Netflixが教えてくれた ”Data is God!”という言葉
Data is God! この5年間くらいで人から聞いて、これほど自分にぴったりだと思い、その後ほぼ自分で考えたように使い続けている言葉もない気がする。
この言葉を私に教えてくれたのは、およそ5年くらい前に、Googleに誘っていただいて参加したCMO Summitというシンガポールで開催された、アジアのCMOの集まりというか、セミナーというかであった。アジア各国から、おそらくGoogleの大口の顧客とか、これから大口に育てていきたい顧客などのマーケティングの責任者が50-60人集まり、一日目は、INSEAD Singaporeで行動経済学の授業を一日受けながら、ディスカッション。二日目はGoogleのAPACのHead QuarterであるSingaporeオフィスで、機械学習についての講義半日とアジアでのデジタルマーケティングの最新事例、最終日の三日目に再度INSEAD Singaporeのリーダーシップの授業という素晴らしく楽しいプログラムであった。
この二日目の午後のAPACの最新事例で登壇した会社の一つがNetflixのAsiaのマーケティングの責任者というお兄ちゃんで、Netflixという会社がどのようにマーケティングを考え、会社が運営されているかという話を1時間くらいしてくれた。この中で彼がNetflixで会社の教義のように繰り返し言われるビジネスの進め方を表す言葉がこの“Data is God!”だと教えてくれた。この言葉を初めて聞いたとき、自分が普段からやっていること、やりたいこととは正にこのことだと瞬間に腹落ちしたいうわけだ。
上司の言っていることは本当に正しいのか?
私のキャリアを振り返って見ると、自分で意図的にそうしたわけではないのだが、結果的に最初の2社をオーナー企業、直近は100%出資のファンド系の企業と、分かりやすく言えば、絶対権力者が一人/一社明確にいるような組織で仕事をしてきた。
この話も、もし読者の方がご興味があればどこかでしたいと思うが、このような企業の特徴というのは、良い点はその絶対権力者にOKといわれるか、大きな信頼を勝ち取れば非常に仕事がスピーディーに進み、一言で言えば話が早いということである。しかし、このメリットはそのままデメリットにもなり、その絶対権力者が白と言ったら黒いものも白になってしまうという非合理的な判断がなされてしまう。私自身は、非常にせっかちな性格であるため、このメリットの方が性に合っていて、長らくそのような会社で仕事をしてきたわけであるが、一方でデメリットに対して、それなりに不満を持つこともないわけではない。
但し、私と仕事をしたことがある方は同意していただけると思うが、そのような非合理性がそれなりに発生する環境で私が長く働けてきた理由は、誰に対しても自分の思っていることは一度は主張しないと我慢ができない性格で、それを自分なりに貫いてきたので、非合理的だと思うようなことは極力やらなくてよいように努力してきたからだと思っている。
そして、その時に最大の武器になるのがData=事実をもとにした分析=ロジックであると常々思ってきた。相手は基本、年齢も上で、会社での地位も自分より高い人間である。このような状況で、私が絶対にしてはいけない戦いは、自分の「思い」を武器にしたものだと思っている。私の経験上、ロジックの伴わない主観的な「思い」で自分より権力がある人間や組織と戦って、勝てる見込みは殆どないと考えている。なぜなら、主観には当然客観的な勝敗をつけるロジックはないため(だから主観なのだが)、基本的には権力が強い方、声の大きい方、多数決で大きな勢力など、事実やロジックとは違う要素によって勝敗が決してしまうことが殆どである。一方で、データという事実に基づく分析というロジックの世界であれば、それが筋が通っていれば、少なくても話を聞いてもらえるし、相手がそのロジックを否定するのであれば、それを凌駕するロジックを少なくても提示する努力をする必要があるであろう。そのうえで、もちろん相手のロジックの方が理にかなっているのであれば、私の意見が浅かったということで引き下がればよいし、ロジックに完全に納得いかなくっても、その人間の思いを組んで協力することも時には必要だと思っている。
ところが、このような絶対権力者がいる組織において、ロジックが間違っていると分かっていながら、上司の指示を無条件に受け入れ、実行してしまう人間が世の中に余りに多いと私は感じていて、時にそれが大きなフラストレーションの原因となる。世にそのような人々はYes Man(こんな言葉にダイバーシティはいらない気がするので、このまま使う)と呼ばれるが、この人々が私には到底信じられない。
会社の組織人、立身出世のためには、ある意味正しいのかもしれないが、ロジックが完全に権力に負けてしまう世界で、本当に楽しいのだろうかと心から不思議になるのである。
データが上司の思いを超える世界
そんなことを感じながら聞いた言葉が、”Data is God!”である。私が英語について語るのも気が引けるが、日本語における神と英語のGodではその重みは全く違う。一神教のキリスト教が中心の英語圏においては、Godは唯一にして絶対である。つまり、経営者が”Data is God!”と言えば、それはすなわち自分の部下たちに、自分よりDataを重視しろ、自分という権力よりもDataの正しさが優先されると経営陣自らが全社員に優先順位を宣言しているということだからだ。実際にNetflixで仕事をしたことがあるわけではないので、実際にそれがどこまで徹底されているのかは知らないが、私はこの言葉を始めて聞いたとき、少なくても自分がマネジメントする組織は、私よりもDataが重視される組織にしたいと心から思った。
部下が、自分よりも詳しいデータをもって、想像もしなかったアイディアを提案してくること。テストマーケティングをして、当初想定しなかった結果を持ってくること。そのようなことが私には楽しくてしょうがない。逆に、部下が、この施策は堀内がやりたいといった施策だから、実施のデータを堀内の意に添うように加工しようなどという姿勢は心から必要ない。「誰が正しいか?」という質問には全く興味がない。「何が正しいか?」が唯一重要なのだと思っている。
私は、データドリブン経営においては、この姿勢は、何よりも重要であるし、それが多くの会社で実現できていないから、データドリブン経営、データドリブンマーケティングなどという、何の捻りもない、ある種当然の言葉がもてはやされるのだと思っている。この章では、Data is God!の大前提であるデータを会社としてどのように扱うべきか、分析するべきかについて、私の経験をご紹介させてもらえればと思っている。
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