自由とクリエイティビティ

コロナ禍でなくなってしまった生活習慣

どうしても大型犬が飼いたくて、マンションでは無理なので一軒家に引っ越して犬を飼いだしたのが2020年12月であったが、その決断をしたのはその一年前であるので、家を探し始めた時はまだコロナ禍は始まっていなかった。このため、原因が犬を飼い始めた事なのか、コロナ禍のためなのかは切り分けられない(というかダブルだと思う)のだが、この2020年以降の4年間で私の生活で最も変わったことのひとつが、学生時代からの最大の楽しみであり、ほぼ唯一の趣味的なものであったJazzのライブに行かなくなってしまった事である。

切っ掛けは高校のバンドをやっている友達の一人が、よりテクニックのあるベーシストを追い求めたら1980年代に流行ったFusionというジャンルのジャズにたどり着いてしまい、その影響を受けて聴き出したのだが、大学生の時などは使えるお金の殆どをタバコ代かJazzのCD代に使ってしまうような感じで、1940年代以降のあらゆるJazzを聞きまくるという30年間位を過ごしてきた。そのため、海外旅行の行先といえばNew Yorkばかりになってしまい、長い休みが取れればNYに行って、昼間は美術館とかをぶらぶらしながら、夜は毎晩NY中のライブハウスの出演者情報を見比べて、今日はここ、明日はあちらみたいな感じで、ライブを見まくるみたいな事ばかりしていた。結婚してからも、最初は興味がなかった奥さんを無理やり教育してJazz鑑賞に付き合ってもらえるようにして、月に数回は日本でもアメリカに住んでいた時にもライブを聴きに行くという生活をしていた。

それが、コロナ禍になって、そもそもライブという形態のエンターテイメントが一次的になくなってしまい、復活後もなかなか海外の有名ミュージシャンが来日できないという状況になり、数少ない楽しみを味わえない3年間位の期間を過ごしたら、すっかりJazzのライブに行くという生活習慣がなくなってしまった。

Jazzってこんな音楽

という、私のどうでもよい生活の変化の話は本題ではない。今回の話は、Jazzという音楽を切っ掛けにして、クリエイティブなものを作ることについて考えてみようということである。

漫画の「Blue Giant」などを通じて、最近は若い人も少しJazzに興味を持ってもらえるようになって、うれしい限りであるが、それ程詳しくないかたもいると思うし、そもそもJazzって小難しい音楽だと思っている人もいると思うので、超簡単にJazzという音楽がどういうものなのか説明する(詳しく知りたい方はこちら

Jazzが、ロックやポップスなどの音楽と最も異なる点はアドリブ/即興演奏が重視されている点である。演奏をするにあたって、譜面にかかれている決まったパートは演奏の最初と最後の一部分のみであり、間の大半の部分はバンドメンバーが順番にアドリブで演奏して、ひとつの曲の演奏を完成させる。そして、このアドリブ演奏にプレイヤー一人一人の個性が表現され、クリエイティビティが発揮されるのである。このため、所謂スタンダートと呼ばれる、多くのミュージシャンが演奏するような定番の楽曲であったとしても、プレイヤー、バンド毎に全く異なる曲といっても良いほど違う演奏になる。

超簡単に説明するとこんな感じでJazz愛好家は、様々なミュージシャンの即興演奏を聞き比べながら、この人は好き、この人は凄いなどなど思いながら自分の好みのミュージシャンを決めて追っかけたりするわけであるが、私はJazzを聞きながら考えることのひとつが自由とクリエイティビティの関係である。

クリエイティブを発揮する方向性

一般的にクリエイティブな事を考えてくださいと言われると、自由であれば自由であるほどクリエイティビティが高いものが生まれると考えられがちである。Jazzであれば、それを追求して行きついてしまったFree JazzというタイプのJazzが存在するのであるが、このタイプの音楽というは確かに自由ではあるが、少なくても私のような音楽の素人にとっては、何をやっているのか理解出来ず、本当にクリエイティビティが高いのかというと個人的には疑問である(例えば、こういうもの)。もちろん、クリエイティビティが高いかどうかという評価には個々人の価値観や趣味趣向が関わるため、絶対はない。事実、リンクを張ったアルバート・アイラ―というミュージシャンは、私のようなド素人にはほぼ理解不能であるが、Jazzの歴史において最高峰のサックス奏者であるジョン・コルトレーンが非常に高く評価していたミュージシャンである事で知られている。ただ、これはほぼ間違いないと思うのであるが、常人が理解するには余りに抽象化されすぎているので、そのクリエイティビティを多くの聴衆に理解してもらうことは難しい種類のものになってしまっているということである。

ではなぜ、自由度が高すぎると、クリエイティビティを発揮することが難しくなるのであろうか?私はそれはクリエイティビティを発揮するディレクションの選択肢が多くなりすぎて、どの方向にクリエイティビティを伸ばしていけば良いのかという尖がるポイントが決められなくなってしまうからだと思う。例えば音楽でいえば、メロディとハーモニーとリズムが主要な3要素であるが、Jazzの即興演奏というのは、ハーモニーとリズムは約束事として事前にある程度決めておいて、メロディの部分で自由度を発揮して、そこを突き詰めるというクリエイティビティを伸ばす方向性が決められているのが一般的である。このため、他のバンドメンバーも即興演奏しているプレーヤーの演奏に破綻せずに反応し、音楽を形作れるし、聞いている聴衆も、バンドの音楽としての心地よさみたいなものをベースに感じながら、アドリブ演奏にある程度集中して耳を傾けることが出来る。しかし、先ほどのFree Jazzの場合は、ハーモニーとリズムの約束事も取っ払ってしまっているので、少なくても私のような素人には、いったい何を聞けばよいのかが全く理解できないのである。また、この状況が正しいのであれば、聞き手として理解できる人が限られてしまうということは、その様なタイプの音楽の作り手になりえる人間も相当に限定されてしまうということを意味するので、どんなに素晴らしいものであっても、非常にニッチなものから抜け出せない可能性が高くなるということである。

知識、経験があるから新しいものが考えられる

と、大半の人が興味がないであろうJazzのお話をなぜ永遠としてきたのかといえば、この話って、マーケティングとかビジネスの現場でも同じようなことが言えるのではないかという事である。

例えば、私が今年の4月からサラリーマンをやめて新しいビジネスを作ろうと考えた時に、論理的には私には無限の選択肢が広がっている。別にデジタルビジネスでなく、マーケティングでないものを選択しても全く問題はない。例えば、それこそ今年からミュージシャンを目指したって全く問題はないはずだ。しかし、可能性としては否定しないが、それなりに成果を出したいと考えればおのずと選択肢は狭まってくる。なぜなら、周りの競合者たちとの相対的比較において、ゼロからのスタートではなく、選択肢を間違えると大幅なマイナスからのスタートになってしまうし、そもそも現時点での差をこれから数年で埋めること自体が不可能な可能性が多分にあるからである。

と考えると、私が20数年関わってきた、デジタルビジネスであったり、マーケティングという領域で何かをやろうという話になるわけであるが、では、私が自分がこれからやることをデジタルビジネス・マーケティングに絞った瞬間にクリエイティビティを開拓する余地などなくなってしまうのであろうか?

私は答えはNoだと思っている(そう信じている)。もちろん、単純に既存の広告代理店などと同じサービスを行おうと思うのであれば、よほど独自の手法を考えつかない限り、クリエイティビティの領域よりも、オペレーションの精度のような部分での競争をしなければいけなくなる可能性が高い。特にパフォーマンスマーケティングの領域においては、AI化がどんどん進んでおり、人間が介在できる領域がどんどん小さくなっていっているため、ちょっと工夫するくらいでは、クリエイティビティを発揮できる余地は本当に小さくなっている。もし、このようなエリアに新規参入して成功しようと思う場合は、おそらくクリエイティビティの発揮というよりは、オペレーションの精度をどれだけ上げられるかの方が競合企業との差別化をするポイントとなってくる。やるかやらないかは別にして、もちろんその領域で勝負しようと思えば私にも可能であるかもしれない。

ただ、あらゆるアイディアが、オペレーション精度のみで勝負しなければいけないのかと言われれば、私はそうではないと思っている。デジタルのサービスはこの20数年間で目まぐるしいスピードで発展してきたが、世の中のあらゆる問題を完璧に解決したわけではない。もちろんそんな状況になることはおそらく永遠にあり得ない。詳しくは申し上げられないが、いろいろな人とお話をしたり、世の中で成功しているサービスを見たりしながら、自分のやりたい様々なアイディアが浮かんできたりする。もし、私がデジタルビジネスのアイディアを考える事が、他の人よりも得意であるとすれば、おそらくそれは20数年に渡り、相当な幅のデジタルサービスの開発や運営に直接、間接を問わず関わってきたという蓄積がそれなりにあるからだと思っている。そのビジネスの領域を知っていればこそ、これまでの歴史的変遷や、成功したものだけでなく、失敗して消えていったサービスの事例、反省などを土台にして、新しいアイディアを考えることが出来るのだと思っている。

逆に、新規事業の検討をするために、例えば未経験の業界のリサーチをして、その過程でいろいろアイディアを考えていると、最初のころは大抵は、「こんなアイディアどうだろう?」と提案すると、大抵の場合は「そういうサービスはすでにあります」とか「そのアイディアは〇〇社がすでにトライして失敗しました」みたいな話になることが多くなる。つまり、素人の浅知恵的なものというのは大抵の場合、本人は凄い良いアイディアだと思っても、多くの先人が通った道であることが多いのだ。つまり、何かを新しく生み出すということは、ある程度、土台となる知識とかスキル、経験のようなものが必要であるという点だ。もし、その様なことを学ばずに、自分で思いついたことをクリエイティブだと信じて全部試していたら、おそらく時間がかかりすぎて、成功にたどり着く前に歳を取ってしまうか、会社であれば資金が足りなくなって、事業をやめなければならなくなってしまう。

イノベーションを起こす方法

つまり、何かを新しく生み出そうとするときに、考える範囲を限定するという事には意味があるということになる。そして、その理由を考えることは、どうすればクリエイティブに新しいものを生み出す、ビジネスで言えばイノベーションを起こすことを可能にするのかのヒントになるはずである。

この辺の話はイノベーションマネジメントという経営学の分野で研究されている領域なので、興味のある方はその辺も調べてみたら良いと思うが(私の知識は大学院生であった25年前位でとまっている)、ここでは、私なりの仮説をご紹介できればと思う。

①考えるべきフレームワークが存在する

一つ目は、考えるフレームワークを明確にしやすいという事である。先ほどの素人の浅知恵の話ではないが、どの業界にもその業界の問題点を解決して業界をよくしようであるとか、もっと下世話に、一儲けしてやろうとか考えている人はいるものなので、それなりに歴史のある産業、業界であれば、業界内の問題点はある程度明示され、その解決の方法などは、歴史の中である程度は検討されているものである。このため、その業界をより大きく発展させるアイディアというのは、普通に考えればその延長戦上にある可能性が高い。例えば、良くある話であるが、ある業界のビジネスが成り立つ要素がA、B、Cの3つがあるとして、既存企業の改善の方向性が、AとBを所与の条件として固定し、Cの効率性を改善する事に集中していたとする。そんな時に、業界の新参者が、いやAをこう変えててしまったら、そもそもCももっと改善するのではみたいなアイディアを言い始める。それが大成功して、老舗の産業でスタートアップが大きく成長する例などはデジタルビジネスの世界で多く見てきた。Jazzの話であれば、コードとリズムを固定してメロディをアドリブで工夫することに全力を注いでいるところに、誰かが「いや、リズムを変えてしまう方が個性が出しやすくない?」みたいな話を言い出したりすることである。事実、Jazzの歴史においては、ブラジル音楽のリズムを取り入れることでボサノバが生まれ、ロックのリズムを取り入れることでフュージョンというジャンルが発展した歴史があったりする。

いずれにしても、重要なのはコード、リズム、メロディではないが、考えるうえでのフレームワークがある程度定まっていることで、考えるべき要素の整理が出来、そのどの要素を動かし、どの要素を変えるのかというように、深堀して考える方向性を明確に出来ることが、新しいものを生み出すうえで非常に重要だと思われる。これが、先に挙げたフリージャズではないが、3つの要素のすべてを自由にしてしまうと、フレームワークがなくなり、進むべき方向性が見出せなくなってしまうのである。

②範囲を決めることで、内と外の境界を明確化出来る

2つ目のポイントは、考えるべき範囲を限定することで、内と外の境界を明確化出来るということである。表現が抽象的な感じがするかもしれないが、具体例を考えれば直ぐに分かる話な気がする。例えば、書店員であるAさんがAmazon.comが生まれる以前に、インターネットで本が売れるのではないかと考えたと仮定しよう。普通の人がネットで本を売ろうと考えて、それが良いアイディアかどうかを判断するときに比較するべきは、既存のリアルな書店との比較であろう。このため、書店ビジネスの特徴をまず考えてみよう。本という商材の最も特徴的な点は、商材の点数が異常に多いという事である。どこで読んだのか定かでないので正しいかどうか分からないが、地球上で本より種類の多いものは昆虫しか存在しないそうである。この商材の種類が多いという点に着目すると、リアルな書店ビジネスというのは、次のような問題に直面する。それは、店舗の規模である。当然物理的に多くの書籍を直ぐ売れるような店舗を作ろうと思うと店舗の敷地面積は大きいほどよいということになる。品揃えがよい書店を作ろうと思えば、店舗はどんどん大規模になる。しかし、当然規模の大きな店舗を作ろうと思えば当然その店舗を維持するためには、家賃も高くなるであろうし、店舗をメンテナンス、オペレーションするための人員の確保も必要である。つまり、規模の大きな書店の運営には当然大きなコストがかかるわけである。

大きなコストがかかるということは、当然その店舗を維持して利益を出していくためには、大きな売上が必要だということになる。そして大きな売上を上げるためには、当然その売上分の商品を購入してくれる顧客数が必要であるということになる。

このように考えると、書店ビジネスというのは、出店するエリアの商圏規模と店舗規模をバランスさせることが重要であるということが分かる。例えば私が住んでいる新宿には紀伊国屋書店という大きな書店が2店舗存在するが、おそらくあの規模の書店が維持できるのは新宿という日本で最も乗降客数が多いターミナル駅の商圏内にあるからであろう。

同じ規模の店舗を、郊外の住宅エリアの駅前に立てたとしても、幾ら抜群の品揃えで他の店舗と差別化出来ても、おそらく市場規模的に同様の売上・利益を上げられる可能性は著しく低いと考えざるを得ない。

ここにインターネットという新しいソリューションが登場する。その誕生とともに、インターネット通販というのもが流行り出したらしいという噂が聞こえてきた。インターネット通販というのは、物理的な店舗は必要なく、パソコンの画面上にカタログのように商品一覧を作ることができる。そして、パソコン上で注文が入ったら、倉庫から宅配便で注文者の指定した住所に商品を送るという仕組らしい。

それまで、書店ビジネスの莫大な商材数と店舗規模のバランスに大きな問題意識を持っていた書店員Aさんは、インターネット通販の仕組を聞いて、これは面白いかもしれないと思い始める。なぜなら、ネット上のカタログはどんなに商材数を増やしても家賃が増えることはないので、ある意味無尽蔵に増やすことが可能である。また、商品は全国どこから注文されても宅配便で倉庫から送るだけなので、町中のお店ではなく、家賃の安い郊外に倉庫が1か所あればよい。しかも、インターネットの電子カタログというのは、欲しい本の名前をいれてボタンを押せば、その本をコンピューターが直ぐに探してくれるので、物理的な店舗で本を探すよりも簡単に欲しい本を探せるという。何て便利なのだろう。。。

ジェフ・ベゾスがどう考えてAmazonを始めたのかは話したことがないので知らないが、おそらくこんな話のスーパー精緻化バージョンだと思う。そして、ここで、重要なのは、内と外の境界である。この例で言えば内はリアルな書店ビジネスであり、外は新しく勃興したインターネット通販ビジネスである。まず、ここで重要なのは、書店Aさんが自分が働く書店ビジネスである「内」について、その構造を客観的に分析して、ビジネス上の問題点を整理・理解しているという事である。自分が問題解決をしたり、イノベーションを起こそうとしている分野を内として定め、その分野の問題点・課題を構造的に理解するということが、イノベーションの出発点になるはずである。

それに対して、外であるネット通販についても、そのアイディアが自己の内の改善に役立つかどうかを検討するためには、内の客観分析に基づいた整理・理解と同じフレームワークで、外の分野についての整理・理解をする必要があるし、内の分析をきちんとしていれば、それはある程度可能になる。そして、その外の分析により、外のアイディアが内の課題解決の可能性があるかどうかの検証が可能になるわけである。

イノベーションという言葉を経済用語として提唱したヨーゼフ・シュンペーターはイノベーションを生み出す手法を「新結合」と言ったが、新しいビジネスのアイディアというのは、大抵「内」の問題を解決するアイディアが、「外」の別の業界、産業にあって、それを「内」に取り込むことによって起こると考えられている。こちろんこの考え方は、学問の世界の机上の空論ではなく、現実のビジネスの世界でも当てはまると思っている。

しかし、それを上手くやるためには、「内」と「外」の境界を明確にし、まず「内」の深い理解を行い、その土台の上で「外」の世界を見ることが必須である。この意味で、物事を考える枠組みである「内」の限定は非常に重要だというわけである。

自由な発想は枠組みを作るところから

最初は音楽の話を始めたので、お読みになった方は何のことかと思われたかと思うが、クリエイティビティという側面で考えるとき、Jazzというのは即興演奏が重視されているという自由度があるからこそ(その辺がクラシックとは違うのかな?と)、ビジネスと対比して分かりやすい事例だと思って、趣味の話をちょっとさせていただいた。

何の枠組みもなく、自由な発想で、なんでも好きに考えてよいことが、クリエイティビティを高めたり、イノベーションを起こしたりするわけではないと思っている。たまにいる天才的な人を除いて、普通の脳みその持ち主にとっては「確率を上げたい」のであれば、寧ろまず、どのエリアでクリエーションするのかという枠組みを設定することをお勧めする。それにより、考える方向が定まり、対する対象の分析も精緻になるわけである。