非効率な仕事の価値

加速する「効率重視」の姿勢

また、こういうことを言うと嫌われるオジサンになりそうだが、最近、特に、コロナ禍以降に強く違和感を感じることが、「効率」に対する考え方である。日本人の生産性が低いという話題がニュースを賑わせたりするなど、日本人の仕事の仕方が効率が悪いと思われがちなことと、それ以前には殆ど選択肢にすら上がらなかった在宅勤務が一般的になってきたことなど、仕事をする環境がこの3-4年で大きく変わってきたことなども原因なのだと思う。

タイムパフォーマンスをタイパと略して、若い人の間で普通に使われていることなど、その象徴的な例であると思う。

私は、仕事の時間以外は余り予定を詰め込まず、ダラダラ過ごしていたいツマラナイ人間なので、私生活においてタイムパフォーマンスなどということを殆ど意識したこともないし、自分の生活を忙しいと感じることもあまりないので、皆さん何でそんなに効率のことを気にするのだろうと思ってしまう(もしかしたら、子育てをしていないからなのかもしれないが)。

ということで、「効率」ということを個人的には意識することが少ない怠惰な人間の意見であるし、私生活については人それぞれでいいと思う。しかし、仕事をするという側面に限定して話せば、最近の「効率」を重視する風潮には問題があるような気がする。ただ、これも、私自身が仕事をした最大規模の会社が2011年当時1万人程度であった楽天なので、本当の巨大企業で働いたことがないとか、前に少し話したオーナー系の企業がワークスタイルに合っている理由が話が早いからということで、本当に面倒な社内調整が必要な企業で働いたことがないから、本当に非効率的な職場を経験していないことが原因なのかもしれないが。

効率重視の何が問題?

という人間の言うことなので、その前提で読んでもらえればと思うが、「効率」という言葉を使う人に異を唱えたい部分は次のような点である。

社内手続きが存在する意味を考える

まず、良く思うのが「効率」を主張する人に多いと感じるのが、会社などの組織で働くことに付随する様々な「手続き」を無駄なことと認識し、やりたがらない姿勢である。しかし、このような意見を言う人達の多くに共通する問題点は、企業という組織の意思決定のプロセスを殆ど理解していない事である。会社というのは、よく言われるが、ヒト、モノ、カネを投資して、付加価値を生み出す組織体であるが、当然、その、ヒト、モノ、カネという経営資源を何時、どこに、どれくらい投じるのかということを誰かが意思決定しなければいけない。それをそれっぽい言葉でいえばガバナンスというのだと思うが、別にそんな難しい言葉を使わなくても、それが正しくコントロールされていなければ、会社という組織は全体として統率が取れなくなってしまう。

このため、経営資源がどのように活用され、それがどのような結果を生んでいるかは当然把握されなければいけないし、会社が決めたルールに即して、権限のある人間がその範囲内において意思決定を行わなければいけない。このために、社内の手続きが存在している分けである。

もちろん、ひとつの組織が長く続けば続くほど、誰が決めたかわからないような意味不明なルールが存在しているケースも多いため、会社のルールにすべて意味があるとは思わないし、前職で20数年ぶりにIPOに立ち会って、以前とは比べ物にならないくらいガバナンスに対する要求レベルは高くなっていることは理解したので(正直、無駄なこと、現実的でないことも多いと感じたが)、すべてに意味があるとは言わない。ただ、会社という組織において、そのような最低限の手続きというのは必ず必要なことは、まず理解すべきである。

もちろん、組織の一メンバーとしての自分の作業の事だけ考えれば、そのような手続きをすることは酷く「非効率」に感じられるのかもしれない。しかし、今は現場で作業をしているだけかもしれないが、経験を積んで、その人がマネジメントをする立場になったときに、その手続きの意味も、やり方も分からない人間になってしまって良いのであろうか?少なくても、私の判断基準では、そのようなマネジメントとしての基礎的な知識がない人間には、重要な仕事を任せることは出来ない。

「今」の効率と「未来」の効率のバランスを考える

次に、良く感じるのが、効率をいう多くの人が「今」に焦点を当てすぎているという事である。特に、在宅勤務が一般化してきた中で感じるのが、「効率」の対象が目の前に存在するオペレーションの効率に焦点が当てられる過ぎていると感じることである。

これは私のマネジメントスタイルがコロナ禍以前に形作られたものなので、オールドファッションだと言われてしまえばそれまでであるが、コロナ禍以降の在宅勤務も含めた労働環境をみていて感じるのは、オペレーションに特化すれば、在宅勤務を中心に効率重視の仕事の仕方でも全く問題ないと思っている。しかし、チームで議論をしながら作り上げていかなければならないStrategy、Executionや、ふとした会話などから学びや新たなアイディアが湧いてくるようなEducationやCreationといった領域は、効率のみを重視した働き方では実現が難しいのではないかと思っている。私がコロナ禍以降にそれを一番強く感じたのが、コロナ禍が沈静化しつつあったある時期から、シリコンバレーの多くの先進企業が、何とかして社員をオフィスに呼び戻そうとしていた姿勢である。

本当に成長力があり、高い生産性を実現できる会社というのは、オペレーションが効率的な会社でではなく、新しい価値を生み出すInnovationを起こせる会社である。つまり、当然Operationの効率性も大事ではあるが、企業の基本スタンスとしてそれは最優先事項ではあり得ない。このため、彼らは、Innovationを最大化するためには、Operationの最大化は犠牲になってもかまわないと思っているのではないかと思う。私の勝手な想像ではあるが、私はこのロジックは正しいと思っている。

ただ、そのようなことを考えられない人は、「今」であるOperationの最大化=効率性が、「未来」であるInnovationの最大化に勝ってしまうのである。もちろん、何時までいるか分からない会社の未来の成果に対して自分の時間を使うことは効率が悪く、短期的な成果を最大化したほうが自分の給与を効率的にあげられるのかもしれない。しかし、私の経験では、自分の未来に時間でも、お金でも投資を出来ない人は中長期的には成功出来ない。「今」の効率だけを考えている人には、長期的な成長に限界があることが多いのである。

「答え」を求めるのではなく、「考える」プロセスを確保する

さらに、ChatGPTが現れて加速した気がするのが、効率を求めて答えを直ぐに探す風潮である。確かにAIは便利であるが、答えを直ぐに知りたがる「効率」の結果、ビジネスパーソン/マーケターに最も必要とされる「考える」能力を鍛える機会が、どんどん減少していっている気がする。

Wikipediaを自分でもよく使うので、人のことは言えないが、ネットで見つけた情報が必ずしも正しいとは限らない。ChatGPTにいろいろな質問を投げかけてみた結果、間違った情報を答えとして提供されることも少なくない。しかし、自分で深く考えることもなく、効率を求めて直ぐにネットやAIに答えを聞いてしまうと、おそらく与えられた情報の真意を判断することも出来ないであろう。当然である、自分で考えていないのであるから、その機会すら訪れない。私であれば、自分でやることに責任を持つのであれば、幾ら効率が悪くても、仕事上の自分の判断は自分で下したいと思う。そうでなければ、私の存在意義がないし、そもそも、失敗したときにする言い訳が思いつかないからだ。まさかAIがそう教えてくれたのでとは言えないであろう。そんなことを言ったら、そもそも自分はいりませんと宣言しているようなものである。

AIが効率的に出来る仕事はAIに置き換わってしまう仕事

未来がどうなるか分からないが、私はInnovationとか、Creationというのは人間が起こすものであってほしいと思う。もちろんAIを上手に活用することは重要だと思う。将棋の藤井さんがあれだけ強いのも、AIを研究に活用しているからだと言われているが、それはあくまで、新しいアイディアの参考にしているだけで、なぜそのやり方が良いのかを理解するプロセスはからなず自分の頭で考えているはずである。そうでなければ、実践で使えるスキルにはならないであろう。PDCAなど正にそうだが、新しいアイディアや知識が生まれるためには、多くの場合試行錯誤が必要である。錯誤という言葉が付いている通り、そのプロセスには失敗がつきものである。では、失敗は効率が悪いのであろうか?私は絶対にそんなことはないと思う。このBlogでも失敗の重要性については何度も触れてきた。もちろん他人の失敗を学び、同じ失敗をしないようにすることは重要だが、私は、なんでもお手軽に正解を求める効率性はよいマーケターになるためには悪の側面が強いのではないかと考えている。

自分でも書きながら、若者に嫌われるのだろうなと自覚はしているし、実際、考え方が古いのかもしれない。でも、こんな古い考え方を残して、人間らしい不効率さを残さないと、AI化が進むビジネス環境で、自分の仕事がなくなってしまうのではないかと思う。おそらく効率的に出来る仕事というのはAIに置き換わってしまう。多分人間がしなければいけないのは、非効率な部分なのではないだろうか?