良いマーケターに選んでもらえる職場作り2

マーケティング部門のみで行える採用力強化

前回は、良い人材を採用するために企業として評価されるポイントを纏めてみたが、その項目はその企業全体の在り方や企業カルチャーや事業戦略と密接に関わっているため、残念ながらマーケティング部門の責任者レイヤーでは、改善、変更出来ないような項目が多くなってしまう。

しかし、もしそうであったとしても、マーケティング部門のマネジメントチームは自チームによい人材を採用出来ないと諦めてしまう必要は必ずしもないと思う。

事実、私自身が普通の人が敬遠しがちな形が整っていない発展途上の組織や、改善が必要な組織での仕事に魅力を感じて飛び込んでしまうという性分であることに起因するのかもしれないが、大きな声では言えないが、これまで働いてきた会社が転職市場で会社としての採用ポテンシャルが高く、良い人材が会社の名前だけでたくさん集められるという環境になかったことが多い。つまり、会社名に胡坐をかいて良い人材を楽しく選ぶという恵まれた経験をしたことがない。一方で、マーケティング部門をしばらくマネジメントしてマーケティング施策のレベルが上がり、人材の育成も進んでくると、新規で採用したい人材に求めるスキル・経験・ポテンシャルのレベルも上がってこざるを得ない。そうすると、企業の採用ポテンシャルを越えて良い人材を何とか集めなければいけないということを常に考えざるを得ない状況で組織作りをしなければいけないことが多かったということだ。

そのために必要な事は、一言でいうと「自己のマネジメントするマーケティング組織の魅力」を可能な限り高めることであると思う。一言でいえば、マーケターが働きやすく、レベルの高いマーケティングを行い、さらにその組織に所属することでマーケター個人として成長できるような組織を作るということである。

具体的にどうすればその様な組織になるかという点については、レベルの高いマーケティングをするという事でいえば、このBlogで議論してきたことを可能な限り漏れなく実践してくださいというのが答えになるので当然一朝一夕にはいかない。マーケターが働きやすい環境については後述したい。そしてマーケターが成長できる環境というのはまだお読みでない方はこちらをじっくり読んでいただき、実践していただければと思う。

と、魅力的なマーケティング組織を作る方法というのは採用パートで簡単で説明出来る話ではないので、ここでは述べないが、今回は、以下の2点について話をしてみたい。

  • マーケターが働きやすい環境とは?
  • マーケティング部署のマーケティング

マーケターが働きやすい環境とは?

もちろん、マーケターが働きやすい環境を構成する要素にも様々なものがあるため、これから話すポイントが必ずしも唯一の正解であるとは思っていないが、私が重要な要素であると思っていることを議論出来ればと思う。

では、どのような環境がマーケターが働きやすい環境なのであろうか?私は、

「マーケターがマーケティングのロジックでマーケティングを行うこと(正しいマーケティングを行うこと)に集中できる環境」

であると思っている。

これも、言われてみれば、当たり前のことを言っているように感じられるかもしれない。しかし、これまで見てきたたくさんのマーケティング組織の多くが、実はこの余りに当然と思われる事が出来ずに、マーケターがモチベーション高く仕事が出来なくなってしまっていたりする。おそらく、マーケターが一言でいうと「正しいマーケティング」が出来ない悪い例をお話しするとご理解いただけると思うので、具体的にイメージ出来るように説明してみよう。

マーケティング部門が正しいマーケティングを行えなくなる要因の代表例は下記のものが挙げられる。

  • 上位経営層、他部署からの意見
  • マーケティング責任者の知識不足
  • データ分析環境の不備

上位経営層、他部署からの意見

意見といえば聞こえは良いが、分かりやすく言うとマーケティングの知識がない外部からの口出しにより、やりたいマーケティングが出来ない状況であると理解してもらえればよいと思う。

データドリブンを阻害する要因の代表例において「誰が正しいパターン」として紹介したが、データ分析や、マーケティングのロジックとは全く関係ないどこかの「偉い人」が「俺はこう思う!」とそれっぽい主張をして、その意見に負けて、マーケティング部門が考える方針を貫けなくなる状況である。

また、ヒエラルキーの上下はないフラットな関係にある部門の意見であっても、例えば、ゲーム会社などで、豊富なヒットコンテンツの制作実績のある大物プロデューサーが作った商品のマーケティング施策の構築の段階において、マーケティングチームの意見が全く通らずに、プロデューサーの意見を優先しないとプロジェクトが進まない、社内コンセンサスが取れないなどの理由で、他部署の意見が優先されてしまうということが事例として想定される。

それなりの規模の組織であれば、当然組織内の意見の調整をすることも発生するため、常にマーケティング部門が自分たちのやりたい通りになんでもできるというわけではないが、このようなことが常態化、高頻度化しているようなマーケティング部門は、マーケターに取って働きやすい組織であるとは言い難い。

この状況を避ける最も良い方法は、マーケティング部門の責任者であるCMOやマーケティング部長のポジションを担う人物が、なるべく自部門の主張が社内で進められるような説明、調整を行い、自分が部下と考え、正しいと考えた内容を、会社全体の意見として集約する力を持つことが最も重要である。

そのためには、マーケティング部門が、他の部署から「あのチームは全員がプロフェッショナルで、素人が中途半端な意見をいって考えているようなことは当然部内で検討したうえでこの意見を言っている。だから一旦彼らの意見の通りにやってみよう。」と思ってもらえるような論理的な説明と、継続的な高パフォーマンスの実績を積み重ねることが不可欠である。

マネジメントメンバー教育はCMO・マーケ部門責任者の最も重要な仕事

私は常々、CMOの最も重要な役割のひとつは、マーケティング外の重要関係部署の責任者レイヤーにマーケティング部門が行っている活動や、短中長期の課題や、それに対応する世の中のマーケティングトレンドなどを素人でも分かるように説明し理解を得る、中長期的には教育していく努力を継続的に行うことであると思っている。

このような活動の結果、関係部署の責任者レイヤーの人たちが、自社の置かれているマーケティング状況や、パフォーマンスの良し悪しの背景にある原因、問題点などを正しく理解してくれるようになる。そうすると、日々の細かいマーケティング部門の意思決定に外部から細かく口出しされることもないし、もしされたとしても、ロジカルにディスカッションをして、双方が納得できる合意点を見つけることができるようになると考えている。

逆に、このような活動をマーケティング部門の責任者が怠っていると、細かいマーケティング的な意思決定事項の度に、背景情報をゼロから説明して理解を得なければいけないため、説明の準備段階に無意味な工数がかかったりする。

この状況のさらに悪いパターンとして、他部署への理解が浸透していない段階で、マーケティング部門のKPIの達成出が悪いなどパフォーマンスの低下が発生してしまった場合は、「ここが悪いのでは?」「こうしてみてはどうか?」などなど、素人の思い付きを、思いつくままに言われ、マーケティング部門としては正しいと思えない意見についても、部署のパフォーマンスが悪い負い目から、聞き入れざるを得ないという状況が多発したりする。

このようなシチュエーションが最悪な理由は、通常マーケティング部門のパフォーマンスが悪いだけでも部署のモチベーションレベルは低下しがちであるにも関わらず、それに追い打ちをかけるように部署外からの口出しが増え、その意見が取り入れられ、さらにパフォーマンスが悪くなるという負のスパイラルが永遠に続いてしまうようになるケースも少なくないことである。

このため、マーケティング部門の責任者はパフォーマンスが良い時こそ、何故現状が上手くいっており、将来的にどのようなリスクがあり、その対応として現状どのような仕込みをして対策の準備をしているのかというロジカルな説明を行っておくべきである。これにより、専門職であるマーケティング部門の業務に対して外部から非論理的な口出しをされ、マーケターのモチベーションが下がるような業務環境が醸成されてしまうことを防止できるのである。

マーケティング責任者の知識不足

マーケティング部門外からの口出しによるマーケティング業務環境の悪化は、マーケティング外との関係性の問題であったが、さらに深刻な問題が発生するのが、マーケティング部門の責任者にマーケティングの知識・経験が不足している場合である。これまで私のBlogを読んでくれている方であれば、ご理解いただけると思うが、初めて読む方からすれば、そんなことがあり得るのかと思われるかもしれない。しかし、様々な企業をこれまで見てきたが、結論から言うと実際には大半の日本企業において、マーケティング部門の責任者にその職責相応のマーケティングの知識と経験があることは非常に少ないのが現実である。なぜそうなるのかの理由はこちらをお読みいただければご理解いただけると思う。

基本的に、マーケティング能力のない人物がマーケティング部門の責任者になる企業というのは、そもそもマーケティングをプロフェッショナルなファンクションと認めておらず、誰でもちょっと勉強すれば出来るものだと思っているので、殆どの場合、マーケティング部門責任者の能力不足と部門外からの口出しは同時並行で発生する。

この状況が悲惨な理由は、マーケティング部門のスタッフは、まず部署内の承認をもらうために、素人責任者にプロフェッショナルな相手であれば必要ない基本的な事から事細かに説明して理解を得たうえで、本題であるマーケティングとしてのハイレベルな意思決定でも承認を得なければいけないという感じで、単純な手間が増える。さらに、その結果として得られる合意や、指示事項が的外れであったりすることも少なくないため、それを正しい方向に軌道修正して、説得するためにさらに無駄な手間が発生する。というように、プロフェッショナルな責任者がいれば簡単に済むはずの業務に数倍の時間を要することになる。

しかし、これは一つ目の関門を越えただけに過ぎず、次のステップとして、同じ作業を場合によってはもう一レイヤー上の階層のマネジメントに行わなければいけない。しかも、さんざん苦労して部門内で承認を出した部門責任者は所詮素人で、その人物自身は部門で出した結論の正しさを別の素人に説明して、説得できるほどの理解も出来ていないため、何か想定外の質問や意見を投げかけられると、反論も出来ずに折れてしまうということになりかねない。そもそも、知識も経験もない人物をマーケティング部門の責任者にしている時点で、その上位レイヤーのマネジメントはマーケ部門の責任者にプロフェッショナルとしての意見を期待していないので、酷いケースになると、「いいから俺の言うとおりにやれ」とか言われて、反論も出来ずにその通りにやらなければいけなくなってしまう。

ここでの事例は、相当悲惨なケースを想定しているが、程度の差こそあれ、似たような状況に置かれているマーケティング部門は日本企業の中で多くの人が想像しているよりも多いのが現実である。

逆に言えば、プロフェッショナルなCMOがいて、社内できちんとした発言力を持っているような企業のマーケティング部門というのは、実はそれだけで魅力的であったりするとも言えるのである。

データ分析環境の不備

実はマーケティングの経験と知識がマーケティング部門の責任者に十分無かったとしても、ひとつだけ補完可能なソリューションがある。それは、徹底的なデータ分析の結果に基づいて、簡単には反論出来ないようなロジックを組み上げてしまい、そのロジックを武器に部門外の関係者を説得するという方法である。

この方法であれば、マーケティングの経験が無くても、データを論理的に分析、理解できる能力のある人材であればある程度上手く立ち回ることが出来る可能性がある。

但し、これを実現するためには、絶対的な条件がある。それはきちんとしたデータ分析を行えるだけの環境とその分析作業を行える能力のある分析チームがいることが必要である。これも物凄く当然なことをいっているように聞こえるかもしれないが、多くの企業がこの基本中の基本とも思える当然の環境を実現しているかといえば、Noと言わざるを得ない。納得いかず、未読な方は是非こちらをご一読いただきたい。使える情報が、過不足なく、使える状態で整備されていることの重要性がご理解いただけると思う。

マーケティング部門に十分なデータ分析環境がない場合の問題点として、よくある例は、社内のバリューチェーンの状況がデータとして集約、分析がされていないことで、そもそもマーケティング活動の効果検証が出来ておらず、PDCAが回り難い状況になってしまっていることである。このような状況になると、そもそもマーケティング部門の活動自体がロジカルでなくなるため、部門外の説得や、せめてデータのロジックでマーケティング活動の良し悪しを判断したいと考えている頭は良いがマーケティング知識のないCMOの理解促進のハードルも高くなってしまうのである。

 一言で行ってしまえばデータドリブンでなくなってしまうわけであるが、このような環境に置かれているマーケティング部門というのは往々にして、社内でのポジションが確立されておらず、発言力も弱いため、現場にいるマーケターも高いモチベーションで仕事をすることが難しくなるわけである。

普通に正しいマーケティング部門を作るだけでも日本では差別化要因

日本企業のマーケティングの実情を知らない方や、逆にイケてないマーケティング部門しか見ておらず、マーケティングってあんなものと思っている経営者の方からすると、結構驚かれるかもしれないが、多くの日本企業のマーケティング部門の実態はこのような感じである。

ということは、ここで述べた3つのある種当然と思えるようなことに本気で取り組み、改善することをマーケティング部門の責任者が行うことが出来れば、自分の部署がマーケターにとって十分に魅力的な職場であると自信を持って言えるということである。

マーケティング部署のマーケティング

マーケティング組織をマーケターにとって働きやすい職場にするために、マーケティング部門の責任者が取り組み可能なポイントをここまでで説明してきたが、次のステップとして、自社のマーケティング組織が魅力的な職場であることを外部にどのように伝えるのかという点も簡単に考えてみよう。つまりマーケティング部署のマーケティング戦略を考えるということである。簡単に言えば、自部署のポジショニングを明確にして、その内容を外部にどうやってコミュニケーションしていくのかということである。具体的には以下の3点について考える。

  • 自社のマーケ組織の差別化ポイントを明確にする
  • 外部に自部署の先進的な成果を積極的に発信する
  • 面接の場での受験者への印象を良くする

自社のマーケ組織の差別化ポイントを明確にする

マーケティング戦略の基本中の基本であるが、採用について本気で考え、自分がマネジメントするマーケティング組織を世の中に数多あるマーケティング組織との相対的な比較の中でどのように位置づけ、どのように差別化していくのかを真剣に考えている人がどのくらいいるであろうか?私自身も元々その様なことを真剣に考えていたわけではないが、良い人材を自部署に確保するために、多くの面接を行い、一緒に仕事をしたいと思った人材に自社を選んでもらうことを真剣に考える過程で、自分がマネジメントしている組織をどのように見せるべきか、何を売りにするべきかということを自然と深く考えるようになった。

例えばこんな感じである

  • 自分の自己紹介 →プロフェッショナルなCMOがマネジメントをしているマーケ組織であること
  • マーケティングの規模など言える範囲で →予算規模があるから出来ることがある
  • 先進的なマーケティング事例 →知識があれば、こんなことまで考えてやっていると分かってもらえるような最新の事例
  • メンバーの質 →一緒に働くメンバーのスキルも高く切磋琢磨できる環境であること
  • 外部リレーション →予算規模が大きいから得られる代理店やメディア企業との特別なリレーションから得られる最新の情報と手厚いサポート
  • データ分析環境 →本当のデジタルマーケティングが出来る業務基盤が整っていること

このくらいの話をして、自分たちの部署が今働いている企業、今受けている併願企業と比較して、どのくらい良い環境であるかというのを説明するようにしている。この内容を纏めること自体はそれ程難しい事ではないが、魅力ある内容にまとめあげるためには、当然自分の組織の実態を差別化できるように育成・強化するという中長期的な取り組みが必要である。

よく人材採用が上手くいかないと、給与水準に問題があるとか、前回述べた企業としての採用ポテンシャルを原因として言い訳する人を多く見かけるが、私としてはそれ以前に今回述べたような自部署の本質的な改善を行い、その結果として、魅力的な職場として外部にアピール出来るようにすることをすることの方が、優先順位が高いと思っている。

外部に自部署の先進的な成果を積極的に発信する

外部にアピール出来るような先進的なマーケティング活動を行えるように自組織がなったら、その成果を積極的に外部にアピール出来るようにすることも必要だと思う。よく他部署から、その様な情報を外部に出したらノウハウが外部に流出するのではないかと心配の声が挙がったりするが、私の立場からすれば、具体的なKPIの絶対数など営業機密に当たるような数字を出したり、業務マニュアル的な詳細な資料を丸々外部に提供するような事をしなければ、ノウハウが流出するというような事態にはならない。

そもそも、デジタルマーケティングというのは、何をやるかではなく、それをどれだけ精度高くやるかというオペレーション精度の勝負であることが多いので、そもそも何をやったかが外部にばれたくらいで自社の競争優位性がなくなるレベルのマーケティングオペレーションは、差別化と呼べるほどのノウハウとは言えないというのが私の見解である。分かりやすく言えば、「マネできるものならどうぞマネしてください。マネできたころには私たちはもっと先に行っているので。」という感じである。

ということで、中途半端に情報を隠してイケてないマーケ組織だと誤解されるくらいあれば、自組織を良い職場としてアピールするために、自部署の成果は積極的に外部に展開していくべきであると考えている。

具体的には、社外の勉強会等での事例発表、カンファレンス等への登壇、専門誌の取材、大手メディアの成功事例への積極的な協力などである。

個人的には、外部へのアピール材料として、大手メディアの先進事例として紹介されることなどは、分かりやすくイケてるマーケティングチームをアピールする良い媒体であると思っている。

この辺も、会社によっては社内理解を得る必要があるので、マーケティング部門の責任者は自組織マーケティングの手段として中長期視点で取り組むべき課題である。

面接の場での受験者への印象を良くする

私がもう一つ重要視しているのは、個々の面接において受験者向けに、魅力的なマーケティング組織であることを伝えるということである。これはもちろん、採用したい応募者向けには当然であるが、実は不合格にする受験者に対しても手を抜かずに行うことが重要であると思っている。

理由は、人材紹介会社の営業、キャリアアドバイザー向けに、あの会社のマーケティング組織は先進的な環境で、良いマーケターに魅力的な職場であるという事実を伝えることは重要であるからである。そして、その伝達のためには採用企業の人事部門が紹介会社の営業に1人称で話すよりも、合格不合格に関わらず、受験者からキャリアアドバイザーに伝えてもらう方が伝わりやすいからである。

これは人材紹介会社という逆の立場で仕事をしたから分かったのであるが、出来るキャリアアドバイザーであれば、紹介した人材に合否に関わらず面接した会社の感想はヒアリングするものであるし、その感想を通してそれぞれの会社の評判を肌感覚として把握するものである。ハッキリ言って採用Webサイトにどのように説明されているかとか、募集要項にどのように書いてあるかよりもよほど重要な生の声である。

私の部署の採用は、殆どの場合、10-20人に一人程度しか内定を出さないし、正直内定を出してお断りされることは少ないため、実は自部署のマーケティングという観点でいえば、圧倒的に人数の多い不合格者経由での情報拡散量の方が数倍のインパクトがある。このため、例え不合格を出すと内心決めていたとしても、丁寧な対応をして、自部署の魅力を伝えておくことは重要であると考えている。

結果として、すべてその様に上手くかは分からないが、不合格になった人が、「あの会社のマーケティング部門は非常にレベルが高いことはよくわかった。今の自分のスキルでは不合格になっても仕方がない。」と思ってもらい、キャリアアドバイザーにその様に伝えてもらえれば、キャリアアドバイザーにもその様な情報は伝わるし、紹介してくる人材の質も上がってくるし、次に紹介する人に、あの会社のマーケ部門は評判が良いという話もしてもらえるであろう。

以前にブランド戦略のパートでも話したが、ブランドポジショニングというのは、実態の反映であって、実態とかけ離れた脚色をしても意味がない。このため、マーケティング組織マーケティングにおいても、一番重要なのはその前に説明したマーケティング組織自体を本質的に魅力的な組織にすることである。しかし、それだけでは、自分の組織が良い組織であることは外部には伝わらない。それをどのように伝えるのかというのが重要である。是非、魅力的なマーケティング部門が作れたら、ネクストステップとして考えていただければと思う。

良い人材を集めるのに近道はない

ここまで述べてきたように、良い人材の採用には、良い職場づくりからという、ある意味当然のことを全うにやることの重要性はご理解いただけたと思う。

私はひとつのマーケティング組織を引き受けた時にある程度自信をもって良いチームにするには3年程度(国内限定、海外組織込みなら5年以上)の時間が必要だと思っているが、その背景にあるのは、結局どんなにお金を積んで、経験がありそうな人材を雇ったとしても、それが組織として血肉となり、次世代の人材を育成するサイクルを作るまでにはそのくらいの期間は必要だと考えているからである。

残念ながら日本にはスキルの高い、良いマーケターの人材プールが乏しいため、自部署のスキルが上がるほど、外部から良い人材の採用が難しくなる傾向があり、採用については、何時まで経っても楽になるということがないのがマーケティング組織の現実である。このため、これまでの4回で説明してきたマーケターの採用については、マーケティング同様に、常にPDCAを回してブラッシュアップしていく必要があるのである。

よいマーケターに選んでもらえる職場作り1

良いマーケター人材の見分け方のチェックポイントとその評価手法について見てきたが、どれだけ精度高く人材を見抜くスキルをCMOが身に着けたとしても、それで良い人材が採用出来るわけではない。なぜなら、良い人材に来てもらう前にそもそも良い人材に応募してもらわないといけないし、良い人材に巡り合い、入社してもらいたいと思っても、数ある選択肢の中から自分の会社、自分のチームを働く場として選んでもらわなければいけないからである。

良い人材に自分の職場を仕事をする場所として選んでもらうためには、大きく分けて2つの要素がある。

  • 所属する企業の採用ポテンシャル
  • 自己のマネジメントするマーケティング組織の魅力

それぞれ詳細に見ていくことにしよう。

所属する企業の採用ポテンシャル

働く場として、どのような企業を選ぶかの選択基準は人それぞれ違うと思うが、一般的には、企業の採用力というのは、次のような要素で決まることが多いと思う。

  • 会社の規模や成長性
  • 会社の給与水準等の条件
  • 働く場としての企業の評判

会社の規模や成長性

一般的に考えれば、会社の規模が大きかったり、会社の成長性が非常に高いなど、企業として、安定しているとか、将来性が高いと見られやすい企業には良い人材が集まりやすい。私個人としては、企業の規模で働く場を選ぶということを人生でしたことはないが、学生自体の周りの友人の新卒時の就職活動の様子などを思い返すと、少なくても30年前は、所謂偏差値の高い大学の卒業生は、概ね大規模な有名企業を優先して選択することが多かった。

一方で、スタートアップ企業の働く場としての魅力の最大の要素は「成長性」「将来性」である。20-30年前は所謂一流企業で働くことが出来る人材の選択として名前も知られていないスタートアップ企業が挙がることは、非常に稀であった印象であったが、最近の若者の話を聞いていると、私の知る母集団に偏りがあることは否定できないが、少なくても30年前よりは大分状況は変化してきているように感じられる。

個人的にその変化を感じるようになった切っ掛けを作ったのが、DeNAとGreeが一時期優秀な新卒学生を良い条件で採用し、その卒業生がネクストステップとして、スタートアップを起業して、成功者がちらほら見えだしてきたという状況が7-8年前位から出てきだしたことだと思う。しかも、そのうちの何人かが、有名芸能人と結婚するみたいなニュースが話題になるなどして、世の中の空気が少しづつ変わってきたような印象を受けている。

逆に言えば、現時点で優秀な新卒の学生を毎年着実に採用出来るような企業としての評価や、現時点での企業の規模は大きいとは言えないが、事業に将来性が高く、成長スピードが早いという状況を持ち合わせていない企業というのは、企業の名前だけで良い人材を惹きつけることは普通に考えれば難しいということになるため、それ以外の要素に魅力を持たせて、良い人材を惹きつける努力をしなければならない。

会社の給与水準等の条件面

仕事というのはプロフェッショナルとして通常は週40時間程度、つまり、その会社に所属している期間の人生の1/7程度は強制的に身をささげる・拘束されるので、当然それに見合う何らかの対価が得られなければならない。

その代表的な例が給与を始めとする報酬であり、コロナ禍以降で重視され始めてきたのが、在宅勤務の日数であるとか、フレックス金、副業の可否であるなどの働き方であると思う。

特に、この10年位は、報酬面だけでなく、後者の働き方が重視される傾向が特に若い人を中心に強くなっているように感じられ、この点をマネジメントとしてどのように考えるのかというのは、採用のみならず企業として真剣に考えなければならない重要なポイントとなってきている。

それ以外でいえば、私は社会人人生で殆ど経験がないのであるが、日本の伝統的な企業を中心に、住宅手当や家族手当、退職金などの金銭面での所謂給与以外の面での金銭条件や、社宅、福利厚生施設の充実度など、お金以外の面での福利厚生の充実度なども、一度その様な会社で働いて手にしてしまうと、手放しにくくなってしまうようなものもあるのかもしれない。

いずれにしても、良い人材を採用するにあたって、直接的な報酬とそれ以外の福利厚生の面において、会社として良い水準を提示出来ることは、不利になることはあり得ないので、その点は各々の企業が必要な人材のマーケットプライスとのバランスを考えて、熟慮しなければならないポイントである。

私の経験上、間違いなく言えるのは、非常に優秀な人材を、市場価値・マーケットプライスよりも安く採用したり、入社後もその水準のまま便利に働かせて効率を上げようというアイディアは基本的にはあり得ないし、その様な状況がもし自組織内で発生していることが認識されれば、寧ろその状況の固定化は、採用できないリスクだけでなく、退職リスクが高まることを意味するため、早急な改善が必要であるという点である。たまに、非常に優秀な人材が、分かりやすく言うと「世間知らず」で、現職で不当に低い給与で働いていたりするケースに巡り合う幸運が恵まれることがあるが、もしその人材が想定通りに優秀であることが入社後に分かれば、早急に条件面の適正化を行うべきである。掘り出し物が永遠に掘り出し物の条件で満足して仕事をしてくれることは基本的にはあり得ないし、そうすべきでもないというのは、特に米国で仕事をして感じた真実である。

働く場としての企業の評判

働く場としての企業の評判というのは、非常に荒唐無稽な言い方になるが、分かりやすく言えば採用ブランディングということになるのかもしれない。ただ、ここで注意しなければいけないのは、私も何度か採用ブランディングのコンサルティング的な企業と仕事をしたことがあるが、個人的な感想としては、採用ブランディングで打ち出したい内容を外部の企業に相談するという時点で、その会社は働く場としての自社の組織を客観的に考えられていないし、自社の働く場としての魅力を本気で考えられていないということなので、大きな問題であると思う。

では、具体的に具体的働く場としての企業の評判というのは、どのようなことで決まってくるのであろうか?

  • 経営陣が従業員に求める働き方
  • 仕事をする場の雰囲気
  • 社内で評価される人材のタイプ
  • 社員の教育体制やキャリアステップに対する考え方

 私の考える代表的なものはこの4点位であろうと思う。

 

経営陣が従業員に求める働き方

この代表例が以前私が述べた、性善説・性悪説マネジメントの違いであるとか、職場での信頼感が関係するように思う。少なくても私が見てきた組織において、退職者が口にする職場に対する不満として、性悪説によるマネジメント思考が強く、現場に殆ど裁量がない職場であったり、社員を経営陣が信頼しておらず、会社全体でマイクロマネジメントが横行しているような会社の風土が表明されることは少なくなかったので、性悪説より性善説でマネジメントされる職場、信頼感のある職場の方が、働きやすい職場として評価されやすい可能性は高いと思う。

それ以外にも、結果重視 vs プロセス重視、数値管理重視 vs スキル重視など経営陣が従業員をどのようにマネジメントし、働く場としての魅力と、企業としての業績をどのようにバランスさせるのかには正解はないし、ひとつのやり方が、あらゆる人材のニーズにFitするという事もあり得ない。このため、経営メンバーは自社がどのようなポイントを重視して組織をマネジメントし、それに適した人材はどのような指向性を持った人材で、その人にアピールするためにはどのように自社を定義し、見せるのかというのを真剣に議論し、実践していくことが重要である。

仕事をする場の雰囲気

これも曖昧な言葉で、前項の経営陣が従業員に求める働き方と切り分けることも難しいが、ここでは違いを分かりやすくするために、マネジメントの上位レイヤーから強制されることによるものではなく、結果として現場で醸成されるボトムアップ的な結果としての職場環境と考えてもらいたい。

例えば、打ち合わせの現場でスタッフレベルの社員が積極的に自分の意見を発言できるような環境であるとか、分からないことがあれば先輩に聞きやすい環境であるかとか、隣で困っている同僚がいれば周りがサポートしてあげるみたいなチームワークの関係性であるとかであろう。

ちなみに、ボトムアップの結果とは言いながら、実際にはこのような雰囲気、個々の従業員の業務スタンスを決定するのは個々の従業員に求められる経営層からの要求内容の優先順位であったり、次に話す人事評価の優先順位の考え方に規定されることが多いため、完全なボトムアップではないのであるが。

いずれにしろ、難しい制度とか、マネジメントの手法などは、個々の従業員には関係なく、結果として働くの職場の雰囲気は、日々働く環境という意味で従業員には重要であるし、その雰囲気というのは、面接・面談時に対応する社員の言動からなんとなく伝わるものだと考えている。このため、職場の魅力・評判を良くするためには、自社の職場の良さを末端の社員が外部に話せるような状況にしておくことが重要であると考えている。

社内で評価される人材のタイプ

分かりやすく言えば、その企業の人事評価制度の設計思想とその結果として重視される評価項目の優先順位、そして、最終的な運用結果として、職場で評価されている人材がどのような人物であるのかという事である。

もちろんこれも正解はない。例えば、社員を徹底的な結果重視、成果重視で管理するという思想のマネジメントスタイルの会社で、その点を他の項目よりも圧倒的に高い優先順位で評価するというタイプの評価基準の会社があるとしよう。この評価制度の狙いは、おそらく短期的な効率改善、売上向上を図るということであろう。その意味では、このような方針は間違ってはいないといえる。

しかし、このような評価制度を極端に運用に載せてしまうと、例えば職場の雰囲気で述べた、後輩社員が先輩社員に分からないことを聞きにくいとか、隣で困っている社員がいても周りのメンバーが手を差し伸べることが少ないみたいな状況が発生するリスクが増大し、ギスギスした雰囲気の職場になってしまう可能性が高い。なぜなら、自己に課された数値目標の達成のみが、評価される仕組みであれば、ロジカルに考えれば、他人の世話をやいている暇があれば、自分のパフォーマンスを上げることに集中するほうが、高く評価されるからである。

一方で、逆にチーム全員で和気あいあいと雰囲気の良い職場を作ろうとして、数値目標の達成を重視しなかったり、そもそも数値目標(昔の言葉でいえばノルマ)を課さないというようなマネジメント方針をとり、チームへの貢献度みたいな話を重視しすぎると、今度は短期的なパフォーマンスが停滞するリスクが高まるかもしれない。

と、どのような人材をどのような仕組みで高く評価するのかという人事制度、人事評価制度の設計というのは会社の働く場の評価に密接に関連していくことになるため、慎重にデザインされていなければならない。

ただ、多くの会社を見てきて思うのは、制度、ポリシーの設計と同等がそれ以上に重要なのはその運用である。人事制度とか評価制度というのは結構外部の専門のコンサルティング会社と一緒に作ることが多いが、そういう会社が入って、様々なベストプラクティス的なものを反映すると、制度上数値評価に徹底して振り切ったり、仲良しチーム作りに振り切ったりすることはなく、程度の差はあれ、ある程度バランスのとれたものになることが多い。それにもかかわらず、会社ごとの職場としての魅力度に大きく差が出る理由は、私の経験上、制度の設計以上に、制度の運営に職場の魅力が左右される部分が大きいからだと思う。典型的なのは、誰が評価され、誰がより良い地位に出世するかどうかの判断で、人事評価制度での基準と全く違う基準が適用されてしまうことが多くあったりすることである。その代表的な例が、上司が扱いやすく、その人物を通じて自分の組織をコントロールしやすいような所謂Yesマンタイプの人材が出世してしまうパターンである。このような人材は、どこの組織でもそれなりのかずいるわけであるが、私がこれまで見た人事評価制度の中で「上司の指示に徹底的に従順であること」とか「上司の発言に異を唱えるないこと」などが求める人材の評価ポイントとしてリストアップされているのを目にしたことはない。つまり、これは精度の問題ではなく、運用の問題であるということである。

ちなみに、このような人事が運用レベルで横行してしまうと、どんなに美しい制度を作っても、末端社員からの見え方で、制度ではなく運用実態の方が会社の真の姿に見えてしまうので、注意が必要である。

自社の職場の魅力度を評価する際には、マネジメントレベルのメンバーは、制度的なロジックと現実の間で、目をそらさずに「現実」を直視して、冷静な自己評価をすることが求められる。

このあたりの現実を直視するひとつの方法として役立つのが、外部の転職レビューサイトである。具体的にはオープンワークとか、転職会議のような媒体になる。SNS、UGC系の媒体の常で、このようなサイトにかかれていることのすべてが真実なわけでもないし、媒体の特性上、概ね悪い側面が強調されやすい(やめた人が書くことが多いので、書き込む時点でネガティブな動機付けがされていることが多い)。しかし、偏りがあるとしても、書かれていることに思い当たる節が全くないということは稀で、そこまで的外れなことが書かれていることはそこまで多くない気もしているので、目を背けずに、このようなサイトから情報を取り、自社がどのように表かれているのかを把握する事の一助にはなると思う。

社員の教育体制やキャリアステップに対する考え方

職場の魅力を左右する要素で最後に上げるのが、社員の教育体制やキャリアステップについての考え方や、その結果実現する既存人材のスキルレベルである。これまで見てきた3項目については、どちらかというと「今」働く場所としての評価という事であったが、この項目の重要な点は将来この会社で働くと自分は成長でき、よりよい条件や環境で仕事をすることが出来る、キャリアアップ出来るのかという事である。

もちろんそれを外部に見せる方法は、人事部門が構築するような社内の研修制度の充実度のような話が分かりやすい。しかし、この点も、私個人が立派な社員研修制度があるような会社で余り働いた経験もないし、あったとしてもその様な研修を受ける立場で仕事をしていなかったということもあり、よほど斬新か充実した制度でないかぎり、制度面の見せ方で、教育制度や良いキャリアを詰める場所としての魅力があるとアピールするのは難しいと思う。

それよりも重要な点は、①現在いる社員が取り組んでいる業務のクオリティが競合他社や他業界の企業と比較して高いレベルにあるのか、②その会社の卒業生の社会での活躍度合いの2点が私は重要であると思っている。前者については、面談の場などで、自社の面接担当者が語る自社の現状や課題の説明を率直にすれば、その会社のスキルレベルは分かる人には分かるものだし、後者についても、人材輩出企業として評価される会社は、自然と耳に入ってくるはずである。

特に、人材輩出企業という視点でいえば、私の1社目の楽天などは、多くの起業家を輩出していたり、卒業生が様々なデジタル系の成功企業のマネジメントポジションで活躍していることなどから、高い評価を受けている代表例かもしれない。

企業の採用ポテンシャルをあげるのは経営トップの仕事

ここまで見てきたように、企業のポテンシャルというのは、様々な要因により規定される。但し、読んでいただいてご理解いただけると思うが、企業の採用ポテンシャルを良くするためには、CMOであれ、マーケティング部の部長であれ、単体で実現できることはほとんど存在しない。

経営トップを中心とした企業全体の一貫した取り組みの結果が、魅力的な職場を作る要素を構築していくわけであるのは間違いない事実である。

このため、次回は、CMOやマーケティング部長など現場に近いマネジメント、ミドルマネジメントレベルでも改善可能な、「自己のマネジメントするマーケティング組織の魅力」について考えてみたいと思う。

良いマーケターの見分け方2

前回は、よいマーケターを採用するための評価ポイントとその優先順位を採用する人材のタイプ別に確認してきた。今回は、それぞれの評価ポイントを、採用時にどのようにして確認するのかという方法論を考えてみたいと思う。

まず、おさらいで、マーケターの採用時に確認することが必須である6つの評価ポイントを見てみる。もし、前回の議論をお読みでない方は、こちらをご確認いただきたい。

  • マーケターとしてのスキル
  • マーケターとしての経験
  • そもそもの地頭の良さ
  • パーソナリティ
  • カルチャーフィット
  • マネジメントスキル(マネジメントポジションの場合)

以下では。それぞれの評価ポイントの良し悪しを面接等においてどのように判断するかを詳細に見ていきたいと思う

マーケターとしてのスキル & マーケターとしての経験

マーケターとしてのスキルと経験については、同時に確認する。具体的には、職務経歴書の振り返り・自己紹介をしてもらったハイライトの経歴を中心に、具体的な案件の成功事例、失敗事例の話を聞きながら、その内容を深堀して議論を深めることによって、相手のスキルレベルを評価するという方法が経験上一番確実だと思っている。

但し、具体的に過去の事例を話してもらう前の下準備が重要であると思っているので、そちらから先に話したいと思う。正しくマーケターのスキルと経験を評価するためには、なるべく具体的な事例について、突っ込んだ話をする必要があると考えている。このため、面接相手が正しい事例の選択を出来るように、採用側が現状の組織の役割はこのようなもので、現在のメンバーで出来ていること、出来ていないこと、短期、中長期で解決したい課題と、新しいメンバーにその中で果たしてもらいたい役割など、今回のポジションの人材に求められる能力・役割を明確に理解できる情報を事例の紹介の前に説明することが効果的である。例えばこんな感じである。

「当社は、ゲームアプリの集客をパフォーマンスマーケティングを中心に行っている。なお、デジタル広告の運用はインハウスで3年前から行っている。チームは、各メディア企業と強固なリレーションを構築しており、代理店に負けない海外事例も含めた最新の情報をメディア企業から収集し、自分達では、国内においては業界トップクラス、また、海外のトップ企業と比べても遜色のないスキルレベルで運用をしていると考えている。ただ、今後の複数の大型タイトルがローンチを控えており、現状の人員体制ではリソースが逼迫している。基本は新卒を含め内部でメンバーを育成する方針であるが、それでも短期的に追いつかないので、当社のインハウス広告運用チームに短期間でキャッチアップ出来る、若しくは、チームが現在持っていないスキル・経験を持ったメンバーを1-2名程度採用したいと思っている。

現在の課題は、パフォーマンスマーケティングのPDCAはハイレベルで回せるようになっていると自負しているが、長期運用タイトルなどでは、Full Funnelへのマーケティングの拡張を行いたいと思っているが、Upper &Middle FunnelとBottom Funnelの予算や広告の出稿量のバランスがどうすれば最適になるのか、効果検証をどのようにすることが最適なのかということであり、この辺の知見がある方だとさらにうれしいと思っている。」

話としては、架空のものであるが、イメージとしてはこのくらい具体的に自分たちの状況を事前に説明をするようにしている。具体的に自分たちの状況を説明することによって、応募者は入社後に自分が求められている役割が正しく理解でき、自分の経験の何が入社後に活かせそうで、どの部分はこれから学んでキャッチアップしなければいけないのかなどが分かるため、その後の議論の目線が自然と合うという分けである。

採用企業側の正確な状況共有により、両者の目線合わせが完了すれば、次はいよいよ応募者のスキル・経験の確認となる。前述のとおり、私の場合は、方法としてはありきたりであるが、職務経歴の中から、採用ポジションに合致する成功事例、失敗事例をいくつか紹介してもらうことにしている。

その際に、私が見ているポイントは、

  1. 解決すべき課題・問題点の状況整理が正しく出来ているか?
  2. 課題・問題点の解決方法の検討のプロセス・ロジックに筋が通っているか?
  3. 解決策の実行段階での苦労話、エピソードなどからオペレーション実行の精度
  4. 解決策の効果検証方法、評価KPIの考え方と開示可能な範囲での結果
  5. 成功・失敗に関わらず施策実施後の継続的な改善活動

この5点くらいである。随分細かく聞くと思われる方もいるかもしれないが、正しくスキルレベルを把握するためには、このくらいの粒度で面接官がディスカッション出来ないと、正しいスキル・経験の評価はできないと思っている。

もちろん、相手も面接で緊張していることも少なくないので、一発で、この5点をすらすらと説明できて、こちらが質問する余地もないということは、そこまで多くはない。しかし、それは別に問題ではなく、質疑応答のプロセスの中で、応募者がこの5点について過去の経験を明確に答えられるかを見ながら、スキル・経験のレベルを確認していくことが出来れば十分である。

これまでおそらく500人以上のマーケターの面接をしてきたと思うが、そのサンプルを基にした私の経験では、この5点について、自分の成功事例・失敗事例について、私の期待値のレベルで答えられるマーケターというのは、5%以下であるのはほぼ間違いがないと思っている。

私は、原因はおそらく3つであると思う。まず、応募者が事業会社のマーケターである場合、ひとつの可能性はその成功事例を実行するプロセスの殆どを事業会社のマーケターである応募者が行ったのではなく、外注した広告代理店が行っている場合である。もう一つの可能性は、事業会社でマーケティングの仕事をしてはいるが、そもそもその会社にスキルレベルの高いマーケターがおらず、まともな教育を受けていないまま見よう見まねでマーケティングをしていて、課題設定やその解決への突き詰め方が浅い場合である。3つ目の可能性は、広告代理店の出身者の場合、3の解決策の実行までは行っていたりするが、4以降の施策結果の評価やクライアント企業内部のKPI情報は開示されておらず分かっていなかったり、施策実施後の改善活動に関わることができずに単発の仕事になってしまっている場合である。

残念ながら、日本のマーケターの置かれている環境は、この3つのいずれかに該当してしまうケースが多いらしく、正しいスキルと・経験を持つマーケターの比率というのは5%程度しかいないというのが実態のようである。

なお、ここまでお読みいただいた方は薄々感じているかもしれないが、このようなスキルチェックを面接で行うためには、面接官の側は当然応募者以上のスキル・経験を有していることは前提である。そうでないと、それぞれの項目の具体例の妥当性が判断できないし、正しい状況の説明を引き出すことも出来ない。スキル・経験レベルの低い面接官が犯すよくある失敗は、応募者が自分で実施したわけでもない、代理店が行ったマーケティング施策の表面的な成功事例を聞いて、この人は凄い華やかな経歴のあるマーケターだとコロッと騙されて採用をしてしまうようなケースである。ただ、私の感覚だと、代理店を使い続けてきた大企業のマーケターなどの場合、それが当然で、マーケティングは業者を使ってやらせるものだ位にしか思っていない人も少なくないので、「騙されて」という表現は正しくなく、説明している側もそれが普通だと思っているのだろうと推察している。ただ、そのような低スキルマーケターの集団ではいつまでたっても、グローバルで戦えるマーケティング組織を作ることが出来ないのは当然であるため、是非まず面接官自身のマーケティングスキル、経験をあげていくことを検討して欲しい。

そもそもの地頭の良さ

地頭の良さは、面接で45分‐1時間話をしていれば、大抵わかると言ってしまえばそれまでだが、基本的には、スキル・経験のチェックを主目的として行う。成功事例・失敗事例の説明がどれだけロジカルに説明されているか?また、一発できれいに説明出来なくても、こちらからの質問に的確にレスポンス出来ているかを確認することによって地頭のレベル感も同時に把握出来ると思っている。

特に、ポテンシャル採用の人材の面接の際は、成功事例・失敗事例の説明が、現時点で必要とされるスキルレベルに達していないことは前提なので、スキルチェックというよりは、どれだけ自分の頭で物事を考えて直面する課題に取り組んできたのかを見ることによって、論理的思考力の確認は出来ると考えている。

1点だけ注意すべき点としては、話が旨い事と、ロジカルに考える事とは必ずしも同じではないということである。たまに、面接慣れしすぎていたり、営業等で面談に場慣れしていて、話は立て板に水のように滑らかだが、よくよく聞いてみるとたいした内容がないような人もいるが、聞く側にスキルがあればこのケースは概ね見抜けると思う。ただ、注意が必要なのは、たまに思慮深く考える余り、言葉がそこまでスムーズに出てこない頭の良いひとがいて、もしその人材がスキル・経験を備えている場合は、5%しかいない貴重な人材なので、見逃さないようにしないといけない。実際、第一印象は「大丈夫?」と思った人材でも、よくよく話してみると非常に頭もよく、採用後に想定以上にパフォーマンスした人材にもこれまで多く出会ってきたので、話の上手さと地頭の良さを混同しないように注意したほうが良いと思う。

パーソナリティ

パーソナリティについても、基本は成功事例・失敗事例の中で見るようにしている。基本的には真面目さ、粘り強くコツコツ努力できる人間か、そのための向上心が高そうかの3点くらいを見るようにしているが、成功事例に対して、何で?何で?を繰り返し聞いてみたり、失敗事例をどうやって克服したかみたいな話をしていると、私が知りたいようなポイントは見えてくる。

経験を見る5項目の中では、3の実行フェーズでの苦労話とその中での粘り強さ、逃げない姿勢、5の継続的な改善活動における深堀、飽きない姿勢などを突っ込んでみると、デジタルマーケティングに向いている人材かどうかがわかると思う。

但し、1時間程度の面接で一番見抜くのが難しいのが、このパーソナリティの部分だと思っていて、私の経験では、採用で「思ったのと違う」となるケースの8割程度は、パーソナリティの弱点を見抜けなかったというケースであると思う。

カルチャーフィット

カルチャーフィットについては簡単で、複数人の目で、一緒に仕事をしたいと思うか、現状のチームに入って、周りの人と一緒に仕事をしている事が想像出来るのかを面接をした全員で合議して結論づけるのが良いと思う。

ちなみに、私は面接は1対1で行うことはほとんどせず、2-3人程度の面接官で行うようにしている。少なくとも、自分の部署に入れる人間は本部長である自分と、実際の管理責任を負う自分の配下の部長級の人間と一緒に会うことは原則としていて、例え私がこの人材は良いと思った場合であっても、より近くで働く部長が懸念を述べたらそちらの意見を優先することにしている。結局ダイレクトにマネジメントする人間の意に沿わない人材を無理にチームに入れたとしても、結果的に皆がハッピーになることは少ないと考えているからである。

もちろん自分の直下の人間というのは、私が信用できると思っている人間を選んでいるし、ポジションに求められるスキルも持っている人間なので(もしその適任者がいなければ、可能な限り私自身で繋ぎの兼務をしてでも良い人材を探す方がよいと思っている)、殆どの場合、一緒に面接して意見に相違が出るのは、スキル・経験・地頭ではなく、パーソナリティとカルチャーフィットであるが、この点については、面接官全員で同意見にならない人材はよほどリソースに困っていない場合を除いて、採用しない方がよい。大抵、後で組織内のマネジメントで問題が発生するのは、採用時のこのあたりの小さな妥協に起因していることが多い。

マネジメントスキル(マネジメントポジションの場合)

マネジメントについては、上手くいく方法論など話してもらっても、教科書的な答えしか返ってこない事が多い。ここ最近でIT系の会社でマネジメント経験がある人によいマネジメントの方法論の話をすると、前にも言ったように、私の嫌いなOne on Oneを小まめにやりますみたいな回答が返ってくることが多い。

私はマネジメントというのは、人と人の問題なので、そんなに簡単な成功法則などなく、どれだけ経験を積み、難しいシチュエーションに直面し、それを失敗しながら、苦労しながら乗り越えてきたかの蓄積でしかないと思っている。このため、マネジメントのスキルの話を聞くには、断然、成功事例<失敗事例を具体的に聞くことが良いと思う。成功事例の教科書的な正解をきれいに話すことが出来るが、失敗事例が述べられない人は、大抵の場合、マネジメントをしたことがないか、マネジメントで苦労したことがない、人に興味がない人が多い。

ここまでで、良いマーケターを面接等で見抜くための具体的な方法を説明してきたが、ハッキリ言うと、この文章を読んだから明日から失敗せずに良いマーケターの選考が出来るのかといえば、必ずしもYesとは言えない。なぜなら、採用時の選考というのは、多くの人を採用して、その人の面接時の評価と、入社後のパフォーマンス、採用時に見抜けていたポイントと、採用時には分からず入社後に問題になったことなど、多くの人材を面接し、採用し、入社後評価するという経験の蓄積と、それぞれの人材の相対的な比較において、自分なりの基準値が出来てくるというのが実態だからである。

この2回の議論でお伝えしたかったことは、その経験値を自分の中に蓄積していくための情報整理のフレームワークと、各項目を評価する方法論のようなものであると考えていただければと思う。

マーケターという職業は専門性の高い職種であるため、組織の成熟が進めば進むほど、外部から良いマーケターを採用することは難しくなる。特に、会社の知名度と自分のマーケティングチームの業界内でのポジションに差がある(マーケチームのポジションが高い)場合には、その状況は加速度的に強くなる。しかし、だからこそ、組織を円滑にマネジメントするためには、採用での成否は非常に重要である。必要なスキルを持っていない人を採用してしまうのは論外であるが(とはいえ、世の中見ていると結構多い)、特にパーソナリティ、カルチャーフィットに問題がある人材を採用してしまうと、その後何かと苦労することが多い。なぜなら、新卒は別にして、それなりに社会人としての年月と経験を重ねた人材というのは、大なり小なり自分がこれまで積み重ねた経験とパーソナリティが複雑に絡み合ってしまっているので、良い意味でも悪い意味でも入社後に簡単に変わることが出来るわけではないからである。ぜひ、自社の組織にフィットする、良い人材を見抜く目を養っていただければと思う。

良いマーケターの見分け方1

500人以上のマーケターの面接経験から

マーケティングに関わるトピックでこれまで触れていない項目として、採用について書いていないなと思ったので、その点についても少し議論してみたいと思う。

まず、大前提として、良いマーケターの条件については以前詳細に議論したので、こちらを参照していただければと思う。このため、今回は見極めるべき資質については所与の条件として議論に入れずに、それを面接等で見抜く方法のアイディアを考えてみることにしたい。ただ、これも私なりのやり方であって、もちろん唯一の正解であるわけではないので、ひとつの考え方として捉えていただければと思う。

ただ、この話をするうえで、私にどのくらいマーケターの採用の経験があるのかの情報をご提供しないと、信用出来るのかどうかという話になると思うので、これまでの採用経験から少し話したいと思う。

まず、私がこれまでマネジメントした最大の組織は、大手ゲーム会社におけるマーケティングのグローバルの本部組織である。組織として100人前後の組織であったが、私の赴任当時は、基本的には任天堂やプレイステイションのハード向けの家庭用ゲームソフトの国内向けオフラインマーケティングのマーケターが3分の2位の割合で、その組織を①デジタル中心のマーケティングチームに作り変えることと、②グローバルのマーケティング統括組織にグレードアップさせることが大きなミッションであった。もちろん、オフライン中心からオンライン中心に変えたいからと言って、3分の2近くの人間を入れ替えるわけにもいかないので、中心的な課題は、今の言葉でいうリスキリングをしてもらうことによって組織改編をしていくことであった。しかし、ちょうどモバイルアプリのタイトルのヒットコンテンツが出だして、扱う商品数が増大していたこと、本格的なグローバル展開の大型タイトルが複数本発生して、グローバルのマーケティング体制を構築する必要性に迫られたことなどの理由で、本部長職にあった5年半の間、少なくても週に1人以上の候補者の面接をしていた。つまり、5年ちょっとで年50週×5年としても、250人程度のマーケターの面接はしていたことになるので、20年以上のマーケターのキャリアで言えば、500人程度はおそらく面接をしてきたと思う。ちなみに、何でそんな数になるのかといえば、私は100人程度の組織であれば、自分の組織で採用する人材には例外なく必ず面接することにしているため、そんな人数になってしまうという背景もある。

ちなみに、そのうちどのくらいの割合で採用していたかといえば、ゲーム会社でいえばおそらく20人にひとり位のイメージなので、合格率は5%以下だと思う。そして、これも感覚的な話になってしまうが、同じゲーム会社で採用した20人程度をサンプルとすれば、採用した後で、全然違った、失敗したと思ったのは、2-3人であると思う。それ以外は、面接時の想定通りの人材であったか、期待以上の人材であったこと思うので、少なくてもマーケターの人材を評価するという事で考えれば、自分では9割程度の確率で正しい評価をするスキルを持っていると自認している。

マーケターの面接の評価ポイント5+1

という経験を基に、今回は面接にて良いマーケターを見抜く際に考えなければいけないことを整理して考えたいと思う。

まず、私が面接をするにあたって人材を評価するポイントは次の5点プラス1である。

  • マーケターとしてのスキル
  • マーケターとしての経験
  • そもそもの地頭の良さ
  • パーソナリティ
  • カルチャーフィット

プラス マネージャー以上のポジションの場合は、

  • マネジメントスキル

それぞれについて考えてみよう

  • マーケターとしてのスキル

マーケターの基礎体力を始め、採用する人材に求めるマーケターとしてのスキルレベルについては、当然応募ポジションによって詳細は異なる。

  • マーケターとしての経験

経験については、職務経歴書に記載されている内容という事ではなく、「その一つ一つのキャリアにおいて、どのくらいの深さで考え、学び、使えるスキルまで昇華させられているか」をここでは経験と定義する。単に「やったことがある」というのは経験にカウントしない。詳しくはこちらを参照。

  • そもそもの地頭の良さ

デジタルマーケティングは、ロジカルでデータドリブンな業務であるため、当然物事を論理的に考えられる一定以上の地頭の良さは残念ながら必須条件である。ただ、決して学歴で判断するようなことはしない。

  • パーソナリティ

パーソナリティについても、詳細は先に挙げた良いマーケターの資質についての以前の議論を確認いただきたいが、デジタル時代のマーケターに必要とされるパーソナリティも一定存在するため、そこから大きく外れていないことはチェックする必要がある。

  • カルチャーフィット

どんなに優れたマーケターとしての能力があったとしても、一緒にチーム内で働く人間として、会社組織、マーケティング組織にフィットしそうな人材かどうかは慎重にチェックをするべきである。

  • マネジメントスキル

優れたマーケターになることと、優れたマネージャーになることは全く異なるスキル要件である。このため、採用ポジションがメンバーのマネジメントを要する場合は、マネジメントスキルについても見極める必要がある。

評価ポイントの優先順位を決める

ということで、マーケターの採用時の評価ポイントについての理解は出来たと思う。そのうえでまず最初に考えなければいけないのは、各評価ポイントの優先順位についてである。もちろん理想はすべての項目が10点満点の人が5%程度の確率で面接に来てくれるのことであるが、残念ながら私がこれまで働いてきた会社では、その様な贅沢な環境は構築出来なかったので、採用するポジションと組織の状況によって評価ポイントの優先順位を変えて人材の評価をすることになる。

  • 採用ポジションの組織が成熟しており、人材の教育を出来る場合
  • 採用ポジションの組織が会社としてスキル不足で外部人材に組織自体のスキル向上を期待する場合
  • 組織マネジメントを伴うポジションの場合

大別すると、この3パターンで考えればよいと思う。

採用ポジションの組織が成熟しており、人材の教育を出来る場合(ポテンシャル採用)

カルチャーフィット > 地頭の良さ > パーソナリティ > スキル・経験

残念ながら、日本のマーケターの人材プールには、私の基準で優秀だと思うマーケターがそれ程多くいないため、組織がある程度成熟してきて、人材育成が行える体制になっている場合には、必死になって経験者を探すよりは、スキル・経験は足りなくても、入社後に教育する前提で採用する方が早いし、強い組織になるスピードが早いことが多い。このため、私の経験では、発生するパターンが最も多いケースである。

この基準で人材を採用する場合の評価ポイントの優先順位は上記の通りである。まず、これは、すべてのポジションに共通であるが、カルチャーフィットは最も優先して評価するポイントである。どんなに地頭がよかろうと、パーソナリティがマーケター向きであろうと、組織カルチャーにフィットしないと感じる人材は、決して採用してはいけないというのが20数年マネジメントしてきた結論である。これは決して妥協してはいけないポイントである。なぜなら、カルチャーにフィットしない人材を雇ってしまうと、入社後にチームとして機能せず、そのスキルであれ、経験であれ、地頭の良さが結局は発揮されなくなってしまうからである。

次に重視すべきは、「地頭の良さ」である。スキル・経験が不足しているということは、入社後のトレーニングの吸収スピードでその人材のパフォーマンスは変わってくるので、早いスピードで成長できそうな人材であるかどうかはポテンシャル採用の重要な評価ポイントである。

3番目の評価ポイントは、パーソナリティである。これはマーケターの資質の整理の際も指摘したが、デジタルマーケターには粘り強くPDCAを回し続ける根気強さを始めとした性格要件が必須であるため、単に地頭がよいというだけでは採用することが出来ない。但し、ポテンシャル採用人材は、高い成長スピードを優先して考えたいため、採用緊急度がよほど高くない限りは地頭の良さをパーソナリティよりも優先させたい。

最後がスキル・経験であるが、これは入社後のトレーニングを前提とした採用であるため当然である。

採用ポジションの組織が会社としてスキル不足で外部人材に組織自体のスキル向上を期待する場合

カルチャーフィット > スキル・経験 > 地頭の良さ・パーソナリティ

チームに新しいファンクションを立ち上げる際に、そのスキルと経験がある人材が社内におらず、外部からスキルを移転して、成長速度を加速したいというパターンが本ケースである。私が経験した例でいえば、マーケティング組織内にデータアナリストチームを作ろうと思ったときに、社内に適したスキルがある人材がおらず、内部人材のトレーニングで行う時間的な余裕もない、時間がかかりすぎるというようなケースである。

カルチチャーフィットは前述の通り常に最上位の優先順位であることは揺らがないので、2番目から考えると、当然このケースにおいてはスキル・経験ということになる。外部からスキル・経験を移転するための採用であるため、当然の優先順位である。但し、このケースで問題になるのが、そもそも社内にスキル・経験がないから外部から人材採用をする状況下で、面接等において正しいスキル・経験のチェックが出来る人材が社内にいるのかということである。私自身の失敗経験も含めて、にわか知識で、スキル・経験の評価をして失敗だったというケースが若いころに何度か経験としてある。この問題を解決するためには、短期間でも良いので、外部のコンサル等に一緒に採用すべき人材の評価をしてもらうことをお勧めする。もちろん、強化したいファンクションの重要性によってかけられるコストも異なると思うが、人材紹介会社に高いお金を払って、結果的に失敗したというようなことにならないように、お金をケチらずに評価する目のレベルアップを検討すべきだと思う。

本パターンの採用においては、地頭の良さ・パーソナリティの優先順位は当然落ちることになる。但し、これは必ずしも地頭の良さ・パーソナリティがポジションにフィットしていなくてよいという意味ではなく、必要とされるスキル・経験を持っていると評価出来る人材であれば、当然それらを習得す段階で、その習得に必要とされる地頭の良さや・パーソナル要件は持っているはずと想定されるからである。その意味では、繰り返しになるが、スキル・経験の評価を正しく出来ることが、良い人材を採用するための必須の条件となる。

組織マネジメントを伴うポジションの場合

カルチャーフィット > スキル・経験・マネジメントスキル > 地頭の良さ・パーソナリティ

現場メンバーの採用ではなく、最初から部下を持つようなポジションに人材を採用するケースである。このパターンで判断が分かれるポイントは、スキル・経験とマネジメトスキルのどちらを優先するのかという事であろう。もちろんここはチームの状況によるが、私個人は、外部からマネジメント人材を組織に入れる場合は、担当するファンクションに対するスキル・経験レベルが、現在の所属メンバー以上にあることは必須条件だと思っている。なぜなら、マーケティングというのは、以前に述べたように専門性の高いビジネス領域であるため、メンバーひとりひとりが高い専門性を有した組織になっている(なっていなければならない)。このため、その組織をマネジメントする人材は、彼らの業務の意思決定を行ったり、適切なアドバイスを行ったりしなければならない。そのためには現場社員以上の経験値とスキルが要求されることはある意味当然である。私の経験では、チームのスキルレベルが高くなればなるほど、外部から採用した人材のスキル・経験レベルが低いと、どんなにマネジメント能力が高くても現場社員から信頼を得ることが出来ない(ストレートに言うと馬鹿にされてしまう)。私のマネジメントする組織でその様な状況が発生したケースは殆ど記憶にないが、残念ながらそもそも会社内部にマーケティングが出来る人材がおらず、正しい評価が出来ないという前述ような会社が無理やりCMOをエグゼクティブサーチ会社経由で採用したりすると、ポジションとスキルがフィットしていないなどの理由で、指摘したような状況になるケースを何度も見てきた。

一方で、マネジメントスキルがない人物を組織のトップに据えることは、マーケティングに限らず悲惨な結果になることは、議論する余地もないことなので、今回は、スキル・経験・マネジメントスキルを同列の優先順位とした。

ここまでで、採用するポジションのパターン別に優先すべき評価ポイントをご理解いただけたと思う。次回は、各評価ポイントを採用面談においてどのように確認・評価するかを考えたいと思う。

2軍選手の自己分析‐一流になれない理由

能力ある選手がなぜ2軍でくすぶり続けるのか?

相変わらず野球のYoutubeの話になってしまい、お前はどれだけ野球のYoutubeを見ているのだと言われそうだが、ボケっとしている間は大抵の場合テレビの画面に移っているので、応えは結構みていますとなってしまう。ということで、性懲りもなく、また野球の話である。

今回もまた2軍監督の話であるが、以前に話題に挙げた高橋慶彦氏の話ではなく、今度は元ジャイアンツとベイスターズの選手で、前ベイスターズ2軍監督であった、仁志敏久氏のお話である(対象の動画はこちら)。

仁志選手というのは、高校→大学→社会人と野球のエリート街道を歩んできた選手で、プロ野球に入っても、直ぐにジャイアンツのレギュラーとして1年目から活躍した人なので、本人は現役選手であった時に殆ど2軍にいた経験がなかったそうなのだが、いざ2軍監督になって、2軍の選手、つまり、プロ野球で活躍できない選手を日々間近で見る中で、2軍でくすぶっている選手と1軍で活躍できる選手のちがいが次第に分かってきたという事であった。

そもそも、プロ野球選手というのは、何万人もいるアマチュアの選手の中から、毎年70-80人位の選手がドラフトされてなっているわけなので、プロ野球選手になっているという時点で、個々人の才能という意味であれば、1軍で活躍できる選手と、2軍でくすぶっている選手の間にはそこまで大きな差があるわけではないという事である。

では、どこで差が生まれるのかと言われれば、自分の強みやチーム内での役割、自分の現時点の能力と将来に向けたポテンシャルのような様々な情報を客観的に分析して、自分をどのような方向で成長させ、その結果チーム内でどのような役割を獲得して、プロ野球選手として活躍できる機会を得ようという頭の整理と、その整理で考えたディレクションに向けて正しく練習を積んでいくという積み重ねが足りないのだというケースが大半であるという話をしていた。

例えば、バッターであれば、超一流選手の打撃理論をYoutubeなどで研究し、その理想的なバッティング理論を正解と位置付けて、そのコピーが出来るように練習して、それを試合で実践する。打撃練習でバッティングピッチャーやピッチングマシンが事前に決めた球種を打つ練習をしている時には、ある程度その理論に近い真似事は出来るようになるのかもしれない。しかし、実際の試合というのは、相手があることなので、事前にどんな球種の球がどんなコースに来るのか分からない状態で対応しなければいけないので、練習の決まったシチュエーションで実行できた程度の習得度合いでは、その理論を実際の試合で実践することが出来ない。そもそも、その理論は超一流選手だからできたことで、その数歩前の段階でとどまっている2流選手が中途半端に真似をしようとしても、そもそもGAPが大きすぎて出来る可能性が低い。しかし、Youtubeでこの理論が正しいと超一流選手が言えばそれは「正解」なので、それ以外の方法論はなかなか受け入れられない。みたいな状況になってしまうようなケースが多いということなのだ。

また、これは別の所でよく話されている話ではあるが、最近はYoutubeを始め、野球の技術に関する情報が以前と比べて世の中にあふれているので、若い選手がそのような情報源から超一流選手の技術情報を入手してしまっているので、Youtubeで話をしていた元選手よりも現役時代の実績が劣る自チームのコーチの指導が耳に入ってこないことも多いということであった。

「正解」があると思ってしまう幻想

この話を聞いたときに、私が思い出すのは、最近世の中に蔓延している「効率重視」の姿勢の問題点である。この話は以前、効率はそれ程重要か?という話でも述べたので、興味のある方はこちらも読んでいただければと思う。おそらく、皆さんが自分の職場を見ていても、これと似たような話はたくさんあるような気がする。

まず、この話に出てくる2軍選手の最大の問題い点は、「正解が存在する」と考えてしまっている事だと思う。しかし、プロ野球のような究極のレベルでの戦いにおいては、「正解」など実は存在しない可能性が高いというのが現実なのだと思う。

なぜなら、人間というのは当然人それぞれ、体格も違えば、筋力の質と強さも違い、反射神経や脳から筋肉への情報の伝達速度も違う。それが、アマチュア野球レベルの試合であれば、圧倒的な相手ピッチャーもしくはバッターとの能力差で上記で例示したような個人差などカバー出来てしまうのだと思うが、プロレベルの究極の戦いにおいては、そのような個々人の個性の差を理解したうえで、その個性にあった方法論を自分なりに作り上げていかなければよい成績など残せないのだと思う。つまり、「正解など存在しない」のである。

昔であれば、世の中に十分に情報がなかったので、正解らしきものの情報がそもそも流通していなかったので、若い選手たちがそのような情報に飛びつくことが少なかったのであるが、最近はそれらしき情報が大量に流通してしまっているために、「正解」を正しく行うという幻想を追い求めてしまう状況になってしまっているのではないだろうか?

という話を一般論的に書けば、それは何も野球に限った話では到底あり得ない。少なくてもビジネスにおいては全く同じようは状況であると思う。

すべての条件が一致しなければ同じ解決策は使えない

私は、ビジネスに「正解」など存在しないと思っている。そもそも、同じ時間を2回過ごすことは物理法則的に不可能なので、2つのオプションがあった時に、そのどちらが「正解」であるかを検証することも厳密には不可能である。出来るのは、どちらがBetterかをABテストで見つける位の話である。

また、新規事業の話をしたときにも似たような話はしたが、ある会社で「正解」のように見える話を、同業他社が真似したとしても、それが必ずしも「正解」であるかどうかも分からない。なぜなら、相手にしている対象の市場はほぼ同一かもしれないが、それを実行する企業には、人材の質、会社のカルチャー、それまで蓄積されてきた知識やデータなど細部において必ず違いがあるからである。

私は、これまで事業会社において様々な事業のマーケティングを直接間接的に見てきたし、現在は様々な企業のマーケティング戦略やオペレーションのお手伝いをさせていただいているが、その際に気を付けていることは、もちろんこれまでの経験に基づいてこうすれば良くなるのではないかという「仮説」は準備して臨むが、こうやったら絶対うまくいくみたいな「正解」を決めて、それを当てはめて成果を上げるような仕事の仕方は絶対にしないようにしているつもりである。

もちろん、25年位のデジタルビジネス業界での経験があるので、他の方よりも、様々なシチュエーションにおける役立ちそうな事例やソリューションの引き出しが多い自信はあるが、どこかで使ったソリューションが別の会社や事業でそっくりそのまま転用出来ることは基本的にはないと考えているからである。

現在の立ち位置の理解から改善を積み上げる

我々が直面している市場というのは、常に変化している。特に、昨今のSNSを中心とした情報拡散の嵐の中において、今日の市場と明日の市場が同じものであることなどあり得ない。であれば、「これをやれば正しい」という正解なども当然あり得ない。なぜなら、それがどんなに考えた時点で限りなく正解に近かったとしても、それを実行しようとするタイムラグの間に、市場は変化してしまうのであるから。つまり、私たちは相手へのアクションとそれから得られるリアクションの継続の中で、相対的にその時点で正しいと思われる最善解を追い求めるしかないのだと思っている。

自分が今やっていることが正しいかどうか分からないというのは、不安になるし、結果的に間違っていることもあるので、その意味では辛いこともあるかもしれない。正解と誰かが言ってくれれば、それに飛びつきたい誘惑にもかられるであろう。ただ、よくあるノウハウ本とかは違うかもしれないが、一流の野球選手もそうだし、一流のビジネスパーソンであっても、私の知る限り、自分の考えは表明したとしても、自分のやり方、方法論が絶対に正しいなどとは軽々に言いはしないと思う。少なくても、多くの若いプロ野球選手が見ているであろうYoutubeの技術論の動画など見ても、かつての一流選手は「自分はこうやっていた」という話はしても、「こうやるのが正解だ」というような発現は見たことがない。おそらく、それは受け手側の問題で、「あの〇〇さんが言っているのだから」という理由で、勝手に正解だとして受け取ってしまっているのだと思う。

自己を成長させたり、ビジネスを成長・改善させるために必要なのは、まずは、現状を正しく分析する事である。そして、その問題点を解決する手段を具体的に検討するというステップに進む。そもそも、このステップを踏まなければ、他でうまくいった手法が自分たちの問題に適用可能なのかどうかなど分からない。仁志氏が2軍の選手が1軍で活躍できない理由を聞いていると、おそらくこれと同じ話が起こっているのだと想像する。自分の現状分析ができておらず、自分の現在地を理解できていないのに、勝手に「正解」だと信じる理想のゴールを一足飛びにマネすることをしてしまっているのであろうと思う。しかし、その理想の技術を習得した人も、最初から正解にたどり着けていたわけではなく、様々なプロセスを経てそこにたどり着いたはずである。そのプロセスを省略して、お手軽に正解にたどり着こうとること自体にそもそも無理があるのだ。結局は、いつでも、どこでも通用するような、簡単な答えなど、世の中には存在しないのだという前提で考えることが重要なのだと思う。

シリコンバレーの強さの源泉とは?

円安が示す日本の成長力の低さ

この文章を24年5月に書いているが、この1-2週間の最大の話題は急速な円安である。ちょっとびっくりするくらいのスピードで進んでいて、ニュースを聞いていて驚いたのが余りの急激な円安で海外旅行を控える日本人が多いらしく、ゴールデンウィーク中のハワイ便の航空券が余っていて、エコノミーが10万円程度で買えたらしかった。

正直、円相場は相当乱高下していて、日米の金利差を背景として投機マネーが極端に動いている部分も大きいのだろうと思うので、今の円安水準が日本経済のファンダメンタルズを反映した動きであるとは思い難いが、中長期的に見れば、日米の経済成長率の差が、金利差として現れているということを考えれば、基本的なトレンドとして円安ドル高という基調はしばらくの間変わらないのであろう。

この日米での経済成長力の差がどこから来るのかというのはいろいろ複雑な原因があるし、私自身経済学者でもないし、経済指標を詳細に分析しているわけでもないので、信憑性が確かでない話をするのも良くないと思うので、日米で仕事をしたことがある人間の目線で私が肌で感じた範囲で考えたことをここでは述べたいと思う。

シリコンバーレーという巨大な仕組

ここ5年くらいで、日本の若い人たちの起業に対するスタンスも大分変ってきたような気もするが、まずシリコンバレーに3年いて感じたのは、アメリカという社会に起業というプロセスが強烈に仕組みとして組み込まれているという事である。そのプロセスは、大雑把に言うと3つの要素で構成されていると思う。大学という世界トップレベルでの高等教育とベンチャーキャピタル(VC)を中心としたリスク投資の仕組み、そして、人材と情報が流通するコミュニティーの仕組みである。

グローバルな人材プールの活用

まず、日本とシリコンバレーにいて最も大きな差として感じるのが、グローバルな人材プールの大きさ、充実度の違いである。シリコンバレーで仕事をしていて結構最初の段階で驚いたのが、成功している企業で働いている人材のグローバル化である。アメリカに住み始める前は、アメリカの会社で働いているのはアメリカ人が殆どなのかと思っていたが、AppleやGoogleを始めとしたトップクラスの会社や有望なスタートアップであればあるほど、働いている人材は多国籍である。

では、なぜそんなことが実現しているのだろうと話を聞いていると、私は2つ大きなポイントがあると感じた。ひとつは、言語である。英語がグローバルビジネスをするうえで一番容易にコミュニケーションがしやすい言語であるのは間違いがないが、その英語で仕事を当然できるため、対象となる人材をグローバルで集めやすいということは日本語という世界中で1億人ちょっとの人間の間でしか通じない言語を使っている国とは単純に優位性が全く異なると思った。

しかし、ここに「優秀な」人材を集めるという意味で「優秀な」という形容詞を追加すると、実は英語以上に重要な仕組みがあると思っている。それは米国の世界トップクラスの大学教育である。

大学のランキングも複数あるので、あくまで一例であるがこちらの大学ランキングでは、Top10のうち7校がアメリカの大学(残り3校も英語圏のイギリスの大学)、Top20でも13校がアメリカの大学である。ちなみに日本は29位に東大、55位に京大がトップ100に入っているのみである。シリコンバレーで働いている外国籍の人材と話していると、驚くほど大学や大学院の時に米国に留学してきたというひとは多い。自分の部下にも台湾人で米国のビジネススクールを卒業した新卒の学生を採用したが、驚くほど優秀であった。ちなみに、Alphabet(Googleの親会社)のCEOであるスンダー・ピチャイもMicrosoftのCEOであるサティア・ナデラ、テスラのCEOであるイーロン・マスクも大学や大学院から米国で教育を受けている。

特に、シリコンバレー周辺には、スタンフォード大学と、UCバークレーという2つの超名門校があり、ここに世界中から優秀な学生が集まって来て、そこからいきなりスタートアップが出てきたり、有力IT企業に人材を排出したりしている。

よく日本で人口減少、移民の可否について議論になるが、私が議論のポイントがずれていると感じるのは、ブルーワーカー的な労働力についてばかり議論していて、シリコンバレーのように優秀な人材を世界中からどうやって集めてくるのかという議論をほとんど聞かないことである。もちろん米国においても、中南米や中国からの労働力的な移民の流入が問題になっているので、その側面でも移民問題は議論しなければいけないとは思うが。ちなみに、私は日本においても、外国人の留学生は非常に前向きに採用することにしている。経験的にワザワザ日本語を学んで高等教育を日本で受けようという気概がある学生は、相対的に優秀な人材である確率が高いと感じているからだ。

資金調達ポテンシャルの違い

二つ目の差は、やはりVCの充実度である。私自身シリコンバレーのVCから投資された企業で仕事をしたことがないので経営サポートという面の評価は出来ないが、やはり起業するときに集まる資金の大きさが日米では全くレベル感が違うと思う。但し、この点についてはVCのファンドとしての資金力の問題もあるのかもしれないが、同時に日米で起業する会社の成長のポテンシャルの問題もあると感じている。そもそも、日本のスタートアップでターゲットの市場をグローバルに向けて起業している会社というのは正直非常に少ないと思う。このため、日本のスタートアップにはTAM(Total Available Market)が小さいため、そもそもバリエーションがつきにくいという問題もありそうな気がする。逆に言うと、日本のスタートアップというのは、日本という日本語のバリアがある世界で日本国内マーケットだけをターゲットにしているから成り立っているという会社が多く、個々の企業でいえば上手くビジネスチャンスを活用しているということも出来るのかもしれない。

投資規模の問題は必ずしもVCだけの問題ではなく、スタートアップ企業自身の問題なので、日本のスタートアップが積極的にグローバル展開してTAMを大きくする努力をしていかなければいけないが、日本のスタートアップに対する資金調達環境はもっと改善されていくべきであると思う。もちろん、スタートアップへの投資という面でいうと、最近は10年くらい前と比較すると環境もかなり改善されてきている感じもするが。

人と情報が交わる巨大なコミュニティ

そして、3つ目の差がコミュニティの差である。私がシリコンバレーで働き、一生懸命Business Developmentの仕事をしていたメンバーと話していて感じたのは、シリコンバレーという場は、個々の企業という単位を越えて、人材や情報が流動するひとつの巨大なコミュニティであるという事である。もちろん個々の企業には営業機密があり、外部に公開できる情報は制限される。それは、日米において最低限のルールとしての差はないと思う。但し、例えば新製品の発売のスケジュールであったり、商品・サービスの詳細のような情報ではない、日々の業務の中での学びであったり、マーケティングであればそのGeneralな手法のような情報は、日本にいるよりも遥かに風通しよく企業間で情報が行き来している。

何故なのかと考えてみると、その最大の原因は、日本より遥かに流動的に人材が会社から会社へと移動しているからであろう。もちろん、その際に転職元の会社から転職先の会社への、ある程度Generalなノウハウのようなものは移転しているのが当然と皆考えているように感じられた。さらに、人が流動的であるということは、当然会社の垣根を超えたネットワークも拡大していくため、会社の垣根を超えて、何か分からないことがあると、あの会社がこういうサービスをやっているであるとか、あの会社の〇〇さんであればきっと相談にのってくれるというような、アドバイスを社外の人から教えてもらえたりする。

私個人が、余り飲みに行ったり、交流会的な場が苦手であったりという性格なため、日本でそういうコミュニティに入っていないというのもあるのかもしれないし、そもそも私と一緒に働いたチーム自体が新しい事業を海外から始めるというちょっと斬新な事業展開をしていたという特殊事情もあったのかもしれないが、結論として、シリコンバレーと日本の違いというのを強く感じた。

もちろん、それ以外にも日米の差はたくさんあるのかもしれないが、私は、日本と米国に経済成長ポテンシャルにここまで大きな差ができ、日本の経済が30年間殆ど成長できないという悲しい現実を目の当たりにせざるを得なくなってしまった原因はこの辺にあるのではないかと思う。

日本の閉塞感を打破する方策とは!

じゃあ、どうすれば良いのかという事であるが、まず最初に取り組むべきは、日本の大学教育を考え直す事だと思う。その一番分かりやすい方法は、大学の授業を全部英語にしてしまうのが良いと思う。一部の先進的な大学ではそのような大学も出始めているが、いっそのこと10年とかの準備期間はいるかもしれないが、どこかのタイミングで国文学とかの一部の例外を除いて、原則英語にしてしまえば良いと思う。そうすれば、今の日本の物価安と円安もあいまって、世界中から優秀な学生を今よりも遥かに集めやすくなるし、そもそも英語で教えられるのであれば、教員もグローバルで集めやすくなるであろう。もちろん、日本の大学で大した業績もなく給与をもらっている大学の教員の既得権益は一気に崩壊するわけであるが、申し訳ないがそんなことは自業自得であると思う。

当然、そうなると大学の英語の入学試験もTOEFLに統一してしまえばいいと思う。そもそも、大学受験に英語のテストがある理由は、ロジカルに考えると大学に入って海外の文献を読んで勉強するときの基礎的な語学力があるかどうかを確認するためであろう。そうであれば、本場のアメリカの大学がその判断基準に使っているテストをそのまま使う方が、ネイティブでもない日本人が作った英語のテストで実力を図るよりも遥かに信憑性が高いと私には思えてならない。もちろん、ここにもTOEFLの英語なんて教えられないという高校教諭の悲鳴も聞こえてくるような気がするが、6年英語教育をして英語をまともに話せるようにならないような今の学校の英語教育などハッキリ言って全く意味がないので、これも現状を何十年も放置してきたという意味で自業自得であるとしか言いようがないと思う。

私は、実は、この日本の大学教育を変えることが出来れば、今の日本の閉塞感的なものは、一気に解決しそうな気がしている。正直多くのMBAホルダーと一緒に仕事をしてきた経験からすると、ハッキリ言ってMBAなどの米国の高等教育(理系は知らない)の内容自体は、別に物凄く洗練され、有用なわけではないと思っている。MBAを持っているからといって必ずしも優秀というわけではないし、全然イケていない人もたくさん見てきた。ビジネスの世界のMBAというのは、アメリカの大学が作り出した超優良な資格試験みたいなもので、それが一流ビジネスパーソンになるための教育メソッドであるかどうかは正直疑わしいと思っている。もちろんマーケティングの基礎体力ではないが、マネジメントをするために知っておかなければいけない基礎体力的な知識を学ぶという意味では良いのだとは思うが、正直そのレベルの知識であれば、別に独習でも全然OKである。

それがどこまで国家として意図的なのかは分からないが、例えばマネジメントの人材であれば、MBAという世界中で通用する資格の提供は、アメリカにとって世界中の優秀な人材を集めてくる集客装置としては完璧に機能していると思う。そして、この装置が機能しだすことによって、それ以降の2つはポイントはおそらく自動的に回っていく可能性が高い気がする。

私自身の人生における大きな心残りの一つは、真面目に語学を勉強しなかったことと、海外留学をする機会を自分で作らなかった事の二つであるが、そのような人間がシリコンバレーで仕事をしながら、何故ここから湯水のように新しい企業が生まれ、アメリカという国があげたらきりがない程多くの問題を抱えながら、資本主義の世界でなんだかんだ言いつつも、圧倒的な経済力を持ち得ているのかを考えた結論である。

理系の研究職は分からないが、正直言って大学で何を勉強しているかについては、私個人はそれほど興味がない。なぜなら、マーケティングに関しては大学で主に教えられているのは伝統的マーケティングなので、私が仕事をしているフィールドにおいては業務と直結する機会が少ないからである。正直それは、日本でも米国でもそれほど変わりはないと思っている。

そのように考えると、大学という高等教育機関の役割は違うところに見出さないといけない気がする。これは、本音と建前の本音側の話なので、余り表立っていう話ではないのかもしれないが、個人的には結構重要で、日本のゲームチェンジ的な話になる可能性もあるのではないかと思う。

仕組化の徹底

楽天グループで徹底される「成功の5つのコンセプト」

楽天グループでおそらく最も重視されている考え方、仕事をする上での姿勢を表す基本原則のようなものに「成功の5つのコンセプト」というものがある。私の記憶では1999年のどこかのタイミングで三木谷さんが自分で纏めて社員に提示したものである。

現在は分からないが、私が在籍当時は当然のように社内にはポスターが掲示され、社内表彰などもこの5つが重視され、とにかく事あるごとに意識づけをさせられたので、数年間楽天で働いた経験がある人であれば、覚えようと思わなくても空で言えてしまうくらい徹底的に叩き込まれる内容である。

当然、新卒であのような強烈な経営者のもとで仕事をさせてもらった私のような人間は洗脳に近い刷り込みが行われた感じだったので、今でも仕事をする上での重要な基本スタンスだと思っている。楽天を離れて10数年が経つが、今振り返っても、この5つの項目については、お世辞抜きで本当に重要だと思っているので、洗脳してくれてありがとうと思っている。

(もし、詳細を知りたいという方は、三木谷さんの最初の著書であるこちらをお読みください)。

仮説→実行→検証→仕組化

で、今回はこの中からひとつを取り上げる。それは、

仮説⇒実行⇒検証⇒仕組化

である。実は、この5つのコンセプトの中で最初に出来た時から1点だけ変わったポイントがこの項目で、最初は「⇒仕組化」の部分がなかった。この仕組化が後から付け加えられたのである。私は、このBlogの中で一貫してPDCAの高速回転という話をしているが、仮説⇒実行⇒検証というのはほぼPDCAと同義である。最近は英語化されたので、PDCAという方が分かりやすいのかもしれないが、私が楽天で仕事をしている当時は、社内でPDCAという言葉は余り使われず、この言葉が使われていた。

そこにある時「仕組化」が追加された。切っ掛けは知らないが、ある時三木谷さんに呼ばれて、成功の5つのコンセプトのポスターに「仕組化」を加えてほしいと指示された。なぜ私に話が来たのかといえば、そのポスターのデザインを私のクリエイティブチームが作っていたからである。時期は忘れてしまったが、2000年代の前半だと思う。

私はこの「仕組化」という考え方は、素晴らしい考え方であり、ビジネスが拡大するうえで不可欠な考え方だと思うので、今回はこの仕組化の重要性について話したいと思う。

そもそも、PDCAでも、仮説⇒実行⇒検証でも、どちらでも良いのであるが、このプロセスは何のためにあるのであろうか?それは一言で言ってしまえば、「現状を改善するための試行錯誤のプロセス」という事である。現状何か問題があったり、行き詰っている課題があったりしたときに、改善策の仮説を立て、その検証を行うというサイクルを正解が見つかるまで何度も回すということを表現している言葉であると思う。

ただ、このPDCAのサイクルにはひとつだけ問題がある。このPDCAだけでは改善活動が無限にループしてしまうということである。ビジネスというのは基本的に永続的に成長していかなければいけない(残念ながら、そうしないと会社がつぶれてしまうので)宿命を負っているため、このプロセスには終わりはないという意味では、PDCAの無限ループはある意味正しい。しかし、PDCAのサイクルだけではあることが実現しない。それは、何かといえば折角見つけた問題解決の方法、成功の法則が拡大再生産されないのである。

私はある事業が拡大・成長していく基本原則は成功法則の拡大再生産であると思っている。では、成功法則の拡大再生産が起こる原理とは何であろうか。①成功法則が発見される、②成功法則の再現方法が発見される、③再現方法を発見者以外の人間が同様に再現できるように定型化する、④再現できる人間を増やす。この4つのステップ実行されることで成功法則の拡大再生産は実現すると考えられる。そして、このプロセスの②~③が仕組化のプロセスで、④をオペレーションと呼ぶのだと私は考えている。

PDCAと仕組化のバランスを考える

このように考えると、さんざんPDCAと言っているが、事業が成功するためには実はPDCAだけでは足りないということがわかる。なぜなら、PDCAのサイクルというのは成功法則の発見という①のプロセスを実現するための方法論であるからだ。とすれば、私は三木谷さんが「仕組化」を追加したことは凄く的を得た提案であると思う。このプロセスがなければ、ビジネスは拡大していかないのだ。

PDCAを回していて良い結果が得られたとき、私のチームでの打ち合わせで次に必ず議論のポイントになるのが再現性である。再現性を得るためには、成功したときに、何故その施策が成功したのかのロジックが整理して理解されなければならない。なぜなら、そのロジックを理解できないと、次に同じことをしようと思ったときに、どの部分を前回と同じにすべきで、どの要素は真似なくても良いのかが分からないからだ。

これまでの経験上、人間は上手くいっていないときの原因究明は力を入れてするが、上手くいっているときの原因究明は疎かにしがちである。しかし、事業の拡大には、間違いなく成功事例のロジックを明確に理解することの方が有意義である。寧ろそれがなければ再現性のある、成功法則の拡大再生産は実現できないからだ。是非、成功したときに、結果オーライでHappyになるのではなく、その時こそ成功の原因を究明し、成功を拡大再生産出来るようにしてほしい。

仕組化とPDCAの関係でいうと、もう一つ注意すべきポイントがある。それは、PDCAの回転のループをどの時点で一時停止し、仕組化/拡大再生産に移行するかの見極めである。PDCAの高速回転といっても、実際には下記のようなプロセスでビジネスの改善は進んでいく。

PCDAの高速回転 ⇒仕組化 ⇒PDCAの高速回転 ⇒仕組化・・・

要は、PDCAをある程度回転させて成功法則が得られた後でそれを仕組化して事業を拡大させ、そのあとで再度オペレーションの中で出てきた課題に対してPDCAを回していき、改善の方法を探っていくというサイクルである。

幾ら仕組化が重要であるといってもPDCAの1サイクルごとに仕組化の作業をしていてはPDCAの回転速度が遅くなってしまう。かといってPDCAを永遠に回し続けていても事業成長が起こらない。このため、PDCAの回転回数と仕組化のプロセスに移行するタイミングのバランスを取る必要があるのである。

ただ、話を振っておきながらこういうのも申し訳ないが、そのバランスの見極め方法を一般論で述べる方法が思い浮かばないので、そこは試行錯誤してもらうしかない。ただ、PDCAと仕組化のバランスを考えなければいけないというポイントを理解して、マネジメントをする際に意識するだけでも、事業の成長スピードを上げるためには意味があると思っている。

3年くらいの事業改善プランから逆算して仕組化タイミングを見極める

しかし、さすがにそれだけだと無責任だと思うので一般論とまではいかないが、私が普段意識している方法をご紹介して仕組化の議論を終わりにしたい。私が事業活動の中で仕組化に乗せるタイミングとして意識しているのは、1年の事業計画と3年の事業計画で、自分のチームがどの程度まで改善しなければいけないのかを常になんとなく意識しながら、この成功法則を仕組化したら、今年1年分の改善量は稼げるかな?Yesであれば、じゃあ3年後は?みたいな視点で考えている。例えば、他の改善で1年分の目標達成が実現していて、目の前の課題は3年計画の後半で効いてくれば良いと判断出来れば成功確度を上げるためにPDCAをもっと洗練させようとなる。逆に、このままでは今年度の改善量がまだ足りないということであれば、目の前の少し小粒の成功も拡大再生産のフェーズに移行させなければいけないと判断するかもしれない。

1年後、3年後の計画を達成するために、私は複数の武器を仕込んでおいて、例えば10ある武器の6-/7個くらいが上手くいけば計画を実現できるみたいな考え方を何時もしている。別にずっと考え続けているわけではないが、日々の打ち合わせをする中で、自分の頭の中でその10個くらいのどれが短期的に優先順位が高く、どれが中長期的な施策なのかの色分けはしているはずである。もしそれが出来ていれば、短期施策は当然短期的に成果を出さなければいけないので、仕組化になるべく早い段階で取り組まなければいけない。もちろん短期施策に分類している段階である程度仕組化の目途まで行かなくても、萌芽くらいは見えているであろうから、それは可能でなければならない。

一方中長期の課題というのは、より本質的で、成功法則の発見には大分道のりがあるから中長期課題であるはずなので、そのような課題についてはPDCAを辛抱強く回転させ続けることを優先すべきはずである。その代わり、成功したときのリターンは大きくなければならないのだが。

この辺の課題ごとの実現までのリードタイムの色分けが出来ていれば、それぞれの仕組化への移行タイミングの見極めの参考になるのではないだろうか?一番のハッピーシナリオは、中長期施策の成功法則が想定よりも早期に見つかり計画を大幅に前倒しで実現できてしまうことであるが、その時は胸を張ってボーナスでもたくさんもらっていただければと思う。

未知を未知のまま扱う能力

原理を知らなくても使えてしまう便利な世の中

「人類は浮力の原理を解明する前から船を作り、風が起こる原理も分からないまま帆で船を操り、波が起こる原理も理解しないまま堤防を築き上げた。人類は古来より未知を未知のまま扱う能力を持っている。」(葬送のフリーレン 10巻)

最近は、1時間とかTVの前でじっとしていることが忍耐力の面でも、愛犬との物理的な生活環境の面でも難しくなってしまったので、映画とかスポーツの中継、ドラマなどを見ることがすっかりできなくなってしまった。そんなわけで、長さ的にも、流し見をするという意味でもアニメはちょうど良いコンテンツで、50歳近いいいオッサンだが、Youtubeとアニメが一番頻度高く利用するコンテンツになっている。

基本昔見たことあるアニメを見返しているのだが(集中しなくても話が分かるのでちょうどいいし、基本的な設定を覚えなくてもいいので楽)、たまに評価の高い新作のアニメは重い腰を上げて見るようにしている。その中で、この数年で久しぶり凄いなと思ったのが「葬送のフリーレン」というアニメだ。社会現象にもなった鬼滅の刃も凄い作品だと思ったが、このフリーレンも久しぶりにこれはすごいなと思えるアニメ/漫画である。もちろんまだ見ていない方のネタバレにならないように、詳しい内容は当然ここでは触れないが、知らない方に向けて超簡単にいうと、人類と魔族との戦いの物語である。

冒頭の言葉は、この漫画10巻の中で(まだアニメにはなっていない)、大魔族同士の会話の中で人間の能力について語る場面で出てくる言葉である。この漫画は、原作者が「セリフに相当気を使って作っているので、アニメ化の時にそれを尊重して作ってほしいと依頼した」という話がWikipediaにも記載されていたが、漫画を読んでいると、キャラクターのちょっとした言葉にセンスが溢れていたり、含蓄のある言葉に出会うことが出来る。

今回の言葉は、含蓄系のワードの中でも私の心にビビっと響いた言葉の一つである。

どれだけ調べても市場理解を完璧にするなどあり得ない

このBlogを書き始めてから、これまで自分がデジタルマーケティングをしながら考えてきたこと、実践してきたことを改めて整理して考えることが出来た。20年近く、毎週目標値を追い、毎年事業計画を追い、中期経営計画を追い求めて来たため、自分がやっていることを改めて考える機会というのがなかなか無かったので、本当に良い機会であった。

その中で、マーケティングというものを考える時に、間違いなく言えることと言うのは、「正解は誰にも分らない」という事である。もちろん、これはマーケティングに限った話ではなく、ビジネス全体に言えることではあるが。

なぜ、分からないのかといえば、マーケターの視点でいえば、どれだけリサーチをして、マーケティングのPDCAを回したとしても、結局のところ正しい可能性が高い市場理解に基づいてマーケティング施策を実施しているだけであり、完璧な市場理解、顧客理解が出来ることなどあり得ないからである。なぜなら、市場にいる顧客一人一人が何を考え、何を欲し、何を欲していないのか、それが何故なのかなど、全員に詳細に聞かなければ分かりえないからである。

さらに、極論で、対象とする顧客全員にインタビューしたとしても、その人が本当のことを言ってくれているのかは相当疑わしいため、市場理解を完璧に出来ることなどあり得ないと言える。

もしそうであるのであれば、私たちマーケターというのは、完全に理解出来ないものに対して、一生懸命何とか上手く自分たちの意図する方向に市場を動かせないかと四苦八苦しているわけである。

このように考えながら、日々の思考をめぐらせている中で目にしたのが、冒頭の文章であった。「人間は未知を未知のまま扱う能力を持っている」というのは、言われてみればその通りなのであるが、それを、このようにハッキリと言語化して表現されているのは、教養のない私には非常に新鮮な発見であった。

一般ドライバーとプロのレーシングドライバーの違いとは?

別に、マーケティング以外にも、よくよく考えてみたら、我々の生活というのは、その原理をよく理解できていないものを、深く考えずに利用して生きていることばかりである。

どのような原理でいまこの文章を書いているPCのCPUは動いているのか?どのようにして、インターネット上で情報のやり取りが出来ているのか?なぜ自動車のエンジンは動いているのか?などなど、よくよく考えると分からないことだらけである。でも、私たちは分からないなりに、利用の仕方を学び、便利に活用しながら生活をしている。

でも、それでそのツールの機能をフルに活用することが出来ているのであろうか?それはまた別の話である。例えば自動車である。これまたYoutubeの話であるが、私が結構好きなYoutubeのコンテンツジャンルに自動車の評論・評価のコンテンツがある。中でも、自動車の評論家ではなく、プロのレーシングドライバーがクローズドなコースで車のポテンシャルを限界まで出し切るようなテストをする動画をよく暇つぶしに見たりしている。そのような動画を見ていて思うのは、同じ車を運転するといっても、私のような一般ドライバーとプロのレーシングドライバーでは、ハッキリ言って車を走らせることに対する理解のレベルというか、原理の理解に驚くほどの差があることである。

私のような一般のドライバーは、車を運転するときに、アクセルを踏めば進む、多く踏めば加速が強まる。ブレーキを踏めば減速する。ハンドルを切れば曲がる。ハッキリ言って、大雑把に言えばこのくらいの知識と理解くらいしか持ち合わせていない気がする。そして、その程度の理解でも問題なく運転できる枠が道路の制限速度のような交通法規なのだと思う。

しかし、プロのレーシングドライバーというのは、それとは全く別の次元で、その車のポテンシャルをフルに発揮して、どれだけスピード早く走ることが出来るのかということを仕事にしている。ここで重要なのがポテンシャルをフルに発揮してという部分で、これが限界を越えてしまうと、車は止まれない、曲がれないということになり、クラッシュしてしまうため、命を危険にさらすことになる。この限界値を理解するために、プロのドライバーは、エンジン、ブレーキ、タイヤ、サスペンションなどなど、車を構成するあらゆるパーツのポテンシャルを理解し、それらのバランスをセッティングで調整し、限界のスピードを追求していく。一般ドライバーとは全く別次元の話である。少なくても、一般の公道を制限速度で走っていて、タイヤやブレーキの限界値を感じることはないであろう。もし普段運転していてそれを頻繁に感じている人がいたら、その人は交通ルールを守っていない人である。

プロのマーケターだから見える世界を得るための努力

という一般ドライバーとプロのドライバーの差を理解したうえで、話をマーケティングに戻す。

まず、前提として、マーケティングというのは、前述の通りどこまで行っても正解は誰にも分からない世界である。世の中絶対というのは殆どないが、これは間違いなく「絶対」わからないと断言できる。私たちマーケターは、未知を未知のものとして受け入れたうえでマーケティングの決断を下さなければならない。そして、人には、それをする能力があることもここまで見てきて分かっている。

でも、一方で、未知であるとしても、その活用において、一般ドライバーとプロのレーシングドライバーの違いのように、どのレベルまで理解して、その未知をより精度高く活用するのかについては、同じ未知でも違いが出てくる。

おそらく、人により程度の差はあると思うが、プロのレーサーでも車を構成するすべての部品がどのような役割を果たし、それがどのように連動しているのかを原理のレベルで完璧に理解している人は少ないであろう。それでも、プロとして成功したドライバーであれば、車を運転するときに見えている世界というのは、一般ドライバーとは確実に異なっている。

マーケティングにおいても、きちんとスキルを持ったプロのマーケターと素人には同じような違いがなければならない。訓練と経験を積んだプロのマーケターとそうでない人では、例えば同じマーケティングKPIの情報を見たとしても、得られる情報のレベルが全く異なることが多い。複数の数字の連動性を見ながら、なぜある数値が悪化しているのか、良化しているのかなどの背景を理解することが出来たりするからである。

以前、媒体の紹介でも触れたが、GoogleやMetaを中心に、デジタル広告というのはドンドンAI化が進んでいる。AI化が進むと、プロのマーケターにとっても得られる情報が少なくなる。これは、よく言えば、一般ドライバーでも車の運転が出来るように、デジタル広告を活用することが出来るという事である。それ自体は決して悪いことではない。しかし、プロのマーケターとして生きていくのであれば、一般ドライバーのように未知を未知のものとしてそのまま受け入れ、便利に活用するだけではパフォーマンスの差を生むことは出来ない。一方で、プロのレーシングドライバーのように知識もスキルもないのに、車のポテンシャルの限界値までスピードを出そうとすると、車をコントロールすることが出来ずに事故を起こす原因となる。

 そうならないためには、プロのレーシングドライバーのように、素人には必要ないレベルで未知を未知で終わらせないで理解しようとする努力を欠くことは出来ない。未知を未知のままで良しとしてはいけない。例え、理解しなくても便利に活用出来るからといって、そこに甘んじてしまっては、他人との差を作れないのである。

そして、それを行う唯一の方法はPDCAの高速回転である。何をどこまでやると限界値を超えてしまうのか?こういう話は、頭の中で考えているだけではおそらく分からない。

プロのドライバーもスピンした経験があるからタイヤのグリップの限界値を理解出来るのだ。一度もスピンをせずにプロのドライバーになった人など一人もいないであろう。その限界値は、ここまでなら大丈夫というPDCAをトレーニングの過程で何度も何度もトライした経験の結果の理解である。

マーケティングというのは、これからドンドン車の運転のように誰でも出来る世界になる。AIがこれをドンドン加速している。それでも、レーシングドライバーのように、限界値をコントロールするには、人間の力も必要であると信じているし、そうであってほしいと思っている。ただ、その時には今いるマーケターの人数ほどにマーケターの数はいらない。何とかして人間しかできないマーケターとして生き残りたいものである。そのためには未知を未知のまま終わらせない努力が必要な気がする。

非効率な仕事の価値

加速する「効率重視」の姿勢

また、こういうことを言うと嫌われるオジサンになりそうだが、最近、特に、コロナ禍以降に強く違和感を感じることが、「効率」に対する考え方である。日本人の生産性が低いという話題がニュースを賑わせたりするなど、日本人の仕事の仕方が効率が悪いと思われがちなことと、それ以前には殆ど選択肢にすら上がらなかった在宅勤務が一般的になってきたことなど、仕事をする環境がこの3-4年で大きく変わってきたことなども原因なのだと思う。

タイムパフォーマンスをタイパと略して、若い人の間で普通に使われていることなど、その象徴的な例であると思う。

私は、仕事の時間以外は余り予定を詰め込まず、ダラダラ過ごしていたいツマラナイ人間なので、私生活においてタイムパフォーマンスなどということを殆ど意識したこともないし、自分の生活を忙しいと感じることもあまりないので、皆さん何でそんなに効率のことを気にするのだろうと思ってしまう(もしかしたら、子育てをしていないからなのかもしれないが)。

ということで、「効率」ということを個人的には意識することが少ない怠惰な人間の意見であるし、私生活については人それぞれでいいと思う。しかし、仕事をするという側面に限定して話せば、最近の「効率」を重視する風潮には問題があるような気がする。ただ、これも、私自身が仕事をした最大規模の会社が2011年当時1万人程度であった楽天なので、本当の巨大企業で働いたことがないとか、前に少し話したオーナー系の企業がワークスタイルに合っている理由が話が早いからということで、本当に面倒な社内調整が必要な企業で働いたことがないから、本当に非効率的な職場を経験していないことが原因なのかもしれないが。

効率重視の何が問題?

という人間の言うことなので、その前提で読んでもらえればと思うが、「効率」という言葉を使う人に異を唱えたい部分は次のような点である。

社内手続きが存在する意味を考える

まず、良く思うのが「効率」を主張する人に多いと感じるのが、会社などの組織で働くことに付随する様々な「手続き」を無駄なことと認識し、やりたがらない姿勢である。しかし、このような意見を言う人達の多くに共通する問題点は、企業という組織の意思決定のプロセスを殆ど理解していない事である。会社というのは、よく言われるが、ヒト、モノ、カネを投資して、付加価値を生み出す組織体であるが、当然、その、ヒト、モノ、カネという経営資源を何時、どこに、どれくらい投じるのかということを誰かが意思決定しなければいけない。それをそれっぽい言葉でいえばガバナンスというのだと思うが、別にそんな難しい言葉を使わなくても、それが正しくコントロールされていなければ、会社という組織は全体として統率が取れなくなってしまう。

このため、経営資源がどのように活用され、それがどのような結果を生んでいるかは当然把握されなければいけないし、会社が決めたルールに即して、権限のある人間がその範囲内において意思決定を行わなければいけない。このために、社内の手続きが存在している分けである。

もちろん、ひとつの組織が長く続けば続くほど、誰が決めたかわからないような意味不明なルールが存在しているケースも多いため、会社のルールにすべて意味があるとは思わないし、前職で20数年ぶりにIPOに立ち会って、以前とは比べ物にならないくらいガバナンスに対する要求レベルは高くなっていることは理解したので(正直、無駄なこと、現実的でないことも多いと感じたが)、すべてに意味があるとは言わない。ただ、会社という組織において、そのような最低限の手続きというのは必ず必要なことは、まず理解すべきである。

もちろん、組織の一メンバーとしての自分の作業の事だけ考えれば、そのような手続きをすることは酷く「非効率」に感じられるのかもしれない。しかし、今は現場で作業をしているだけかもしれないが、経験を積んで、その人がマネジメントをする立場になったときに、その手続きの意味も、やり方も分からない人間になってしまって良いのであろうか?少なくても、私の判断基準では、そのようなマネジメントとしての基礎的な知識がない人間には、重要な仕事を任せることは出来ない。

「今」の効率と「未来」の効率のバランスを考える

次に、良く感じるのが、効率をいう多くの人が「今」に焦点を当てすぎているという事である。特に、在宅勤務が一般化してきた中で感じるのが、「効率」の対象が目の前に存在するオペレーションの効率に焦点が当てられる過ぎていると感じることである。

これは私のマネジメントスタイルがコロナ禍以前に形作られたものなので、オールドファッションだと言われてしまえばそれまでであるが、コロナ禍以降の在宅勤務も含めた労働環境をみていて感じるのは、オペレーションに特化すれば、在宅勤務を中心に効率重視の仕事の仕方でも全く問題ないと思っている。しかし、チームで議論をしながら作り上げていかなければならないStrategy、Executionや、ふとした会話などから学びや新たなアイディアが湧いてくるようなEducationやCreationといった領域は、効率のみを重視した働き方では実現が難しいのではないかと思っている。私がコロナ禍以降にそれを一番強く感じたのが、コロナ禍が沈静化しつつあったある時期から、シリコンバレーの多くの先進企業が、何とかして社員をオフィスに呼び戻そうとしていた姿勢である。

本当に成長力があり、高い生産性を実現できる会社というのは、オペレーションが効率的な会社でではなく、新しい価値を生み出すInnovationを起こせる会社である。つまり、当然Operationの効率性も大事ではあるが、企業の基本スタンスとしてそれは最優先事項ではあり得ない。このため、彼らは、Innovationを最大化するためには、Operationの最大化は犠牲になってもかまわないと思っているのではないかと思う。私の勝手な想像ではあるが、私はこのロジックは正しいと思っている。

ただ、そのようなことを考えられない人は、「今」であるOperationの最大化=効率性が、「未来」であるInnovationの最大化に勝ってしまうのである。もちろん、何時までいるか分からない会社の未来の成果に対して自分の時間を使うことは効率が悪く、短期的な成果を最大化したほうが自分の給与を効率的にあげられるのかもしれない。しかし、私の経験では、自分の未来に時間でも、お金でも投資を出来ない人は中長期的には成功出来ない。「今」の効率だけを考えている人には、長期的な成長に限界があることが多いのである。

「答え」を求めるのではなく、「考える」プロセスを確保する

さらに、ChatGPTが現れて加速した気がするのが、効率を求めて答えを直ぐに探す風潮である。確かにAIは便利であるが、答えを直ぐに知りたがる「効率」の結果、ビジネスパーソン/マーケターに最も必要とされる「考える」能力を鍛える機会が、どんどん減少していっている気がする。

Wikipediaを自分でもよく使うので、人のことは言えないが、ネットで見つけた情報が必ずしも正しいとは限らない。ChatGPTにいろいろな質問を投げかけてみた結果、間違った情報を答えとして提供されることも少なくない。しかし、自分で深く考えることもなく、効率を求めて直ぐにネットやAIに答えを聞いてしまうと、おそらく与えられた情報の真意を判断することも出来ないであろう。当然である、自分で考えていないのであるから、その機会すら訪れない。私であれば、自分でやることに責任を持つのであれば、幾ら効率が悪くても、仕事上の自分の判断は自分で下したいと思う。そうでなければ、私の存在意義がないし、そもそも、失敗したときにする言い訳が思いつかないからだ。まさかAIがそう教えてくれたのでとは言えないであろう。そんなことを言ったら、そもそも自分はいりませんと宣言しているようなものである。

AIが効率的に出来る仕事はAIに置き換わってしまう仕事

未来がどうなるか分からないが、私はInnovationとか、Creationというのは人間が起こすものであってほしいと思う。もちろんAIを上手に活用することは重要だと思う。将棋の藤井さんがあれだけ強いのも、AIを研究に活用しているからだと言われているが、それはあくまで、新しいアイディアの参考にしているだけで、なぜそのやり方が良いのかを理解するプロセスはからなず自分の頭で考えているはずである。そうでなければ、実践で使えるスキルにはならないであろう。PDCAなど正にそうだが、新しいアイディアや知識が生まれるためには、多くの場合試行錯誤が必要である。錯誤という言葉が付いている通り、そのプロセスには失敗がつきものである。では、失敗は効率が悪いのであろうか?私は絶対にそんなことはないと思う。このBlogでも失敗の重要性については何度も触れてきた。もちろん他人の失敗を学び、同じ失敗をしないようにすることは重要だが、私は、なんでもお手軽に正解を求める効率性はよいマーケターになるためには悪の側面が強いのではないかと考えている。

自分でも書きながら、若者に嫌われるのだろうなと自覚はしているし、実際、考え方が古いのかもしれない。でも、こんな古い考え方を残して、人間らしい不効率さを残さないと、AI化が進むビジネス環境で、自分の仕事がなくなってしまうのではないかと思う。おそらく効率的に出来る仕事というのはAIに置き換わってしまう。多分人間がしなければいけないのは、非効率な部分なのではないだろうか?

会社の意思決定の仕組みを理解する

コンプライアンスやガバナンスって至極当然な話

最近、コンプライアンスとかコーポレートガバナンスとかいう言葉がよく言われるし、上場企業だとこれらを理解するための社員研修を行うために、ハッキリ言って全く面白いとも思えないオンライン研修ビデオの視聴をさせられたりすることが多い。

私の場合、2023年に所属していた企業をIPOしなければいけなかったので、退屈な研修素材をさんざん視聴しなければならず、辟易した。

以前、性善説と性悪説のマネジメントの話をしたので、そちらも合わせて読んでいただければと思うが、コーポレートガバナンスの話が、現状のように一段も二段も厳しくなった背景は、2000年代前半のエンロンの経営破綻を引き起こした不正経理問題からであると思う(エンロン破綻)。この事件は、アメリカ有数の大企業が、債務を大規模に簿外債務化し、それを、監査する監査法人や、法的正当性を担保するはずであった顧問法律事務所もこの粉飾決算やその後の証拠隠滅を行うことに加担していたという、どう考えてもあり得ない話の連鎖のような事件であった。

株式を上場して、パブリックな会社になるということは、その会社が対外的に公表する財務諸表を始めとする開示情報が正しいことが大前提としてマーケットが成り立っている。しかし、中には悪い人間がいて、少しでも自社のパフォーマンスを良く見せようとして、財務内容をごまかしたり、良く見せようとする人がいるかもしれないので、公認会計士という公的な資格(日本では国家資格)をもった人間が会計帳簿を監査し、問題ないというお墨付きを与えるという事で、2段階のチェック機能まで備えて、この情報の正確性、真実性を担保するという仕組みである。

エンロンの事件の場合は、そもそもこのダブルチェック役の監査法人・会計事務所がきちんと機能しなかったということで、財務報告プロセスなどを厳格化するSOX法が2002年に制定され、その日本版も後日制定され、今に至っている。

もちろん、エンロンの事件のような問題は言語道断だし、あってはならないことである。このため、SOX法のような法律が出来ることも仕方ないと思う。でも、いつもコーポレートガバナンスや、ハラスメントなどの講習コンテンツを見て思うのであるが、何でワザワザ、こんな当然な話のお勉強を時間を取ってさせられなければいけないのだろうということである。私から言わせれば、エンロン事件のような話は、日常生活において「人を殺してはいけません」くらい当然すぎる話を守らなかったくらいのレベルの話に思えてならない。私は法学部ではないので、法律には余り興味も関心もないので、刑法など一行も読んだことがないが、世の中で殺人事件が起こるたびに、皆で刑法の講習会をしましょうとなるであろうか?そんな話は、少なくても大人な世界では聞いたことがない。

意思決定の基本原則=ROIの最大化

では、なぜ、このような教育・研修の機会を設けなければいけないのであろうか?私は、これまで数百人の部下のマネジメントをしてきたが、その理由は私にとっては至極当然に思えてならない、会社において意思決定がなされる仕組というのを理解出来ていない人が、現実には非常に多くいるからなのである。

ここでする話は、理解している人には何の新鮮味もない話であるので、読み飛ばしてもらって全く問題ない。しかし、これまで会社で上司に意思決定のプロセスにおいて怒られたり、文句を言われた末に、納得感がないという経験をしたことがある方は、一度読んでいただければと思う。貴方に問題があるのか、文句を言った上司が悪いのかの白黒がハッキリするであろう。

まず、会社全体の業績をコントロールするためには、会社の支出とそれに対するリターンを管理することが大前提である。これを管理する指標をROI(Return on Investment)という。計算式は、

ROI=収益/投資額

となる。

物凄い普通のことを言っていると思われるかもしれないが、企業の基本的な意思決定の基準はROIをどうやって最大化するかを基本としていると思う。ESG経営とか、SDGsとかSustainabilityとか流行りのビジネスワードがあるが、結局はROIをどれだけ最大化出来るかが大原則であり、ROIを計算する時間軸が少し(?)長くなるという話だと私は理解している。

会社員をしていると、組織の規模が大きくなればなるほど社内調整であるとか、社内政治であるとか、誰かの面子であるとか、誰かへのゴマすりであるとか、様々な要因でROIの最大化を阻害する事象が発生するかもしれないが、ハッキリ言ってそれは会社の経営としてはネガティブな要素である。株式会社というのは、株主に出資をしてもらいその資本を効率的に使って(負債も含め)、収益を生み出すというのがミッションである。

ちなみに、理論経済学では、合理的経済人仮説という、すべての人は経済的に合理的に行動する、つまり、経済的効用=収益が最大になるように合理的に行動することを前提としてあらゆる経済モデルを作っているが、上述のような会社内での非合理的な意思決定等により、ROI最大化に向けた行動が阻害されることを取引コストと呼び、市場が需要と供給の自動的な調整により価格と供給量が決定されるという市場モデルが上手くいかなくなる事例の代表例と考えられている(市場の失敗)。

ということで、会社という営利組織の意思決定のベースが収益の最大化であることはご理解いただけたと思う。

そもそもガバナンスのルールが必要な理由

では、ROIを最大化するためにはどうすれば良いのであろうか?当然、この問いに一言で答えられる回答など存在しないし、そんな答えが分かったら、私はこんな文章など書かずにその方法を使って、もっとお金を稼ぐ別の仕事をしているはずである。

今回は、ROI最大化の方法ではなく、ROI最大化を組織が目指すための管理方法の基本概念についての私なりの考え方を議論できればと思っている。

もし、会社にあらゆる社員よりも優秀で、かつ、業務の効率が抜群に高く、社内で起こるあらゆる意思決定事項に対して、迅速かつ正確に判断できる経営者がいれば、会社には意思決定のプロセスとか仕組は必要ない。唯一の決まりごとは、そのCEOに判断を仰ぐ調整をすれば良いだけである。

しかし、この方法には2つの問題がある。ひとつは、どんなに優秀な経営者であっても、会社の規模が大きくなると、自分一人では会社の意思決定事項のすべてを判断するのはリソースの限界値を越えてしまうことである。寝ずに仕事をしたとしても、人間には等しく一日24時間しか与えられないので、会社が成長すれば、何時かは個人のキャパシティを越えてしまうのである。

 二つ目の問題は、CEO個人が株を100%保有する個人企業であればよいが、上場企業のように広く投資家から資本を集めるような会社であった場合、どんなに優秀なCEOであったとしても、一人の個人にあらゆる判断を依存してしまうことは、チェック機能が全く働く余地がないため、リスクが高すぎるし、ひどい場合には、エンロンの話ではないが、不正などが起こりそうになった場合に、それが発覚しにくかったり、社員がCEOの顔色を伺って、問題が起こった後も隠蔽され続けるというようなリスクを抱えてしまうということである。

この2つを主な理由から、会社という組織は、ROIを最大化するための意思決定の仕組みを作らざるを得なくなる。ポイントは「権限委譲」と「意思決定プロセスの整備」である。

権限委譲のメリット/デメリットを理解する

まず、権限委譲から考えてみよう。

そもそも、なぜ権限移譲が必要なのかといえば、先ほどのスーパーCEOの話でも議論したが、会社の規模が大きくなると、そもそも一人のCEOがあらゆることを決めることが物理的に難しくなってくるからである。このため、権限委譲をするのであるが、そのメリットとは何であろうか?

  • CEOと相対的に比較すると現場に近いレイヤーで意思決定されるのでスピードが早くなる
  • 同様に現場に近いレイヤーで意思決定されるため、現場の状況を理解した上での意思決定がなされる可能性が高い
  • 現場に近いマネジメントの人材が意思決定をするため、事業に関する専門性の高い人材が意思決定をする可能性が高い

というのが主なメリットであろう。分かりやすく言うと、現場に近い、専門性の高い人が意思決定をするため、スピード、市場環境、専門知識の3つの側面で有利な判断が出来る可能性がある。

このように考えると、権限委譲は出来る限りした方がよいということになってしまう。しかし、現実の会社組織においては、程度の差はあれ、限界まで権限の委譲をしましょうということにはなかなかならない。ということは、デメリットについても考えてみるべきであろう。

権限委譲のデメリットとはこんな感じである

  • 権限委譲を進めれば進めるほど、意思決定者の数が多くなり、管理することが難しくなる
  • 意思決定者の人数が増えると、現実的には、意思決定者の判断のクオリティを担保することが難しくなる
  • 意思決定が細分化されすぎると、個別最適は実現するが、全体最適の実現度が下がるリスクがある

こちらも分かりやすく言えば、意思決定が細分化されると、意思決定クオリティや全体最適の実現のような管理をして、会社全体のROIを高めていくためのマネジメント・管理が難しくなってくるということである。

このため、会社という組織は、会社の規模や、戦っている市場環境、社員の能力など様々な要素のバランスを考えて、権限委譲の方法を決めることになる。

もう少し掘り下げると、例えば会社の規模の話でいえば、当然会社の規模が大きくなれば、権限委譲の程度は高くしなければいけない。そうしなければ当然意思決定のスピードが落ちるからである。

では、どの程度意思決定のスピードを落としてよいかと聞かれれば、それは戦っている市場環境に依存する。例えば、新規事業のように成功法則が確立されていなかったり、顧客の市場ニーズの変化が激しく、市場の変化にスピーディーに対応する必要がある市場で事業を行っているのであれば、権限委譲の範囲を大きくして意思決定スピードを上げなくてはいけないということになる。競合企業よりも意思決定のスピードが遅くなれば、それだけ収益を最大化する機会損失が大きくなるからである。

もし、スピードが重要だという結論になったら、それでは際限なく現場に権限委譲すれば正解なのであろうか?これもYesとは一概に言えない。それは、その会社が抱える社員の経験やスキルなど意思決定に必要な能力を備えている社員の人数、割合に依存するからである。極端なはなし、現場の社員が、(将来有望かもしれないが)新卒ホヤホヤの社員ばかりであるとしたら、適切な経験がない人に意思決定の権限を渡してしまうことになる。結果的に優秀な人材もいるかもしれないが、一般的に言って、このような状況では、権限委譲の程度は低くせざるを得ない。何らかの意思決定をする際には、一般的に言って、「対象事象に関する専門知識やスキル」、「その事業や機能が置かれた市場や会社内での立場、位置づけ」、「その会社のリスク許容度など企業文化」の3点くらいを考慮して行うのが一般的である。おそらく新卒の社員は、この3つのいずれも正しく理解している可能性が低いと言わざるを得ない。そのような人たちに権限を委譲した場合は、おそらく個々人は正しいと思って、良かれと思って意思決定をしたとしても、個々の判断に統一性がなくなり、企業としてROIを最大化する事業のコントロール性が低くなってしまうわけである。

このように、権限の委譲というのは、そのメリット、デメリットを考慮して、その会社に最適なあるべき姿を見つけなければいけないのである。それぞれの企業のマネジメントは、この点を真剣に考えながら、どこまで何の権限を委譲して、個別の意思決定のクオリティと全体最適のバランス、事業の市場対応へのスピード感などをどのようにコントロールするのかを決定するわけである。

職務権限規程と決裁システム

そして、その結果出来上がるのが「意思決定プロセスの整備」である。会社によって呼び方は異なると思うが、これらを定めたものを「職務権限規程」とよび、それを運営するためのシステムが「決裁システム/稟議システム」である。

特に重要なのは前者である。会社において、誰が何を決められるかというルールは、この「職務権限規程」によって決められている。私の経験上、この「職務権限規程」というのは会社にとって相当優先度の高いルールであり、殆どの会社においては重要な職務権限規程の変更は、CEOではなく、取締役会の承認事項である。つまり、職務権限規程のルールというのはCEOの判断より上位に位置するということになる。

そして、そのルールの運用を定型化したものが決裁システムである。基本的には、決裁システムは、そのワークフロー通りに決裁書を回せば、職務権限規程通りに意思決定がなされた証跡になるように作られている(作られていなければならない)。

成果が出れば手続きは二の次は間違い

ここまで来ると、会社でなぜ職務権限の規定が定められ、それを運用するための決裁システムが存在する理由とその重要性が理解出来ると思う。

しかし、私のこれまでの経験上、会社員として働いている多くの人たちが、これらの仕組みを面倒な手続きだという位にしか考えていない。そして、面倒な手続きだという位にしか考えていないため、これらのルールが何故決められているのかを理解しようともしていない人が多すぎるように感じるのである。

今回の話を理解すれば、よく上司に稟議を出し忘れましたとか言って、申し訳なさそうに月初に請求書を持ってくる部下がどれだけ危険な行為をしているか分かっていただけるのではないか?プロジェクトが間に合いそうになかったという言い訳をして、上司の決裁権限を越える発注案件を取引先にメールで承認してしまった後で稟議を回してくる部下の犯してしまった問題の危険性が理解できるのではないか?

この二つは、私がこれまで何度も経験した手続き不備の「あるある」であるが、このような失敗をしてしまう人は悪いとは思ってはいるが、大抵の場合問題の大きさを理解していない。私の予想は、手続きの不備位にしか思っていない気がする。なぜなら、そういう人はだいたい2回、3回と同じ失敗を繰り返すからである。そして、多くの場合、手続きの不備があっても、そのプロジェクトや投資が上手くいけば、結果オーライで、そちらの方が重要である/評価されると考えているようにも思えることも少なくない。

しかし、その考え方は大きな間違いである。職務権限規程に沿わない意思決定は、重大な越権行為である。自分で決める資格のない事項を、正当な意思決定権限者の承認なく意思決定してしまっているのである。そして、真面目にマネジメントが考えられている会社であれば、職務権限規程の内容というのは、自社が置かれている様々な状況を勘案して、その会社のROI最適化をできる可能性が高いと思われるものとして定められているはずだからである。

もちろん、どことは申し上げないが、権限委譲と市場で置かれている状況に著しいGAPがあり、社内手続きに時間がかかりすぎて機会損失が大きい職務権限規程を持つ会社を経験したこともある。でも、それはその会社のマネジメントが決めたことであるので、それが実態に合っていないからといって、現場が破ってよいという事にはならない。それにより会社の業績が上がらないリスクは会社のマネジメントが負えばよいことである。ただし、私の経験上、こういう言い訳をする人に限って、大抵の場合、時間がかかるとわかっている社内手続きのタスクを軽視して後回ししがちである。時間がかかるのが分かっているのであれば、もっと早めに準備しておけば問題ないのにである。

よく、上昇志向が高く、早くマネージャーとか課長とかに昇進したいと目標設定などでアピールして、自己のKPI達成度合いなどを一所懸命上げようとするが、手続き系が全くダメな人がいたりする。本人はKPIを達成しさえすれば評価されると思っているが、マネジメントをするということは全くそういう事ではない。少なくても私は、今回説明したような会社の意思決定の仕組みを理解出来ていない人に怖くて権限を渡すことなど出来ない。これはKPIのパフォーマンスが良いかどうか以前の問題だからである。

職務権限は、権限と責任セットで評価が大原則

ここまで、理解できると、職務権限規程というのは、自分を守ってくれる武器にもなりうる。自分の職務権限の範囲をきちんと理解していれば、その範囲で行った意思決定に対しては、組織図においてはどんなに偉い上司であっても異議を唱える権限はない。なぜなら取締役会で承認された権限の範囲内で行った正当な行為であれば、文句を言われる理由がないからである。たまに、職務権限の範囲内で行った部下の意思決定に対して、事前の確認がなかったとプロセスについて部下に文句を言っている上司がいたりするが、これは私から言わせれば上司の方が間違っている。職務権限の範囲を超えて過剰の管理をすることは、会社のマネジメントで決めた、会社全体のあるべき姿を変えて、過剰な管理をしているからである。

ただ、もちろん、職務権限の範囲内であるからといって、その人物は何をしても良いわけではない。なぜ、会社という組織が権限委譲を行っているのかを最初に戻って振り返ってもらいたい。そう、ROIを最大化するために行っているわけである。このため、意思決定者は職務権限の範囲内であればプロセスについて文句を言われることからは解放されるが、同時に、結果(投資対効果)については厳格に責任を負わなければならない。上司に相談・報告なく、自分の判断で行った投資が想定通りにいかず、この点を上司から指摘され、陰で自分の職務権限の範囲内であったと愚痴を言っている人などは、これまた自分の権限と責任の意味をはき違えている。権限の委譲というのは、その職責の人材に対して、このくらいの規模の意思決定は出来るべき、出来なければいけないという会社からの期待値によって決定されているわけなので、自己で意思決定できる権利があるということは、同時にその結果の責任も自分で負うということは間違えずに理解しなければいけない。

今回は、マーケティングとは正反対の全く面白くないかもしれない、会社の手続きが何故存在しているのかという話をした。しかし、会社の手続きというのは、基本的にはその会社がどのような会社でありたいのかという思想の反映であると私は思っているので、結構重要な話だと思っている。もちろん、会社の考えが間違っていることも多く存在する。正直に言えば、私のようなオーナー企業での経験が長いと、そう思うことも少なくなかった。しかし、職務権限というのは、会社の株主総会に次ぐ意思決定機関である取締役会で決定された簡単には変えられない事項であるため、ある程度その範囲内で上手くやる方法を考えなければいけない。会社が間違っているからといって決して破ってよいルールではないのである。なぜなら、このプロセスを正しくオペレーションすることが、自己に課されたKPIを達成するのと同等レベルで重要な評価項目なのであるから。

マーケターは私も含めて手続きが嫌いな人が多い。正直私もどちらかといえば好きではない。でも、同時に100人以上の組織をマネジメントしようとおもうと、間違いなくルールは必要である。それがないと安心して部下に仕事を任せられない。マーケティングのマネジメントになりたいと思っている人は、会社の手続きを余り馬鹿にしない方がよいと思う。そうしないと、マーケティングは出来ても、マネジメントが出来る人材と認識されないので、マーケティングのマネージャーにはなることができないので。