リピートユーザ獲得の基本構造を理解する
ロイヤリティプログラム、MAツールとCRMの代表的な手法の具体的な解説をここまでしてきたが、これらはあくまで手段であるので、今回はもう少し上位レイヤーの適切なCRMの目標設定と限界値の見極めについて話をしたい。
まず、CRMを顧客データベースにいる顧客に対するサービスのリピート利用率であると定義すると、CRMで獲得できるリピートユーザー数は下記の計算式で計算できることになる。
- A:前年度末DBユーザー数×(1+B:年間顧客DB成長率)×C:年間のユーザーリピート率
凄く単純な計算式であるが、Aを100万人、Bと10%、Cを20%とすると、このサービスの年間のリピートユーザー獲得数は、100万×1.1×0.2=22万人となる。
私自身が数年前に事業計画を作るためにあたらめて考えて計算しだしたことなので、余り人のことは言えないが、実は昔の私のように、この基本的な計算式を把握している会社は意外と少ない。
しかし、あたらめて考えてみると、この基本的なメカニックを理解できていないとCRMの適切な目標設定というのは出来ないことになる。Aの数値は前年度の実績なので確実に算出可能なはずである。Bの数字は基本的にはCRMの責任範囲ではなく新規顧客獲得チームの責任範囲であるため、CRMチームとしては基本的には所与の数字である。このため、実際にCRMチームの目標値を決めようと思うと、Cのリピート率の数字の目標設定を正しく行うということになると覚えておいてもらいたい。
この数字の算出は多くの場合、前年からの改善率を見るという方法がシンプルで、私もよく利用する方法である。前年の実績がある程度改善基調を保っており、今年度もさらにPDCAの精度を上げていけばその改善ペースを実現出来そうな場合は、大きな問題はない。一方で、判断が難しく、多くの会社が判断を誤りがちなのが、PDCAの精度の改善の限界値が来ているかどうかの判断ある。この判断を誤らないようにするためには、リピート率をもう一段階ブレイクダウンして考えてみるとよい。
- Cリピート率=D:年間リピートユーザー数/E;年間の接触回数
概念として一般化すると分かりにくいかもしれないが、メルマガ施策を例に考えてみるとイメージしやすいかもしれない。Dは年間にリピートする顧客の数、Eは一年間に配信するメールマガジンの総配信数である。リピート率を改善するロジックは、リピートユーザー数の改善率が年間の接触回数の増分を上回れば改善するということになる(Dの成長率>Eの増大率)。ここで、さらにEの接触回数をブレイクダウンする。
- E;接触回数=年間のDB顧客数 × F:顧客当たり接触回数
となる。ちなみに、月次の増加率など若干の精緻化は必要だが、年間のDB顧客数は、最初に示した、AとBのパラメーターから所与の数値としてCRMチームには与えられている。
つまり、DとEの改善率でD>Eとなるためには、DとFの改善率がD>Fになっていなければならないという事である。しかし、私の経験上、メルマガなどCRM施策での顧客への接触回数というのは、ある地点を越えると回数が増えるほど効果は低減していく。いわゆるスパム化に近い状態になるからである。このため、前年のパフォーマンスでFを増やしているのにDの増加が伴わずCが悪化しているような状況において、Cの改善を計画することは危険であることが分かる。しかし、最初のA、B、Cの関係値を因数分解して把握しておかないと、リピートユーザー数の改善のために、DB規模を拡大するのか、リピート率を改善して実現するのかが把握出来ておらず、リピート率の大幅な改善をしないと計画が実現しないことに気が付かないことが結構多い。
リピート率悪化し続けているときにCRMの目標値を増大させてはいけない
これで、結果的に計画が実現しませんでしたという、単年の問題であれば、良くはないが、大きな問題ではない。ワーストケースは、この構造に気が付かずに、Cの悪化を無視して(もしくは、気が付かず)、何年にも渡ってFを増大することを現場に明確にか盲目的かは別にして実行させてしまうことである。
なぜ、そのようなことが起こってしまうのかというと理由は2つある。ひとつは、Fの回数を増やすと多くの場合Dも増える構造になっていることが多いからである。問題は、Cのリピートへの転換率が悪くなっているだけで、今月、今四半期、今年度の売上を1件でも積むことをポジティブなこととして評価してしまうと、Cの悪化に気が付かずFの回数を目標増に応じて増やしてしまうという状況が状態化してしまうのである。
そして、この悲惨な状況をストップ出来ない原因がコストである。メールが代表例だが、CRMのコストというのは接触コストが非常に低い場合が多いので、全体で平均化してしまうと、Cが悪化しても表面上は投資ROIが悪化はしていてもポジティブであり続けているケースが多い。
この状況を私は、余り良い言葉ではないが分かりやすく、CRMジャンキーと呼んでいる。誰とは申し上げられないが、かつての先輩で「スパムこそ営業」という名言(迷言?)を残した人がいたが、それはあくまで短期的な評価である。
CRMジャンキーの恐ろしさ
では、CRMジャンキーを発症してしまった場合のデメリットとは何であろうか?実は、Aの既存顧客DBが気が付かないうちに減少していくという事である。元々は、メルマガなどのCRM施策においてチャーンレートという指標があり、一回の配信において配信停止の数を施策のマイナスの効果として把握するという考え方があるが、最近はCRMジャンキー状態になるとスパム扱いされて配信停止すらされないことも多いため、チャーンレートだけを見ていてもCRMジャンキーになるのを止められないと考えている。少なくてもチャーンレートでCRM施策にストップをかけられた経験が私には殆ど記憶がない。では、実態はどうなるのかというと、顧客は企業になにも言わずサイレントに死んでいくのである。接触回数が顧客の許容範囲を越えると、ある日突然迷惑メール設定をするなどして、我々が知る由もなく顧客ではなくなってしまうのである。しかし、企業側はそのような状態を把握できないため、読んでもらえるかどうかも分からないメールなどを送り続けることになる。分かりやすく言えば、実際には死んでしまっている幽霊に一生懸命CRM施策をしているようなものである。この状況になると、今度はAの数が減っていくので、さらにCを改善させないと目標に行かなくなる。ここまで来ると容易に想像がつくと思うが、どこかで止めないと悲惨な負のスパイラルが永遠と回り続けることになる。
このような話はメールマガジンに限った話ではない。例えばポイント施策などでも同様のことが言える。最近は、楽天などでセール時等の様々なタイミングでポイントの還元率を上げて顧客の購買意欲を喚起する施策をよく見かけるが、実際の数値は見たことがないので推測だが、ユーザーにそのサイクルが理解されてしまうと、このような施策は、月なら月の中での売上の上がる日付の山と谷の位置と高低差が変わるだけで、売上の総額は殆ど変わらないという状況になることが多い。つまり、キャンペーン期間を区切って効果検証をしている場合などは、個別施策のROIは確保できていることになっているが、実はそれは購入されるタイミングが変わっているだけなのだ。
では何故それを続けるのか?大抵の場合、1社がポイントの倍付施策の上限値を上げてしまうと競合している企業は顧客を競合に取られないために追随せざるを得ないとリアクションしてしまうことが多い。これで一度売り上げてしまうと、これまたジャンキー症状から抜け出せないということになる。ポイント施策の場合などは、顧客のトータルの購買量増になっていないケースが多いだけで、顧客が死ぬわけではない点はメルマガなどとは異なるが、止められない構造はCRMの施策コストが新規ユーザー獲得よりも低く抑えられるので、見過ごされてしまっていることも多い。
私の経験上、上場企業が業績の適時開示をしなければいけない環境になり、CRMジャンキーの症状を発症してしまうと、分かってはいても抜け出せなくなってしまうことが多い。この深みにはまると、売上高マーケティング費比率の悪化を食い止めるのは、よほど無駄なコストを使っていない限り難しい。
(ちなみに、自己保身ではないが、楽天のポイント倍付の歯止めが聞かなくなったのは、私の退職後で、Yahoo Shoppingとのポイント倍付競争において、楽天がYahooから売られた喧嘩に乗ってしまったことがトリガーであったと記憶している。もちろん、当時はYahooとその親会社の孫さんが威勢よくECを伸ばすと話していたので対抗せざるを得ない状況もあったのかもしれないし、外から見ていただけなので、当時の判断が結果的に正しかったのかどうかは分からないが)
CRMの目標管理を正しく行うのはCRMの重大な責任
私はマーケティング責任者には、自社のCRMがこのような状況にならないようにCRMの目標値を適切に管理することを自分の業務として強く認識してもらいたいと思っている。そのためには、自社のCRMの置かれている状況を見極める必要がある。特に、CRMの拡大を顧客当たりの接触回数増によってしか増やせない状況で右肩上がりに目標値を上げていくことは避けなければならない。CRMジャンキーの症状はデジタル広告と違い費用が小さいことが多いので見過ごされることが多いわりに、発見されたときには止められない状況になっていることが多い。DBの量が急速に拡大しているか、それ以前にCRM施策を殆ど実施しておらずパフォーマンスが異常に高い場合を除いて、CRMの目標値の改善は、リピート率の改善により行われなければならない。そのために、ロイヤリティ施策やMAツールによるCRMシナリオの運用など様々な手法がある。しかし、どの施策にも長いPDCAのプロセスが必要であるため、一度拡大してしまったCRMジャンキー症状を脱することが出来るほどの成果を上げることは困難であることが多い。このため、これらの手法も発症してしまったジャンキー症状の特効薬にはなりえないことも多い。一度ジャンキー症状になってしまうとよほど天才的なマーケターでない限り、抜け出すためには一時的な売上減のような痛みを伴い改革を覚悟するしか方法はないことが多いのだ。
くれぐれもジャンキーにならないようにご注意いただきたい。