛感した、非常に悔しい思いをしたという話をしていた。

私は彼と仕事をしていて全くそのような劣等感を感じているとは想像もしていなかったのであるが、よく話を聞いてみると、背景はこんな感じであった。彼は、これまで関わってきた業種向けの案件であれば、いろいろなアイディアが浮かんだり、顧客の問題についてのソリューションを思いついたりすることが出来るのであるが、それが異なる業種の案件になると、打ち合わせをしていても私の思いつくアイディアであるとか、ソリューションに感心するだけで、全然スピードとアイディアの量についていけないというのである。

普段から、彼と接していて、人とは違う発想力や、物事の本質を考える力、デジタルマーケティング的な考え方など、十分な力があると私は感じていたので、彼がそのように感じていることに結構驚いたというのが正直な感想であった。

この話を聞いたとき、私が十分に能力があると評価している人材が何でそのような悩みを持つ状況になったのだろうということを考えたのだが、その整理の仕方は、もしかしたら多くの人の役に立つのではないかとおもったので、その辺の話をここから書きたいと思う。

業務を実行する能力を2つの要素に分解する

仕事のパフォーマンスを出そうと思ったときに、ある個人が特定のタスクを実現できる能力があるかどうかを左右するのは、大きく分けると2つの要素に分解出来ると考えられる。

ひとつは、例えばマーケティングであれば、私がマーケティングの基礎体力と呼んでいるあるファンクションのタスクを実行するために必要な基本的なスキルである。そして、もう一つが特定の業種に対する情報であるとか、タスクを実行するために利用するツールの使い方などに代表される知識である。私は幸いにも、楽天在籍当時、マーケティングのグループ統括部署の責任者のような事業会社にいながら非常に多くの業種、サービスのマーケティングをする機会を得ることが出来たため、この2つの違いを30歳前後の若い時期に認識出来たので、無意識のレベルで使い分けられるくらい、当然のことだと思っていた。しかし、この話の切っ掛けを作ってくれた若者の話を聞いて、この2つを分離をすることって、相当優秀な人材であっても上手くできていないことが結構あるのだと思うようになったわけである。

このスキルと知識の違いについて、もう少し分かりやすく実感していただけるように、私が良く使う例で説明してみよう。

ある大手総合広告代理店のトップストラテジープランナー(ストプラ)がいるとしよう。その人物はその代理店でこれまで多くのクライアントのマーケティングキャンペーンの案件を成功させてきた実績を持っている。そのクライアントの業種は、消費財メーカーもあれば、大手食品メーカーもあり、自動車会社もありと多種多様である。ここで質問!この人物は、これまで成功したマーケティングキャンペーンの対象になった案件に対して、その業界で長く働いてきた例えば事業会社のマーケティング担当者より対象の業界について詳しい知識を持っていたであろうか?

私は、自信をもって答えは「No」であると思う。もし、この答えが「Yes」であったのであれば、この人物は尋常ではない脳みそのスペックを持っていると思う。大手総合代理店のトップレベルのストプラであれば、普通の人より遥かに優秀な人である可能性は高いが、私がこれまでつきあってきた人たちとの経験から考えると、この質問に対して「Yes」といえるほど常軌を逸した脳みその持ち主には出会った記憶がない。

では、このストプラの人物がこれまでの成果をあげられた理由は何なのであろうか?それは、クライアント企業の業種についての知識がクライアント以上に多いからではなく、クライアント企業のマーケティングの状況や課題を理解し、それを裏付けるリサーチ能力やデータ分析能力に優れ、そこから得られた情報を基に課題の原因となっている解決すべき問題点の本質を理解し、その解決策を考えるという一連のプロセスを他の人よりも上手に出来るということである可能性が高いとわたしは考えている。

ここで重要なのは、私が例示した一つ一つのプロセスにおいて必要なことは、クライアント企業の業種についてのストックされた知識ではなく、様々な方法を通じて収集した情報を読み解き、そこから解決策を導き出すスキルである。つまり、知識については、情報収集スキル、リサーチスキルが備わっていれば、プロジェクトの中で入手できるため、事前に持っている必要はないということになる。

この話を私がよくするのは、マーケティングをするときに、ターゲット顧客の気持ちが1人称で分かる必要があるのかどうかという議論をするときなのであるが、私はこの議論の答えは、「必ずしも必要ない。但し、理解できていけないわけではない。」だと思っている。もし、そうでなければ、ほぼゲームに興味もなく、自社で発売するゲームをほぼユーザーとしてプレイしたことのない自分が、ゲーム会社のマーケティングの責任者を5年以上務めてそれなりの成果が出せるわけがない。つまり、私自身を肯定するためにも、この議論の答えはこうでなければならないのだ。

自分の脳のストックを知識とスキルに整理し直す

という前提で、最初の若者の悩みに戻って見よう。この人物は、ある特定業種のマーケティングにおいて、自分でクリエイティブな手法を編み出し、大きな成果を出した。私はその成果をみて、非常に独創的で、問題の本質を考えてサービスを構築していたと評価していた。しかし、彼は、その業種で彼自身が培ってきたデジタルマーケティングの方法論とその業種の特殊性を一体化して自分の脳の引き出しの中にストックしてしまっている。このため、他の業種向けにサービスを提供しようと思って、打ち合わせに参加した際に、それまで培ってきたマーケティングスキルを取り出して、転用することが出来ないのだ。

では、知識とスキルの分離はどのようにすれば出来るのであろうか?私は一言でいうと訓練の量であると思っている。つまり、自分の中にストックされている情報が特定の業種者特定の業種や特定のマーケティングファンクションに適用可能な知識であるのか、マーケティングに汎用的に活用出来るスキルであるのかを、仕分けする機会を増やしていくという事である。

これは、三木谷さんから受けた大きな影響のひとつであるが、以前三木谷さんはご自身の強み、他の人より優れたポイントはある事象(事業)で起こったことをそれ以外の事象に横展開する能力だと思うと話されていた。そして、実際、私が在職当時の楽天において三木谷さんが出席しているMTGで話されていた内容というのは、正にその実践であった。例えば、「楽天市場のマーケティング施策でこのような成功事例があった。楽天トラベルも同じ考え方でマーケティングをしているのだから、この部分をトラベル向けにカスタマイズしてやってみたらどうだろう?」というような議論が多く交わされていた。私は、この思考方法を多くの打ち合わせの場に同席することで、おそらく自然と吸収していたのだと思うが、楽天グループのすべてのサービスを統括するという役割において、同じようなスタンスで様々な事業のマーケティング活動を見つめ、たの事業への転用を考えるという癖がついていった。これをすると、日々目の前で起こっているマーケティング活動とその結果を見ながら、このポイントはどの事業、似たような事業でも活用できる汎用的なスキルで、これはこの業種特有の知識であるという情報の仕分けが日常的に行われるようになったわけである。

誰にでも出来る実践方法

というのが、この知識とスキルの分離をするための方法論なのであるが、このような話をすると、お前は楽天のように何十もサービスを抱えている企業のマーケティング統括部門のような恵まれた環境にいるからそれができるのだと文句を言われそうなので、そのような環境にいなくても、同じようなことが出来る方法論をご紹介しよう。

といっても、これもこれまで話したことのないような全く新しい手法ではない。以前、人材育成のパートの楽しく働くで我々ば日々マーケティング・広告に囲まれまくって生きているという話をし、その中で例えば心に響いた広告、記憶に残っている広告について、なぜそれが自分に届いているのかを考えてみることがマーケティングを自分事化して考える方法であるという話をした。正に、このプロセスが、自分のマーケティングの情報を自分の仕事として関わっている業種やファンクション以外に転用する機会である。私も2社目以降の就職先は基本は単一業種に近い企業で働いてきたので分かるのであるが、ずっとひとつの業種やもっと極端に言えばひとつの商品のマーケティングをしていると、自分のマーケティングの情報が知識なのかスキルなのかが分離しにくくなってしまう。そうすると、そもそも自分の頭の整理も出来ないし、外部のアイディアを自分の事業のマーケティング活動に転用するということがやりにくくなってしまう。このようなことにならないようにするためには、まずは例え単一の業種やファンクションしか現時点では担っていないとしても、自分の持っている情報の知識とスキルの切り分けをすることが有効になるわけである。そのためには、自分の脳みそにストックされている情報を、普段とは異なる環境でアウトプットしてみる機会は意識的に作らないといけない。

私は、ハッキリ言ってマーケティングオタクみたいなところがあるので、意識しなくても直ぐにそのように考える性分になので、日常的に行いまくっているのであるが、自分の思考を例えば毎晩振り返って、そのようなことが自然に発生していないということが自覚できているのであれば、ずっと考えている必要はないが、例えば朝出勤する電車の中でなんとなくSNSのタイムラインを見る代わりに10分間この24時間を振り返って、心に残った広告について考えてみるなどしてみてはどうであろう。ちなみに、私は一時期、電車の中でスマートフォンを見るのを原則やめるということを数年続けていたことがあるが、自分へのインプットを増やす、特に自分に過度にパーソナライズされていないインプットを増やすという意味では、これも有用な方法である。スマートフォンを始めとしたデジタル空間は、現状ドンドンAIによるパーソナライズが進んでしまっているので、Inputされる情報の多様性がどんどん狭くなってしまっていると思う。自分へのInput情報の多様性を増やす努力は、意図的に行ってみると、脳の刺激にもなるし、ここで私が紹介した、普段の業務情報の他のシチュエーションでのアウトプット機会の創出にも繋がるわけである。

今回の話の切っ掛けを作ってくれた若者をみて改めて思ったのは、知識とスキルの分離は、その人の能力の高さにはそれ程依存しないと思う。訓練する機会が正しく提供されるかどうかの違いである。ある特定の業種のある特定のファンクションで専門性を高めることにももちろん高い価値はあると思っている。そんなキャリアを歩んでいる人が今回の話が少しでも気になったということであれば、ここで紹介した方法論を参考にして、実践をしてみてほしい。自分の悩んでいることの答えが、実は予想外の所で見つかったりするかもしれない。