綿密な計画が必ずしも良いとは限らない!

「P]「D」「C]「A」のどれが重要?

おそらく「綿密な計画」という言葉を聞いて、ビジネスの世界で否定的な捉え方をする人は少ないのではないかと思う。しかし、デジタル化が急速に進展する現代のマーケティングの環境において、私はあえてこの「綿密な計画」という言葉を肯定的な言葉と捉えないというスタンスを取りたいと考えている。その最大の理由は、前項で議論した「小さな失敗を、早く、意図を持って行う」と大きく関係するのだが、この点は私が伝統的マーケティングと呼ぶ(この議論は別の項で詳細に議論する)手法との大きく異なるポイントであると考えているため、少し深く議論をしたいと思う。

議論のポイントは、ここまでの嫌になるほど繰り返しているPDCAのプロセスのうち、「P」「D」「C」「A」のどの項目を重視してプロセスを回していくのかということであると考えている。

これまで述べてきたように、私は現在のマーケティングの環境における最も重要な成功の法則はPDCAの高速回転であると考えている。そして、このPDCAの高速回転を実現するために最も重要なことは、PDCAのプロセス一つ一つを如何に時間をかけずに、スピーディーに回していくのかということである。そして、私の経験上、多くの場合4つの要素の中で、一番時間をかけがちなのがPの部分であると考えているのである。

その理由は、デジタル化される前後でのマーケティングのおかれている環境の違いに起因していると私は考えている。例えば消費財メーカーで自分がブランドマネージャーであったと仮定しよう。ブランドマネージャーはまず、担当商品とそのユーザー、競合商品とそのユーザーなどの綿密なリサーチをして、自分のブランド・商品が置かれている状況の分析を行う。そして、競合商品との差別化の機軸を見出し、それを商品の改善につなげ、リニューアルされた商品を作り、それを訴求する広告クリエイティブを作り、大規模な予算をかけて広告投資を行う。しかし、例えば大規模なTVCMの配信をしたとして、その広告と実際の商品売上の正確なトラッキングは出来ず、出来ることといえば、認知度調査と、購入者に何を見て購入しましたかというリサーチをして、その結果をもとに自分の仮説があっていたかどうか検証するという感じなのではないだろうか(間違っていたらごめんなさい。フィジカルプロダクトのマーケってゲームソフトのパッケージ商品くらいしかしたことないので・・)。

仮にこのようなプロセスがあたっているとして、ブランドマネージャーが使っている時間と重視しているプロセスがPDCAのどこにあるのかと言えば、私は間違いなく「P]であると思う。このため、私は大学院時代以降、あまり真面目に勉強したことはないが、いわゆる多くのマーケティングの教科書的なものでは、一生懸命に「P」の精度を上げるための手法の解説に議論が割かれて来たのではないかと考えている。但し、私が20年以上デジタルビジネスの世界で仕事をしてきて、自分の時間を何に費やしてきたかといえば、新規事業の立上げのような場合を除いて、圧倒的にDCAに割く時間の方が多かったし、Pに過剰な時間をかけることは、PDCAサイクルの回転スピードを下げる悪であると捉えてきた。

計画よりもまずは試してみる

なぜ、デジタル化された環境において、PよりもDCAのプロセスが重視されるようになったのだろうか?その答えは明確である、デジタル化される前よりも、圧倒的に高い精度でDCAのプロセスを計測、トラッキングすることができるようになったからである。

さらに、重要なことは、オフライン環境と比較して、マーケティングのテストをするコストが圧倒的に低くなっている。つまり、小さく失敗することができる環境が劇的に整備されているのである。

この点は、より明確にイメージできるように具体的に説明したい。一番分かりやすいのは、自社の商品、ブランドを訴求するための訴求点の選定プロセスである。例えばTVCMをやろうと思うとおそらくどんなに安く作っても、一つの広告クリエイティブを作るのに最低でも500万円前後の費用がかかり、大手企業の消費財ともなれば、質の高クリエイティブを作るだけでなく、タレントの契約もしましょうということが追加されたりすると、一連の広告クリエイティブを作るのに5000万円~1億円などということもあり得る話である。そのような費用がかかるのであれば、訴求ポイントを10個試しましょうなどという発想が起こらないのは、合理的に当然の帰結であると考える。このため、事前にリサーチをして、分析をして、正しいと思われる訴求点を絞り込むという計画のプロセスを重視せざるを得ない。

一方デジタル広告でいえば、訴求点の候補が10個あり、どれがいいのか迷ったとしたら、例えば広告のバナーを10種類作れば良いだけである。バナー一つ高くて1万円だとして、10個で10万円である。そのバナーを回す費用が20万円だとして、30万円もあれば、どの訴求点が良くて、実際に商品の購入やサービスの利用に繋がるかなどの実際のデータが取れてしまうのである。この費用は、おそらく伝統的な手法で、ユーザーへのリサーチを行う費用よりも安いくらいなのではないだろうか。その費用で、リサーチの結果だけでなく、実際のユーザーの反響のテスト結果まで取れてしまうのである。

ここまでくると、私がPに時間をかける「綿密な計画」を必ずしも良いと捉えず、否定的に捉えている理由がお判りいただけると思う。デジタルの環境においては、計画に時間をかけるのではなく、まず試してみるという姿勢が重要であるし、それを実現する環境が整っているのである。

私は計画というプロセスをあえて悪意のある言葉で定義すると、「やれば結果が分かることを不正確・もしくは部分的な情報をもとに予測しようとする行為」であると考えている。このため、これまで開発されてきた多くのマーケティングのフレームワークや統計分析の手法というのは、この不正確かつ部分的な情報をもとに、いかに正解に近い結果を導き出すかということに焦点を絞ってきたのだと考えている。

しかし、本項で述べてきたようにデジタル化の進展で環境は変わってしまったのだ。私は実はマーケティングの活動をするにあたって、極力リサーチという手法を取らないことにしている。そのことに対して、稀にユーザーの理解が足りない、顧客を理解しようとする姿勢が足りないというような指摘を受けることがある。もちろんリサーチにも一定の価値はあるし、答え合わせ的に状況を理解するメリットがあることは理解しているが、個人的には、日々のマーケティング活動のPDCAのプロセスを綿密に見続け、自分のチームが実施したアクションに対するリアクションを見続けることの方が遥かに精度高く顧客の理解や状況を把握するのに役立つと考えている。

もちろん、いいかげんに試してみるという姿勢は問題外で、前項で議論した「意図を持って」の基準をクリアするのは大前提であるが、逆に言えば、Pのプロセスは、この基準をクリアできるレベルの時間のかけ方で十分であり、やってみれば分かることの予測精度を上げるために余計な時間を使うことはPDCAの回転スピードを下げる結果になる可能性があることをマネジメントは理解すべきである。

自分のチームがPに時間を使いすぎていないか、是非見直してみてもらいたい。

結果責任重視はコンサバティブな部署を生む?

結果責任重視 VS 失敗の奨励

よくビジネスの人事評価やパフォーマンス評価において、「結果責任、結果重視」と「プロセス重視」のどちらが良いかという二項対立の議論になることがある。もちろん両方とも一長一短であり、ゼロサムでどちらが良いという議論ではないのだが、最近の傾向として、能力主義や説明・評価の分かりやすさ、明確さなどを重視して、多くの会社で結果責任や数値目標が優勢になってきているのではないかと感じている。私自身も、部下のマネジメントをするようになって20年くらいになり、部下の評価をして、チームのモチベーションを上げることの難しさは日々感じているし、この点から数値目標、結果責任重視の方が分かりやすくて、説明もしやすいので、利点が多くあると考えてる。

一方で、長年デジタルマーケティングの世界に関わり、事業会社のCMOの立場で仕事をしてきた中で、結果重視に偏重しすぎることの弊害を最近感じる機会が多くなってきた。以前にデジタルマーケティングの基本中の基本はPDCAを高速回転させ、競合企業よりも高度で洗練されたものに磨き上げていくことであると述べたが、それを実現するために絶対に必要だと信じていることをここで説明する。それは、デジタルマーケティングを成功させるためには、「小さな失敗を、早く、意図を持って行う」ということである。ここで、キーワードは、1)小さな、2)失敗、3)早く、4)意図を持っての4つである。

同じことをしていてもCPAが悪化する

順番が前後するが、まず2)失敗から考えてみたい。一般的な言葉の意味として「失敗」という言葉はネガティブに捉えられるため、失敗を奨励することに違和感を感じる人も多いかもしれない。しかし、私の経験では、上記で上げた他の3つの条件がそろえば、デジタルマーケティングにおいては失敗は奨励されるべきものであるし、失敗を奨励できないチームに中長期的な成功はあり得ないと考えている。

棒グラフ:消化コスト、折れ線グラフ:登録CPA

ここで、例として、ある会社のデジタルマーケティングへの投資額(消化コスト)と登録CPAのグラフを掲示する。このグラフをみて、誰でもすぐに理解できることは、消化コストの増大とほぼ比例する形で登録CPAが上昇しているということである。詳細は別途説明したいと思うが、ここでなぜそのようなことが起こるのか考えてみたい。例えば、この会社のターゲットとする顧客セグメントの総数の成長は年率10%だとする。この業界は、自社とライバル企業で市場を寡占している状況で、双方の企業の年率の成長目標は15%であると仮定する。このような市場で2つの企業が積極的にデジタルマーケティングを通じて顧客獲得をしようとした場合、どのような現象が起こるか考えてみたい。

素直に考えれば、ターゲット顧客の増加ペースよりも企業の成長目標の方が高いため、広告宣伝費が売上予算の増大ペースと同水準の15%の増大だったと仮定すると、ターゲット顧客一人当たりに投下される市場の広告宣伝費は5%分大きくなることを意味し、その分一人あたりの獲得単価である登録CPAは悪化するということになる。この企業が直面した状況は、登録CPAが悪化し続けているため結果的に広告宣伝費の増加スピードは売上予算の増大ペースでは全くおさまらず、広告宣伝費比率が高まり続け、結果的に営業利益率も悪化し続けるという状況になってしまった。

ここで、私がこのデータを提示した意図は、皆さんに、こんな大失敗のケースがあると紹介したかったわけではない。実は、デジタルマーケティングの世界では、これは至極普通に起こっていることであり、自分たちのやり方を常に改善し続け、ブラッシュアップしていけない企業は、この例で上げたような状況に直面するのが当然のことだとご理解いただきたいからである。この点については、デジタルマーケティングの根本的な仕組みを理解しないといけないので、詳細については別途議論することとして、ここでは、本項の主題である「失敗」とこの話がどのように関係するのかを考えてみたい。

過去の成功の維持の先に未来の成功は存在しない

まず、デジタルマーケティングをする上で必ず理解しなければいけないのは、昨日、先月、去年と同じことをしていると、自社や競合企業が市場の拡大スピードより早く成長しようとする限り、顧客の登録CPAは増大し続けるということである。ちなみに、私は成功するビジネスは、競合企業に打ち勝ち、市場の成長スピードよりも早く成長できる事業であると考えているため、市場の成長スピードよりもゆっくり成長していくので良いという会社は今回の議論の対象外とする。

ではどうすればこのような状況を回避できるのであろうか?そこには残念ながら魔法の杖はなく、昨日より今日、先月より今月、去年より今年と自分たちの運用しているデジタルマーケティングの質を常に向上させ、改善し続けることによって、事業を成長させつつ、登録CPAを維持、改善させ続けるしかないのである。つまり、過去の成功を維持することでは未来の成功はあり得ないということである。

そうなると次の問題は、どうやったら改善できるのかである。ここにも残念ながら魔法の杖は存在しない。現状の問題点を探し、原因を理解し、それを解決できるアイディアを考えて、試してみる。この繰り返しをPDCAと呼ぶわけであるが、本当にこれをどこまで辛抱強くやり続けられるかしかないと思っている。そして、このプロセスで絶対に欠かせないことが「失敗」なのである。

新しいアイディアとは、これまで誰もやってたことがない未知のチャレンジである。これに成功することを求めたら、誰も失敗を恐れてチャレンジしなくなり、新しいアイディアは試されず、改善活動は起こらない。と言われれば、そんなの当然のことで、目新しいことなどないと思うかもしれない。でも、この考えを本当に一貫して実行に移せている人はどれだけいるだろうか?自問して考えてみてほしい。もちろん私自信も完璧な人間であるはずもないので、部下に対して、「何故こんな判断をしたのか?」と問い詰めたり、代理店に対してパフォーマンスが落ちたことの説明を強く求め過ぎたこともあるかもしれない。でも、それは改善のためのチャレンジに失敗したことの結果であるかもしれず、ただ結果だけをみて評価してしまっていないであろうか。私の経験上、部下は上司よりも怒られたことを覚えているケースが多いため、上司がそれほど深く意図しないで怒ってしまったことは、上司よりもほとんどの場合長く覚えているもので、一度怒ってしまったことは永遠にやってはいけないことになってしまうケースが多いと理解しておいた方がよいと思っている。

ここまでで、なぜ失敗が重要で、失敗を許容するマネジメントが重要であるかはご理解いただけたであろうか?もし、そうだとして、次に重要なのはマネジメントとして、失敗を許容することと同様に重要な、その失敗をどのようにコントロールするかについて、次から考えてみたい。キーワードは残りの3つのキーワードである。

失敗の規模をコントロールする

一つ目のキーワードは、1)小さなである。いくら失敗を許容するといっても、失敗の大きさは当然コントロールしなければ、マーケティング全体のパフォーマンスを安定して維持できなくなってしまう。このため、チャレンジするにしても、規模を限定することは必須事項である。

幸い、デジタルマーケティングというのは、正しい運用ができているケースでは広告予算は、媒体×アドグループ/キャンペーンなどというように、一つの大きな丼に入っているのではなく、細切れに分かれているので、新しい試みを予算が限定された一部のアドグループ等の小さな単位で実験することが可能な構造になっている。しかも、パフォーマンスの計測もそのアドグループでできることがほとんどであるため、「小さな」を実現できる環境が整っていると理解してもらいたい。(もし、現状のデジタルマーケティングの広告のアカウントがそのような構造になっていないとしたら、それは現場の基本的なデジタルマーケティングのスキルが足りていないので、そこから改善しなければならない。)

また、小さくを現場が安心して実行しやすい環境を整える方法として私が推奨するのが、担当者に割り振られたマーケティングの予算のうち、〇%はテストに使ってもよいという目安をガイドラインとして提示しておくことである。具体的な数値は、企業のおかれている環境や、その時々の会社や部署のパフォーマンスに応じて変わってくるので具体的には申し上げにくいので、試行錯誤しながら考えてもらいたい。

但し、この小さくを重視しつつ、注意点を一つ申し上げる。それは、改善のための失敗には当然Checkという実施結果の検証のプロセスがあるわけだが、その結果の検証がある程度統計的に正しそうな最低限の規模を確保できているかは確認が必要であるということだ。また、最近では多くの広告の最適化にAIが導入されているため、テスト実施結果のために必要な機械学習の学習データ量が足りているかどうかの確認も必ずしなければいけない。

早い失敗がPDCAを加速する

二つ目のキーワードは「早く」である。デジタルビジネスの世界で「早く」はほとんどの場合「善」であると私は考えている。PDCAを回転させ、競合企業に打ち勝つためには、回転速度を可能な限り上げる必要がある。ここで必要なキーワードが「早く」である。

この早くを実現するための秘訣は、実はこれまで議論してきた2つのキーワードである「失敗」の許容と、「小さく」であると考えている。ビジネスの世界で「早く」のポジティブな対義語は「慎重」であると考えている。石橋を叩いて渡るという諺があるが、「慎重」という言葉は、失敗をしないための重要な教訓であると理解されていると思う。でも、ここでのテーマは、失敗しても良いということなので、失敗を避けるために過度に慎重であることは悪い意味であるとして捉えなければいけない。幸い私は両親に恵まれていたのか、家庭において何かに失敗して怒られた記憶がほとんどないのであるが、多くの部下を見てきた経験で、日本社会では失敗することを非常に嫌がる人が多いと感じている。このため慎重さが良いことと過剰に評価されていると思うが、早さの実現のためには、この心理障壁を取り去ってあげることが非常に重要であると思う。

また、小ささもこの心理障壁を下げることには重要であると考えている。一度大きな失敗をさせてしまうと、部下はどうしても失敗したくないと考えてしまうものである。このため、マネジメントの責任は、小ささをコントロールし、部下に大きな失敗をさせないで、失敗し続けられる環境を整えることが非常に重要だと考えている

「いいかげん」な失敗を根絶する

最後のキーワードが「意図を持って」である。実は、1年くらい前まで、この「意図を持って」という言葉は明確に言っていなかったのであるが、入れたほうがより分かりやすいと思ったので、最近セットで話すようにしている。

ここまで、失敗を許容しろと言い続けてきたが、大きさと同時に、もう一つ絶対に許容できない失敗がある。それは、何の仮説もなく、面白そうとか、なんとなくいい感じな気がするとかいう状況で起こった失敗で、私はこれを「いいかげん」な失敗と呼んでいる。何のために失敗を許容するのかということに立ち返れば、それは改善をするためである。このため、許容される失敗は、何らかの問題点や改善可能点があり、それを改善するアイディア・仮説があり、それを証明するために実施したテストの結果起こってしまった失敗である。

このため、意図を持ってという言葉をより具体的に言えば、テストには必ず、課題があり、それを解決する仮説があり、それを検証するためのテストがあり、最終的にテスト結果を検証するというプロセスがあることは必須である。これが一つでもかけているテストを部下が実施したとすれば、それは必ず明確に問題として指摘し、再発防止を一緒に検討しなければならない。そして、この意図を持っての部分において、当然のごとくデータドリブンな経営と繋がってくるわけである。

マーケティングという会社のお金を使うという部署は、そのお金の使い方に常に周りの部署や他の経営陣からの目が光っていると認識すべきであると考えている。特にデジタルマーケティングという分野は若いメンバーが多い可能性が高いため、注意が必要である。若いメンバーに大きな予算を渡すようになると、どうしても1円の大切さを忘れてしまうことがある。会社のお金は1円でも無駄に使ってはいけないということを忘れないためにも、意図のない、無駄な失敗は許容してはいけないと強く意識づけしなければいけない。これができていないと、大声で「失敗を許容する」などと話していると、マーケティングはいい加減なお金の使い方をしているなどと批判され、ガチガチな短期志向の広告運用を実施せざるを得なくなり、最初に紹介したグラフのような状況に陥ってしまうことになりかねないのである。

マネジメントの仕事は何かと問われ、「部下に失敗をさせないように指導、管理すること」と応えたとして疑問に思わない人はそれなりにいるのではないかと思うし、多くの特に中間管理職といわれる人々を見ると、そう思っていなくても結果的にそのように行動してしまっている人は多いのではないかと考えている。しかし、ここまで読んだ方にはお判りいただけると思うが、私はこの応えは間違っていると考えている。私の応えは、「部下が正しい失敗をできるようにコントロールする」ことなのではないかと思う。

責任領域の明確化の弊害とは?

業務のブツ切りが生み出す弊害

データドリブンなマーケティングをする上で、これまでの経験上、障害になりやすいようなマネジメントレベルの考え方や、伝統的なマーケティングとの違いについて、5つのポイントを具体的に説明していきたい。ちなみに、順番は重要度とは関係ないため、ご了承いただきたい。

まず、一つ目のポイントは責任領域、責任分担の明確化についてである。

多くの企業においてよく言われるのは、個人のレベルにおいても、部署間の関係性においても、評価や問題の切り分けなどの視点から、責任分担を明確化して、個人、部署の間の業務の線引きは明確化しておいた方が良いとする考え方である。もちろん、この考え方もある程度重要であることは認めるし、私がマネジメントをする場合も当然意識して組織構造を検討する。

但し、マーケティングのデジタル化をするにあたって、障害になると考えるポイントは、この個人間、部署間の線引きを明確にしすぎてメンバー間、部署間の業務がブツ切りになりすぎるケースが多いこと。その結果自分の部署の領域に他部署の人間が口を出すことを領空侵犯とみなし極端に嫌う人間がおり部署間の建設的な議論がしにくい弊害となることが多いこと。そして、より最悪なケースは同じバリューチェーンでつながっている部署間で見ている数字の定義が微妙に異なるなどして議論すべき土台となるデータという共通言語が多言語化してしまうことなどが上げられる。

人材業界の責任領域切り分け

抽象的に話してもイメージし難いと思うので、私の前職の人材紹介業界を例に取って説明する(守秘義務の関係上、あくまで例で、実際に行った議論とは異なる)

人材紹介というのは、転職したい求職者を募集して、その求職者さんの希望に沿う転職先企業を見つけてマッチングするというビジネスである。私が仕事をしていた企業においてマーケティング部門の主な役割はこの転職したい求職者を主にデジタル広告を活用して募集することであった。求職者のその紹介会社における転職開始の起点はその紹介会社のWebサイトでの登録になるが、そのあとで、キャリアアドバイザーといわれる営業部門の担当者が電話やメールをしてヒアリングをして転職の希望条件を聞き、その希望条件にFitする求人案件を探し求人提案をする、その後求職者の了承を得られた企業があれば面接を実施して、面接に合格すれば転職して新しい企業に入職するというのが一連の流れになる。

ここで、皆さんに考えてもらいたいのは、あなたが営業部門、もしくは、マーケティング部門の責任者だとして、マーケティングと営業部門の線引きはどこに引くべきだと考えるであろうか?

ここで登場するのが、前述した、責任領域・責任分担の明確化問題である。この例で、各部署が活動している領域で線引きをしようと思うと、

  • マーケティング: ~登録
  • 営業: ヒアリング~

とするのがわかりやすい。実態の業務フローとしては、ヒアリング以降は営業部門のキャリアアドバイザーが活動するため、素直に考えれば当然そうなるであろう。事実、私がいた企業でも私の入社当時はその切り分けで役割分担が決まっていた。ではこのケースで、マーケティング部門と営業部門の部署の活動目標となるKGIはそれぞ何になるであろうか?当然マーケティングは登録数の最大化であり、営業は入職者数の最大化=売上の最大化が目標になる。

ここでまた質問。マーケティング部門の「登録数最大化=入職者数最大化」はロジックとして成り立つであろうか?応えはNoである。なぜなら登録者数と入職者数の関係は次の式で成り立つからである。

  • 入職者数 = 登録者数 × 入職転換率

この状況において、登録者数の目標値が達成でき、入職者数の目標値が達成できない場合、両部署においてどのような議論が発生するだろうか?おそらくどの人材紹介業の企業でもそうなると思うが、営業が一番先にいう言葉は、マーケが集めた登録者(求職者)の「質が悪い」というものである。でも考えてほしい、マーケティングと営業は責任分担の明確化のために明確な線引きをしたはずなのに、ヒアリング以降の転換率が悪いことの理由をマーケティングに求めるのは明らかな領空侵犯、責任転嫁である。ということで、多くの企業においてはマーケティング部門と他部署の関係性は悪化していく。

部署間での責任の共有が健全な議論を促進する

では、なぜこのようなことが起きるのかといえば、私から言わせれば、責任分担を明確にしようという発想が実態から著しく乖離していて、それを無理やり切り分けようとしていること自体が間違っているからである。なぜなら、このケースでいえば、入職転換率というパラメータは、マーケティング部門で獲得した求職者の質と営業のキャリアアドバイザーの活動の質という主に2つに因数分解することができ、入職転換率の未達はどちらか、もしくは、両方の悪化が原因で起こった可能性があるからである。

このような状況において、私が提案する解決策は、両部署の責任範囲の線引きは明確にせず、両部署が責任を共有する領域を作り、その部分の良し悪しについて両部署が定期的に議論できる機会を作るということである。例えば、この例でいえば、「求人提案数」を両部署の共通の目標とし、登録から求人提案の転換率は両部門で共通の目標とすると解決するかもしれない。そうすれば、マーケ部門は単純に安く多くの求職者を集めることに特化せず、求人提案転換率も見ながら転換しやすい求職者はどのような人で、登録の単価と転換率がどのようにバランスするのかを考えるようになる。また、営業部門も、例えば求人提案率が前月から悪化していないのに入職転換率が悪いとしたら、マーケの質が悪いのではなく、求人提案以降の転換率が営業オペレーションの問題で悪くなっていないかなど検討できる。つまり、責任が両部署でオーバーラップする部分をあえて作ることで、双方同じ立ち位置で議論できる余地をあえて作ることが可能になり、お互いが他責にするのではなく、双方の状況を理解する努力をしやすくなるという分けである。

もちろん、このようなこの提案に対して、特に自部署の管理をきちんとできている自信のある部署の責任者ほど、責任分担が曖昧になることへの反対意見が出ることが多い。もちろんこれはバランスの問題なのだが、この点については本当に腹を割って話をすべきであるし、この点でマーケティング部門の責任者が議論に負け妥協することは、私のいう「誰が言ったかパターン」でデータドリブンな経営ができない状況になってしまうと言わなければいけなくなるのかもしれない。日本企業の多くは伝統的にマーケよりも営業の方が強い、声が大きい傾向にあるため、なかなか大変かもしれないが、マーケの責任者の頑張りどころである。

実際に前職でどのような結論にしたかは申し上げられないが、この事例をもとに、一度あなたの会社の組織間、特にマーケティング部門と他部署の間の責任領域、責任分担の考え方が、本当にデータドリブンでマーケティングを行える環境にあるかを見直してみてはいかがであろうか?

なお、実際にデータドリブンマーケティングを実施するにあたって、どのような目標設定、KPI設定にすべきかというのは、別の項で詳細に議論するようにする。

データドリブンマーケティングとは?

データドリング以前のマーケティング

データドリブンという考え方とデータドリブンな経営についての注意点については前項で説明したので、そちらを参照いただくとして、ここではデータドリブンなマーケティングの重要性を考えていきたい。

まず、前提条件として、最近マーケティングを始めた若い人にとっては、マーケティングがデータドリブンなことなど当然と思われるかもしれないが、この点でも、はっきりそうだとは言い切れない。

その違いを一番わかりやすく説明する手法として私がよく例に使うのが、インターネットの広告といわるる4マス媒体といわれるテレビ、新聞、ラジオ、雑誌などのオフライン媒体の違いである。私がインターネットビジネスの世界で働き始めたのが1999年だが、そのころマーケティングといえば中心は4マス媒体で、ネット広告というのは、なんか最近新しいインターネットというメディアができて、テレビとかよりもターゲティングができるらしいよくらいの位置づけでしかなかった。2002年に楽天市場のマーケティングを一人で始めた時も、広告の出稿と楽天市場の購入実績をトラッキングするようなツールも普及しておらず、自社のシステム部門に依頼して自分たちで作るしか方法がない状況であった。

つまり、デジタル広告、デジタルマーケティングがトラッキング可能で、マーケティングが当然のようにデータドリブンであるという状況は当然のように思われるが、実はこの20年くらいでマーケティングの世界は大きく変わってきたというのが実態である。逆に言えば、そろそろ50才になるような今の大規模な企業で上位レイヤーにいるような私と同年代のマーケターで、ずっとデジタルマーケティングをデータドリブンでやってきましたという人間は、自分でいうのも変だが、実は希少な存在でなのだと自覚している。

データドリブンマーケティングの成功=高度に洗練されたPDCA

ということで、マーケティングもデータドリブンではない時代もあったのだという前提条件の理解をしたところで、今の環境下でのマーケティングのデータドリブンを考えてみたい。幸いなことに、今のデジタルマーケティングの環境は、データの取得という意味では、非常に恵まれた環境にある。3rd Party Cookieの規制や、個人情報の保護の問題など、最も自由であった時代よりは制限は厳しくなっているとはいえ、それでも自分たちのマーケティング上のアクションに対するリアクションをある程度正確にトラッキングできる環境であることには変わりはない。

デジタルマーケティングの基本中の基本は、このアクションとリアクションのデータを継続的に取得分析して、改善施策を実行するというPDCAを絶え間なく回し、その精度を競合企業よりも高度に洗練させられるかどうかである。これもある種当然のことを言っているのだと思うかもしれないが、ここで重要なのは「競業企業よりも高度に洗練」という部分で、ここを自信を持ってできていると言い切れるマーケティング担当者はどれだけいるだろうか?

これまで様々な事業のマーケティングチームを見てきたが、私の視点でき洗練されたPDCAを回しているといえるマーケティングチームに出会うことは残念ながら非常にまれである。もちろん、マーケティングチーム自体が未熟であるというケースも少なからず存在する。ただし、よく見るとマーケティングチームがデータドリブンに、正しくPDCAを回せる環境が整っていないことが原因であることも少なくない。CMOやマーケティング部長などマーケティングの責任あるポジションの人間の最も重要な責務は、現場がデータドリブンに意思決定をし、PDCAを正しく回す環境をどれだけ整えられるかということであると思う。そのためには経験上気を付けなければいけないポイントがあるので、次項以降で、項目ごとに説明していきたい。ポイントは次の5つであるが、「?」がついているところに気が付いてもらえるとうれしい限りである。

  • 責任領域の明確化?
  • 結果責任重視?
  • 綿密な計画?
  • User Insight?
  • 売上最大化?

データドリブン経営とは?

データドリブン経営の定義

データドリブン(Data Driven)のもともとの定義とは、下記のようにコンピュータサイエンスにおける計算モデルのことであるが、

「計算機科学における計算モデル(抽象的な計算の方法)のひとつである。データ駆動においては、ひとつの計算によって生成されるデータがつぎの計算を起動し、つぎつぎに一連の計算が実行される。」(出展 Wikipedia

これをビジネスの世界に置き換えると、各種データに基づいて意思決定をしていく経営手法であると一般的に理解されている。このデータドリブンなビジネスの手法は、DX化が叫ばれ、多くのビジネスがデジタル化、AI化されていこうとする中で、その重要性は増している状況にあるといえる。

ただ、この定義を聞いて、多くの人は当然のことであり、たいして目新しいものに聞こえないという人も多いのではないだろうか。私の場合、学生中から25年近くデジタルビジネス、ネットビジネスの世界で生きてきたということもあるかもしれないが、少なくともこれまで働いてきた会社や、一緒に仕事をしてきたパートナー企業の中で、データが重要ではないという会社にあったことはなかったと思う。

では、なぜ今更、データ重視の経営というようなある種当然の話がもてはやされるようになってきたのだろう?その理由を考える際に、おそらく失敗に終わる考え方は、データが重要でない理由を考え出すという思考法だろうと思う。私の経験上、よほど特殊なケースでない限りデータが重要ではないということがビジネス上で発生することはほとんどないため、この論法で攻めようとすると、おそらくそれっぽいロジックを組むことは難しいのではないかと思う。少なくても私には、思いつかない。

ただ、別の考え方として、あなたの会社やビジネスにおいて、明文化されていないにしても、データより重視されて意思決定がなされているようなケースが見当たらないかという聞き方をすると、「ああ!」と思いつく例はないだろうか?

データドリブン経営の障害となる典型例

このケースの最も代表的な例が、私も何度も経験したが、「社長/役員の〇〇さんがこういっている」というケースで、これを私は典型的な例として、「誰が正しいパターン」と呼んでいる。組織で仕事をしていると、どうしても組織構造の上位レイヤーにいる人間の意見がとおりがちで、その人物の意思決定の思考回路がデータドリブンであれば問題ないのだが、データよりも経験や感覚が重視されがち(頭が悪いのではないと信じたい)である場合は、結果的にデータドリブンにならず、データという客観的事実を重視して現場が出した結論がひっくり返るということが起き、現場のモチベーションが下がりまくるということが起こりがちである。

もう一つの代表例は、「マーケはOKなんだけど、営業がNGと言っている」とか、「当社はこの方向で行きたいのだが、大口の取引先の〇〇社がうんと言わない」というような「関係者がNGパターン」である。このような例も、残念ながら、それなりの頻度で発生しがちである。社内での力関係で自部署の意見が通らないとか、企業としての交渉力が立場上弱く説得ができないなど、現実にはなくすことは難しいのも事実である。

データドリブン経営の実現はまずマネジメントレイヤーから

ここでは代表的な事例を2つほど紹介したが、そのような視点で自分のおかれている環境を見直してみると、自分の会社が当然のことと思われたデータドリブンな経営ができているのかというのを評価することはできるし、多くの場合、改めてデータドリブンな経営ということが言われている理由が理解できるのではないだろうか?

会社としてデータドリブンは重要だということになり、今日からデータドリブンで行こうと決めたとしても、多くの流行りの経営手法同様に一朝一夕には行かないのも事実である。ただ、私の経験上、自分たちはデータを重視して企業経営を行うという意思を明確にし、それを経営のトップ層が実践すれば、中長期的に会社の下位レイヤー層の仕事の仕方、意思決定の仕方、上司への提案の仕方は必ず変わってくるものである。そのために最も重要なのは、経営のトップ層が根拠の説明もなく「自分はそう思わない」というデータに基づかない意思決定を行わないことを徹底すべきである。もし部下の提案に同意できない場合は、その理由を明確に説明し、もしその説明にデータ的な論拠がない場合は、それをサポートするデータの追加分析を依頼するか、自分の推論・仮説が間違っているというデータの追加分析を部下に指示するなどして、自分の意思決定をデータドリブンなものする努力をすべきである。もちろん、最初の自分の結論が結果的に正しい場合は、時間の無駄に思えるのかもしれない。しかし、自分の会社の経営が論拠のない誰かの感覚の集合体によって行われるのか、ある程度ロジック建てされたデータドリブンな経営がなされているのかのどちらが良いかを考えれば、少なくても私は後者の方がはるかに良いと思う。再現性のある意思決定が一貫して行われることで、中長期的には成長できる会社になるのではないかと考えている。