Data is God!

Netflixが教えてくれた ”Data is God!”という言葉

Data is God! この5年間くらいで人から聞いて、これほど自分にぴったりだと思い、その後ほぼ自分で考えたように使い続けている言葉もない気がする。

この言葉を私に教えてくれたのは、およそ5年くらい前に、Googleに誘っていただいて参加したCMO Summitというシンガポールで開催された、アジアのCMOの集まりというか、セミナーというかであった。アジア各国から、おそらくGoogleの大口の顧客とか、これから大口に育てていきたい顧客などのマーケティングの責任者が50-60人集まり、一日目は、INSEAD Singaporeで行動経済学の授業を一日受けながら、ディスカッション。二日目はGoogleのAPACのHead QuarterであるSingaporeオフィスで、機械学習についての講義半日とアジアでのデジタルマーケティングの最新事例、最終日の三日目に再度INSEAD Singaporeのリーダーシップの授業という素晴らしく楽しいプログラムであった。

この二日目の午後のAPACの最新事例で登壇した会社の一つがNetflixのAsiaのマーケティングの責任者というお兄ちゃんで、Netflixという会社がどのようにマーケティングを考え、会社が運営されているかという話を1時間くらいしてくれた。この中で彼がNetflixで会社の教義のように繰り返し言われるビジネスの進め方を表す言葉がこの“Data is God!”だと教えてくれた。この言葉を初めて聞いたとき、自分が普段からやっていること、やりたいこととは正にこのことだと瞬間に腹落ちしたいうわけだ。

上司の言っていることは本当に正しいのか?

私のキャリアを振り返って見ると、自分で意図的にそうしたわけではないのだが、結果的に最初の2社をオーナー企業、直近は100%出資のファンド系の企業と、分かりやすく言えば、絶対権力者が一人/一社明確にいるような組織で仕事をしてきた。

この話も、もし読者の方がご興味があればどこかでしたいと思うが、このような企業の特徴というのは、良い点はその絶対権力者にOKといわれるか、大きな信頼を勝ち取れば非常に仕事がスピーディーに進み、一言で言えば話が早いということである。しかし、このメリットはそのままデメリットにもなり、その絶対権力者が白と言ったら黒いものも白になってしまうという非合理的な判断がなされてしまう。私自身は、非常にせっかちな性格であるため、このメリットの方が性に合っていて、長らくそのような会社で仕事をしてきたわけであるが、一方でデメリットに対して、それなりに不満を持つこともないわけではない。

但し、私と仕事をしたことがある方は同意していただけると思うが、そのような非合理性がそれなりに発生する環境で私が長く働けてきた理由は、誰に対しても自分の思っていることは一度は主張しないと我慢ができない性格で、それを自分なりに貫いてきたので、非合理的だと思うようなことは極力やらなくてよいように努力してきたからだと思っている。

そして、その時に最大の武器になるのがData=事実をもとにした分析=ロジックであると常々思ってきた。相手は基本、年齢も上で、会社での地位も自分より高い人間である。このような状況で、私が絶対にしてはいけない戦いは、自分の「思い」を武器にしたものだと思っている。私の経験上、ロジックの伴わない主観的な「思い」で自分より権力がある人間や組織と戦って、勝てる見込みは殆どないと考えている。なぜなら、主観には当然客観的な勝敗をつけるロジックはないため(だから主観なのだが)、基本的には権力が強い方、声の大きい方、多数決で大きな勢力など、事実やロジックとは違う要素によって勝敗が決してしまうことが殆どである。一方で、データという事実に基づく分析というロジックの世界であれば、それが筋が通っていれば、少なくても話を聞いてもらえるし、相手がそのロジックを否定するのであれば、それを凌駕するロジックを少なくても提示する努力をする必要があるであろう。そのうえで、もちろん相手のロジックの方が理にかなっているのであれば、私の意見が浅かったということで引き下がればよいし、ロジックに完全に納得いかなくっても、その人間の思いを組んで協力することも時には必要だと思っている。

ところが、このような絶対権力者がいる組織において、ロジックが間違っていると分かっていながら、上司の指示を無条件に受け入れ、実行してしまう人間が世の中に余りに多いと私は感じていて、時にそれが大きなフラストレーションの原因となる。世にそのような人々はYes Man(こんな言葉にダイバーシティはいらない気がするので、このまま使う)と呼ばれるが、この人々が私には到底信じられない。

会社の組織人、立身出世のためには、ある意味正しいのかもしれないが、ロジックが完全に権力に負けてしまう世界で、本当に楽しいのだろうかと心から不思議になるのである。

データが上司の思いを超える世界

そんなことを感じながら聞いた言葉が、”Data is God!”である。私が英語について語るのも気が引けるが、日本語における神と英語のGodではその重みは全く違う。一神教のキリスト教が中心の英語圏においては、Godは唯一にして絶対である。つまり、経営者が”Data is God!”と言えば、それはすなわち自分の部下たちに、自分よりDataを重視しろ、自分という権力よりもDataの正しさが優先されると経営陣自らが全社員に優先順位を宣言しているということだからだ。実際にNetflixで仕事をしたことがあるわけではないので、実際にそれがどこまで徹底されているのかは知らないが、私はこの言葉を始めて聞いたとき、少なくても自分がマネジメントする組織は、私よりもDataが重視される組織にしたいと心から思った。

部下が、自分よりも詳しいデータをもって、想像もしなかったアイディアを提案してくること。テストマーケティングをして、当初想定しなかった結果を持ってくること。そのようなことが私には楽しくてしょうがない。逆に、部下が、この施策は堀内がやりたいといった施策だから、実施のデータを堀内の意に添うように加工しようなどという姿勢は心から必要ない。「誰が正しいか?」という質問には全く興味がない。「何が正しいか?」が唯一重要なのだと思っている。

私は、データドリブン経営においては、この姿勢は、何よりも重要であるし、それが多くの会社で実現できていないから、データドリブン経営、データドリブンマーケティングなどという、何の捻りもない、ある種当然の言葉がもてはやされるのだと思っている。この章では、Data is God!の大前提であるデータを会社としてどのように扱うべきか、分析するべきかについて、私の経験をご紹介させてもらえればと思っている。

Strategy, Execution, Operation

多くのベテランビジネスパーソンが同意してくれると思うが、新卒で始めて働いた会社がその人の仕事に対する姿勢や考え方に絶大な影響を与えることは相当に確かなことであると思う。個人的には、家庭環境や学校教育などよりも強烈なInputになっている感じがする。なぜ、この話をするのかというと、このコラムでは、マーケティングというよりも、もう少しGeneralなビジネスの話題についていろいろ書きたいと思っているが、はっきりいって、その多くが楽天時代の経験、特に、三木谷浩史という強烈な起業家、経営者から11年半に渡って受けた影響は良くも悪くも絶大で、その受け売り的な話も相当に含まれるからである。この点は、具体的な内容を記載する前に断っておくが、ここで記載する内容は、切っ掛けは受け売りであっても、その後の自身の経験の中で納得し、自分の言葉で話ができると確信出来るものだけなので、その点はご容赦いただきたい。

ビジネスを成功させる3つの要素

で、今回の話題はビジネスを成功させるうえで重要な3つの要素というお話。その3要素とは英語でStrategy, Execution, Operationである。この言葉は三木谷さんのハーバードビジネススクール時代の友人の言葉だと言っていたが、この言葉は心から同意できる重要な考え方であると思っている。特に重要なのは、余り日本人には聞きなれないExecutionである。executionを辞書で引くと「遂行、履行」というような日本語の名詞が出てくる。でも、ビジネスの上でexecutionというとこの日本語の意味は正しいニュアンスを表現していない気がする。私なりにこの言葉の意味を説明すると次のようになる。

「Executionとは、Strategyで描かれた事業アイディアをOperation出来る状態にまで試行錯誤しながら形作るプロセス」

つまりStrategyとOperationの間をつなぐプロセスがExecutionだと思っている。そして、私はビジネスを成功させるうえで、最も重要なプロセスがこのExecutionなのではないかと思っているが、実際のビジネスの世界、特に日本語にこのExecutionに該当する概念が存在しなさそうなことを考えても、日本のビジネスの世界で非常に軽視されているポイントであると考えている。

この話は、マーケティングにおけるコトラーの教科書と実際の日々のマーケティング活動の実態に差があるという話とも似ている気がするが、経営学という学問分野において、私の知る限りStrategyとOperationの研究というのは結構綿密にされているのに対して、Executionという分野は余り研究の対象になっていない感じがしている。

何故なのだろうか?私はその答えは、Executionというプロセスが余りにもケース・バイ・ケースなため一般化しにくいためなのであろうと思う。

しかし、特に新規事業開発の際などそうなのであるが、事業の成功の要は間違いなくこのExecutionのプロセスにあるのである。

戦略とオペレーションとは?

もちろんStrategyやそのもととなる事業アイディアというのは重要である。この部分を見誤ってしまうと、事業が成功する確率は著しく低い。でもこのエリアはマイケル・ポーターを始めとして、分析の手法はたくさん存在し、MBAとかで勉強したことがある人であれば、凡そのツールは理解しているはずである。

ただ、私の経験上、どんなに綿密にStrategyを作り、きれいなPPTを仕上げたとしても、実際に事業を立ち上げるときに、最初の思い通りに事が運ぶということは殆どない。なぜなら、よほど膨大な時間と労力をかけてStrategyのドキュメントを作ったとしても、一つの事業を作るうえで必要なすべての要素を事前に決定し、計画に織り込んでおくことなど不可能だからである。また、もしそれが可能だとしても、それをするために膨大な時間を使っていたら、多くの場合その事業アイディアは他の誰かに実行されて、ディテールを作っている間に前提とした市場環境が変化してしまうかもしれない。

そのような視点に立てば、Strategyというのは、事業の基本的な概念とそれを成功させるための基本となる概要を示したガイドラインであるべきだと私は考えている。このためStrategyに莫大な時間をかけすぎない方がよいと考えている。もちろんこれは私がデジタル系のサービスを中心に事業開発をしてきたというキャリアからみた視点なのかもしれないし、何千億円、何兆円という初期投資がかかるようなビジネスであれば話は変わってくるのかもしれない。しかし、そんなプロジェクトは世の中にゴロゴロ転がっている分けでもないので、大半の事業は私の経験の方が近いのではないかと思う。

一方でOperationはどうであろう?私はOperationというのはある程度成功法則のようなものが見つかって、そこにリソースを割き、拡大再生産出来るような状況になっているものだと考えている。しかし、大抵の新規の事業や、事業戦略の大幅な改変のタイミングにおいては、Strategyの議論でも述べたように当初の想定通りには行かない細かい点の試行錯誤があり、その繰り返しの中で、成功法則にたどりつくものである。そして、一度その法則が発見された後は、拡大再生産と継続的な改善活動に入っていく。トヨタ生産方式など代表的な事例であると思うが、この部分は日本企業が非常に得意な部分である。最近はこの分野にはDX、AI化の波が押し寄せており、今後もOperationの効率化は益々進んでいくものと思われる。

戦略とオペレーションをつなぐプロセスが一番面白い

と、StrategyとOperationについて考えてきたが、ここまで見てくるといかにExecutionという要素が重要であるかが分かるのではないだろうか?私はこれまで、多くの新規事業の立上げを自分で行ったり、見たりしてきたが、このExecutionのフェーズをやり切れずに上手くいかない事業を数多く見てきた。個人的に思っているのは、ある一定以上頭の良い人であればStrategyは考えられると思っている。どんなに有名なコンサルティング会社に戦略立案をお願いしても、それまで思いもつかなかったような斬新な戦略というものが出てくることはそうそうないと感じている。どちらかというと、思い描いているイメージを論理的に整理してくれたり、その実現性を検証して、必要な軌道修正をしてくれる(もちろんそれも大変な作業ではあるが)という役割が大きいのではないかと思う。しかし、ここまで述べてきたようにそれだけでは、新しい事業やサービスを構築し、現場のOperationに落とし込み、拡大再生産のサイクルまで持っていくことは出来ないのである。

では、Executionのプロセスを上手くやるメソッドのようなものはあるのであろうか?残念ながら、そんな便利なメソッドは聞いたことがない。新規事業の開発というのは、本当に様々な要素の組み合わせである、システム開発、営業、マーケティング、採用、人事、財務、経理等、ビジネスに関わりそうなおよそすべての要素をジグソーパズルのように組み合わせて、一つの形に組み合わせていく。でもそのジグソーパズルの各パーツの接合部はカッチリはまるように形作られていないので、その形を整える作業もExecutionのプロセスにおいて行わなければいけない。事業開発の経験がない人は、この面倒なプロセスを軽視している人が多い気がしている。きちんとしたStrategyを作り、それを数字に落とし込んだ事業計画を作る。そうすると、後はやるだけだと思っている。しかし、実際にはそんなことはあり得ない。もしそれで上手く行くのであれば、成功している企業のサービスを簡単にコピー出来てしまうことになる。

Executionのプロセスというのは、とても時間がかかるものである。なかなか思い描いたとおり行かずに、辛いと感じることもあるかもしれない。でも、あとで振り返ると、新しい事業を作る時というのはこのプロセスが一番面白い時期であったということは多い。想定外のことが起こったり、逆に、思いもよらぬラッキーが起こったり。でも、Strategyが正しく、進む方向が間違っていない限り、正しいExecutionのプロセスを進めていれば、必ず自分たちが正しい方向に進んでいるという日々の実感を感じることが出来る。

3つの要素で自己分析してみよう!

何度か転職をしたり、多くのM&A案件に関わりPMIなどの業務をしてきたので、本当にいろいろな会社や事業や人と一緒に仕事をしてきた。その中で私自身は、自分でいうのもどうかと思うが、このExecutionのフェーズに強みがある人間なんだと考えている。外資系コンサル出身の人が作るきれいなPPTを見たりすると、とでも自分には真似ができないと思うことがある。日々の愚直なOperationを辛抱強く、コツコツと出来る人をみると、自分には間違いなくない才能なので心から尊敬するし、そのような人がいないと組織というものは回っていかないのだと確信している。そのように考え自分に何が出来るのかと考えた時に、このExecutionという言葉が、本当の意味で腹落ちしたので、三木谷さんから聞いたこの三つの言葉を自分の中で本当に大事にしたいと思っている。私の経験上、どんなに優秀な人でも、この3要素のうちのどこかに強みがあって、すべてがMAXという人にはたぶん一人もあったことがない。自分の強みがどこにあるのかということを考えるとき、この3つの要素のうち何が得意で、何が苦手かと考えてみるのもいいのかもしれない。

中長期視点でのオペレーションとリスクコントロール

市場と自社の成長スピードのバランスを確認する

ここまでで、市場の現状分析と戦略、計画の作り方について考えてきた。あとは精度の高いオペレーションとなるが、その具体的な話をする前に、デジタルマーケティングにおける中長期視点でのオペレーションとリスクコントロールについて簡単に触れておきたいと思う。

以前にデジタルマーケティングの成功の重要な要素として、「小さな失敗を、早く、意図思って行う」という考え方を紹介した。詳細については、ここで繰り返すことはしないが、ここでは、事業計画の実現性を高めるという視点から失敗の重要性について考えてみたい。

前項でオークション型のデジタルマーケティング広告というのは、完全競争市場に近いロジックで動くため、基本的には需要と共有で価格=マーケティングの効率が決まってくるという話をした。通常の毎年成長を強いられる企業においては、今年の目標よりも来年の目標と、年を経るごとにマーケティングの目標も高く設定されるのが普通であり、部門の責任者は自社の事業計画と市場の需給バランスを見ながら中長期の施策を検討することは当然の備えであると考える。

前項においては、日々のオペレーションから市場環境を評価する方法を説明したが、ここでは、もう少し長期的な視点と事業環境全体の視点が、どのようにマーケティングのオペレーションに影響するのかを考えてみたいと思う。

重要なのは、マーケットの需要の成長率と自社の長期的な成長率のバランスである。例えば、私が一社目で働いた楽天という会社は年率30%とかでそれなりの規模になってからも成長して、創業10年程度で売上1000億円以上の会社に急成長したが、これはもちろん楽天自身で市場開拓をしたということも含めて、メインの事業ドメインであったECという市場が急速な勢いで伸びていたから実現できた結果である。このような急成長事業セグメントでは、需要=ターゲットユーザー数の増大が大きいため、マーケティングコストを増大させてもマーケティングの効率を悪化させないで成長し続けられる可能性が高いと言える。但し、このような急成長事業ドメインには、新規参入も多く発生するため、需要の拡大ペースと自社の成長スピードが同程度であったとしても、それ以上に新規参入とそれによる市場全体のマーケティング費用の増大が起こると、マーケティング効率が悪化する可能性もある。急成長市場では、市場成長率と自社の成長率、新規参入企業の多さを見ながら、中長期的な戦略を考える必要がある。

一方、私が直近で働いていた、医療福祉系の人材紹介のようなビジネスの場合は環境が大きくことなる。特に、看護師とか保育士のような資格保有前提の職種の場合、そもそも資格保有者数は毎年一定数しか増えないため、マーケットサイズ全体のターゲット数の上限が決まっている。これに対して、会社はそれ以上のスピードでの成長を求めていたため、普通に考えれば、マーケティング効率は落ちていくことになる。このような市場において考えなければいけないことは、マーケットシェアの拡大である。その手法は、一時的にマーケティング効率の悪化を一時的に許容して、体力のない会社が許容出来ない程度に顧客獲得単価を挙げてしまい市場から退出させたり、M&Aを仕掛けて、そもそもマーケットシェア自体を競合からお金で買うなどの方法がある。実際に前職では、ある職種において、自社がNo.1のポジションを持っている状況で、No.3のポジションの会社を買収し、圧倒的No.1の状態まで市場シェアを拡大するようなことをした。

今回の中長期的なオペーレーションとリスクコントロールを考えるうえでは、当然後者の医療福祉の人材紹介のようなビジネスにおいてターゲットユーザー数の増加スピードを越えた成長をし続ける方が厳しい条件であるため、このようなケースを用いて基本的な考え方について説明したい。

自社のマーケティングがどの程度安定しているのかを把握する

前述したように、資金力が競合対比で強ければ、高顧客獲得単価での消耗戦を仕掛けたり、M&Aなどの手法を取ることができるが、この選択肢は戦略レベルの話になるた。ここでの議論は、そこまでハイレベルの話ではなく、オペレーションレベルでの考え方、取り組む方法の話だと理解していただきたい。

これまで何度も述べてきたように、デジタルマーケティングのオペレーションのレベルでは、PDCAのDCAの3プロセスに重点を起きつつ、どれだけ高速回転で競合との差をつけるかしか、改善の方法はないと話してきた。そして、PDCAの高速回転には「小さな失敗を、早く、意図を持って行う」ことが重要であると申し上げた。マーケティング部門の責任者が検討しなければいけないのは、今後要求される成長スピードに対して、現在のPDCAの回転スピードとその精度は十分なのかをどのように判断するかである。市場の成長スピードより大幅に高い成長率を求められるのであれば、当然競合企業よりも相対的に早く精度の高いPDCAを求められるからである。

この場合、まず見ておかなければいけないのは、自社のデジタルマーケティング施策のパフォーマンスの安定性である。PDCAを十分に行い、競合よりも洗練されたマーケティング施策や広告のアカウントなどは、基本的にパフォーマンスは安定するし、もしブレが出たとしては、理由が理解可能な場合が多い。例えば、人材業界で言えば、年間で転職需要のシーズナリティは必ずあるので、特定の職種で前月からパフォーマンスが突然良くなったり、悪くなったりすることがある。しかし、これが職種特性に従ったトレンドであり、前年同月比が前月と変動していなければば、それは大きな問題ではないと理解できるはずである。

しかし、PDCAが回りきっていないマーケティング施策というのは、そもそも仮説の精度が高くなかったり、そもそも検証が十分行われていないパラメータが多数施策に組み込まれているといったことから、パフォーマンスが不安定かつ、変動が発生したときに、何故それが起きたのか納得いく説明が得られない場合が多い。

中長期視点でのPDCA=事業成長スピードに合わせて安定部分を増やす

この前提で、自社のマーケティング活動や広告アカウントを細分化して、それぞれの細分化した施策や広告媒体のキャンペーン・アドグループのパフォーマンスの推移が安定しているものと、安定していないものに色分けしてみるとよい。

例えば、今年は月平均で1000万円のデジタル広告の予算を使って、顧客活動を行っているとする。来年の成長目標は年率20%であるため、月平均1200万円を同一の獲得単価でマーケティングを実施しなければいけないとする。

この状況において、現状の1000万円を施策、広告アカウントのキャンペーン・アドグループ単位を詳細に分析して、安定と不安定の2種類に色分けしてみたところ、安定が90%で不安定が10%と分類できたとする。幸いKPIの達成状況も順調である。このような状況で来年を考えてみよう。現状900万円は安定して費用が使えているため、競合が今年と同程度の成長で無理な成長を狙った大幅な運用方針の変更がなければ、この部分は現状維持で安定して費用は消化できるはずである。しかし、来年は1200万円を月次で消化して、パフォーマンスを維持しなければいけない。しかし、安定の範囲が900万円では、75%に減ってしまう。安定比率が15%も落ちてしまうことになる。もちろん不安定にはポジティブなブレと、ネガティブなブレがあるわけであるが、多くの場合ネガティブなブレの方が大きいことが多いため、25%も不安定要素が予算に含まれていると、KPIの達成状況も10%単位で大幅にぶれてしまうことになり、業績が安定しなくなってしまう。

この状況で、今年の残り期間をどう過ごすべきか。一つ目の方法は、安定している900万円を活用している施策やキャンペーンの予算をさらに引き上げられないか検討することになる。この部分を10%増やせるとすれば990万円使えることになる。しかしこの方法は一件安全策のように見えるが、リスクが伴う。それはもし対象としている顧客セグメントにおいてターゲットユーザー数に限界まで接触してしまっているという場合、10%予算を増加しても、10%顧客獲得が増えるのではなく、10%CPAが上がるだけとなってしまう可能性も最悪のケースとしてはあり得るからだ。このため、もしこのオプションを取るのであれば、いきなり全額増やすのではなく、キャンペーン等細分化された単位ごとの過去の推移などを見ながら、ユーザーリーチに余裕があるところを探して予算を増やす実験をしてみるなど、少しずつ時間をかけてテストをすべきである。なぜなら、ここで安定部分を壊してしまって、安定して使える予算が900万円よりも減ってしまうとすると、来年のリスク度合いがさらに増してしまうからだ。

二つ目のオプションは、10%の不安定に分類される予算から、来年に安定に昇格させて、さらに予算を拡大出来そうな余地がありそうな施策やキャンペーン等を見つけるPDCAを今年のうちに目途を立てていくことである。私は、この方法を強く推奨する。安定している施策・キャンペーンというのは需要と供給が絶妙なバランスで均衡している状態であるため、ここに何の改善のアイディアもなく単純に予算だけ増やすという行為を行うとこの均衡を崩してしまう可能性がある。一方、不安定に分類される施策に対して課題の解決方法などが見つかれば、、そこは将来に向けてより多くの予算を使える余地として安定部分の拡大に寄与できる可能性が高い。不安定の10%部分の予算というのは、そのような実験・テストをするための予算であると考えてみるとよい。どうせ不安定で上手くいくか行かないかが五分五分なので、あればこの部分でテストをしたとしても半分は失敗しても大きなリスクではないわけだし、この例でいえば、不安定な100万円を使って、そのうちの50万円くらいで来年度4倍くらいまで予算が使えそうな施策・キャンペーンが見つかれば、来年の1200万円は大半を安定的に運用することが出来、余裕をもって、再来年の準備を1年かけてできることになる。逆に言えば、安定に昇格できる新しいアイディアを発掘出来ていないと、オプション1で拡大しなければいけない余地が増え、多くの場合マーケティングの効率は中長期的に落ちていくことになる。なぜなら、再来年は来年よりも普通に考えるとさらに予算を拡大しなければいけないことが予想されるためが。

私は、よくチームメンバーに安定=硬い部分をどれだけ作れるかが重要だという話をする。今回の例のように、90%安定に分類することを一つの指針とするのであれば、今年900万円なのを、来年は1080万円まで増やさないといけない。つまり今年と、来年で同じことをしていては、実現できないわけである。私は、PDCAとはマーケティング活動の精度を上げ続けることで、この硬い部分を増やし続ける活動であると考えている。今回の例では自社の話しかしていないが、当然競合企業も成長を試みるわけなので、環境はより厳しくなるわけだ。事業活動をしていると、どうしても足元のKPIの達成に目を奪われがちである。しかし、中長期的な視点を常に持ちつつ、1年後、2年後の姿と現状のGAPがどの程度あるのかを定期的に考えながら、現状のPDCAの回転スピードが適切なのかどうかというのを検証することがマネジメントには求められていると思う。

中長期のマーケティング戦略を考えるうえでの現状分析

オークション型広告の基本構造を理解する

ゴールの設定とKPIの設定まで完了すれば、いよいよオペレーションの開始となるが、その際の具体的なポイントについては、別章で議論するとして、本項では、デジタルマーケティングの中長期戦略を検討するうえで重要となるマーケティング環境の現状分析の視点について説明する。

まず、大前提として、デジタルマーケティングの基本的な仕組みについて、理解することから始めたい。デジタル広告による新規顧客獲得であれ、CRMによる既存顧客の活性化であれ基本的な考え方は同じであるが、マーケティングというのは、いつ、誰に、何をいうのかをコントロールすることで決まるのであるが、この効率をどれだけ良くするのかを決定するのは、この3要素に加えて、いくらコストを掛けるのかを加えた4つの要素を最適化することで決定される。一番分かりやすい例が、誰の対象が非常に少ないのに、大量のコストを投下してしまえば、顧客の獲得効率は普通に考えれば悪化する。具体的に極端な例で考えてみよう。今商品Aのターゲット顧客数が1万人であったとしよう。天才的なマーケターで、今回のいつ、誰に、何をいうのかは完璧にコントロールでき、顧客への転換率は100%であるとする。この場合、このマーケティング施策に100万円を投資した場合、顧客の獲得単価は100円になるが、1000万円投資してしまうと1,000円になる。つまり、ターゲットユーザー数が一定の場合、どんなにマーケティングキャンペーンが上手くいったとしても、顧客単価は投資額の量で決まってしまうことになるのだ。

棒グラフ:消化コスト、折れ線グラフ:登録CPA

ここで、以前に説明に使ったグラフを再度利用したい。このグラフはある会社のデジタルマーケティングへの投資額(消化コスト)と登録CPAの関係性を表している。この会社の場合、マーケティング予算=消化コストの増大にほぼ連動して登録CPAが増大していっていることが分かる。なぜこのようなことが起こるのであろうか?単純に言えば、ターゲット顧客数の増大ペース以上にマーケティング予算が増大していると考えるのが普通である。

この話をより理解しやすくするために、現在主流のデジタルマーケティングにおける価格の決定の仕組みについて考えてみることにしたい。これもおそらくリスティング広告の登場が切っ掛けだと記憶しているが、現在主流のGoogleを中心とするオンラインメディアの広告の価格決定のモデルはオークションである。実際にはもう少し複雑なロジックはあるのであるが、シンプルにいうと、Aという広告主とBという広告主が同じターゲットユーザーに広告を表示させたいとした時、どちらの広告を優先的に表示するかを媒体が決める基準は広告主が設定する広告の単価(単価を何について設定するかはサービスの設計や運用戦略に依存するので、詳細はメニュー毎に媒体や代理店に確認してほしい)の高低である。もちろん単価が高い方が優先的に表示される。多くの広告において、優先的に表示される方が、広告のクリック率(CTR)であったり、クリック後の転換率(CVR)が良い傾向があるため、広告主はCTR、CVRなど広告運用のKPIの改善のために適切な単価と表示位置の調整をして、広告のパフォーマンスを最適化しようとする。運用型広告と言われる広告の運用とは具体的に何をしているのかといえば、基本的なアイディアは上記のようなことである。

具体例:ECでお正月向けに蟹を売る!

このオークションモデルを前提に、もう少し突っ込んで広告の運用を具体例用いて考えてみよう。自分を水産加工品の販売事業者で、12月の正月前に冷凍の蟹をECで販売する購入者の獲得をするための広告キャンペーンを実施すると想定してみる。媒体はリスティング広告としよう。まず最初にすることは、広告を掲載するキーワードの選定となる。例えば、「蟹 通販」、「蟹 お取り寄せ」などは、まさに蟹をECで購入する消費者が検索している可能性が非常に高いため、このキーワードで検索された結果のページに広告が目立つ位置で表示された場合は高い購入転換率が見込まれる。次に、「蟹」というキーワードではどうだろうか?蟹に何らかの興味があることは確かだが、蟹が食べられるレストランを知りたいのかもしれないし、蟹を食べに旅行に行きたいのかもしれない。要するに、蟹には興味があるがEC購入に興味があるかどうかは不確かである。この場合は前述の「蟹 通販」などのキーワード群よりは購入転換率は低くなると考えられるため、このキーワード群のオークション価格の設定は当然低く設定する。今回は広告予算が100万円で、この二つのキーワード群のみで無事予算を消化でき、1000人の購入者を獲得、購顧客の獲得単価は1000円ということになった。購入単価かが1万円程度だとすれば、なかなかよさそうなパフォーマンスである。

翌年の12月に、昨年の成功をさらに拡大するために、広告予算を200万円にして、同じキーワード群に投資をすることにした。ところが今年は購入者数は1500人で、獲得単価は1,333円ということになる。何が問題なのか?何らかの外的要因で昨年以上に正月に蟹を食べるブームでも起こっていない限りおそらく前年と2つのキーワード群で検索をする消費者の数は同程度であると考えるのが無難である。そこに倍の予算を投下してしまえば、一消費者に投下する予算が大きくなるため、広告単価が上がるのはある意味当然である。この場合によくやることは、予算の増大に併せて、購入するキーワード群の増大を検討することとなる。候補は「水産物 通販」「水産物 お取り寄せ」など、蟹の上位カテゴリーワードと通販系のワードの掛け合わせであったり、「正月 食事」「正月 おせち以外」など、蟹に限らず正月の定番のおせち料理以外に何か考えないといけないと思っている消費者系のキーワードが良いかもしれない。これらのキーワードであれば、「蟹」単体キーワードよりは購入転換率は高そうなので、「蟹 通販」のキーワード群と単体キーワード群の間くらいの単価設定は可能そうである。

という反省をもとに翌年は200万円の予算で、4キーワード群でチャレンジしてみたところ見事獲得単価1000円で2000人の購入者を獲得出来た。

翌年も同じ予算とキーワード群でキャンペーンを実施した。ところがなんと購入者は1000人しか獲得出来ず、獲得単価は2000円に倍増してしまった。何が起こったのだろう。ニュースなどの報道を見る限り、正月に蟹を食べないキャンペーンなどで蟹の需要が前年比で半分になったような兆候はない。ところが、この1年を振り返って、一つ思い当たることがある。夏の業界の集まりで、親しい同業者に、正月向けに通販をしたら結構儲かる、大体200万円でこんな感じで広告をしたら、一人1000円くらいのコストで獲得できて、1万円分くらい買ってもらえて、結構儲かるという自慢話をしてしまった。その同業者に聞いたところ、案の定自分の話を参考にほぼ同様の広告を200万円分代理店に頼んで購入したらしい。

この事例を活用して、この水産加工会社が、順調に12月の蟹の売上をデジタル広告を活用して増やす方法を考えてみよう。前提として12月に蟹を通販で購入する需要は毎年一定であるとする。

一つ目のオプションは1)購入するキーワード群を増やす、2つ目のオプションは2)広告予算を増やすの2つであるということが分かる。但し、広告のパフォーマンスを維持しようと思うと、それぞれに限界があることが分かる。

オプションの1)については、そもそも蟹の購入者が検索しそうなキーワードの数には限界があるということだ。広告の担当者は、蟹を購入する人が検索しそうなキーワードを思いつく限りリストアップして、購入するのが一般的である。しかし、事例で紹介した4つのキーワード群よりもターゲットから関連性の低そうなキーワードほど購入転換率は低くなるため、そのようなキーワード群から大規模な購入者数の確保は難しい。そう考えると、キーワードは無限に増やせるというのは不可能で、どこかの時点で限界は来る。

オプションの2)については、どうだろうか?広告予算は、無尽蔵にお金があるのであればいくらでも増大させることは可能であるが、今回の事例を見ると2つの問題があることが分かる。一つ目の問題は、同一のターゲット=キーワード群に対する自社予算を増大させると顧客の獲得単価は上昇してしまうということである。二つ目の問題は、たとえ自社の広告予算を増大させず、ターゲットも変更しなくても、競合企業が予算を増大させても顧客の獲得単価は上昇してしまうということである。つまり、同一のターゲットに対する顧客の獲得単価は自社の広告費用ではなく、市場全体の広告費用により単価が決定されるということになる。

このように、現在主流のオークション型のデジタルマーケティングの広告においては、価格はターゲットボリュームとそのターゲットに投下される市場全体のコストのバランスで決定される。実際には、広告クリエイティブのクオリティなど、もう少し複雑なロジックがあるが、まずその辺は応用編として、ここでは無視することにする。ここまで説明すると、株式投資をしている人や、経済学を勉強したことがある人が聞くとピンと来るのであるが、オークション型の広告というのは、非常に合理的な完全市場経済モデルに近いプラットフォームであるということができる。このため、市場の需要(投下コスト)と供給(ターゲットユーザー数)の推移を正確に予測することが可能になれば、パフォーマンスの予測がある程度可能になるということになる。

マーケティングの中長期戦略の土台は現状の市場分析から

ここまでで、現在主流のオークション型のデジタル広告の仕組みはご理解いただけたと思うが、では実際に中長期のKGI、KPIを達成するために、マーケティング部門の責任者がしなければいけないことを考えてみたい。

まず、第一に考えなければいけないのは、自社が向き合っている市場の現状の把握をする必要がある。蟹の通販の事例で言えば、初年度の競合もいないようないわゆるブルーオーシャンな市場なのか、最終年度の競合が積極的に投資をしてくるようなレッドオーシャンに近い市場なのか?自社の広告運用チームが購入している広告のターゲットユーザー(キーワード群)はこれ以上広げることは出来ないのか?もし拡大が可能であるとしたとき、そのセグメントユーザーの獲得単価は許容範囲の適切な単価でおさまるのか?

では、それはどのようにすれば分かるのだろうか?結論から言えば、自分のマーケティングチームが日々回しているPDCAの一つ一つの仮説の検証プロセスのデータを見ながら、どういうアクションに対して、どのような結果が市場から返ってくるのかを継続的に見ながら理解していくしかないと私は考えている。先ほどの蟹の例は現実を極端にシンプルにしているので分かりやすいが、多くの広告運用のチームでは、同時並行で大量の仮説の検証が行われている。そこから得られる大量のデータが、市場状況を知るための唯一にして、最大の武器であると私は考えている。

このような話をすると、よく聞く質問が、広告代理店に提案してもらえばいいのではというものがある。もちろんそれも一つの手段であると思う。ただ、自分でその市場環境の理解がないマーケティングの責任者が、代理店の提案を聞いて、その提案の実現可能性をどのように判断するのか、私は非常に疑問である。つまり、いくら代理店にアウトソースするからといって、マーケティングの責任者は自社事業が置かれているマーケティングの環境についての理解が必要ないということはあり得ない訳である。

ちなみに、少し話はずれるが、私は全く私の経験がなく、市場環境の理解がない状況代理店の選定を依頼された場合、プレゼンの内容の細かい数字に現実味があるかどうかは余り気にしないようにしている。なぜなら、正直に分からないからである。そのような場合の選定基準は、運用担当チームの人で選ぶしか方法はないと思っている。経験上、1-2時間話をして、突っ込んだ議論をすれば、その人物の運用スキルの判定くらいはそれほど外さずにする自信はあるので、全く肌感覚のないマーケットの市場予測を考えるよりもよほど精度が高いと思うからだ。もちろん、代理店によっては対象の市場の運用経験値が高く、市場理解も深いということは、特に未経験の市場に進出する場合にはあるので、付加価値がないと言っているわけではないので、この点は誤解しないでいただければと思う。

具体例パート2:蟹を3倍売ろう!

市場の把握、分析がここまでで何とか出来たとして、いよいよ第二のステップとして、中長期の戦略を考える段階に入る。あくまでスタート地点は現状分析である。最初に確認すべきは、中長期の事業計画の成長スピードである。もちろん問題になる、かつ、多くのマーケティングの責任者が直面するケースは成長スピードが早い場合ある。もちろん緩い計画よりも、厳しい計画の方が実現難易度は高い分けであるが、難易度の高さと成長スピードは必ずしも比例しない。なぜなら、難易度と取るべき戦略は、現状認識において異なるため、一概に成長スピードが高いからといって難易度が高く、現状と戦略を変更しなければいけないとは限らない。

また、蟹の通信販売の事例で考えてみよう。仮に、1年目の成功を見て、翌年は倍ではなく、3倍の成長を立てたとしよう。この状況であったら取るべきオプションはどのようになるだろう。1年目の市場状況は、1)キーワード群に拡大余地はあり、ターゲットユーザー数の拡大は可能な環境である、2)競合の参入もそれほど激しくなさそうである。私であれば、この状況であれば3倍の計画に対して、現状の手法のまま、キーワード群の拡大と予算増と、獲得単価据え置きでチャレンジしてみる判断をする気がする。事業計画作成担当者に、1年だけのデータだけでは出来ないと否定する根拠もないので、出来ないという理由がないからである。結果的に実現出来ないかもしれないが、私は可能性があるのであればチャレンジしないと事業の高い成長スピードはそもそも実現しないという考えである。

では、2年目に同じ3倍の計画を要求されたらどうであろう。この時点では、1)同じターゲティングで予算を倍にすると33%獲得効率は悪化する、2)競合の参入は引き続き激しくない、という2点が市場環境の変化である。この場合は、前年より手元にもう少し情報があるが、どのように判断するだろうか?分かっているのは、ターゲットを拡大せずに予算を3倍にしたら、100%獲得効率は悪化する。であれば、獲得効率を維持するためには、キーワード群を拡大するしか方法はない。その場合、どの程度の予算増までは今の効率を維持できるが分かる方法はあるだろうか?おそらく一番良い方法は追加できるキーワードのリストを作成し、そのトラフィック量を媒体のツール等で取得し、そのCVRは同程度と推定されそうなキーワードのレファレンスデータを決め、それでどの程度拡大できそうか予想するということだ。結果論だが、前回の事例は、翌年キーワード群を2つ追加することで倍のコストでCPAは維持できたため、もう少し追加できるキーワードを検討すれば、3倍までいけるかもしれない。

次に、3年目に同様に3倍の計画を要求された場合を考えてみよう。この時点の所与の条件は1)キーワード群を2つ追加したことで倍の予算までは効率を維持できた、2)競合の参入はまだ把握できていない。この状況で考えることは、前年同様にさらにキーワード数を増やしてターゲットユーザーを拡大することで、効率を維持できるかという判断である。ここで、現場から、もうこれ以上有望はキーワードの追加は難しいと悲鳴が上がった。この場合のオプションは何であろうか?選択肢は3つくらい考えられる。1)その計画は実現性がないと断る、2)顧客獲得単価はある程度上がることは許容するが売上が増大可能な目標を再検討する、3)正月の蟹の需要を増やすための別キャンペーンを検討して予算を使う。

3)については、Full Funnel Marketingとして別章で詳細に検討するため、ここでは、1)、2)について考えてみよう。1)についてはマーケティングの目標としては楽になるかもしれないが、残念ながらこのような主張がすんなり通ることは経験上少ないし、無理ですというだけであれば、誰でもできるので良いとも思わないので、どうしようもない時の最終手段に取っておこう。そうすると、現実的には2)になる気がするし、私もよく使う手である。ただ、CPAがある程度上がるとしても、どの程度まで許容されるのかは計画作成部門と明確に握っておくことをお勧めする。予算を3倍にしたときに、CPAも3倍になる計画は、馬鹿げた計画である。例えば、予算3倍で、CPA1.5倍であれば購入者数は倍になる計算だ。この辺りは、事業の原価率とか広告宣伝費率など総合的に検討して、売上増とマーケティングの効率悪化のバランスをマーケティングだけでなく、全社的な視点で検討して決めていくしかない。

実は、オプションは3つ提示したが、隠れオプションとして、出来るといって承諾して帰ってくるというものがある。私はこれを気合プランと呼んでいる。つまり実現性が全く合理的でないプランである。当然このような判断はデータドリブンではなく、現場に苦しみを背負わせるだけの、マーケ部門の責任者としては無責任極まりない判断なので、出来る限り避けるべきであるのは言うまでもない。

正しいマーケティングオペレーションは正しい事業計画から

ここまでで、事業計画を実現するための、市場の現状分析と、現状分析の結果を踏まえたその時々の計画のプランの方向性の立て方を仮想の具体例を用いて説明した。いかに市場の現状分析の把握が重要かご理解いただけたであろうか?

この前提にたった時、私が見てきたマーケティングの責任者の典型的な悪い例を二つほど挙げて、本項を終わりとしたい。一つ目は、市場の現状分析についての現場担当者の意見を鵜呑みにして、その分析の正しさを自分の頭で検証、理解しないパターンである。そのような人は、おそらく日々のオペレーションの中で市場の情報をきちんと入手して自分なりに分析・評価していないか、そもそもその能力を有していないかであろう。二つ目は、そのような市場の現状分析を他のマネジメントのメンバーにきちんと説明・共有せず、結果の良し悪しだけでマーケティング部門評価がなされるような環境を作ってしまっているパターンである。このケースは、そもそもマーケ部門の発言力が低いか、責任者が市場の現状分析を理解していないか、その説明の重要性を認識していないかである。

ここまで読み進んでくれた方であればご理解いただけていると思うが、マーケティングというのは、市場の需要と共有のバランスでパフォーマンスが決まる要素が強いため、計画達成率の良し悪しは、マーケティング部門の戦略・オペレーションの良し悪しと市場の需給バランスの2つの要素で決まる。前者の戦略・オペレーションに問題がないのに、計画未達が続くような状況は、はっきり言って現場が悪いのではなく、計画を作ったマネジメントの責任である。そのようなことにならないためにも、マーケティングの責任者はどのように自社の市場を継続的に理解し、現状分析に基づいた中長期戦略や事業計画の策定をする努力に全力を注ぐべきである。

ROASは最強の運用KPIか?

ROASという運用KPIが登場した背景

この10年くらいのデジタルマーケでおそらく最も頻繁に活用されるKPIの一つにROASという指標がある。ROASとは、Return on Ad Spendの略で、広告投資に対して何パーセントのリターンが得られたかという指標である。つまりROASが100%を越えていれば、その広告投資は少なくても損はしていないと評価できる指標である。

また、同じような指標で、マーケティングの世界で久しく使われているLTVという指標もある。LTVはLife Time Valueの略で、一人の顧客を獲得してからその人が生涯にわたってそのブランド、商品、サービスにいくらお金を使ってくれるのかを計算するという指標である。このLTVの概念は、コトラーの教科書などでは、マーケティングにおいて新規顧客の獲得コストよりも既存顧客の維持コストの方が遥かに安いので、企業は既存顧客にもっと目を向け、既存顧客に維持に積極的に投資をすることで、顧客の平均LTVを改善し、それをうまくやるほどマーケティングの効率は改善し、企業の収益性は向上すると位置付けられている。

ROASという概念を私が始めて知ったのは、2012年頃にシリコンバレーでモバイルアプリゲームのマーケティングをしていたころに、ある広告メディアの担当者から、最近いくつかのゲーム会社でROASという指標で広告運用するケースが見られるようになったと教えてもらったのが切っ掛けであった。

当時のROASの対立概念は登録CPA(CPAはCost per Acquisition)であり、ROASの基本的なアイディアは、Free to Playのアプリゲームにおいては単純な獲得単価を安くするというよりは、顧客獲得後の課金まで念頭に置いて顧客獲得をしなければいけないという問題意識に基づいた概念であると理解した。

この話を聞いて、便利な考え方だなと思った一方で、概念としては特に目新しさは感じなかった。なぜなら、分子を顧客の価値を獲得した顧客の積算支払額で測定するという概念はLTVと基本的には変わらず、分母を獲得顧客数で割るか、広告投資額で割るかの違いでしかないからである。そして、私は楽天でマーケティングを始めて以来、LTVにおける分子の顧客の積算支払額という概念を忘れたことが一度もなかったからである。

では、なぜLTVという概念があるのに、わざわざROASという新しいアイディアが出てきたのであろうか?ROASというアイディアを最初に考えたのが誰か知らないので、考えた人に聞いてみたわけではないが、私が想像するに、LTVという指標が実際にマーケティングの現場で運用指標として使うには、非常に問題がある概念であるからだと思う。

LTVの計測なんて本当にできるのか?

なぜLTVは使いにくい概念なのだろうか?まず第1にLTVという指標の計測期間を本当にLife Timeとするのであれば、普通にビジネスをしていて、実数として計測するのは著しく困難であるということが挙げられる。例えば、銀行とか、保険会社のように、100年前とかにすでに産業として存在し、顧客のLife Timeベースでの実績を計算できるような企業であれば現実味があるのかもしれないが、少なくても私がデジタルマーケティングをしながら主戦場としてきたECやゲーム、医療福祉系の人材紹介のような単純に歴史の短い事業においては、Life Timeベースでの実績を測定すること自体事実上不可能である。

ただ、現実にはLTVと言いつつも、実際にはLife Timeではなく、一定期間に区切ってLTVを計算することで運用は可能である。

ここで少し昔話として、楽天市場のマーケティングをゼロから始めた時の話をしたいと思う。今となっては信じられないもしれないが、楽天グループは1997年の創業当時から、私が一人でマーケティング部を立ち上げた2002年までの約5年間マーケティングを実施していなかった。このため、私が三木谷さんにマーケティングやれと支持されたときに、どうすべきか非常に困ったというのが正直な気持であった。

当時のインターネットビジネスが置かれた環境というのは、基本的には新しい産業なので、競合に参考になるような事例はまず存在しない。そもそもインターネットショッピングモールというビジネスモデルでグローバルで楽天より成功しているサービスは存在していなかった。このような場合は、同種の事業で、オフラインの成功企業が行っている方法を参考にするというのが王道である。しかし、この方法は早々に諦めざるを得なかった。理由は2つである。一つ目は、そもそもオフラインの商業施設、小売業というのは、多くの場合特定のエリアに特化したマーケティングが中心であり、全国規模で個々の小売店やショッピングモールがマーケティング活動をするという事例が殆ど存在していなかった。

そして、二つ目がもっと深刻だったのだが、楽天市場の売上マージンが既存の小売業と比較して圧倒的に粗利が低いという状況であった。当時の楽天市場はそれまでの定額の出店料オンリーの課金形態であったビジネスモデルから、各店舗の売上金額に一定の料率を掛けた売上マージンを追加で徴収するという大きな課金体系の転換を図った時期で、私がこのタイミングでマーケティングを始めた理由もそこにあった。店舗から売上マージンを徴収するのであれば、楽天市場としてもその売上を原資により店舗の売上を伸ばすためのマーケティング活動をしなければいけないという状況にあったという訳である。

しかし、私を困らせたのはそのマージン率である。私の記憶ではおよそ2-3%程度であったと記憶している。小売業をしたことがある人であれば、私がこれを深刻だと考えた理由が分かっていただけるのではないだろうか?おそらく、オフラインの小売業で、粗利率が2-3%という業種は存在しないと思う。私の感覚では、悪くても3割程度はあるのではないだろうか?もしそうだとしたら、私がやらなければいけないマーケティングは、顧客の獲得効率を10倍以上高いものにしなければいけない。1回の顧客単価は忘れてしまったが、たぶん配送料などを考えると1,000円ということはなかったとしても、いきなり10,000円ということもなかったと思うので、仮に5,000円だとする。粗利が2%で100円、3%で150円である。それまでマーケティングの経験はなかったが、代理店から聞くバナー広告のクリック単価や、自社のメルマガの購入転換率から考えて、到底この粗利の範囲内で、新規顧客の獲得を行うのは不可能であるということがすぐに分かってしまった。つまり単純に新規顧客の獲得で投資回収するという考え方はワークしないことが早い段階で確定してしまったわけである。

ここで頭に思い浮かんだのが、コトラーの本で読んだLTVの概念である。一回の購入に対する粗利で投資回収出来ないのであれば、複数回購入してもらって粗利の絶対額を増やすしかないと思われた。ただ、当時の楽天の事業成長スピードを考えると2-3年前のデータをまともに分析しても、現在とサービス環境も異なるのであまり意味がないと判断し、とりあえず1年の期間に区切ってLTVを計算しようと考えた。具体的な数字は完全に忘れてしまったが、結論としては、何とか投資回収の目途が立ちそうな数字になった記憶がある。

この例のように、現実的にはLTVの概念は期間を区切って計測することは、ほぼすべての産業において必要になるし、私はそれでよいと思う。この期間をどのくらいで設定するかについては、事業特性や、実際の顧客のサービスの継続利用期間の実績に応じて事業ことに異なるので、算出ロジックの検証が必要となる。

LTVの予測へのチャレンジ

Life Timeという非現実的な計測期間の問題は、計測期間を任意に設定するということで、解決可能性が見えてきた。では、なぜ、デジタルマーケティングの世界で、LTVが運用指標として活用されず、ROASという概念が登場したのであろうか。

私は、LTVがデジタルマーケティングのPDCAを回すための指標として決定的に適していない最大の理由は、予測という要素を排除することが著しく困難であるという点にあると思われる。

LTVの事例を楽天市場の例を用いて説明したので、この点についても同様の事例で説明したい。楽天市場の新規顧客の1年間の粗利をもとにしたLTVは仮に2000円であったとしよう(実際の数字は本当に忘れたので、この数字は本当に適当です)。

新規顧客獲得担当の私は、AとB二つの広告媒体を使って顧客を獲得しているとする。媒体Aの登録CPAは3000円とする。媒体Bの登録CPAは1000円とする。この場合、私はA、Bそれぞれの媒体に何%ずつ広告予算を割り振れば良いだろうか?ちなみに、マーケティングのKPIはLTVの最大化である。

少し統計的な考えができる方なら、この意地悪な質問の答えが想像できると思うが、この問題はこの条件だけでは答えは分からないが正解である。

最初に提示したLTV2,000円という数字はあくまで平均値である。実際には、100万円買った人もいるかもしれないし、1円しか買わなかった人もいるかもしれない。この問題を少なくても論理的に応えるためには、AとB両媒体から獲得した顧客の媒体ごとの平均LTVの数字が分からないと、正しいメディアプランを作ることは出来ない。

仮に、Aの平均LTVが5,000円で、Bは500円だったとする。その場合は当然Bは逆ザヤになる可能性が高いため、全額をAに投資すべきという判断が合理的である。一方A、Bともに全体のLTVと同等に2000円が平均LTVだったとする。その場合は逆にAは逆ザヤになるので、Bに全額投資した方がよいとなる。

では、当時の私のように、広告投資をした実績データがない状態で、1年後の媒体ごとのLTVを知ることはできるであろうか?実績データは残念ながら1年後にしか分からない。つまりLTVと聞くと何か素晴らしいアイディアのように聞こえるが、当時の私には、運用を正しく行うための情報をそろえることはほぼ不可能な状況だったわけである。

そんなこんなで苦しみながら、1年経つと実績がたまってくる。すると、以前に実現不可能だった媒体ごとの平均LTVくらいは実績データで出せるようになってくる。しかしここで次なる疑問が湧いてくる。媒体Aも媒体Bも日々、一生懸命PDCAを回し、余り根拠もないが、LTVが高くなるような顧客にターゲティングしたり、そもそも予算額も増えて、1年前の倍くらいお金を使っている。それでは、1年前に獲得した各媒体の獲得ユーザーの質と、今獲得している顧客の質は同程度で、1年前のデータをもとに今の運用を決めることに本当に意味があるのであろうか?

この疑問にもし悩み始めたら、その方は非常に正しい思考ができる方だと言える。私もこの点にたぶん20年間苦しみ続けてきた。しかし、この疑問を一度持ち始めると、ある理想的な状況を妄想し始める。あらゆる顧客について、顧客獲得した瞬間にその人のLTVの金額を予想出来ないだろうか?それが出来れば、LTV最大化の完璧な顧客獲得のためのPDCAが回せるのではないだろうか?

ここで登場するのが、予測モデルという統計手法である。私はこの理想を実現するために、楽天でも、大手ゲーム会社でも、明らかに自分よりも頭のよさそうな人の力を借りて、チャレンジをした。自社のリソースだけでなく、世界で一番頭の良い人が集まっていそうなシリコンバーレーの巨大企業の本社のチームのリソースも使って、この理想実現のためにチャレンジもした。結論は全敗である。正直、トライトではチャレンジすらしていない。もちろん事業モデルや顧客特性など、様々な要素により実現可能な業種もあるのかもしれないし、代理店からそのような提案をもらったことも何度もある。しかし、2024年現在の技術では、少なくても私の経験した業種においては、この理想は実現しないものだと考えている。

もしかしたら、何年後かに、機械学習AIが今よりも飛躍的に向上することで実現する日が来るのかもしれない。しかし、たぶん今ではない。

ROASが前提としている条件とは?

そんな苦しみにもがき苦しんでいるときに登場したのが、ROASである。私から言わせれば、ROASという指標はLTVを現実的に運用できるように簡略化したアイディアである。ROASという指標が前提にしている概念は、1)予測の要素を排除し実績のみで計測する、2)顧客獲得から早期に、多く支払・課金をするユーザーはトータルの支払額も大きくなるという2点である。

予測の排除の概念は、おそらくこの指標を考えた人が私同様LTVの呪縛から逃れたかったのかもしれない。ROASの計測は、単純にある広告で獲得したユーザーが獲得後にいくら自社のサービスでお金を使ったのかを計測して足し合わせていくという非常にシンプルなものである。これであれば、多くの企業が利用している広告のトラッキングツールを正しく設定すれば、ほぼ誰でも正しい計測が可能である。

但し、ROASと売上・利益の最大化というゴールの連動性を出すためには、二つ目の条件をクリアする必要がある。ROASが前提としているユーザー行動は顧客の獲得から早く、多くのお金を使ってくれる人が、LTVも高くなるという前提に立っているからである。そんな前提条件など、どこにも定義はされていない。しかし、実際のROAS運用の仕方をシミュレーションすれば簡単に分かることである。

また、A,B2つの媒体で広告を運用していると仮定しよう。予算は200万円で、各媒体に100万円ずつアロケーションしたと仮定しよう。1か月の広告運用が完了した時点で、A経由で獲得した顧客の支払額が200万円でROAS200%、B経由の支払額は50万円でROASは50%だとする。では、翌月A、B各媒体の翌月の広告予算をあなただったらどのように変更するだろうか?この情報だけでは、いくらずつアロケーションするまでは決められないが、正しいROAS運用での判断は、Aに広告予算の配分を大きくするが正解である。

では、これが必ずLTV最大化、売上・利益最大化を実現する運用と言えるであろうか?例えば、翌月になって、A経由が追加で10万円支払が発生したのに対して、B経由の追加支払額が300万円であったとしたらどうだろう?前月末の判断は結果的に正しくなかったことになる。つまり、ROAS運用の前提は、早く、多く支払った人は、その後も少なくてもそうでない人よりはトータルでお金を多く支払ってくれるという前提条件になっているのであるから。

ROAS運用は非常に有用な運用手法であるため、採用しようとする場合には必ず、この2)の前提条件が自社で許容できるレベルで正しそうかを判断してもらいたい。ちなみに、私は人材紹介のビジネスでは結果的に採用は難しいと判断していた。転職というイベントにおいては、必ずしも登録から短期間で転職する人の給与が高いとは限らず、手数料が一定の場合、そうであるとすれば、ROASの2)の前提条件が当てはまらないことが、それなりの確率で発生し得るからである。実際に分析した結果も、そうなっていた。

デジタルマーケティングの世界は、日々新しいツールや、運用手法が生まれ、新しい運用KPIのアイディアが提案される。ROASはこの10年くらいの、最大のヒット作ではあるが、この指標を採用するために、自社のビジネスがそれに適したビジネスであるかの見極めは必要である。

一方LTVの予測モデルが完成すれば、私はおそらくあらゆるビジネスに活用できる究極のツールになる可能性があると考えている。いつの日にか実現してほしい気がするが、それが実現すると、もしかしたら自分の仕事もなくなってしまうのではという気がするので、あと10年くらいは実現しないでもらえるとうれしい気がするというのが、本音かもしれない。

KPI設定を誤るとPDCAが台無しに

KPIを設定する

マーケティング部門が広義のゴール設定・KGIの設定を行ったら、当然次はKPIの設定である。話の流れに一貫性を持たせるために、ここでも引き続き、人材紹介ビジネスを事例に話を進めることにする。

以前、営業とマーケティングの線引きの話でも、前項のゴール設定の話でも繰り返し述べてきたのは、とにかくマーケティング活動と売上・利益を連動させ、そのためには、営業とマーケティングの責任分担は切り分けるのではなく、共有すべきであるという話をしてきた。マーケティングのKPI設定は当然その延長線上にある。

この事例では、前回同様、そのポイントを「求人提案数の最大化」ということで考えることにしよう。そして、この項では、どのようなロジックで、求人提案数を選ぶのかという点について説明したいと思う。ポイントは次の3点である。

  • ある程度量が確保できる
  • ゴール(売上・利益)との相関関係が高い
  • 早く入手できる

検証の正確性を担保できるデータ量を確保する

KPIの最大の目的が何かといえば、自部署の活動の短期的な目標値の設定と、自部署の活動のパフォーマンスをチェックすることだと私は考えている。それがKPIの目的であるとすれば、KPIの最重要な要素は、当然ながら「正しい」である。相変わらず、また当然のことを言い出したと思う方もいるかもしれないが、実際に現場で真面目にマーケティング活動していると、この「正しい」は気を付けないと担保できないことが多いことに気が付く。

何度か申し上げているようにデジタルマーケティングの素晴らしいところは、殆どのマーケティング施策の実施結果をトラッキングできるということである。このトラッキングができることによって、実施したマーケティング施策の実施結果が正しいと勘違いしがちなのであるが、実際にはそうでないケースが多い。問題は、データの量である。データアナリストをしている人であれば、そんな話当然という話になるが、なぜそのような話をわざわざするのかというのを2つのポイントから考えたい。

まず1つ目のポイントは、おそらくこれは殆どの人が思いつくと思うが、統計的な有意性を確保するために必要なデータ量を確保するということである。この点については、深く説明する必要はないだろう。

そして、実は2つ目のポイントについても、根は同じでこの統計的に有意なデータ量なのであるが、同時に重要なのは、部署の課、チーム、個人など単位は事業ごとに異なるかもしれないが、個人のレベルまで目標をドリルダウンしていっても、分析に耐えうるレベルまでの量がなくてはいけないということである。

KPIの目的は自部署の活動のパフォーマンスチェックを正しくすることだと述べたが、一つの部署パフォーマンスの良し悪しは、その部署を構成する下部の組織や個人のパフォーマンスの総和の結果であることが一般的である。このため、一つの部署をマネジメントするということは、その構成単位の良い点と悪い点を見極め、その理由を見極め、全体のミックスと目標数値のバランスや、中長期視点のバランスを綿密に組み合わせながら、短期と中長期の目標の両者を実現することであると考えている。

もし、私のこの考え方が正しいとするならば、このマネジメントの大前提は、KPIを部署の下部組織の個々の構成要素(それを個人レベルまでに落とすことが必須かどうかはその組織の作られ方に依存するので個別判断が必要)の単位のパフォーマンスをある程度統計的に有意と判断できるレベルの量を全体として確保できることが前提になるのである。さらに贅沢を言えば、個々のメンバーが何らかの仮説をもとにABテストをした場合にも、ある程度正しい結果得られるレベルの量が確保できることが理想ではある。もしそうでないとするならば、個人のマーケティング施策の実施結果の良し悪しの判定が困難になってしまうからである。

実はこの点まで考えてKPI設定をしている人は意外と少ないように思えてならない。

Goalと相関性がないKPIに意味はない

この点はゴール設定の話と一貫した流れであるが、KPIの設定においても当然重視しなければいけない話である。人材紹介の例で言えば、せっかく部署のゴール設定を売上・利益の最大化と置いたのに、日々の活動の指針となるKPIに相関性がないのであれば、ゴール設定とKPIの間に齟齬が生まれてしまう。このため、KPIを設定する際は、可能な限り売上・利益との相関関係が高い指標を選ぶことが必要となる。そうなると、当然最も連動性の高い指標を選定するのであれば売上か利益そのものを指標にすれば良いわけだが、そうするとマーケティング活動との連動性が低くなる。つまり、どのポイントをマーケティングのKPIにするのかというのは、マーケティング活動との連動性と売上・利益との連動性のバランスが良いポイントを選ばなければいけなくなる。

このポイントを選定するための方法に斬新な手法はなく、自社のバリューチェーンの各段階の数字を丹念に取り、売上・利益との相関関係を統計分析するしかない。私の経験上、どの企業においてもバリューチェーンの各プロセス要素において実行する営業社員や、顧客とサービスのマッチングの精度等、何らかの理由で顧客セグメントごとの転換率が大きくぶれるポイントがあり、その前にKPIポイントをおいてしまうと、当然相関関係は低くなる。例えば、人材の例で言えば、求人提案までは、営業社員のスキルレベルで転換率が大幅に変わるが求人提案まですすめば、それ以降の転換率は誰がやってもそれほど転換率は変わらないとすると、ヒアリングにKPIをおいてしまうと、ヒアリングを実施した営業社員のスキルレベルの構成比によって、ヒアリングから入職の転換率が変わってしまうが、求人提案から入職までの転換率であればある程度の相関性を確保出来るというような場合である。逆に言えば、バリューチェーンのパフォーマンスを大きく左右するポイントというのは、数か所に限定されることが多いため、その意味でもこの分析をすることは重要である。

あと、この相関関係を分析するときに気を付けるべきなのは、シーズナルな推移に大きな変動がないことが担保できることも重要である。実は人材業界で苦労したポイントはここであった。転職というのは4月とか9月など集中的に人が動く年間のシーズナルなトレンドが大きくあり、毎月のパフォーマンスを継続的にトラッキングする上で、このポイントをどのように扱うかで非常に苦労した。

とにかく、相関関係把握は、データアナリストとひざを突き合わせて、地道にデータを見ていくしかないので、まずは良いデータアナリストを確保することが重要である。

PDCAサイクルと連動してデータを入手する

前述の2つのポイントと比較して見過ごされがちであるが、現実的に最も重要なポイントが、早く入手できるという点である。この早く入手できるという言葉をより正確に表現するとすると、「マーケティング活動のPDCAサイクルと同じサイクルで入手できることが可能」となる。

ゲーム業界でも人材業界でも、私は基本的には自分の部署のパフォーマンスの管理はWeeklyで行うことを基本としていた。そもそもDailyでやるほどのリソースは割けないし、そもそもDailyでマネジメントしてしまうとマイクロマネジメントになりいすぎてしまう。一方で、基本的にMonthlyの目標を追っているのにMonthlyでしかパフォーマンス管理しないのであれば、それは丸投げになってしまいマネジメントしていることにならない。となるとWeeklyでやるしか選択肢がないのであるが、そうするとKPIを置くポイントもそのスピード感でデータが入手可能なものでなければならない。

また人材紹介ビジネスの具体例で考えよう。私がいた会社の場合、求職者さんがサイトに登録してから内定受諾・入職するまでの平均的なリードタイムは数カ月であった。つまり、今月獲得した求職者が転職するかどうかが判明するのは数カ月後ということになる。そうなると、内定受諾や入職をKPIポイントにしてしまうと当月のマーケティング活動の成果が良いかどうかをWeeklyで議論するのは難しいということになる。デジタルマーケティングの成功の大原則はPDCAの高速回転であると申し上げた。この観点から考えてもPDCAが数か月に1回しか回せないというのは致命的な問題である。競合企業がWeeklyでフィードバックが得られるポイントでマーケティング活動しているとすると、数倍レベルの事業改善スピードの差が出るということになる。

この機会に、一度自社のバリューチェーンの起点(人材紹介の場合は登録)から、それぞれのプロセスのリードタイムを計ってみて欲しい。私のようにWeeklyでPDCAを回す管理をしているのに、KPIにしているプロセスまでのリードタイムが1週間程度でなければ、そもそもマーケティングの施策とその結果を正しく比較していない可能性が高まり、そのPDCAプロセス自体が無意味なものになってしまう可能性が高くなってしまうのである。

KPI設定の3ステップ

ここまでで、適切なマーケティングのKPIを決める3つのポイントを見てきた。

  • ある程度量が確保できる
  • ゴール(売上・利益)との相関関係が高い
  • 早く入手できる

この3点については、十分条件ではなく必要条件であるため、3つのうちどれか一つでも欠けてしまえば、そのKPIはマーケティングのPDCAの対象としては不適切ということになってしまうため、妥協は禁物である。

その前提で、本項の最後に、結果的にどのようにKPIを精査していくかを解説して終わりにしたい。

  1. ゴールとバリューチェーンの各プロセスの相関関係を分析する
  2. 相関関係がある程度高いポイントの中から、最もバリューチェーンの入口に近いものを選択肢、シーズナルトレンド等の運用上の問題がないかチェックする
  3. Step2で選択したポイントで、実際にマーケティング部門の各構成組織・個人のKPIを実際に作ってみて、運用に耐えられる量が確保出来ているか確認する

この3ステップをクリア出来ればおそらく現実的に最も適切なKPIを選択できている可能性が高い。普通に考えれば分かると思うが、基本的にバリューチェーンの起点に近いプロセスほどデータ量が多く、結果を得られるスピードも早いことになるので、この2点については、多くの場合同時に解決することが多く、ゴールとの相関関係がある程度高い前提で、起点に近ければ近いほど条件を満たしやすいということになる。

いくら正しいゴール設定をしたとしても、多くの場合それは重要意思決定の価値基準のようなもので、マーケティング部門の個々の社員者が日々の活動で意識するのはKPIであることが殆どであり、このKPI設定を誤ると、日々のPDCAをどれほど正しく、精緻に実行しようと、最終的なゴールにたどり着けないということになる。この点をマーケティング部門の責任者は深く認識し、妥協せずに望まなければいけない。

マーケティングのゴールを設定する

マーケティングとは?狭義と広義のマーケティング

マーケティングとは?と聞かれて即答することはなかなか難しい。決まっていそうでいて、人によって捉え方は様々だからだ。こういう時は、結構悪口を言ってしまった気がするが、コトラー先生に助けてもらうことにしよう。

ここで、私のマーケティングの定義を述べておこう。マーケティング・マネジメントとは、標的市場を選択し、優れた顧客価値の創造、伝達、提供を通じて、顧客を獲得、維持、育成する技術である。

もう少し詳しくいうと、次のようになる。「マーケティングとは、充足されていないニーズや欲求を突きとめ、その重要性と潜在的な収益性を明確化・評価し、組織が最も貢献できる標的市場を選択したうえで、当該市場に最適な製品、サービス、プログラムを決定し、組織の全成員に顧客志向、顧客奉仕の姿勢を求めるビジネス上の機能である

出典:フィリップ・コトラー『コトラーのマーケティング・コンセプト

この定義を見ると分かるが、コトラーのいうマーケティングとは、本来的には市場調査から商品・サービスの開発まで含む概念であり、その意味で前項で例に出した消費財メーカーのブランドマネージャーはこの定義によるマーケティングを行っていることになる。

一方で、最近はあまり少なくなってきたかもしれないが、マーケティングを担当する組織を日本の企業では「宣伝部」のようなネーミングで社内的に位置付けられていることが、私が仕事をし始めた25年くらい前は多かった。この場合のマーケティング=宣伝の守備範囲というのは、このコトラーの定義における「優れた顧客価値の伝達と、顧客の獲得、維持、育成」の部分に限定された言い方になっていることが多い。より具体的に言うと、顧客の獲得がいわゆる広告を使った宣伝活動であり、維持・育成がCRMといわれる領域である。

ここからは、前者のコトラーのマーケティングの定義に従ったマーケティングを「広義のマーケティング」、後者の宣伝部的なマーケティングを「狭義のマーケティング」と呼ぶことにする。

ゴール設定は広義のマーケティングの視点で!

マーケティングのゴール設定という項において、なぜマーケティングの定義の話から入ったかといえば、マーケティングのゴールを設定する時に、マーケティングの定義が大きなかかわりを持つからである。

マーケティングの2大潮流の項でも議論した通り、私がキャリアを積んできたデジタルマーケティングがメインの手法となる事業においては、ダイレクト型ビジネスになることが多く、商品の企画・開発プロセスよりも、商品・サービスの発売後の運用フェーズが長くなるため、実際の業務の内容からすると表面的には「狭義のマーケティング」に使っている時間が業務時間の多くを占める状況になる。特に、私のようなCMOの立場ではなく、現場のミドルマネジメント層や現場担当者のレベルになると、多くの場合広義のマーケティングをしているという感覚を持つことは難しい状況になることが多い。

そのような状況になると、マーケティングの部署をマネジメントする時に部署のゴール設定をしましょうとなるとどうしても狭義のマーケティングの視点から考えてしまいがちな傾向になる。

以前も使った人材紹介業の業務フローを用いて、具体的に適切なゴール設定のあるべき姿を考えてみたいと思う。

人材紹介のビジネスではシンプル化すると求職者がサービスに登録してから、実際に転職をして売上として認識される入職という状態になるまでに、登録→ヒアリング→求人提案→面接→入職の5つのステップがある。

では、5ステップのうち、マーケティングの最終目標、ゴールは何であろうか?マーケと営業の役割分担の話を読んだ方は思い出しながら考えてもらいたい。まず、狭義のマーケティングの立場から考えてみよう。素直に、自分たちの仕事が顧客の獲得、維持、育成であると考えると、おそらく「登録の最大化」というのがゴール設定になるだろう(ちょっと維持・育成の部分が考え方によっては微妙だが)。

広義のマーケティングの立場に立つとどうであろうか?組織の全成員に顧客志向、顧客奉仕の姿勢を求めるビジネス上の機能である考えると、まさか顧客の登録までがマーケティングのゴールですという回答にはならないと思う。

私はマーケティングの仕事を20年以上してきたわけだが、もしその仕事の目的か「登録の最大化」のようなビジネスのごく一部のような仕事だと考えていたら、おそらく飽きてしまって5年も持たなかったと思う。私は、この議論においては、圧倒的にコトラーを支持し、広義のマーケティングの定義に立って、自分の仕事の定義をし、ゴール設定を考えるべきだし、考えたいと思う。

日本企業において、マーケティングの地位が著しく低い原因は、おそらく、会社の経営層においても、現場のマーケターにおいても、多くの人が狭義のマーケティングの定義で自分たちの仕事を考え、日々業務を行ってしまっていることに大きな原因がある気がする。

マーケティングのゴールと売上・利益の連動性を高める

ということで、広義のマーケティングの立場でゴールの設定を考えることにしよう。とは言いつつも、コトラー先生の「組織の全成員に顧客志向、顧客奉仕の姿勢を求めるビジネス上の機能」とは大上段過ぎて、はっきり言って途方に暮れると思うので、実務家としてもう少しかみ砕いて、ゴールの設定における私なりの実践の方法を紹介したい。

ポイントは2つだと思う。まず一つ目は、やはり営利企業であるので自分たちの活動を必ず売上・利益の最大化と結びつけることが重要である。何をそんなあたりまえのことを偉そうにと思うかもしれないが、実はこれを実践できていないマーケティングの部署が世の中にはあまりにも多い。上述の人材紹介会社の例の登録の最大化という狭義の目標はその分かりやすい例である。以前述べたことの繰り返しになるが、人材紹介ビジネスは入職者の年収に手数料率をかけて売上として計上することが一般的だが、手数料率が一定だとすると、基本的には売上・利益増を実現するためには、入職者数増を実現できればよい。では、登録者増が入職者数増に自動的になるだろうか?答えはNoである。入職者数を決める方程式は、

  • 入職者数 = 登録者数 × 入職転換率

である。入職転換率は登録から入職への転換率とする。

つまり、入職転換率の良し悪しによって、登録者数の増が必ずしも入職者数増=売上利益増になるわけではないのだ。マーケティング部門がどうしても狭義のマーケティングのゴール設定にとらわれてしまうと、知らず知らずのうちに、事業の売上・利益の増大と連動しない活動になってしまうことがあるので、注意が必要である。

もう一つ、典型的な例を上げる。特にこれはリテール型ビジネスの広告宣伝活動で起こりがちなケースだ。リテール型ビジネスのマーケティング的な最大の問題点は、広告宣伝活動の投資の結果が、リテールでの商品売上とどのように連動するのか明確に把握することが難しいことだ。その際によく使われる指標がブランド認知度という指標である。最近は、もう少しレベルの高い分析手法も少しずつ開発されつつあるが、リサーチの追加コストが大きかったりするため、依然としてそれなりに重要な指標としてブランド認知度が目標になっているケースは多く見受けられる。しかし、私の経験上、この指標が商品・サービスの売上拡大と連動して評価できるケースは相当に低いと思う。非常に認知率が低い商品・サービスにおいて、短期間に一気に認知を上げるというようなケースで連動性が出ることはあるが、特に長期的に売り続けている商品や、ダイレクト型ビジネスで、それなりに認知されているサービスなどにおいて、マーケティングの投下コストの評価をする指標としてはほぼ意味がない。こういう投資を続けていると、マーケティングの部署はどんどん会社に貢献できていない部署だとみなされ、評価も発言力も下がっていく。

もちろん事業形態によって、マーケティング活動と売上・利益との連動性を把握することが難しいこともあるだろう。それでも私は、マーケティング部門の地位と評価をたかめるためには、自分たちの活動が会社の事業拡大に貢献しているということを、本気になって証明する努力は続けるべきであると思う。

マーケティング部門が消費者・顧客の利益代弁者となる

二つ目のポイントは、マーケティング部門は一貫して消費者・顧客の社内での利益代弁者となるということだ。このポイントも、そんなの当然だろうという声が聞こえてきそうであるが、あなたの会社、事業は、徹底的に、消費者・顧客目線で意思決定がなされているだろうか?

また例を挙げよう。人材紹介のビジネスは基本的には求人の掲載料など求人者から事前に費用をもらうことは例外的なエグゼクティブサーチ系の業者を除いては稀で、求職者が入職する際に年収に応じた成果報酬型の手数料をもらうことが一般的である。

このビジネスモデルにおいて、求職者の利益と自社の利益は常に一致するであろうか?前職がそうだと思われると困るので、あくまで一般論であると考えてもらえればと思うが、必ずしもそうではないケースは発生しうるのである。具体的なシチュエーションを想定してみよう。自分が人材紹介会社のキャリアアドバイザーだとしよう。月末最終週で、あと一名内定受諾してもらえれば今月の売上が達成しそうなところまでやってきた。今四半期は営業がうまくいかず、直近の2カ月は売上目標未達で、上司の課長から厳しく改善を求められている。そんなところに、あるボジションを何としても早急に埋めたいと強く依頼を受けているクライアントの該当ポジションにスキル・経験がぴったりの求職者が相談に来た。給与条件もクライアントの想定の範囲内である。ただ、この求職者は現職に大きな不満があるわけではなく、次のキャリアアップのために良い転職先があればという中長期視点で相談をしてきている。また、求職者がワークライフバランス重視のライフスタイルなのに対して、クライアント企業は昇給などのチャンスは多い代わりに残業も多めの企業である。ただ、このスキル、経験を持つ求職者は非常に稀である。

さあ、あなたがこのキャリアアドバイザーであったとして、どうするだろうか?この転職先が残業が多いことをきちんと説明できるであろうか?急いでもいない求職者に何とかこの一週間で内定受諾まで進めるように急かさないであろうか?正直、私がこのキャリアアドバイザーの立場であったら、そんな理想的なベキ論を貫き通せる自信はないし、私のそのような意見に同意してくれる読者の方もいるだろう。私は寧ろそのような方が人間の自然な判断なのではないかと思う(私の経験上、経験豊富なキャリアアドバイザーで、売上成績も上位レベルにあるような人材がここで思いとどまれたとしたら、その人が2カ月連続で売上目標を落とすというようなことは、よほど理不尽な目標でない限りないことが殆どだと思う。そのようなキャリアアドバイザーは求職者と中長期視点で付き合えるため、求職者のストックを多く抱えて、求職者目線での業務スタンスと売上が連動していることが多い)。

つまり、人材紹介業においては、今月等の短期的な目線では求職者の意に沿わない転職を(悪いと思いながらも)勧めてしまうという動機は残念ながら否定できない。しかし、中長期的な目線では、そのような手法が横行すると、そのサービスの顧客満足度や口コミなどの評判は下がり、売上・利益が低下していく可能性は否定できない。このため、会社の中長期の成長の視点に立てば、顧客の利益を最大化することを、短期の売上よりも優先すべきケースはあり得るわけだ。

ここまでで、日々の営業活動の中で、顧客の利益と自社の利益が必ずしも一致しないことがあり、それが中長期の成長を阻害するケースがあることにある程度同意していただけたと思う。そのうえで、私の挙げた、マーケティング部門は顧客の利益代弁者となる具体的な方法の検討に入ろう。今回挙げたキャリアアドバイザーの具体例で、引き続き考えたい。では、マーケティング部門が顧客の利益を代弁するとして、このキャリアアドバイザーと求職者の話をずっと横で聞いたり、キャリアアドバイザーと求職者のコミュニケーションの録音をすべてチェックし、求職者の利益に反するような営業活動が行われていないかなど確認すべきであろうか?私の答えは断じてNoである。そもそも、それがマーケティングの仕事だとも思えないし、マーケ部門が営業の責任者に無断でそんなことをしたとしたら重大な越権行為になり、そもそも営業とマーケ部門の信頼関係が崩れてしまう。では、この問題はどのように対応すべきであろうか?

例えば、こんなアイディアはどうであろう。もちろんゼロにすることは出来ないとは思うが、もし営業内でこのようなケースが頻発した場合に悪化するようなKPIを何らか定義し、継続的に観察することで、求職者視点で営業手法が改善の方向に向かっているか補足する方法を検討してはどうだろうか?具体的には、自社のサービスを通じて転職をした方に入職後3カ月でアンケートを取ってサービスの利用満足度をとることは可能かもしれない。または、もっとストレートな確認方法としては、自社サービス経由の転職者の早期退職率を確認するというのも良いかもしれない。具体的にどの指標を使うかは事業毎に異なるため自社にあったものを営業部門とコミュニケーションしながら考えてほしいと思うが、是非マーケティング部門の責任者は他部門の責任者と、このような顧客の利益代弁者としての立ち位置でコミュニケーションを図る方法を検討してみることを提案したい。

ちなみに、人材紹介業の場合、内定者の辞退は入職が発生しないので売上ゼロ、早期退職は入社から退職の期間に応じて3-6カ月程度は一部の手数料を返金することになるため、今回の具体例に挙げたようなシチュエーションに起因するような早期退職率の悪化は、マーケと営業双方の視点で中長期的には利害関係が一致したため、前職においてはコミュニケーションがしやすかったし、結果的に大幅な改善を実現することが出来た。営業という部門は、どうしても足元の売上を追いかけがちで、短期志向になる傾向が強いと考えている。そして、私自身はそれを完全に悪だとは捉えていない。足元の売上を必死で負わない営業部門の会社が高い業績を挙げられるとは正直思えないからである。ただ、今回の例のように、中期的な目線に立てば、必ずしも短期のプラスが中期のマイナスになるというようなケースも出てくると思う。そのような時には、是非顧客視点からマーケティングが役割を果たして、会社の中長期的な利益の拡大と顧客利益の拡大の両方を実現できるようにトライしてもらいたい。ここでポイントは、マーケティング部門の利益でなく、顧客の利益拡大という点である。私の経験した多くの会社では、マーケよりも営業の方が声も、人数も大きいので、マーケ部門の利益の話は殆ど聞いてもらえないからである。

今回は私が有用だと思っている2つのポイントを取り上げたが、他にも良い方法があるかもしれない。企業の売上・利益を最大化し、中長期的な顧客利益の代弁者になり、成果を上げ続けることが出来れば、マーケティング部門の地位は社内で必ず上がるはずである。マーケティング部門は決して顧客獲得をするだけの組織ではないし、それだけでは結構早い段階で行き詰ることが多い。是非、今の自部署のゴール設定が狭義のマーケティングの範囲にとどまってしまっていないか確認してみて欲しい。

マーケティングの2大潮流

フィリップ コトラー大先生

最近の大学生や大学院生はどうなのかは知らないが、私が大学院にいた1998年頃(すでに前の世紀。。。)にマーケティングの授業で使われる教科書といえば、おそらくほぼ一択で、フィリップ・コトラーのマーケティング・マネジメントという本であった。私は大学院に願書を提出する際の研究計画書を作成する前にこの900ページくらいある気の遠くなる本を何度も挫けそうになりながら完読し、今度大学院の授業で、英語の原書を買わされ、大嫌いな英語で読まされるという苦行を体験し、すっかりコトラー大先生が嫌いになるという素晴らしい体験をした。

というのは、おそらく多くのマーケティングに、格好よく、楽しそうなイメージを抱く多くの学生の通過儀礼のようなあるある話な気がするが、私はマーケティング・マネジメントに書かれているマーケティング手法を伝統的マーケティングと呼んでいる。(私が本書を読んで以降、何度も改訂されているので、最新版はそんなことなければ、その点はご容赦いただきたいが、最新版の目次を見た限りでは、おそらくそんなに変わっていないと思う。申し訳ないが、50歳を前に、もう一度あの苦行にチャレンジする気力はない。)

これに対抗するマーケティングの手法がデジタルマーケティングであり、その違いについて様々な議論がなされているが、ここでは私なりの理解と、私が感じる大きな違いについて紹介できれば思っている。

外資系消費財メーカー=伝統的マーケティングの洗練された実践

私がこのことを深く考えるようになった切っ掛けは、大手ゲーム会社とトライトでの経験に起因する。両社において私はCMO(的な)という立場で仕事をしたわけであるが、実は私の前任者はマーケティングを生業にしている人であればすぐに思いつくような外資系消費財メーカーでマーケティングをしてきた方であった。お二人とも個人的には全く、もしくは、ほぼ存じ上げないので、ここで前任者の方の個人の能力について言及するわけではないことはくれぐれもご理解いただきたい。

その前提で、なぜ自分に両社でマーケティングの責任者のポジション就任への依頼があり、大手ゲーム会社で5年半、トライトで3年半そのポジションを継続し、自分としては胸を張れるくらいの成果を出すことができたのかを考える分けであるが、私なりの結論は次のようなものである。

私の知る限り、外資系消費財メーカーのマーケティングの担当者は2000年前後からブランドマネージャーというタイトルで呼ばれるようになり、単純な宣伝担当者ではなく、商品=ブランドの戦略立案から宣伝広告活動までを一貫して行うようなポジションとして明確な位置づけで活動するようになった。その仕事はまさに、コトラーがマーケティング・マネジメントで説いている手法そのものであり、長い伝統の中で洗練され続けてきたマーケティング手法が最も洗練されている形で実践されている企業群なのだと思う。その証拠に、いくつかの外資系消費財メーカーのブランドマネージャーの出身者はプロフェッショナルなマーケターとして非常に高く評価され、実際に多くの企業で活躍されている方もたくさんいる。そのような事実から考えても、いくら私がデジタルマーケティングを中心にキャリアを築いて来たからといって、伝統的マーケティングを否定しようなどという思いは微塵もない。

伝統的マーケティング=販売前に大規模投資を企画する手法

その上で、なぜ私がマーケティングの2潮流などと大げさな話をしようとするのかと言えば、デジタル化されて現在のビジネス環境において、私の2社の経験のように明らかに伝統的マーケティングの手法が適さないビジネス環境が存在すると考えているからだ。

私はアカデミックな人間でなく、実務家であるので、世の中のマーケティングの議論をフォローしているわけではないので、同じような議論をされている方がほかにいらっしゃったらご容赦いただきたい。

私は、マーケティングの手法というのは基本的には流通チャネルに依存して決定される要素が大きいと考えている。一般的に伝統的マーケティングの手法の発展において中心的な役割をはたしてきた消費財メーカーの流通チャネルというのは、スーパーや百貨店、量販店やホームセンター、コンビニなどのいわゆるリテール・小売店が中心となる。一方で、私が経験してきた3社のビジネスモデルは扱う商品・サービスに、ECであったり、旅行や金融商品、ゲーム、人材サービスと違いがあれど、顧客の獲得から購入、利用継続までのプロセスを自社で把握できるダイレクト型のビジネスである。

まず、私の少ないゲームソフトのリテールビジネスの経験をもとに、リテールビジネスの成功の要因を考えてみたい。新しいゲームソフトを作る時の最初のステップは企画である。どのようなコンセプトのタイトルを作るのか、そのタイトルを作るのにどのくらいの費用と期間がかかるのか、そのコンセプトで商品を作るとターゲットのユーザー数はどの程度で、売上見込みはどのくらいなのか、その売上見込みを実現するためにはどのくらいの広告宣伝費が必要なのか?ちょっと思い返しただけでも、ゲームの企画を立ち上げる段階でこの程度のことは検討すると思う。もちろんすべての要素について、一つ一つ正確に予想することにより企画の成功確率は向上していく。最近の家庭用ゲームはグラフィックやCGが高度化し、ユーザーの要求レベルもどんどん高くなるため1タイトルを新規で作ろうとなると数千万円という制作費であることはほとんどなく、数億円から数十億円という規模の開発費をかけることになるため、如何に各要素の予想からリスクを排除できるかが会社の事業成績を左右することになる。

具体的には、市場の分析を行い、市場セグメントやターゲット顧客を明確化する、それを実現するための商品開発を行い、マーケティング・コミュニケーションの戦略を考える。まさに、コトラーの教科書通りの手法である。では、最終的に売上が計画通りになるかどうかというのは、どのように決まるのだろうか?

(もちろんゲームのようなエンターテイメント商品においては、「面白さ」という商品開発時のロジックとは異なる要素に左右される部分はある。いくらマーケティング的な分析を精緻にして、ビジネスプランの精度を上げたとしても、結果的にコンセプト通りかそれ以上の「面白さ」が実現するかどうかというのは出来てみないとと分からず、それが一番売上を左右したりする。しかし、ここではコンセプトの実装レベルは想定通りいく前提で話をする。)

その上で、最終的にその商品がどれだけ売れるかを最終的に左右するパラメーターが何かの議論に話を戻す。私はあえて一つに絞れと言われれば、それはリテールの店頭における棚取りで、どれだけ大きな面をどれだけ良い場所で確保し、顧客の目に触れ、手に取りやすい状態にできるかであると考える。なぜなら、どんなに利便性が高く、競合商品との差別化が明確で、マーケティングコミュニケーションが成功して話題になっていたとしても、店頭に商品が並んでいなければ商品の売上は上がらないからである。

大手ゲーム会社時代の私の部下の一人は前職で超有名アパレル流通企業でマーケティングをしていたのだが、その会社でマーケの担当者が社長から最も厳しく指摘を受ける状況は広告費を使っているのに生産量を読み違え、店頭で欠品が発生する状況だと話していた。この話など、正に棚取りが重要という典型だと思う。

という最終ゴールから逆算して考えると、競合分析をして、商品のポジショニングを決め、それにあった商品開発を行い、それを正しく伝え顧客に使ってみたい、買ってみたいと思わせるマーケティングコミュニケーションをするという行為は、商品が発売する前に、リテール企業の仕入れ担当者にどれだけその商品が売れそうかという期待感を説得するための材料であるといえる。

そして、ここで非常に重要なポイントは「発売する前に」ということでである。リテール流通を前提としたマーケティングは実は商品の発売前にプランを作成し、販売開始時に大規模な広告投資をすることが非常に多い。今では減ってきているのかもしれないが、5-6年くらい前であれば、リテールの仕入れ担当者にメーカーの営業担当者が、「この商品は当社としても社運をかけて発売する商品で、新商品発売開始時にTVCMを〇〇億円出稿するので、間違いなく話題になります」というような営業トークをするようなこともあるし、それに慣れたリテールの仕入れ担当者から「そもそもTVCMとかいくらくらいするの?」みたいな質問を受けてしまうようなこともある状態であった。

もちろん、発売開始時のマーケティングキャンペーンが成功し、実際に商品が売れたことによって、発売後にマーケティング予算が追加され、さらなる売上拡大を図るということは当然ある。ただ、私の経験上(特にパッケージのゲームはそうなのだが)、新商品発売時にコケた商品が、その後リカバリーして大ヒットするという例をほとんど知らない。なぜなら、多くの場合、新商品発売時に売れなかった商品はキャンペーンが終わるや否や急速に売り場スペースが縮小され、そもそも消費者の目に触れる機会が激減し、マーケティング費用も削減され、新商品発売時点よりあらゆる面での露出機会が減るからである。そのため、メーカーとしては、発売開始時に大規模なマーケティングキャンペーンを一度は実施せざるを得ないことが多いのである。

ただ、これはやったことがある人であれば同意していただけると思うが、どんなに綿密なリサーチをして、戦略を考え、コミュニケーションプランを策定しても、まだ1つも売れた実績のないものに大規模はマーケティング投資をするというのは非常に不安なものである。そして、伝統的なマーケティングの手法とは、マーケティングの担当者のこの不安を払拭するために作り上げられた手法であると言えると私は考えている。

デジタルマーケティング=発売前からPDCA

これに対して、私が主戦場としてきた、ダイレクト型のビジネスというのはリテール型のビジネスと比較してどのような違いがあるだろうか?

リテールをゲームソフトのパッケージで説明したので、ダイレクト型ビジネスもゲーム業界のモバイルアプリゲームで説明しよう。

まず商品の企画段階にほぼ違いはない。市場分析をして、ターゲットユーザーと商品ポジショニングを決め、制作費と売上見込みの予測を立てる。それが承認されたら実際の商品開発という感じである。

ただ、商品を市場に流通させる段階でのアプローチは全く異なる。

多くの場合、新しいゲームはアルファ版、ベータ版などの最終的な商品完成前の段階で市場テストを行う。もちろんリテール商品でも商品発売前に消費者テストを行うことも多いと思うが、一般的には実際に店頭に並べて広告宣伝も販売開始にと同様にして消費者に買ってもらうテストではなく、サンプル品を使ってフィードバックをもらうというタイプのテストであることが多い。モバイルゲームの場合は、そうではなく、通常の正式ローンチ時と同様に、Apple社のApp StoreやGoogle社のGoogle Playに商品を登録して、普通に商品を使ってもらい、場合によっては通常通りに課金もしてもらう。グローバルで展開する商品の場合などは、カナダやオーストラリアなど中規模程度の国で先行でリリースし、グローバルローンチ前に本番とほぼ同様の状態のテストをすることが一般的である。さらにこの時点で、マーケティングチームは、ある程度顧客獲得のための広告出稿のテストも行い、マーケティングのパフォーマンス予測のための基礎データを蓄積する。

このようなプロセスを通じて、商品の開発チームは、商品インストール後のユーザーの行動データを分析し、ゲームバランスやUIに問題はないか、何か致命的なボトルネックはないかなどを徹底的に分析し、正式ローンチまでに出来る限りブラッシュアップをして、より精度の高い商品を作り上げる。マーケティングチームも、顧客の獲得単価や、顧客の課金状況などの基礎データを分析して、正式ローンチ時の詳細なマーケティングプランを作成する。また、最悪な場合、このテスト時点で、商品に適切なコストでは改修できない問題があるとか、マーケティングプランが現実的にワークせず、ローンチしても顧客獲得を継続的に実施できる見込みがないなどの理由で商品開発を中止するケースもそれなりの確率で発生する。

デジタルマーケティングの鉄則として「小さな失敗を、早く、意図を持って行う」という話をしたが、ダイレクト型のビジネスにおいては、このような形で商品、サービスの開発段階でも同様のプロセスを走らせることが可能であるし、ある程度デジタルビジネスの経験値のある企業であれば、おそらく当然のこととしてやっている。

ここまでで、商品発売時までのプロセスを見てきたが、商品プランニングの段階はある程度共通点はあったが、商品開発の後半から商品発売直前のプロセスの時点でリテール型のビジネスとダイレクト型のビジネスには手法に大きな違いがあることはご理解いただけたと思う。ダイレクト型のビジネスは、小規模なテストを行う(場合によってはそのプロセスを何度も繰り返す)ことによって、市場での実データをもとにマーケティングプランの準備をすることが可能である。これが可能な理由は、1)広告費の調整などでテストの規模をコントロールしやすい、2)テストの実施を正式ローンチとほぼ同様の環境で小規模に再現することが可能、3)テストの結果が正式ローンチ時とほぼ同様の環境で正確に取得可能の3点が上げられる。この3つの条件がもしそろうのであれば、正直伝統的なマーケティング手法において開発されてきた予測精度を上げる様々な手法は必要ないと言える。なぜなら、予想する必要がなく、実際に実験して証明してしまえば良いだけだからである。

このようなプロセスを経ることで、ダイレクト型ビジネスにおいては、大規模な投資をしなければいけない商品ローンチ時のマーケティング活動を大きなリスクを負って実施しなければいけないという状況はほとんど発生しないということになる。私はこれまで、今回の例で説明したゲーム以外にも、楽天ポイントや楽天カード、楽天銀行などその後大きな成功を収める新規サービスの立上げのマーケティングを担当したり、サポートしたりしてきたが、どれも同じような感じである。

伝統的マーケティングの手法は発売後のDCAが弱い

では、商品発売後のマーケティングのアプローチには違いがあるだろうか?またゲームのパッケージソフトとアプリゲームの比較で話をする。なお、最近の家庭用ゲームの一部には購入後に追加課金でアイテムを購入させるダイレクト型とのハイブリッド型のものも存在するが、話が複雑になるため、今回は追加課金のないパッケージソフトを想定して話をする。

私の経験上、リテール型のビジネスとダイレクト型のビジネスの違いは、発売後の行程により強くでると考えている。その理由は、主に2点ある。一つ目は、これまで話してきたローンチ時のマーケティングに関係するが、リテール型のビジネスにおけるマーケティングはローンチ時編重であることが多いのに対して、ダイレクト型の商品サービスは、ローンチから時間が経過するごとにユーザー数が増加し、売上が拡大してくという成長過程をたどることが多いため、それに応じてマーケティングの規模が拡大していくことが多く、それに応じてマーケティングの規模も拡大していく。二つ目は、ダイレクト型においては、ユーザーの利用活動の状況のデータを企業側がトラッキング可能であることが殆どであるため、ユーザー数の拡大により、ユーザーのニーズ把握の精度が向上して商品・サービスの改善ポイントが明確になったり、ユーザーニーズの多様化に対応することで売上拡大の機会が発見されるなどして、商品・サービス自体がより高度なものになっていくことが多い。一方リテール型の商品においては、例えば、定番の食品など一つのブランドで長期間に渡って販売されるような商品は、時代の変化、ユーザーの変化に伴い、少しずつ改善されていったりすることもあるかもしれないが、ゲームのような商品については、商品発売後に商品自体が変化することは殆どない。

このような環境の違いは、当然マーケティング活動の違いに現れる。以前、私のマーケティングの経験において、PよりもDCAに使う時間の方が遥かに多いという話をしたが、その理由がこの環境の違いに起因している。ダイレクト型のマーケティングというのは、基本的には顧客獲得というバリューチェーンのスタート時点にあることが多いが、顧客獲得後のユーザーの利用状況を常に分析し続け、商品、サービスの改善を行い、それによって売上の拡大を実現し、新規顧客獲得のためのマーケティングコストを拡大したり、CRM活動により既存顧客からの利用拡大を図る。このため、サービスの開発・運用部門との相互作用に基づいたDCA活動が商品ライフサイクルの終了まで永遠と続くことになる。多くの商品、サービスは成功している場合、数年~数十年(楽天ポイントはすでに20年以上続いている)に渡るため、当然PよりもDCAにかける時間の方が遥かに長いということになる。しかしながら、伝統的なマーケティングの手法というのは、最も予算投下を行う商品発売時に焦点を当てて開発されているため、商品ローンチ後のDCAのサイクルの精度向上のための議論が、商品発売前の工程の議論に比べて格段に弱いというのが私の評価である。

ここまで述べてきたように、私はフィリップ・コトラーを中心とした伝統的マーケティングという手法は商品の企画、開発、~販売開始のフェーズに置けるリテール型ビジネスにおいては非常に力を発揮するが、デジタルマーケティングに大きな予算を出稿することが多いダイレクト型のビジネスを成功させるための手法としては、非常に限定的であると考えている。

もちろん、この2つの潮流の違いを理解し、両方の手法を柔軟に使い分けられる優秀な方もいらっしゃるが、私が経験した中では、伝統的マーケティングの成功体験が強すぎるあまり、ダイレクト型のビジネスに無理やり伝統的マーケティングの手法を適用しようとして失敗している方が、それなりにいるのではないかと自分のこれまでのキャリアを見ていると感じることが多い。

長くマーケティングのキャリアを積んで、プロのマーケターとして転職したはずなのになぜかうまくいかないなと思う方は、一度この二つの違いについて考えてみてはいかがだろうか?何かヒントがあるかもしれない。

売上最大化が唯一のゴールではない

データが存在するのは当然ではない

企業の事業活動の評価において、売上をあげること以上に重要な指標があるだろうか?この質問に対して、Noと応えるビジネスパーソンは非常に少ないと思うし、私自身も楽天で働いている時までは、ほとんど疑問に思うことはなかったような気がしている。しかし、ゲーム会社に入ってマーケティング活動をしながら、自分が当然と思っていたことが、ある前提条件の上に成り立っているということに少しずつ気が付き始めた。

私がゲーム業界に入った2010年代初頭のゲーム業界が置かれていた環境は、オフラインからオンラインへのシフトが急速に起こっている状況であった。具体的には、家庭用ゲーム機においてソフトがパッケージからデジタル配信へと置き換わりだし、それと並行してモバイルゲームの市場が急速に拡大して、こちらは初めからオンライン前提の市場であり、それまでフィジカルなパッケージソフトを売っていた会社が急速にデジタルでサービスを売る大きな転換をし始めた時期であった。もちろん私は楽天での経験を活かし、このデジタル化へのシフトを担うために入社したわけであったが、逆に言えば事業の中にオフラインの流通もまだ残っているという状況であった。

このような環境の中で、私が驚き、自分のビジネスの常識が特殊な環境を前提としていることに気が付かされたことがデータの量と正確性の問題である。楽天のビジネスは、今は少し違うのかもしれないが、2011年に退職した時点では、ほぼすべての事業において、顧客とインターネット上の接点が存在し、顧客のサービスの利用状況のデータは網羅的に、正確にとれている状況であった。つまり、顧客の行動を分析したいと思った時に、基本的にはデータを取得して分析するという行為ができる環境であった。

ところが、オフラインのビジネスというのは、今考えれば当然であるが、この情報というのが自動的にデータベースやWebのログとして残ることはなく、営業を中心とした市場との接点となっている組織が情報を収集して、エクセルなり、Salesforceなり、何らかの方法で社内にデータとして格納しないといけないという現実を始めて理解したわけである。

これまで一貫して議論してきたのは、デジタルマーケティングをデータドリブンに行うための手法や考え方であるが、その大前提はデータが取得され、利用可能な状態で格納されているということである。しかし、自社のビジネスにオフラインの要素が存在する場合、その大前提のデータが網羅的に、正確に取得出来ないという前提条件の崩壊が起こるリスクが存在するという分けである。この解決は、一言でいえば、オフラインの活動をしている企業内外の組織に対して、正確なデータを取得し、格納するように促すしかないわけであるが、多くの人が苦労していると思うが、これがなかなか難儀なのである。そこで、データドリブンなマーケティングを成功させる最後のピースとして、この問題の私なりの改善策(私も解決したと言い切れた事例を持っていないので、解決策とまでは言えない)を最後に紹介したい。

データ整備を阻害する売上重視の組織

私の経験上、現状を理解、把握するためにデータの収集を試み、それが見つからず、知っていそうな人に提供を依頼して、そんなものはないと言われたときに、その依頼先の人物から私の欲しているデータが無意味で、重要ではないと言われるケースはほとんどない。これはどういうことかといえば、少なくても真面目に仕事をして、事業に貢献しようと考えている人であれば、自社で行っている事業の状況を正確に把握することに否定的な人はほとんどいないということなのだと思う。

では、なぜ多くの人がそう思っているにもかかわらず、必要なデータを収集する仕組が出来ず、結果的に中途半端なデータしか入手出来ないのであろうか?私は、その理由を一言で言うとすれば、優先順位の問題なのだと考えている。

ゲーム会社の例でも少し触れたが、多くのオフラインビジネスの企業でマーケティング活動に必要な市場データ、商品・サービスの売れ行きのデータ、売上が上がるまでのプロセスを把握する活動データなどを収集、入力するのは、いわゆる営業部門であることが多い。少なくても私が経験した楽天以外の会社ではそうであった。では、営業部門のミッションとはなんであろうか?私は営業を1秒もしたことがないので、門外漢の推測の域を出ないが、多くの企業では、「売上最大化」なのではないだろうか?売上を多く上げる営業部員が評価される社員であり、賞賛されるのは売上目標をどれだけオーバーして達成できるかということなのではないだろうか?おそらく、この推論はそれほど的外れではないと思っているが、もしこの推論が正しいとして登場するのが、私が挙げた優先順位問題である。

多くの営業組織においての営業部員の優先順位、つまり人事評価の基準は、

  • 売上最大化 > データ収集

であるということになる。そうなると、私としてはデータの正確性と網羅性が実現出来ないのは、当然の帰結であると思えてならない。なぜなら、データ収集に時間を使うのであれば、売上の増大に時間を使った方が良いと考える営業部員が一定数発生してしまう可能性は相当高いと思われるからである。たとえそれが全員でなかったとしても、ある一定数存在するだけで、データの網羅性は実現出来ないことになる。

また、よく起こりがちなケースは、売上の最終成果、つまり売上高のデータは把握されているが、それを実現するための活動プロセスのデータの正確性が著しく低いということがある。これも、ちょっと考えれば簡単に理解できることで、営業部員は売上で評価されるのであれば、売上額をデータとして格納しないことはほぼあり得ないので、この数字はほとんどの企業で正確に取得可能である。しかし、その途中のプロセスのデータを収集・格納したところで、売上が増大することはないと考える人間もそれなりにいるので、きちんとデータを残すインセンティブが売上データと比較して非常に低いのである。

また、これも起こりがちであるが、売上を実現する活動プロセスのデータは実は売上を多く上げる優秀な営業部員ほど収集・格納しない傾向が高い。なぜなら、多くの企業において、営業部門内で上司が管理したいのは放っておいても売上を上げてくる優秀な営業部員ではなく、売上目標を達成できない社員だからである。私の経験上、優秀でない中間管理職程、売上をあげている社員の活動プロセスを見ずに、売上をあげていない社員の活動プロセスを管理しようとする。そうすると、売上を恒常的に挙げているような社員は、いちいち活動プロセスのデータを時間を使って入力する必要性を感じなくなる場合が多い。

これが私が何度も経験した、営業部門の売上最大化がデータドリブンなマーケティングをする上での弊害となる典型的なパターンである。

データ重視の経営(キーエンスのお話)

では、どうすればこの問題を解決できるのか?答えは簡単である。営業部門の活動の優先順位、人事評価基準を、

  • 売上最大化 = データ収集

とするのである。

この結論を聞くと、普通の反応はそんなことして大丈夫?売上が下がらないの?という疑問がわいてくるのではないか。その懸念はとても素直な反応だと思うし、実は少し前まで私もこれは極端過ぎて、現実味がなく、リスクが高すぎると思っていた。しかし、この考え方が正しいという後押しをしてもらえた機会があった。少し前に、取引先の紹介でキーエンスで長く重要なポジションを担っていらっしゃた方に話を伺う機会があった。そもそも、その方をご紹介いただいた理由が本項のお題のオフラインのデータの正確性と網羅性が確保できず非常に困っているという悩みを相談していたところ、一度キーエンスの話を聞いてみてはどうでしょうとセッティングしていただいたという経緯であった。

キーエンスについては、最近出身者の方が卒業後に多く活躍されており、その経験談や成功の秘密が少しづつ世に出始めているので、ご興味のある方は2時間程度話を聞いただけの私などではなく、一次情報を探してみて欲しい。

ただ、その時の話で、私が一番衝撃を受け、同時に、自分が間違っていないと勇気づけられた話を一つだけ紹介して、私の本項での提案が非現実的なものではないことの一つの事例をしたい。

キーエンスの凄さというのは、特に大きな差別化のないB2Bの製品を生産販売するメーカーであるにも関わらず、営業利益率50%を超える利益を出しつづけ、しかも、その社員の平均給与が1500万円を超えるという普通に考えるとあり得ない業績を出している会社である。話を聞く前、私は社員の給与が高いのは徹底した成果主義で営業社員の売上インセンティブが大きく、それにより好業績と高給与を実現しているのだと考えていた。しかし、話を聞いてみると売上連動の個人インセンティブはゼロであるという。ではなぜ奇跡のようなパフォーマンスを実現できるのか?私なりの解釈はこうである(正確な情報は繰り返すが1次情報を取ってほしい)。そもそもフィジカル商品の利益率を左右する最大の要因は在庫の回転率をどれだけ高められるかである。特にキーエンスは、直販と即納を売りにして差別化を図っているため、なおさら在庫問題は収益率に直結する。一般的に、この在庫リスクを最小化する方法として使われる手法は受注生産である。しかしそれでは、売上の機会を逃してしまうと彼らは考え、顧客の需要が発生した瞬間に顧客に商品を届けることで売上を最大化しようとしている。このようなビジネスモデルにおいて最も重要なのは、一人一人の営業部員が目標を大幅に超えた売上を挙げることではなく、顧客の正確な需要予測をして、その予測を最大化して生産量を増やし、同時に在庫を余らせないことである。この前提に基づくと、誰かが目標=予測より大幅に高い売上を上げることは必ずしも良い行為ということにはならない。なぜなら、在庫を極小化するようにしか生産していないとすれば、誰かが予想以上にある顧客に売ってしまうということは、別の顧客に売るはずの在庫がなくなってしまうということだからである。このような、ちょっと信じられないような精緻なオペレーションを行いながら継続的な好業績を維持しているというのは、心から凄いことだと感じた。

そして、この信じられないオペレーションを実現する大前提が、営業の仕事=正確な需要予測=市場のデータを正確に収集・分析するということであり、私の受け取った感覚的にはキーエンスにおいては、おそらく「売上最大化<データ収集」くらいの感覚なのだろうと話を聞いていて感じた。

中長期的な視点で考えれば、正確な営業プロセスの活動データが取得出来れば、営業の改善プロセスも適切に回るし、科学的な営業管理がよりできるようになるメリットもあるはずである。営業を外から見ることしかしたことのない人間が言っていることなので、自分でもどこまで正しいのか本項については自信があるわけではないが、少なくてもマーケティングの視点と、会社全体のデータドリブンを実現するという目的のために、特にオフラインの活動プロセスのデータが社内に適切に蓄積されているかという視点で自社の状況を見直してもらえればと思う。

User Insightの調査って本当に重要?

伝統的マーケティングにおけるUser Insightの重要性

この議論をしていると、私が伝統的マーケティングと言っているデジタル化以前のマーケティング手法が嫌いなことがどんどんバレてしまうが、次の議論として、よく伝統的なマーケティングで重要視されるキーワードとして上がってくる「User Insight(ユーザーインサイト)」という言葉についても考えてみたい。

前項で、消費財の広告クリエイティブの作成のプロセスと、デジタル化された現在のマーケティング環境での訴求点の発見プロセスについて説明した。User Insightという概念は、前者において、顧客に対してリサーチ等を行い、その内容を分析することによって、顧客が自社のサービスや商品についてどのように捉え、何を問題として感じているのかを解明するプロセスの結果導き出される顧客理解とでも説明できると思う。

一本のクリエイティブの制作に何千万円もかかるのであれば、たくさんの訴求点で、たくさんのクリエイティブを作ることは現実的ではない。また、マス広告的な手法において重要なのは、訴求したいことを何度も繰り返して(高いfrequencyフリークエンシー)で消費者に確固とした訴求点の認知と理解を促すということが重視されるため、訴求点を分散させることを良しとしないという考え方もある。このような背景を理解すれば、オフライン広告を中心としたマーケティング活動におけるUser Insightの重要性は、非常に高く、ここを読み違えると何億円もかけたマーケティングキャンペーンが全く機能しないなど、恐ろしいい結果を招くことになる。

私自身も、デジタルの運用型広告ではなく、Upper&Middle Funnel向けの広告キャンペーンを行う場合などは、このUser Insightを起点としてプランニングを行うので、必ずしもこの手法自体を否定するのもではない。

デジタル化で実現した飛躍的なターゲティング精度の向上

ただ、このUser Insight重視の考え方が、デジタル化されたマーケティングの世界で、最も重要な概念なのかと問われれば、私は大いに否定的である。その理由は、TVCMを中心としたいわゆるマス広告とデジタルマーケティングの広告配信の考え方の根本的な手法の違いに依存する。デジタル広告、特に2000年代前半にGoogleが開発したリスティング広告の登場以降に圧倒的に発展し、今もAI化により日々進化しているテクノロジーはターゲティングの概念である。こちろん、オフライン広告においても、TVよりは雑誌などの方がユーザーの趣味嗜好やデモグラフィックなターゲティングがしやすいとか、OOHといわれる屋外広告・交通広告においてはエリア的なターゲティングがしやすいなど、ターゲティングの精度を絞り込む手法はある程度はあった。しかし、リスティング広告の登場による運用型広告という概念とその運用精度の向上、そして、この5年くらい急速に発達し始めたAI化の流れの中で、このターゲティングの精度はそれ以前とは全く比較にならないくらい飛躍的に向上したといえる。

その背景を理解したうえで、このターゲティング精度の向上とUser Insightがどのように関係しているのかをここで考えたい。私は、これまで説明したUser Insightという概念は、徹底的なユーザーリサーチに基づいて、最も多くのユーザーに訴求できるような訴求点と表現方法を見つけることが必要であるという前提で出てきたアイディアだと考えている。これを一言でいえば「最大公約数」を見つける手法であると考えている。そしてその前提になっているのは、TVのような広いターゲットに対して、絞り込んだ少数の訴求点を繰り返し伝えて、認知・行動を促すというマーケティングの手法である。

少し話は逸れるが、そもそもマーケティングとはどのような活動であるかを考えてみたい。私はマーケティングとはどういうものかと聞かれたらシンプルに、「いつ、誰に、何を伝えるかを考えること」であると応えている。デジタル以前のマーケティングの環境においては、この「いつ」「誰に」「何を」をコントロールすることが非常に難しいという現実があった。このため多くのマーケターは、この3つの要素が多少想定と異なったとしても失敗に終わらないように、できるだけリスクを下げる手法として、正しい最大公約数を見出すことと、それをできるだけ上手に伝えるクリエイティブを作るということに多くの時間を割き、様々な手法を見出してきた。

しかし、前述したデジタル技術の発展によって、この「いつ」「誰に」「何を」をコントロールする力、すなわち、ターゲットとのタッチポイントをコントロールする力は、全く別次元になり、以前にマーケターが直面していたリスクは格段にコントロールしやすくなったと言える。

User Insightの絞り込みは機会損失を生む

では、デジタル化されたマーケティングの環境においてマーケターに求められる考え方とはどのようなものであろうか?まず前提として最も異なる点は、「誰に」と「何を」の組み合わせを一つに絞り込む必要がないということである。この前提が異なることによって、User Insightとの立ち位置が根本的に異なるのである。

具体的な例で考えてみよう。自分がゲーム会社のモバイルアプリ野球ゲームの集客担当のマーケターであると仮定しよう。このゲームはインストールは無料で、無料で遊ぶこともできるが、早くゲームを進めようとしたり、他のユーザーよりも強くなろうとするとゲーム内でアイテムやキャラクターを購入(課金)しなければいけない。

この前提において、このゲーム会社が売上を上げていくためやらなければいけないことは、課金ユーザー数を増やすことと課金者一人当たりの単価を上げることとなる。このような状況で担当のマーケターに求められることは、短期的には、高額課金してくれそうなユーザーを見つけて連れてくることである。そのためには、例えば以前にそのゲームを遊んでいて、課金もしていたが今は頻度高く遊んでいない休眠ユーザーにゲームに復帰する何らかの訴求をすればよい。

但し、中長期的な視点で考えると、ゲームをプレイしているユーザーがコアユーザーばかりで、課金しないと楽しめない状況になってしまうと新規ユーザーのエントリーハードルが高くなり、そのようなゲームはユーザー数だ低減していき、売上が落ちていくことになるため、短期的な売上には繋がる可能性は低いが新規ユーザーの獲得も継続的に行わなければいけない。その場合、どのような訴求が考えられるだろうか?他の野球ゲームをプレイしているユーザーには他のゲームとの差別化のポイントを訴求出来ればスイッチしてもらえるかもしれない。野球ファンに向けては、リアルの野球を見たり、プレイしたりすることと野球ゲームの共通点を訴求して、興味を持ってもらうことができるかもしれない。ゲーム愛好家に対しては、ゲームの新しい選択肢として野球のゲームもこういう点が面白いと説得することも可能化もしれない。

これはあくまで仮想のゲームのマーケティングの話だが、ちょっと考えただけでも、マーケターには「誰に」と「何を」の組み合わせは多く存在する分けである。User Insightという概念は、この中から今の最大の課題はなんで、それを一番解決できる「誰に」と「何を」を絞り込まなければいけなかった。しかし、繰り返すが、デジタルマーケティングの世界では、これら複数の選択肢を同時並行で施策に落とし込み、実行することが可能になっている。逆にUser Insightを検討して、絞り込むという行為は、現状をシンプル化し過ぎで、複雑化した実態との乖離を生んでしまう可能性も否定できないと私は考えている。もちろん、同時並行とは言いつつ、その時の課題の重要度であるとか、各セグメントの獲得単価とか、インストール後の課金転換率だとかいろいろな指標を見ながら、そのセグメントにいくらかけて、どのくらいの単価でユーザーを獲得するかなど、実際には考えなければいけない。しかし、根本的な前提として、「誰に」と「何を」の組み合わせを複数、同時並行で動かすという前提は捨ててはいけない概念であると私は考えている。

最後に、これまで言及してこなかった「いつ」のコントロールと実際の実行フェーズでの手法について話をしたいと思う。「いつ」の概念で重要な点は2つである。一つ目のポイントは、どの媒体にいくら投資するのかというメディアプランニングの検討になる。例えば、リスティング広告であればユーザーが能動的に検索キーワードを入力しているため、その時点で何を求めているのかの特定がしやすいので、ターゲティングの精度が非常に高く、コントロールがしやすいという特徴がある。一方、SNSの広告などは、ユーザーの趣味嗜好やデモグラのターゲティングは出来ても、その時点で何を求めているのかの、つまり「いつ」をコントロールすることは難しくなるので、ターゲティングの精度は落ちると考えるのが一般的である。マーケターはターゲティングの正確性と単価のバランスを見ながら最適なメディアプランニングをしなければいけない。二つ目のポイントは、AIの活用である。詳細は別で議論したいと思うが、ターゲティングをコントロールするAIに獲得したユーザーが求めていたユーザーであるかどうかをできるだけ正確にフィードバックし、機械学習によい学習データを提供し続けることで、ターゲティングの精度はどんどん改善されていくというのが、一般的な考え方である。

ABテストこそがUser Insightに代わる重要概念

ただ、デジタル広告の実施経験がない人が決して間違ってはいけないのは、正解に一発で到達することはほぼあり得ないということである。おそらくこれが、伝統的な手法を最も異なる部分で、最初は大まかな仮説からスタートして、それを発射台に改善活動を繰り返した結果、高い精度のマーケティングを実現することができる、つまりPDCAな分けである。そして、このPDCAを実現するうえで、User Insightに変わる最重要な手法が私は「ABテスト」という手法だと考えている。

ABテストとは、2つ以上の仮説のどちらが正しいかをリサーチなどで検証するのではなく、実際に広告等で試すことによって良いものを勝ち抜き戦で残していき、施策の精度を上げていく手法である。一番簡単かつ、代表的な例が、良い広告バナーを見つけるときに、複数のバナーを同時に回してパフォーマンスが高いものを勝ちバナーとして残し、その後、その勝ちバナーと新規のバナーを同時に回してより良い勝ちバナーを探し続けるケースなどが上げられる。

ABテストという概念は、デジタルマーケティングをやったことがある人からすればたいして目新しいやり方でもないし、何の意識もなく、当然のこととして行っていると思う。しかし、私はこの手法は本項で述べたように、デジタル以前のマーケティングから、仕事の進め方を根本的に変える重要な手法であると思っている。