(番外編)なぜ楽天のグローバル化が上手くいかなかったのか?

楽天の海外展開は当初の想定レベルで成功したのか?

私が楽天を退職して大手ゲーム会社で米国に駐在している前後2-3年くらい(2010-2014年くらい)がおそらく楽天がグローバル展開を本気でやろうとしていた最盛期であると思う。その間、海外の様々な企業を1000億円単位の金額でいくつか買収するなどしていた。Viberebatesなどがその買収例であろう。私は2011年の前半に退職してしまったので、それ以降のことは内部情報は全く知らず、皆さんと同レベルプラスアルファくらいのアウトサイダーレベルの情報しか持っていないので、ここから話す内容は、私の見解ということで読んでいただきたい。もちろん内部から見たら違う見方があるのかもしれない。また、この話を述べるのは、大恩義のある楽天を批判したいのではなく、日本企業のグローバル化を考えるとても重要な学びになると考えているために書くので、その点はご理解いただきたい(気分を害される方がいたら先にお詫びいたします)。

もちろん何をもって成功したかという話はあるかと思う。楽天は公用語英語化と言い出した2010年より少し前から本格的な海外展開を始めた。まず台湾に進出して海外展開のテストマーケティング的なものをはじめ、そのあとで百度(バイドゥ 中国の検索サイト大手)と組んで中国進出も目論んだ。実は余り知られていないが、楽天が中国本土に進出したのは、それまでBtoB向けのECサービスであったアリババがBtoCのショッピングサイトであるT-Mallを立ち上げたのとほぼ同タイミングで、サービスを開始するタイミングとしては別に圧倒的後発なわけでもなかったが、現状でいえば見る影もないくらいの差がついてしまっている。その後も、私の退職後に、先ほど上げた例以外にも電子書籍のKoboや、いくつかの国で大手、中堅のECサイトやショッピングモールサイトも買収していた。その結果は、当時思い描いていたグローバル展開がができていると言えるであろうか?少なくてもYesとは言えないのではないだろうか?ちなみに、答え合わせ的に2023年の通期決算説明会のプレゼンテーション資料をみると海外事業については売上については一言も触れられず、実額の公表もなく海外事業の赤字が縮小していると言及されているだけである。もし、これが思い描いた通りに上手くいっていれば、おそらくもっと大々的に成長ドライバーとしてのアピールをするはずである。

オープンにこういう発言をすると後出しじゃんけん的に取られるので、少し気が引けるのであるが、楽天の海外展開については2011年に退職する前から結構厳しそうだなという感じがしていた。その後大手ゲーム会社で海外展開の仕事をして、その両者を自分なりに比較しながら、企業、特に日本企業の海外展開を行う際に私なりに重要だと思ったことをここでは番外編として書きたいと思う。

楽天経済圏構築の代償?

私が、楽天グループの海外展開が上手くいかなかった最大の理由は単純に動き出しが遅すぎたからだと思っている。楽天が始めて本格的に海外進出を行ったのは2008年の台湾進出からである。創業が1997年であるから、創業から11年目である。では、その間楽天が何をしていたのかといえば、日本国内で事業の拡大と多角化を行っていた。先ほど上げたIR資料の楽天の売上成長のグラフ(スライド7)を見ると、2002年にポイント、2003年に楽天証券と、旅の窓口の買収(楽天トラベルは2001年に始まっているが実は自社で立ち上げた事業は全くうまくいかず2003年に当時国内No.1旅行予約サイトであった同社を買収していまの楽天トラベルになっている)、2004年プロ野球参入、2005年楽天カード、2006年楽天経済圏構想と説明されている。正にこの時期に私はこの実行をする真ん中に近いところをウロチョロしていたので当事者的に覚えているが、楽天市場で集めたユーザーベースを活用して、日本国内で様々なネット事業を展開し、その循環のための血液としてポイントを活用するという今でいう楽天経済圏を一生懸命構築していたということになる。楽天の売上の成長軌道を見ると2004年を境に大きくジャンプしているので、この辺の買収と多角化戦略は企業成長という観点でいうとおそらくそれほど間違っていなかったのだと思う。当時の会社の状況を考えると、中にいた社員は自分も含めて相当ハードワークはしていたので、この多角化戦略の中で全力で頑張っていたと思う。ただ、今になって振り返れば(これは批判しているのではない)、この2002年くらいから楽天市場の拡大と多角化に全力を注いだ犠牲として海外展開にまでリソースが回らなかったのだと思う。そして、実は多くの日本の企業、特にネット系のサービスの企業が、グローバルに成長できない最大の理由がここにあると思う。大きなポイントは2つある。

国内事業の多角化の犠牲になる海外展開

一つ目のポイントは、いま楽天の歴史を振り返ったように、日本国内の多角化にリソース(たぶんこれは人とお金の両方)を使うことによって、単純にグローバル展開へのリソースが希薄になるか、単純に動き出しが遅くなるということが発生する。実際、私が知っている2010年前後に楽天グループが楽天市場のショッピングモールビジネスを海外展開しようとおもって展開を始めた時点で米国はもちろん、ヨーロッパの主要国においてもすでにAmazonかeBayのどちらか(殆どAmazonだったとおもうが)が、すでにECのNo.1の地位を占めており、すでによーいドンの戦いにはならない状況であった。その中で楽天は、彼らに継ぐ2-3位のECサイトを各国で積極的に買収していったが、1-2位との差が大きすぎて勝負にならないという状況であったと思う。これが、私が楽天の海外展開が上手くいかなかった理由が遅すぎたからだという最大の理由である。

2つ目のポイントは、日本国内で海外展開をする前に多角化をしすぎると、そもそも日本で行っているビジネスが複雑になりすぎて、日本の成功モデルをグローバル展開するハードルが上がってしまうということである。楽天が台湾に進出した2008年当時の楽天には、楽天市場だけでなく、トラベル、証券、カード、ポイントなどが存在していた。しかもそれぞれのサービスが当時ネット系のビジネスとしては国内のNo.1-2の地位を占めていた。では2008年にこの楽天経済圏をそっくりそのまま台湾に移植しましょうといっても、いきなり5つものネットサービスでその国内トップクラスの企業を同時に作るなどほぼ不可能に近い。ただ、実はそれが出来ないと、楽天がAmazonのようなグローバルプレーヤーと国内で何とか競争出来ている理由が成り立たない。つまり、後発のマイナーな状態で競争を挑んでも、そもそも単体のビジネスとしては競争優位性が殆どない。ハッキリ言えば、戦える武器が存在しない状態で後発で戦うという戦略論的に到底うまくいきそうもない戦いをせざるを得ないことになってしまっていたと思うのだ。おそらく、これは私の退職後に起こったことなので、あくまで推測だが、楽天もこの点に気が付いて、Globalで大きなユーザーベースを持ち、楽天経済圏的なプラットフォームを海外に作ろうと考えたのだと思う。それで買収した会社が通信アプリのViberであり、電子書籍のKoboであったのだろう。でも、この手もよろしくなかったのは、買収したサービスが業界No.1ではなく、ViberにはMetaグループのWhatsUpがおり、KoboにはAmazonのKindleがいた。つまり、飛び道具として取り込んだ武器自体にも残念ながら競争力がなく、日本における経済圏構築をグローバルで構築するための起爆剤にはならなかった。

中途半端に大きい日本市場が判断を誤らせる

ではそもそも、なぜ、このような話になってしまうのであろうか?最も大きな理由が、日本のマーケットが中途半端に大きいことがだとと思っている。人口減少とか、失われた30年とか言いながらも、日本のマーケット規模(GDP)は、去年まで世界3位、現状でも米国、中国、ドイツについで4番目の規模である。このことは日本で起業をするには大きなビジネスチャンスであるといえる。しかも、日本の場合、日本語という世界の70億人の人口のうちほぼ1/70程度の人間しか話していない超マイナー言語でサービスを提供しないと殆ど成功の可能性がないという特殊な事情があり、比較的欧米企業が進出するまでのタイムラグが存在することが多い。このため、特に日本のネット企業の多くは、米国で成功したビジネスモデルを彼らが日本に進出する前に日本で独自に展開してしまうという手法で成功するケースが比較的多い。ソフトバンクの孫さんは、この手法をタイムマシーン経営と言っていた。それほど間違っているとは思わない。

ただ、最初の第一歩目はそれでも問題ないのだが、一つ目の事業が軌道に乗り始めた後、多くの日本企業と欧米のグローバル企業では、次の一手に違いがある。私の見ている感じでは、大抵の欧米の企業は次の一手として海外展開を検討する。これに対して殆どの日本企業は、日本で成功した事業をベースに多角化展開を検討する。では、なぜこの違いが生まれるのか?私は、この選択の違いは、短期と中長期のリスク判断の読み違いなのだと思う。

そもそも、日本の多くの企業は国内マーケット向けの仕事をするスタンスでいるため、海外進出というと海のものとも山のものとも分からないという感じで、リスクが非常に高いと感じてしまう。まあ、もちろん簡単ではないしリスクも小さいわけでもないのだが。一方、国内で既存事業の周辺事業への多角化を実施しようとすると、自分の理解が深い市場であるし、皆さん大好きな「シナジー効果」も発揮できそうなので、日本国内の多角化にはリスクが少ない、もしくは、少なくてもコントロール可能なような気がしてしまう。また、リスクが少ないということは、必然的に収益化、黒字化できるスピード感も海外進出よりは早く、事業成長スピードが短期的に早められる可能性も現実的にかなり高いのだと思う。

短期視点のABテストの罠のような話はパフォーマンスマーケティングの議論で何度か述べたが、実は日本企業のグローバル展開と国内多角化の意思決定の際にも同じような話が発生している可能性は非常に高いと思う。経営者が向こう2-3年くらいの事業成長を優先すると、おそらく国内の多角化を実現する方が収益の拡大の可能性は遥かに高いと思う。この意味でこの決断は全く間違っていない。事実、そこまで明確に記憶にないが、2002-2008年くらいの楽天がドンドン多角化している当時の自分も、会社の事業が急速に大きくなり、仕事も忙しくなっていく中で、いま自分たちが行っている事業の拡大が、海外進出の機会損失とトレードオフになっているなど全く考えていなかった。むしろ、拡大していくグループを見て、これはなかなかすごいぞくらいに思っていたような気がする。私は当時は経営の意思決定をするレベルのポジションにいたわけではなく、そのサポートをするポジションであったが、当時の自分を振り返っても、この誘惑を断ち切るのは相当強固な意思がないと難しいと思う。

欧米企業が中長期視点でグローバル投資を出来る理由

では、欧米の企業、特に米国の企業が短期的な多角化の誘惑を断ち切り、なぜあのようにアグレッシブにグローバル展開することが出来るのであろうか?主な理由は3つくらいあると思う。①国内市場VSグローバル市場の規模の差の成功体験、②スタートアップの売上重視の姿勢、③グローバルな人材プールである。

国内市場VSグローバル市場の規模の差の成功体験

①の国内市場とグローバル市場の差については、米国で考えるよりもヨーロッパで考える方が分かりやすいであろう。私がいたモバイルのゲーム企業にSupercellという会社がある、Crush of ClansやCrush Royaleなど世界的に大ヒットゲームを制作、販売している企業である。この会社はどこの会社かというとフィンランドの会社である。フィンランドという国は人口わずか550万人くらいの北欧の国である。550万人というと日本の都道府県の人口ランキングでいうと7位の兵庫県と同じくらいの規模である。GDPも30兆円前後という日本と比較すると何十分の一の規模の市場の国である。モバイルゲームというのは、AppleとGoogleがそれぞれApp Store、Google Playというグローバル共通のアプリ配信プラットフォームを展開してくれているので、ビジネスとしてグローバル展開するハードルが実は著しく低くなっている。極端な話、日本国内限定で配信するか、グローバル配信するかの配信設定上の手間の違いといえば、配信対象国のチェックボックスをクリックする数の差だけである。もちろん成功するためには、ゲームのローカライズとかいろいろやらなければいけないことはあるのだが、やろうと思えば実は誰でもグローバルでビジネスが可能である。特にSupercellのように圧倒的にクオリティの高い商品を開発する力があれば、AppleやGoogleがアプリストア内で大きく露出するなど、集客のサポートまで受けられるので、マーケティングの手間も相当軽減することが出来る。

ここまで、環境が揃っていて、人口550万人の小国のフィンランドの会社が、自国向けのOnlyの商品を開発するだろうか?実際、私が会った欧米のモバイルゲーム会社で、自社のタイトルを自国市場向けのみでビジネスをしようという発想の会社は一社もお目にかかったことがない。フィンランドは極端な例であるが、それは、イギリス企業でも、ドイツ企業でも、フランス企業でもほとんど変わらない。もちろんそれは米国企業でも同じである。私が知っている限り、モバイルゲームを自国市場向けに開発している企業がそれなりの規模で存在しているのは、日中韓の東アジアの3か国だけである。しかし、日本のゲーム会社と中韓のゲーム会社で異なるのは、日本以外の2か国は国内市場と同程度かそれ以上にグローバル市場向けに投資をしている一方で、日本のゲーム会社は日本向けだけにビジネスを行っている企業が大半である。

私がいたゲーム会社の場合は、幸い海外で戦えるIPが複数あったため、グローバルにチャレンジを続けているし、同様に老舗のゲーム企業は海外の基盤があるため海外でも何とか戦えている。しかし、おそらくモバイルオリジンで立ち上がったゲーム会社で現時点でグローバルでまともに勝負出来ている企業というのは、日本にはほぼ存在していないと思う。

それは何故なのか、ハッキリ言うが、日本のゲーム会社の多くが、そもそも日本市場向けに特化した商品開発を最初からしてしまっているからである。そして、それなりの確率で、日本市場だけで投資回収が出来てしまったりする。日本のGDPは世界のシェア5%程度であるのにも関わらず、最初から95%を捨てているのである。

なぜ、そうなるのか?それは単純にグローバルで成功したときの爆発力を体験したことがないため、失っている機会損失に殆ど気が付いていないからだと思う。ちなみに、私が関わったモバイルゲームタイトルでグローバル配信を行い最大のダウンロード数があったものは累計7億ダウンロードである。もちろんユニークユーザー数ではないと思うが、それでも7億である。日本国内向けだけにビジネスをしているだけでは絶対に不可能な数字である。私は、日本市場でビジネスが成り立ってしまうという今の日本市場に中途半端な規模は日本企業がこの30年間でグローバルで圧倒的に地位を低下させてしまった大きな原因のひとつであると思う。日本企業は、サービスの開発時点からグローバル展開を見据えて事業の展開をしなければいけないと思う。

スタートアップの売上重視の姿勢

②の問題は、最近は少しずつ変わってきているのかもしれないが、日本のスタートアップに投資されるベンチャーキャピタル(VC)等のリスクマネーの企業の評価が利益の創出に寄りすぎていることに起因している。凄く大雑把にいうと、もちろん無駄に金を使うことは全く許容されないが、シリコンバレーの大手VCなどが初期のフェーズで投資先企業の評価として最も重視するのは売上の成長率であると思う。事実、GoogleもAmazonも設立からかなり長期間に渡って大幅な赤字企業であった。特にAmazonなどはその赤字の巨額さが本当に大丈夫なのかとかなり議論になっていた。それなのに、日本進出も含め強烈にグローバル展開を図っていた。もちろん利益を評価基準にすれば、自国でも黒字化していないのにグローバル展開するなど日本企業の発想からはほぼあり得ないであろう。そもそもそんなアグレッシブな事業計画を書いても、おそらく日本のVCで資金を供給し続けてくれることは非常に可能性が低いと思う。しかし、シリコンバレーのVCが狙っているのは中途半端なリターンではなく、グローバルで成功する企業を生み出すことだ。世界最大のアメリカ市場が幾ら大きいといっても世界のGDPの2割前後である。誰かに残りの8割を持っていかれてしまっては、グローバルのトップ企業にはなれない。だから、国内の黒字化よりも本当にポテンシャルがある事業であれば、売上拡大のために早期のグローバル展開を後押しする。シリコンバレーで仕事をしているとそのようなアグレッシブさを本当に身近に感じて、日米の差の大きさに愕然とした(ただ、赤字のまま資金調達し続けるというのは、調達が止まってしまった瞬間に会社はつぶれてしまうので、巨大な自転車操業のようになるので、偉そうに言っているが私は精神衛生上、シリコンバレー式の事業拡大サイクルに参戦する勇気は今のところないが)。

グローバルな人材プール

そして③の人材プールについては、それこそシリコンバレーにいると強く感じることである。よくアメリカを移民の国だと表現することがあるが、それは昔話では全くないとアメリカにいて感じた。もちろん自分も日本人としてアメリカに住んでいたが、アメリカで働いている人と少し仲良くなってパーソナルな話をするようになると、そもそもアメリカ人でない人が結構な割合で存在する。シリコンバレーという場所が、ITビジネス界のプレミアリーグみたいな場所なので、世界中の優秀な人がチャレンジしに集まってくるのだと思うが、たぶん2-3割の割合で外国人がいるような感覚だ。そのような環境で、様々な国籍の人が集まって仕事をしていると、そもそも米国外でビジネスをすることのリスクみたいなものが、実態として下げあれるのか、下がった気になるのかは分からないが、少なくても心理障壁は相当下げられるのだと思う。例えば、日本に進出しようと思ったときに、社内に日本人がいれば、分からないことがあれば彼に聞いてみようとなる。それだけでも、だいぶ違う気がする。

早くチャレンジしなければ成功もあり得ない

ここで上げた3点理由は、私の考える海外と日本の差の代表例だが、おそらくそんなにポイントはずれていないと思う。少なくても楽天が一生懸命多角化を推進しまくっていた2002-2008年くらいの時期にはがっつり当てはまると思う。

そのように考えると、メルカリなどが結構早い段階で、シンプルに海外展開を図っているのは素晴らしいと思うし、素直に応援したい。

GreeとDeNAもチャレンジしたのは素晴らしいと思った。ただ、この2社はチャレンジする相手がGoogleとAppleになってしまったので、正直戦略的に現実味がなかった気がする。たぶん数百億円損をしていると思う。でも、そもそもチャレンジしなければ、成功もあり得ないので、それは良しとしなければいけないと思う。少なくても会社が傾いたということはないのだから。

結構長々書いてしまったが、11年以上働いた楽天が結構本気で海外展開しようとして、何故あのようにあっさりうまくいかなかったのを見ていて、単純に悔しかったし、日本のネット企業のすごく重要なモデルケースであると思って、米国にいるときに考えた私の結論はこんな感じである。

いま若い人たちが一生懸命起業していて、私が若い頃よりは遥かに資金調達もしやすい環境になってきたので、そういう若い人たちに少しでもここでの議論が参考になれば良いと思う。

現地に任せるか、グローバルでマネジメントするか?

マルチローカル VS グローバル組織

前回はモバイルアプリゲームという、ある意味最も海外展開するハードルが低いケースを想定して、マーケティングチームをどのように海外展開していくのかという話をした。ただ、繰り返すがモバイルアプリゲームというのは、プラットフォーマーが集客以外はほぼ海外展開環境を整えてくれるので、マーケティングは寧ろ面倒な方で、それ以外はプロダクトのローカライズ以外は殆どビジネス上の準備が必要ないという、相当特殊なケースであると思うので、もう少し一般的にどのビジネスでも発生しそうな話題について話そうと思う。それは、マーケティングチームをどのようなときにグローバルマネジメントして、どのようなときにマルチローカルで進めるのがよいのかという話である。

この話をする良い例が、なぜ私が大手ゲーム会社時代にグローバルのマーケティングの体制を作る必要性に迫られたのかという話をすると、理解がしやすいと思うので、その話からしたいと思う。

ゲームビジネスのパッケージビジネスから運用型サービス業への転換

大手ゲーム会社において、私がマーケティングの責任者になったときの大きなミッションが、マルチローカルだったマーケティングチームのグローバル化であった。では、なぜそれ以前はマルチローカルでよく、2015年ごろにグローバル体制に変更する必要性に迫られたのだろうか?その背景には、ゲームビジネスのある変化が存在する。それは、ゲームビジネスのライブオペレーション化の進展である。一般的かは分からないが、その会社では運用開発と読んでいた。そもそも運用開発とはどういうものであろうか?ゲームビジネス業界でFree to Play(F2P)と呼ばれる無料で遊べて、必要に応じでゲーム内で後日課金をしてもらって収益を得るという形のビジネスモデルが本格化したのは2010年前後である。切っ掛けはFacebookのゲームコンテンツで、それに続いてDeNAのモバゲーがフィーチャーフォン(いわゆる、ガラケー)でのブラウザ型のF2Pのプラットフォームを作り大成功した。それ以前のゲームというのは、一部のPCゲームはそうでないケースもあったが、大半はゲームソフトの購入時にお金を払い、それ以降はただで遊び続けられるという買い切り型のビジネスであった。ゲームソフトが販売される流通形態も家電量販店やゲームショップなどのリテールが殆どであった。

それが、F2P型のビジネスになって変わったことは大きく2つである。ひとつは、流通形態がBtoCのダイレクトモデルに変わったことである。それまでは、Upper&Middle Funnel系の施策をメーカーのマーケチームが、リテールの販促系を営業とディストリビューター(卸)やリテールが行うというのが一般的だったマーケティングの体制が、いきなりメーカーのマーケティングチームが自社で顧客獲得をしなければいけないモデルに変わってしまった。もう一つの大きな変化が、ビジネスモデルが初期投資型の買い切りモデルではなく、後課金型に変わったことで、これまでほぼ全精力がつぎ込まれていた顧客獲得以外に、継続的にゲームを遊んでもらうためのマーケティングやゲームのオペレーションをしなければいけなくなった事であった。ゲームを遊び始めてから課金をしてもらうためには、当然そのゲームを遊び続けてもらっていることが大前提である。まさか、無料でインストールして面白くなくてやめてしまったゲームにお金だけ突然支払いに戻ってくるなどという奇特なユーザーはほぼ期待できないからである。

この2つの変化は、ゲーム会社のビジネスの進め方を根本的に変えてしまった。F2P以前のゲーム制作現場、特に日系のゲーム会社においては、基本的に制作現場のクリエーター手動で商品開発が行われていたという傾向が強かった。極端な話でいえば、プロデューサーが中心となって商品を企画し社内の制作会議的な場で企画を通して、予算をつける。ゲームが完成に近づき、発売のタイミングが見えてくるとプロデューサーが営業とマーケの担当者を呼び出して、このくらいの予算でこういうタイトルを作った。〇万本売らないと利益が出ないから売る方法を考えてプランをもってこい。みたいな状態であった。まあ、一番悲惨なケースを書いたが、私から見れば、ゲームの企画段階からマーケや営業が入っていないで制作サイドが作りたいものを決めている状態というだけで、ハッキリ言って程度の差くらいの話で、どのケースもこんな印象であった。もちろん、それで予想以上に売れるヒットタイトルもあれば、投資回収が出来ないタイトルも出てくる。しかし、ゲーム業界というのは、ヒットタイトルが出た時のROIは何百%とかではなく、何千~何万%ということもある当たり外れが極端なビジネスであったため、ある程度数を出して、そのうち何本かに一本が爆発的に大ヒットすればよいという昔ながらの体質がまだ残っている感じであった。この売り切り型のビジネスモデルにおいて、制作現場の最大のミッションは販売数を最大化できる商品を開発する事である。つまり、先ほどの例ではないが、極論ゲームを作り切って、発売してしまえば仕事は終わりである。私の時代にはそういうことはなかったが、昔の制作現場の話を聞くと、納品直前は何週間も会社に泊まり込んで開発して、納品したら1か月くらい代休みたいなこともそれなりにあったという話も武勇伝的によく聞いた。

しかし、F2P型になると状況が一変する。ゲームの開発を終え市場に出すというのは、開発の完了ではなく、サービスの開始を意味する。なぜなら、ゲームを遊び続けてもらうことで始めて収益が得られるからである。つまり、ゲームビジネスというのは、それ以前はパッケージソフトという商品の販売業であったものが、ゲーム体験を提供するサービス業へと変わってしまったのである。

F2P型ビジネスのグローバル化は運営開発のグローバル化

F2Pビジネスにおいて重要なKPIは、継続率と課金率と課金単価である。ゲームをローンチして、サービスが開発されると、データアナリストはユーザーの行動履歴を分析しながら、これらのKPIをどう改善していくのかを分析して制作チームにレポートする。ゲーム制作チームは、そのレポートで提示された課題や、強化ポイントを解決するためにゲームの改修を進める。このPDCAのサイクルがサービス開始以降、永遠に繰り返されることになるのである。これが、最初に話したライブオペレーション/運営開発である。

マーケティングのグローバル化の話のはずが、ゲームビジネスの歴史の話になってしまったが、実はこの変化がゲーム会社のマーケティングのグローバル化と深く関係している。

パッケージの売り切りモデルであったときは、実はマーケティングも商品発売前に大筋の情報出しの内容とスケジュールなどを各販売拠点で擦り合わせてしまい、マーケティングに使えるクリエイティブの基本モジュール的なものを揃えてしまえば、あとはマルチローカルに実施をする事で大きな問題がなかった。なぜなら、商品はすでに固まっていて基本的には変わらないので、決まったものを決まったスケジュールで目標に届くように製造、販売すれば済むことであったからである。

しかし、F2Pモデルの運営開発型サービスになると、それでは話がすまなくなる。今提供サービスのKPI状況はどのようになっていて、問題が新規顧客が足りないのか、既存顧客の離脱が多いのか、もしくは、顧客の課金単価が悪いのかなど、日々変化する状況に応じたマーケティング活動をグローバルで行わなければならなくなったのである。当然、制作チームとマーケティングチームは日々コミュニケーションをとり、同じKPIを見ながら、双方でアイディアを出し合って、ゲームの改善活動を行う。ゲームの運営は基本的にGlobal共通で進んでいくので、マーケティングもグローバルで連動させなければならないのである。

マーケティングの組織体制は事業の運営モデルに依存する

ここまでくると、本題の結論も見えてくるであろう。F2Pの運営開発型のビジネスモデルにおいてグローバル展開をしようと思うと、マーケティング部門もマルチローカルでは対応できないのである。これが、私がマーケティングの責任者に就任時に直面していた課題である。

マネジメントの観点でいうとマルチローカル型の方が負担も少なく簡単である。マルチローカルの場合は、各拠点にマーケティングスキルとマネジメント力があるマーケティングの責任者を確保することができ(日系企業の場合、実はここにハードルがあるケースが多い気がするが)、拠点間で連携が必要な最低限のコミュニケーションさえ出来てしまえば、あとはローカル毎に業務を進めれば問題はないはずである。おそらく、外資系の消費財メーカーなどはマーケティングのナレッジの共有や会社全体のマーケティングの基本方針などはあるかもしれないが、私の予想ではマルチローカル型のマネジメントで十分ビジネスは成功すると思う。

一方、マルチローカルの利点は、間違いなくそのローカルの市場にあったマーケティングが出来ることである。事業規模が多くくなり、その市場に特化したニーズを拾い上げることによる事業拡大の方が、ローカルのマーケティングチームを作ることによるコスト増よりも大きいと判断が出来るのであればマルチローカルで事業を拡大していくことがよいと思われる。外資系のメーカーなどが日本に拠点を置きローカルのチームをおいている理由も、比較的市場規模が大きいわりに、ニーズが特殊で、ローカルのメーカーと競争も激しいため、ローカルで対応しないと勝ち抜けないし、市場を逃してしまうと考えているからであろう。

これに対して、モバイルゲームビジネスのように、商品、サービスがグローバルで統一的に運用されているケースなどでは、マーケティングも必然的にグローバル対応をせざるを得ない。モバイルゲームがグローバル展開しやすい基盤を作ってくれているAppleのApp StoreやGoogleのGoogle Playのチームなどは完全にそのような対応だと思う。前回述べたように、デジタル中心のマーケティングで事業拡大できるビジネスである場合は、海外展開開始当初はなるべく少ない拠点で一元管理する方がおそらく現実的であろう。私の経験上、グローバルマーケティング型のマーケティング組織で余り拠点数を増やしすぎて本社で一括マネジメントしようとすると、コミュニケーションのマネジメントだけで相当リソースを使って、なかなか本質的なマーケティングに時間を使えなくなってしまう。単純に海外との打ち合わせをすることを考えても、労働時間長くなってしまうので(前々職では現場のメンバーに非常に申し訳ないと思っていた)、危険である。もちろん、マルチローカル型の利点である、ローカル市場の理解が高まる方がきめ細やかなマーケティングもできるようになるだろう。しかし、リソースが潤沢でない状況においては、まずシンプルなオペレーションをきちんと回せるようになることを主眼においてオペレーションを構築することをおすすめしたい。

 現実的に、日本企業においては、すべてのコミュニケーションを英語にするというわけには行かないことが殆どであるため、グローバルマーケティング体制を無理に急拡大すると、必ずどこかにコミュニケーションのしわ寄せがいくことが多い。外資系の企業や楽天のように英語でコミュニケーションすることを前提にしてしまえばこの問題は解決するのであるが、ハッキリ言って多くの会社では短期的には現実味がないと思う。現実を見ながら、徐々にローカル体制を強化していくことで済むのであれば、無理なくグローバルでのマーケティングのクオリティを上げていくことが出来ると思う。

グローバルへのマーケティング展開

日本でも海外でもマーケティングの基本は何も変わらない

グローバルマーケティングの展開と、グローバルに通用するマーケターをどのように育成するのかについて、考えるために必要なことを述べたいと思うが、以前議論してきたマーケターの育成と基本は変わらないので、もしまだ読んでいない方は、まずこちらを読んでいただきたい。

特に、パフォーマンス系のマーケティングについては、Globalのほとんどの国(おそらく、中国と韓国以外)はGoogleとMetaが中心的な媒体となるため、使用するマーケティングのツールの利用方法も媒体の特性もほぼ変わらない。その意味では、パフォーマンスマーケティングのスキルを日本でも、どこでもしっかりと身に着け、PDCAを精度高く回せるようにしていくということはGlobal共通のスキルになると考えて勉強してほしいと思う。ただ、Globalで活躍できるような人材になるため日本では必ずしも必須ではないが、海外ではほぼ必須になる条件は、自社運用できるようになっておくべきということだ。海外において日本の広告代理店ほどサービスがしっかりした代理店を見つけるのはハッキリ言って難しい。どの会社も自社運用が前提である。このため、いつでも自社運用できるように経験を積んでおくことは必要なスキルであると認識しておいて欲しい。

基本的には、海外でパフォーマンスマーケティングをやる時に唯一国内向けと異なるのがクリエイティブである。当然日本語のクリエイティブは日本でしかワークしないので、この点だけはローカライズする方法を検討しなければいけない。最近は生成AIの翻訳の精度も相当高くなっているので、もしかしたらそれで丸っと翻訳するみたいなことをしている会社もいっぱいありそうだが、真面目にやろうと思ったら、クラウドソーシングなどで翻訳対応できる体制を作っておいてもいいかもしれない。

実際、大手ゲーム会社時代は、パフォーマンスマーケティングの拠点は日本とLAの2拠点で回していた。日本のチームが原則日本、LAのチームが日本以外残りすべての国という感じであった。おそらくパフォーマンス系に関してはこれでも大きな支障はなかったと思っている。Globalで一番広く使える英語圏のマーケターを確保するということと、日本よりマーケティングの情報が早い米国に拠点がある方が、日本にも良い影響があると考えて、日米の2拠点体制としていたが、もし日本だけで人材を揃えられるのであれば、ぶっちゃけ、日本発でGlobalでやってしまうのでも実は何ら問題はないと思う。もし、なるべく早く海外進出したいという事であれば、国内のパフォーマンスマーケティングで自社運用できる体制を早く構築することをお勧めする。

日本からグローバルにマーケティングをする環境はそろっている

ゲームアプリというのは、完全にデジタルに閉じた世界なので、Global展開は商品をローカライズして、パフォーマンスマーケティングで集客するということが出来れば、実は結構簡単にGlobal展開が出来てしまう。新規顧客獲得のROIをポジティブに出来るようなメカニックが構築できているようなデジタル完結のビジネスであれば、個人的には最初からグローバル展開をパフォーマンスマーケティングOnlyでやってしまうというのは、全然ありな選択肢だと思っている。逆に言えば、そのくらいのスピード感でやってしまっても殆ど問題ないというのが、今のアプリ系のビジネスである。もちろん、厳密に言えば、マーケティングのクリエイティブなども、国ごとのカルチャーで好みが異なるとか、精度を上げようと思えば、現地化する方が理想であるが、そんなことをしているとGlobalの競争に負けてしまうので、まずは自分たちの商品、サービスがGlobalで勝者が決まっておらず、デジタル完結である程度ビジネス展開が出来るという事であれば、さっさとやってしまう方がいろいろ考えるよりも話が早いと思う。

ゲームを元々しないので、ゲーム業界を離れてしまうと業界のことには疎くなってしまうので、4年分くらい情報が古いかもしれないが、おそらくこの10年で最も成功したモバイルアプリゲーム企業であるSupercellなど、海外の企業が日本に進出するステップも、最初はデジタルのパフォーマンスマーケティングOnlyで一気にグローバル展開してしまった後で、例えば日本に人を張り付けて事業拡大しても収益の見込みが立ちそうということであれば日本支社を立ち上げて、マーケティングの権限を現地に移管していくみたいなやり方で精度を上げるようにしていた。私の場合は、US以外にそこまで投資できる国がいくつも現れるような真のGlobalタイトルを作り切れなかったので、そこまで出来たことがないが、海外のBest Practice的をみてもそれが正解のような気がする。

おそらく、本格的にマーケティングのグローバル展開で問題になるのは、マーケティングがパフォーマンスマーケティングだけでは限界値を迎えたときな気がする。その理由は、少し前までは、大規模なマーケティングを海外でやろうと思うと、どうしてもその国の文化が分からないとクリエイティブを作るのが難しいというの側面が非常に強かった。特にTVをメディアとして使う場合などは、投資規模も大きくなり、失敗したときのリスクも大きくなるので、純粋に怖いということと、ある程度現地のことが分かるメンバーがいないと成功確度が上がりにくいということがあったような気がする。

ただし、最近は、TVを使わなくてもYoutubeを中心にある程度Full Funnelのマーケティングがデジタルだけでできるようになってきたので、現状であれば、パフォーマンスに近い形で実施することができる環境になってきている気もする。

そのような場合は、海外の代理店やクリエイティブハウスを使って、クリエイティブワークの目利きが出来る体制が作られれば、初期はローカルスタッフがいなくても何とかなるのかもしれない。

クリエイティブを作る際の注意点についても、基本的には海外展開をするからといって、基本的な注意点は変わらない。クリエイティブワークの8割を左右するというロジックの部分は、基本的には万国共通でいけるはずである。文化圏別に違いが出るのは、最後の2割の表現の部分であるが、国別に大きな予算が使える相当大規模なプロダクトにならない限り、ある程度は万国共通に活用できるものを作るか、逆に個々のクリエイティブは低予算で、数を多めに作って当たるクリエイティブをAIに自動的に選定させるという割り切りでも良いのかもしれない。ユーザー視点で見ている感じだと、例えばAppleのTVCMのクリエイティブの多くはおそらく本社一括管理でグローバル統一クリエイティブをローカライズしているだけな気がする。おそらくローカルにアジャストするよりも、グローバルのブランドイメージの統一性の方を重視しているからであろう。LVMH系のハイエンドブランドのクリエイティブなども殆どの場合グローバルで表現などは統一されていて、ローカライズや簡単なアレンジがされているだけのように見える。

このように見てくると、GoogleとMetaがGlobalで成功してくれているおかげで、デジタルに特化してマーケティングをするという事であれば、実はある程度日本国内にいてもGlobalのマーケティングを実行することは、そこまでハードルは高くないし、そのハードルもドンドン下がってきているように感じる。本当にありがたいことである。

マーケティングチームには文化的多様性を!

ただし、Globalでマーケティングをしようと思ったときに、日本国内向けでやる時とひとつだけ大きく変えるべきポイントがあると思う。それは、チームに出来るだけ多様な人材が参加出来るような状況にしておきたいということだ。例えば、私が大手ゲーム会社で働いていた時の有名サッカータイトルのマーケティングチームは、日本は、日本人、イギリス人、フランス人、米国はアメリカ人とブラジル人、台湾人、ヨーロッパはデンマーク人とドイツ人、香港は香港人と15人前後のチームであったが、国籍は9か国に渡っていた。もちろん、どれだけ人数がいても、それぞれの人がそれぞれの国の代表ではないので、個人の意見に引っ張られるというリスクはあるが、やはり様々な視点から、議論をすることは非常に重要であると思っていいた。正直、日本人だけでやってしまった方が話が早いと思うこともあったが、この多様性を否定してしまうと、やはりGlobalでは上手くいかないのではないかと思っていた。日本でマーケティングを一元管理してしまうことの最大の問題点は、東京であってもこの多様性を出すのが結構厳しいのではないかという点である。もちろん日本にも多くの外国人の方が住んでいるので不可能ではないが、個人的な感覚として、日本にいる日本語を話せる人という特殊な母集団を前提として無理やり多様性を作ろうと思うと、なんとなく特殊なグループになってしまいそうな感じがしてしまう。もちろん人種差別をするつもりは全くないし、実際にやったことがないので、私の感覚が正しいのかどうか分からないが。

もう少しすると自動翻訳とかでどうにかなってしまうのかもしれないが、その意味では、Globalでマーケティングをするためには、英語である程度コミュニケーションが取れるようになっておくことは、当面の間は必要だと思う。日系の代理店の海外子会社の活用などもチャレンジしてみたりしたが(これはオフラインも、オンラインも含め)、やはり日本語でコミュニケーションすることが前提になってしまうと、出来ることと、一緒に仕事を出来る会社の選択肢が相当限定されてしまうし、正直、日本の広告代理店自体も日本からGlobalのマーケティングをコントロールするというファンクションを十分に構築できているという印象は少なくても2020年前後までは持てなかった。(その後変わっていたらごめんなさい)。

少し、マーケティングの様々な側面を一気に見てしまったので、余り纏まりのない文章になってしまった気がするが、凄くわかりやすく言うと、グローバルでマーケティングをするからといって、一人一人のマーケターが身につけなければいけないスキルというのは殆ど変わらない。巨大IT企業のおかげで、マーケティングの環境はグローバルで統一される方向に間違いなく動いている。

英語でのコミュニケーション力というハードルはあるかもしれないが、そこだけ何とかクリアしてしまえば、どちらかというとあとは勇気と決断の問題な気がする。

もちろん、モバイルゲームという身軽さが極端なケースを例に話をしたため、これを読んでいる殆どの方は、そんな簡単じゃないよと仰ると思う。それはその通りだと思う。但し、日本企業にはそもそもGlobalでマーケティングをまともにした人が少なすぎる気がするので、その意味ではそういう人材プールを作るという先行投資の意味でも、出来るだけリスク少なく、Global展開する方法を考えて、小さく、早く、意図思って失敗するPDCAを回し始めることを始めるべきなのではないかと思っている。

と書きながら、この3年半相当ドメスティックに戻ってしまっていたので、自分でも何かチャレンジしなければいけないと思う今日この頃である。

国際本部って本当に必要?

プロフェッショナルスキルで評価されるグローバル社会

グローバルでマーケティングをするためのスタートとしてまず最初に話をしたいのが、組織体制の話である。私が、海外の現地社員や社外のマーケターの人たちと話をしていて感じるのは、専門的なスキルに対するシビアな評価である。基本的に日本以外のほとんどの国では新卒の総合職という日本独特の一括採用みたいな仕組みはなく、新卒時点から職種別の採用が基本である。このため、スキルが高いかどうかは別にして、個々の人材はその職種のプロフェッショナルである、またはプロフェッショナルになりたいと思って会社に入ってくる。という前提に立てば、当然自分の上司や同僚を評価する際にも、その職種のプロフェッショナルとしてのスキルがあり、学ぶものがあるか、指示に耳を傾けることに意味があるかというのを見ていると感じる。

一方で、商社とかグローバル展開を基本にしている会社は違うのかもしれないが、私がいた大手ゲーム会社の規模の日系企業においては、そもそも海外で活躍できる人材のプールが不足しているケースが多い。私の入社当時は少なくてもそうであった。そうなると、どのようなことが起きるかというと、国際本部であるとか、海外事業本部のような海外ビジネスを統括するような部署ができる。そして、その部署に外国語が堪能な人材を集約して、海外とのコミュニケーションを一括で管理することを目指す。人材の量が絶対的に足りないことが多いので、ある意味致し方ない部分があると思うが、私はこの発想自体が、非常に日本企業のゼネラリスト志向のあらわれであるように感じる。

現地の言語が話せるからといって、あらゆる業務が出来るわけがない

なぜなら、この体制で本社と海外子会社のコミュニケーションを取ろうとすると、多くの場合、海外の個々のファンクションのメンバーに外国語に堪能という理由で集められた人材が自分の専門分野でもないファンクションについての本社からの指示を伝えたり、それについての議論をしたりすることになるからだ。

特に、海外駐在経験がなかったり、語学に劣等感がある経営者にありがちな誤解は、現地の言葉が話せれば、業務上発生するコミュニケーションは問題なく出来るという点である。そもそも、マーケティングにしろ、人事にしろ、財務にしろ、営業にしろどのようなファンクションでもいいのだが、専門的な領域の議論の打ち合わせに日本語が話せるからといっていきなり参加しても、母国語の日本語で話されていても最初のうちは殆ど理解が出来ないであろう。なぜなら、その専門分野についての知識がないからだ。つまり、ビジネス上の専門的なコミュニケーションというのは、言語が理解できるだけでは不十分なのだ。しかし、この海外事業本部的な発想は、そもそも、それができるという前提に依拠している。おそらく、この誤解が日本企業が海外事業をまともにマネジメントする時に直面する大きな課題であるような気がする。

最初に述べたように、海外の現地メンバーの仕事の上での価値基準は専門スキルへのリスペクトであると思う。それに対して、本社の国際部の人材は、自分と同じ言語は話すようだが、専門的なスキルは殆どないことが多いわけだ。この状況で、現地の社員が本社の指示を聞くであろうか?また、海外の駐在員についても同様なことがいえる。例えば海外事業部の若手などは、武者修行的に一定期間海外に派遣されたりする。でも、その人物は日本において海外事業についてなんでもやるみたいなゼネラリスト的な教育しか受けていない。そうなると、現地メンバーがその人物をリスペクトしてくれるであろうか?特に、その人物が本社の中堅クラスであったりすると、現地メンバーの上司になってしまったりすることもある。こうなってくると、話はさらによろしくないことになる。その人物が本社の人間というだけで、専門的なスキルもないのに上司になってしまうのである。

よく海外事業をしている人と話をしていて、現地の社員が言うことを聞かないと聞くことがあるが、私は実はこの辺に問題があることが多いと思う。もちろん、現地メンバーのクオリティに依存する部分もある可能性も否定はしないが。

専門スキル&語学力のある人材を育成することは必須

このように考えると、私は時間がかかることを承知の上で、本気でグローバル展開したい日系企業は、ファンクションごとにグローバルで仕事ができる人材を育成するしか方法がないと思っている。実はこれが私が大手ゲーム会社でマーケティング本部を5年半見ていながらグローバル組織として作り切れなかった根本的な理由である。就任当時、英語をしゃべれる人材が本部に1名しかいない状況であったため、ファンクションの専門性を持ち、語学も堪能な人材を育成するのにどうしても時間が必要となってしまったためだ。少なくてもひとつのファンクションを任せられるレベルに育成するのに3年程度かかってしまうため、採用してからと考えると5年では全く時間が足りなかったのである。

私の少ない経験でいうと、日本企業が海外の現地法人で良い人材を採用するのは、非常にハードルが高い。特に、日本より給与水準の高い欧米諸国などでは、特にそうだと思う。残念ながら、日本はこの30年間で給与水準がほとんど上がらなかったため、アメリカなどで優秀な現地の社員を雇おうと思うとこの人にこの金額を払わなければいけないのかと思うことが多々ある。でも、現地マーケットの相場で考えると、その給与は経験に照らすと決して高くはないということは普通である。このように、日本人の基準からすると決して安くない(寧ろ高い)条件でやっと採用出来た人材には、モチベーション高く仕事をしてもらい、高いパフォーマンスを出してもらわなければならない。そのためには、現地の基準で納得感のあるマネジメントをしなければならない。

幸い、私の場合は、海外に行って現地の市場のことは分からなくても、デジタルのマーケティングに関して私よりも経験値が高い人材というのは、日系企業が許容できる給与水準の人材ではほぼいないため、その意味では、真摯に意見を聞いてもらえる状況を作ることは出来たと思っている。しかし、それは私がマーケティングの話をしているからである。事実、ゲームを全くしないことがばれているため、ゲームの制作スタジオをマネジメントしなければいけない駐在員時代は、現地社員のマネジメントは相当難しい(というかやっぱり無理)だと感じていた。それはそうだろう。ゲームを作ったこともない人間が、ああしろ、こうしろと言ったところで(そんなに言わなかったが)、ゲーム制作を10何年してきたという自負がある現地の責任者からすれば言うことを聞くインセンティブは業務クオリティを上げるうえでは殆ど感じられないのである。

グローバル展開ではマトリックス組織にチャレンジを!

そのような視点で、GoogleやApple、Metaなどのグローバルで成功しているIT企業を見ていると、おそらくマトリックス組織体制を採用していると思われるが(違ったらごめんなさい)、現地法人の法人としてのマネジメントラインを縦、マーケティングとか、事業ファンクションのレポートラインを横と定義すると、明らかに横のレポートラインの方が強く見える。おそらく縦のレポートラインは、人事とか、法務とかアドミニストレーション系の法人として現地化しなければいけない業務にフォーカスされているように付き合っていて感じた。やはり、大規模にグローバル展開するためには、そのような体制にせざるを得ないのではないかと感じる。ぶっちゃけ英語圏の企業は、母国が英語で現地法人の採用も英語をしゃべることを前提に採用しているケースも多いので、本国のメンバーは母国語と異なる言語で海外でマネジメントするという苦労は殆どないのだと思うが。

そもそも日本企業の場合、ゼネラリスト志向でそもそも専門性の高い人材のプールが少ないという根本的な問題がある。少なくても私が見ている限りマーケティングはそうである。しかし、私のここでの仮説が正しければ、その発想ではグローバルではそもそも通用しない。なぜなら、グローバル人材の教育と、専門スキルの教育の両方をしなければいけないため、非常に長い時間がかかってしまうためだ。その点では、はっきり言ってグローバル展開がうまくいっているようには全く思わないが、楽天の公用語英語化という当時社内にいた時は暴挙とも思えた施策は、人材のプールを強引に増やすという意味では大いに意味があった気がする。少なくても10何年たって驚くのは、英語化が始まった当時、私と同様に英語とは全く無縁であった人たちが、ドンドン海外に出て行って、現地で仕事をするようになっている。システム開発部門などは、日本のオフィスでさえ日本語をしゃべらないエンジニアがそれなりの割合でおり、日本で仕事をするときも英語で話さなければならない環境を強引に作ってしまった。その意味では、楽天のチャレンジは成功しているように私の目からは見える(なぜ楽天のグローバル展開が大変化は別途議論する)。

グローバルにビジネス、特にC向けのビジネスを成功させるためには、グローバルでマーケティングをマネジメントする組織の育成が不可欠である。そのためには、グローバルに仕事ができる専門スキルのある人材の育成が欠かせない。

次回は、デジタルマーケティング化された現在における、グローバルのマーケティングの展開方法について検討したい。

なぜ日本企業はグローバルなマーケティングができないのか?

グローバル展開で苦労した体験から学んだこと

正直、胸を張ってグローバルでの成功体験があると言えるわけでもないし、自分をグローバル人材と言えるほどの英語力もないので、このお題で書くのも気が引けるので、書こうかどうか迷った。また、自信をもってこうやれば成功出来るということを述べることも出来ない。

ただ、大手ゲーム会社時代に8年間日本企業が海外でマーケティングをするというチャレンジを一応現場で責任者として考え続けたので、上手くいかないパターンみたいなものを分かった気がしたので、成功のためのTipsではなく、失敗事例のTipsみたいなものとして、グローバル市場でのマーケティングの話をしていきたい。

まず、これは昔話として書くので、今のその企業がどうかという話ではない(ゲーム業界を離れて4年近くたつので、今の話をする情報もない)とご理解いただいた上で、私が大手ゲーム会社でマーケティングを始めた時のことを話したい。正確な数字は覚えていないが、2011年頃にそのゲーム会社の面接を受けるのにIR資料とかを読んでいて海外売上の比率が半分程度あったというのは今でも明確に覚えている。なぜなら、当時の転職先の選定基準に海外ビジネスの勉強を出来るところにしようと考えていたので、売上が半分以上ある会社であれば、きっといろいろ学べるだろうと思ったからだ。

ただ、実際に入社してみて、結構びっくりしたのは、売上の半分以上を海外で上げている日本企業であるにも関わらず、自分の専門分野のマーケティングにおいて、グローバルでのノウハウ・ナレッジのようなものがほぼないということが早々に理解できてしまったからだ。

精緻なマーケティング戦略がなくても海外で物が売れるわけ

当時、なぜそんなことが起こるのだろうと考えた。結論としては、2点ほど大きな理由があるように思えた。①プロダクトアウト型のビジネスで商品が差別化できていればそれほど精緻なマーケティングをしなくても売れてしまうこと。②リテール型のビジネスというのはグローバルビジネスではなくマルチローカル型のビジネスとなっていること。この2つの条件が揃うと、どうやらグローバルのマーケティング活動というのは余り必要がないのだろうと感じた。少し個別に考えてみる。

まず1つ目のプロダクトアウト型の商品云々ということであるが、当時のそのゲーム会社でおそらく海外で大きな売り上げを上げていたタイトルは2つで、有名なサッカーゲームシリーズと某有名クリエイターが作るステルスゲームシリーズのであった。この2タイトルは、日本のゲーム会社がグローバルで相対的に技術力も高く、企業規模でも優位性をもっているときに、独自の商品ジャンルにおいて商品力でNo.1のポジションを取ったことがある商品である。私の入社前の話なので推測であるが、これらのタイトルがグローバルでヒットした理由は、おそらく海外のゲーム雑誌や情報サイトなどで高い評価を得て、高い話題性をうむという商品力が相対的に高いことであったのだと思う。特に、2000年代前半のマーケティング環境というのは、現状と違ってまだまだインフルエンサーマーケティングなど今ほど発達しておらず、ゲームのマーケティングに活用できるメディアの選択肢も特定の専門誌や専門サイトに限定されていたために、その少数のメディアとのリレーションが維持できていれば、ある程度マーケティング・PRが可能であったと推測される。

このような環境において、例に挙げた2タイトルのように、市場において相対的に非常に高い評価を得ることが出来る商品がプロダクトアウト的に出てくると、綿密なグローバルマーケティングの実行などをしなくても、商品力で物が売れてしまうということなのだと感じた。

二つ目のマルチローカルというのは、もちろん発売タイミングの調整や、情報出しのタイミングなど、グローバルでスケジュールを合わせるような要素も多少必要であるが、リテール型の商品ビジネスというのは、グローバルのマーケティングの連動性のようなものは殆ど必要なく、それぞれのローカルで個別にマーケティング活動を調整すれば成り立ってしまうということである。

この2つの要素が揃っていたとこのゲーム会社の当時のグローバルのマーケティング体制がどうなっていたかというと、お世辞にもグローバルマーケティングをしているという状況ではなかった。日本、アジア、米州、ヨーロッパの4拠点に販売子会社(販社)があり、それぞれの販社の配下に営業、マーケティングなどの個別ファンクションが存在し、日本のプロダクトチームが、作った商品のコンセプトや、ここをアピールポイントにして売ってくれという指示を出して、「あとはよろしく!」という感じの体制であった。各ローカルの販社は実際に何をしていたのかといえば、極端に言うと、専門メディアと連携してゲームコミュニティーに情報を出し、後は卸会社に販促予算を渡して、「あとはよろしく!」といってお任せするというような体制であった。

こういう言い方をすると当時その企業で海外向けのマーケティングをしていた人には大変申し訳ないが、私が最初の3年間コンソールゲームビジネスを一歩引いたところから見て、帰国後に実際に自分でやることになってから当事者として見てそう感じてしまった(気分を害する方がいたらお詫びいたします)。

しかし、事実として、プロダクトアウトで良い商品ができれば、そんな体制でもものが売れてしまう。先に紹介した2つのタイトルについても、どこまで数字を言って大丈夫なのか分からないため超ざっくり言うが売上に占める国内売り上げの比率でいえば、半分など全く行かないくらいしかなく、殆ど海外で売り上げを立てている状態であった。逆に言えば、それだけ競争力のある商品を作れたことは凄いと思うし、同時に、世界のGDPの5%前後しかない日本だけを相手に商売をする危険性を心から感じてしまった。

日本のコンシューマーブランドは海外でマーケティングに参戦していない

そんな自社の状況を見ながら、アメリカのサンフランシスコで2012年から3年半生活をして、それほど競争力があるとは言えない海外向けのモバイルアプリゲームを何とかグローバルで売ろうとしていた。その中で私なりに、なぜ日本企業がバブル崩壊後海外市場で競争力を失ってしまったのかというのが少しわかってきた気がした。

よく言われる話だが、戦後日本企業が工業製品を海外に輸出し、奇跡的な経済復興を成し遂げた理由は、相対的に安い労働コストと日本人ならではの精緻な業務クオリティに裏打ちされた、安くて質の高いコモディティ的な工業製品に国際的な価格競争力があったからだと思う。もちろんソニーのような例外もあるが、日本全体としてはおそらく競争力の最大の要因は商品差別化ではなく、価格競争力であったと思う。そして、私のゲーム会社の経験をもとにすれば、価格競争力のあるコモディティ商品というのも基本プロダクトアウト型のビジネスモデルなので、マーケティングを必要としなかったのだろうと思われる。つまり、戦後の日本経済の成長に当たって、グローバルのマーケティング力というのはほとんど必要なく、そのノウハウは蓄積されていなかったのであろうと推測される。

そんな背景を前提として2012年に話を戻す。バブル崩壊後に日本企業はグローバル市場での競争力を失ってしまった。では日本企業がなぜグローバルで活躍できないのか。それは一言でいえば、グローバルでマーケティングする力がなかったからではないか。価格競争力も失い、圧倒的な差別化のある商品開発が難しくなってしまった状況で、モノを売るためにはマーケティングの競争に参戦し、グローバル企業に打ち勝つしかない。しかし、少なくてもアメリカでいち消費者として思ったことは、日本企業は世界最大のマーケットであるアメリカでマーケティングの競争に殆ど参加していないという事であった。別にTVCMが基準として正しいのかは分からないが、まず現地のTVを見ていて日本企業のTVCMを目にすることが自動車メーカー以外ほぼなかった。例えば、日本企業がグローバルで強いであろうと勝手に思っていたテレビを中心とした家電製品なども、サムスン等の韓国企業の広告は見るが、ソニーやパナソニックの広告は見た記憶が殆どない。Androidのスマートフォンの広告もサムスン以外ほとんど見ない。結果的に、家電量販店(とUSでも言うのかな?)に行っても、日本の家電製品はあっても端っこにちょろっとあるだけで、すでに棚取りすらできていないという状況であった。

この状況をみて、日系企業で本気で海外市場でコンシューマー向けに戦おうとしている会社って殆どないんだろうなと感じてしまった。ちなみに、そんなとき唯一例外と感じたのがユニクロだ。それは、USでもヨーロッパでも中国でも感じた。街を歩いていて、各都市の一等地のような場所で見るほぼ唯一の日本のブランドである。あれを見ると心から応援したいと思った。

これを書いている時点(24年4月)の日本企業の時価総額ランキングをみるとトップ10に入っているグローバル展開しているコンシューマーブランドの会社はトヨタとユニクロのファーストリテーリングのみである(ソニーはすでに部品屋になってしまったと思っているのでカウントしない)。一方で、米国の時価総額ランキングをみるとマイクロソフト、アップル、アマゾン、メタ、Google(アルファベット)と少なくとも半数はコンシューマーブランドである。しかも、1位のトヨタは別にして、2位の東京三菱UFJですら、米国のランキングでいうと100位に入れるかどうかのギリギリという感じである。

BtoBの商売というのは、基本的に大規模なマーケティングを必要としないし、おそらくプロダクトアウト的な部分が大きい気がするので、先ほどのゲーム会社の海外の成功事例に近い形の展開で成功しやすいのだと思う。このため、日系企業でグローバル競争出来ている企業の殆どはB向けの商材の企業である。一方で、コンシューマー向けの商品というのは、圧倒的な商品の差別化がない場合は、広義のマーケティングの競争をせざるを得ない。おそらく、家電を代表とする日本のコンシューマーブランドというのは、このグローバルでの本格的なマーケティングの競争に参戦することが出来なかったのだと思った。かつては、品質と価格のバランスでグローバル市場で商品の差別化を図ることが出来た。しかし、この優位性を韓国と中国の企業に埋められてしまったときに、本格的なマーケティング競争に参戦しなかったか、負けてしまったのだと思う。その結果、グローバルの販売競争に破れてしまったために、コスト競争力でも太刀打ちできなくなり、競争の源泉がなくなり、ほぼ不戦敗の状況に追い込まれてしまったような気がする。

ちゃんと研究したわけでも、文献を読んだわけでもないので私の予想は外れているのかもしれないが(凄く興味があるので、どなたかこの辺の話を勉強できる文献など知っていれば教えてください)、米国に3年半住んで、当時仕事をしていた自分の会社のマーケティングの状況をみて感じたことはこんな事であった。

国内で出来ないマーケティングを海外の子会社にやらせられない

ではなぜ、日本企業がこのようなマーケティングの敗戦みたいな話になってしまったのだろうか?これも、その場にいたわけではないから分からないが、想像がつく。それはそもそも、日本企業においては地元のマーケットである本社においてさえもまともにマーケティングができる人材がいなかったからなのではないかと思う。根本的な原因は、以前に広告代理店の話で書いたので、そちらを参照してもらいたい。本社にそもそものノウハウがないものを、海外の子会社にやれといっても上手くいくとは到底思えない。きっとそんな感じではないかと思う。

私がアメリカでそんなことを考え始めてから12年くらいの時間が経過した。次回からは、最初に宣言した通り、成功体験は語れないが、こうやったらたぶんうまくいかないという失敗を防ぐためのTipsをいくつかご紹介できてばと思っている。

ブランドマネジメントの障害とその克服

ブランドマネジメント=一貫性

ブランドマネジメントを上手くやる方法は何かと言われれば、一言「一貫性」であると答える。これまで述べてきたように、ブランドマネジメントとは、その企業、ブランドの事業活動を通じて発生するあらゆる外部とのコミュニケーションをマネジメントすることによって、ブランドの価値を高めていく活動である。そのために、ブランドのあるべき姿を決め、自社の事業活動に関わるすべての人にその内容を理解させ、その方針から外れた行動をしないように方向づけしていくことになる。社員が100人いれば100人全員が、本当にその方針を理解して、商品、サービスを開発し、マーケターや営業が顧客とコミュニケーションを行えば、そのブランドのメッセージは少しづつでも必ず顧客に伝わっていくと思う。しかし、実際には100人の社員全員に同じ思いを持ち、同じ方向で行動してもらうなど口で言うほど簡単ではない。つまり重要なのはどのようにして、自社の事業活動を一貫性を持ったものとして方向づけしていくのかということである。

ブランドの目標設定

そのスタートとなるのが、目指すべき目標の設定である。「ブランドコンセプト」と言ったり、「Mission Vision Value (MVV)」と言ったり、「Purpose」と言ったりする。当然、非常に重要な事項である。ただ、いろいろな会社を見てきて思うのは、名前は何でもよいのだけれど、このブランドが目指すべき目標となるものを社員全員とは言わないが、殆どの人が理解し、それを基準に行動している会社というのがどれほどあるのであろうかと思う。これらの言葉は決して、企業のコーポレートサイトの会社説明の欄に載せるために作るコンテンツではない。パーパス経営という言葉が流行っているからといって、IR向けに決めるコンテンツでもない。あくまで事業活動の方向づけをして、社員が日々の活動において迷ったときに立ち戻れる場所であるべきである。

もし、そうであるならば、この目標というのは、自社の社員が少し背伸びをすれば実現可能なものでなければならない。コロコロ変えるわけにもいかないので少なくても10年とかの年月で変えないでも良いものでなくてはならない。日々の業務の中で迷ったときにその価値基準で判断しても良いものでなければならない。

しかし、私がよく見かけるこれらの目標地点の言葉は、私から見ると大丈夫?と思ってしまうようなものも多い。良くないあるあるを少し考えてみよう。

悪い例1:マネジメント層が守れない目標を設定してしまう

まず、最初に思い浮かぶのは、目標に掲げていることと経営者が言っていることにGAPがあるパターンである。典型的な例は、お客様の幸せ・満足を一番に考えてという目標を掲げながら、営業現場などにとにかく今月の売上を達成しろと激しく詰めまくるみたいな話である。本気で顧客の満足を高めるために、自社の商品よりも競合他社の商品を買う方がよい顧客もいるかもしれない。顧客の満足を思って、それであれば他社の商品の方が良いですねといって顧客を逃した営業社員に、上司は本当によくやったと言えるであろうか?今月の売上を達成するために、見込みのある顧客をとにかく月末までに「刈り取れ」みたいな指示は出していないであろうか?耳が痛い方も多いのではないだろうか?

この例でまず分かるのが、「守れる目標を設定する」という事である。守れもしない理想を掲げてはいけない。特に経営者自身が体現できないこと、心から信じられないことは決して目標に掲げてはいけない。以前ある経営者が自分が社長として決めたMVVについて「そもそもあれはみんながいいというから同意したが、私は納得していない」と平気で言い放ったという話を聞いたことがあるが、このような経営者はブランドマネジメントの観点で言えばすぐにでもその会社の社長を退任すべきである。そもそも自分が決めた目標を信じられないのにどうやって社員に指示が出せるのであろうか?

その観点でいえば、当然マネジメントといわれる層での実行の実現性も重要なのは言うまでもない。ブランドマネジメントのような活動は、基本的にはひとつの方向性に向けて組織全体を動かしていく活動であるため、そもそもボトムアップ式の施策ではない。トップダウン式の施策の典型例である。このため、一度決めた目標の順守を最も求められるのは末端社員ではなく、組織の上層部からである。よく経営者というのは自社のルールというのは社員を管理するためのもので自分は適用外だと勘違いしているケースがあるが、そのような考えの経営者はブランドマネジメントが重要視されるような企業の経営には向いていないと考えたほうが良いと思う。

悪い例2:現実とのGAPが大きすぎる

似たような例に、現状の事業と目指すべき姿のGAPが大きいケースというのも存在する。典型的なのは事業環境が大きく変化し、事業戦略を大きく転換するような場合である。このようなケースにおいては、社員の日々の活動と、ブランドが掲げる目標にGAPが大きく、ブランドの目標が現在の延長線上にあると実感できないということがしばしば発生する。このような場合は、経営側が社員にも外部コミュニケーションにおいても、論理的に説明できる転換のステップのようなものを提示することも必要であろう。逆そのようなガイドがないと、ブランドの目標は現実はかけ離れた単なる飾り物のような位置づけになり、社員の価値判断の基準にならなくなってしまう危険がある。

いろいろな考え方はあるが、マーケティングの観点でのブランドの目標設定の理想的な方向性は、基本的には顧客に提供したい価値を高めることにフォーマスをおくのが分かりやすいのではないかと思っている。もちろんMVVとかPurposeという話になると事業の中長期戦略視点であるとか、社員の集合体としての組織の価値観であるとか含めたいものはたくさんあると思う。しかし、収益を拡大するためにブランドの評価を最も高めたい対象が顧客なのであれば、顧客への提供価値の視点から考えることが健全だと思う。それがその企業の社会における存在意義であるのであるから。

パフォーマンスマーケとの折り合いをどうつけるのか!

ブランドの目標をいったん決めらた、それに向かって日々の事業活動を行わなければならない。ここでは、デジタルを中心としたマーケティング組織がその際につまずきやすいポイントについて議論したいと思う。

前回VIガイドの話に少し触れたが、私のようにデジタルマーケティング、特にパフォーマンスマーケティングに強みがある人間からすると、実はこのブランドマネジメントという考え方は非常に親和性が低いというのが経験上分かっている。特にクリエイティブ面でのABテストという手法がブランドマネジメントと決定的に親和性がないと言える。

パフォーマンスマーケティングというマーケティング手法は、短期的なパフォーマンスを数値化してデータをもとに価値評価をしていく活動サイクルである。ABテストという手法も同様で、データをもとに施策の成否を判断する。ところが、ブランドというのは何度も申し上げているとおり少なくても短期的にはデータで目に見える成果として結果が出ることが少ない長期スパンの施策である。このため、パフォーマンスマーケティングのPDCAやABテストの意思決定にひとつの要素としてブランドマーケティングの価値観を組み込むことが非常に困難でなのである。

この問題についても実は20年くらい悩んでいる。正直言うと私が管理していた2011年ごろまでは、楽天のブランド管理の対象からパフォーマンスマーケティングのクリエイティブは非常に緩いCIガイド以上には管理することをしなかった。正直、どの程度影響がでるか分からず手が出せなかったのである。この点が、実は自分がブランド管理の仕事をそれなりの期間やりながら、胸を張れない理由であったりする。

その後10数年継続してマーケティングをしながらブランドマネジメントについて考え続けて来たが、正解として確信がもてる答えにはたどり着いていない。ただ、結論として、パフォーマンス中心の会社がいきなりブランドマネジメントをガチガチにやるのはリスクが高すぎるという考えに変わりがない。でも、何もしないというのも発展性がないので、徐々にブランド全体のVIに近づけていくという手法が良いと思う。

ブランドのキービジュアルを決める

そのために必要なのは、VI側で、自社のブランドを体現するビジュアル上のキーになるものを作ることが重要な気がしている。それ、もしくは、そのビジュアル要素の組み合わせを見たら、このブランドだ連想できるようなものである。具体的には、例えば一番分かりやすいのはTVCMで使うタレントであろう。私が直近で働いていた人材業界で言えば、ビズリーチの女性などは数年間に渡り一貫して使い続けておりあの女性を見れば、ビズリーチのCMだと直感的に分かるところまで来ていると思う。このようなキービジュアルになりえるものができると、バナーにあの女性がのっているだけでビズリーチの広告だと瞬時に判断できるので、おそらく反応率は高くなるであろうし、ブランドとして一貫性も担保することが出来る。

ただ、タレントだと予算が、、、となるので、別のアイディアでいうと、誰でも出来るのが、ロゴとキーカラーの組み合わせであろう。楽天の場合は少し濃い目の赤と同じ色のRのアイコンがグループブランド全体のVIの基本で、当初はサービス毎に色を変えようとして、トラベルは緑で、証券はネイビーとかいろいろやっていたのであるが、途中でサービスの増加に色数がついていかなくなり、一部の例外を除いてやっぱり全部赤ということにした。

これを20年くらいやり続けるとそのうちRと赤を見るだけでも「楽天」と認識できるようになってくる。最近の楽天モバイルをショッキングピンクにしているのは、おそらく、そもそも大規模な予算を使って広告宣伝するときに、今までの赤のままやるよりも新規性が高く、インパクトがあるということで、変更したのだと思うが、あれは、相当な広告費を使う前提での判断だと思う(ちなみに、あの楽天モバイルのカラースキームは私が米国にいた当時のT-Mobileと瓜二つである)。このキーからのイメージ付けというのは、やる気になれば誰でもできるので、試してみる価値はある。ただ、たぶん人が印象として記憶できる色のバリエーションは10色前後だと思うので、色だけだと相当競争が激しいので、色とロゴなどの組み合わせにするのは重要だと思う。ただ、色の指定程度の事でも、たいていパフォーマンスサイドからはもっとバリエーションが欲しいと悲鳴が上がったりする。

もう一つコストを少なく出来る可能性があるのは、イラストのキャラクターである。もちろん有名漫画のキャラクターなど下手したら有名タレントよりも高いくらいだが、自社でイラストをつくればほぼ人件費だけで実現可能である。キャラクター系のアイコンはサービスのターゲットによって適する場合と適さない場合があるような気がするので、慎重に検討してもらいたい。

自身の経験や、周りの企業の広告など見ていると、VI的なイメージと自社のブランドが一致してくるようになると、VIガイドを厳しく適用してもパフォーマンスサイドの効率が落ちずに、場合によっては競合比で優位性を発揮できる可能性も高くなる瞬間がやってくると考えている。こうなるとトレードオフにならずに、VIとパフォーマンスがWin‐Winになるのでマーケティング責任者の深い悩みが解消される。もちろん、楽天モバイルのように一気に勝負にでるというやり方もあるが、あのようなパターンは例外的なので、現実的には、自社サイトやUpper&Middle Funnel系のクリエイティブのVI統一から順次進めていくのがよいと思う。

ちなみに、大手ゲーム会社の時にサッカーゲームで有名選手を使ったバナーとそうでないバナーで広告のパフォーマンスの差分を出して選手とのアンバサダー契約の費用が回収出来るか実験してみたことがあるが、結論からすると難しかったので、タレントのアイコン化のようなものも時間をかけてやるしかない気がする。その面で、インパクトを狙って有名なタレントをアイコン化してしまうと、今度は契約し続ける維持コストが負担となるのかもしれないので注意が必要である。その意味でもどこまで意図的かは不明だが、私はビズリーチのやり方は非常に効果的だとつくづく感心する。継続は力なりである。

ブランド管理部署は短期的付加価値を重視する

ブランドマネジメントをする際のTipsの最後もやはりVIに関することである。よく、ブランドマネジメントをしましょうということになり、外部とのコミュニケーションをチェックしましょうという話をし出すと、ブランド管理部署が設置され、社内のワークフローとかでブランドガイドラインチェックという書式が出来、なんか仕事がひと手間増えて面倒くさいという話になる。現場の担当者からすると、その書式のチェック担当者はガイドラインから外れた部分をチェックして、直して出し直せとだけいう付加価値がない人たちだとなる。今の話は、それなりの規模の会社で真面目にブランド管理をしましょうという気概だけはあるイケていない会社のあるあるな気がする。

何度も申し上げるが、ブランドマネジメントの成果というのは長期的なものなので、何も考えずにやってしまうと、このような現場の反応というのは当然であると思う。寧ろロジカルな反応である。

私が楽天でブランドの管理責任者をしていた時に考えたのは、このサイクルに入ってしまうと会社全体で前向きなブランドマネジメントが出来なくなってしまうので、VIを管理するチームには、出来るだけスキルの高い人間を集め、VIを守りながら当初現場の担当者が考えていたよりもマーケティングの効果が高い、クオリティの高いものを作ろうと考えていた。そうすることによって、VIの確認をするという作業が、短期的には何の成果もない「追加の手間」と認識されるのではなく、相談しに行くと自分の成果が改善できるかもしれない「良き相談相手」になるからである。この活動には、可士和さんの事務所のアートディレクターにも加わってもらい、楽天の社内メンバー、僕が集めた外部プロフェッショナルとの3パーティーからなるチームでたぶん6-7年間、毎日のように楽天の各事業がやりたいオンライン広告以外のあらゆるコミュニケーションのクリエイティブがVIの範囲でどうやったら効果を最大化出来るかを考え続けた。

VIというのは決めるのはある意味簡単である。ブランドコンサルの会社にVIガイドを高いお金を払って作ってもらったら、素晴らしくきれいなものが出来上がるであろう。でも、VIガイドを作る事だけを頼んでしまうのは私は良くないと思っている。なぜなら、VIガイドを作るだけであれば、その人たちはそのVIを守ったことによるパフォーマンスに何も責任を取らないからだ。事業をする立場からすると、VIを守ることは目的であってはならない。企業は事業を成長させなければならないのだから。そのためにはVIは、その活用を通じて事業をより成長させる手段にならなければならないのだ。ブランドマネジメントの管理者はこの点を忘れてはならないと私は思っている。ブランドマネジメントは直ぐに成果が出ないからこそ、少しでも成果が出るように当事者が率先して努力をしないと、継続した活動にならないと思っている。長期で時間を要する施策ほど、短期で成果を出す努力をしないとそもそも熱量を持って長期間継続することが出来ないのである。

ブランドマネジメントは一貫性であると最初に話したが、一貫性を維持するためには、多くの障害がある。特にここで見てきたように、その中でも、長期的施策のブランドマネジメントと短期的な事業パフォーマンスとのトレードオフをどのように折り合いをつけるのかという点は、その最大の障壁であると考えている。殆どの会社はこの折り合いが見つけられずブランドマネジメントの活動の熱量が失われ、単なる作業として形骸化していく。ここで私が紹介した話は、私の経験の範囲の事例なので、他にも様々な障害があるのかもしれない。でも重要なのは、正しく(形骸化せずに)継続することである。くれぐれも面倒くさい人たちにならないようにブランドマネジメントチームの付加価値を上げる方法を考えてもらいたい。

ブランドマネジメントとは?

ブランドの価値=ブランドエクイティとは何か?

ブランドマネジメントも、マーケティングの専門領域としてそれだけを研究している人が世界中にいるような話なので、私がここで話すべきことがどれだけあるのか分からないし、専門の方からすると稚拙な議論になるかもしれないが、実務家の観点から、理解しておいた方がよいと思う事項をいくつか述べさせていただく。

まず、ブランドとは何かということであるが、難しい定義は専門家に任せるとして、分かりやすく言えば、ある企業や商品、サービスを他のものと区別するための名称や記号ということである言えると思う。日本語で一般にブランド品と言えば、ルイ・ヴィトンであるとか、グッチとか海外のファッション系のラグジュアリブランドを思い浮かべる人も多いと思うが、マーケティング的にブランドといえば、概念としては遥かに広いということである。一番小さな単位でいえば、個々人の氏名というのもある意味ブランドであると言えるかもしれない。

では、なぜブランドが重要だと考えられているかといえば、それぞれのブランドにはそれぞれに価値があると考えられているからだと思う。専門用語的に言えばブランドエクイティなどと言われる。この辺をまじめに勉強したのが学生時代なので今はもっと良い本があるのかもしれないがこの辺を突っ込んで勉強したいのであればこの辺の本が良いと思う。

このブランドエクイティで一番最初に思いつくのが認知度である。認知が高いブランドというのは、そうでないブランドに比べて顧客獲得コストが安くなる傾向にある。例えば、ネットで買い物をしようと思って、Googleで「ネット通販」と検索すると複数の選択肢が検索結果に表示されるが、「楽天市場」というブランド名が頭に思い浮かび(純粋想起)検索されると、ほかの選択肢が併記される可能性が下がるため、楽天市場で買い物をしてくれる可能性が高くなる。これにより顧客の獲得単価は一般的には下がることになる。

また、この流れでブランドエクイティの他の例を考えると、「安心感」のようなものも例として挙げられる。今はだいぶそういう話も減ったのかもしれないが、私が楽天で始めたころは、世の中的にどこの誰かもわからないサイトでクレジットカード番号を登録するなんて信じられないとよく言われた。これはECをやっている企業がまだまだ小規模で認知度も低い会社が多く、信頼度が低かったからというのが大きな理由であろう。もちろんいまだに慎重な人はいると思うが、楽天やAmazonの今日の企業規模や、AppleやGoogleのアプリの利用者の数など考えると、オンラインでクレジットカードで何かを買う心理的ハードルは相当減っている。もちろん、経験からそこまでリスクはないと分かったという側面もあるが、同時に、これらの企業が運営していることの安心感のようなものもひとつの材料になっている可能性は高いであろう。

また、先ほどルイ・ヴィトンの例を出したが、この例で最初に思いつくブランドによる価値は、価格のプレミアムであろう。私は実家が靴のメーカーだったので、実感しているが、ファッション系のアイテムというのは価格が上がるほど原価率が下がっていくことが一般的である。つまり、2万円の靴と10万円の靴が並んでいたとして、殆どの場合原価が5倍違うことはまずない。靴を例にすると分かりにくいかもしれないが、私はほぼ買うことがないが、たまにブランド物のTシャツで1枚10万円とかで売っていたりするものがあるが、その原価が3000円で売っているTシャツの30倍以上かかっている可能性はほぼないと思う。では、これらのラグジュアリーブランドのビジネスがなぜ成り立っているのかといえば、評価の高いブランドの商品を持っているという優越感であったり、自己満足、他人からの評価など、そのブランドの商品を持つことの無形の付加価値が重なりあって顧客が高い価格を支払う状況が作られていると言える。

もちろん良いことばかりではない。あまり悪い例を私の口から具体的にいうのは控えるが、よく不祥事を起こした企業のブランドなどはブランド価値がマイナスにもなりうる。例えば、自動車で安全性に疑問を抱かれるような問題が起こると、普通に考えて顧客は同条件であれば、安全性に疑問がある商品は選ばない可能性が高くなる。

このように、ブランドエクイティというものは、良くも悪くも、ビジネスをするうえで、マーケティングをするうえで、マーケターの日々の業務に必ず何らかの影響があるものである。

ロゴを変えたからといってその企業自体が変わるわけではない!

というわけで、ブランドが大事なことはご理解いただけた気がするが、ではこれをどのようにマネジメントしたらよいかというと正直に申し上げて私もここで述べるほどの答えは持ち合わせていない。ただ、CMOという立場でブランドを管理することが多かったため、これまで体験したブランドマネジメントで気をつけなけばいけないことをご紹介できればと思っている。

私は、楽天とトライトで2回ほど、自分が所属する企業のCI(Corporate Identity いわゆる企業ロゴ)の変更を責任者かそれに近しい立場で経験した。そのような時に良く思うのが、社内の過剰な期待である。よく、新規サービスを始めるときなども、皆で一生懸命サービス名/サービスブランドの議論をしたりするが、私としては、名前というのはなんでも良いと思っている。大事なのはサービス自体の品質であったり、顧客体験、口コミによるサービスの評判だったりするからだ。それが伴わないのに、名前の候補選びに時間をかけるのはそれほど生産的な仕事だとは思わない。人の名前だって同じであろう。私の名前が堀内公博であっても、山田太郎であっても、私の経験とそこから得られたスキルにはおそらく何の違いも出ないと思う(今から変えろと言われると困るが)。

つまり、企業のロゴや名称を変えること自体には正直大きな価値はないと思った方がよい。寧ろこれまで知られていたロゴや企業名を捨てることになるので、CI変更自体はデメリットになることの方が遥かに大きいことの方が多いのである。

たまに、素晴らしいデザイナーにこれまでよりも格段に格好いいモダンで洗練されたロゴを作ってもらったら、会社のイメージも同じようにモダンで洗練されたものになるのではないかと思っていそうな人がいるが、はっきり言って世の中そんなに甘くないのである。

では、ブランドエクイティとかブランドイメージみたいなものがどのように出来上がっていくのかといえば、この答えは簡単で、ひとつの企業やひとつのサービスから発せられるあらゆる情報や顧客体験の総和により形成されるということだ。

これも可士和さんからの受け売りだが、可士和さんが新しいクライアントのCIを作る時に何を考えるのかといえば、その企業を様々な角度からみて、経営者や社員のこれからこの会社、このブランドをどのように発展させたいのかを聞き、その方向と今の立ち位置のGapや問題点を聞き、どの側面をどう見せてあげることで進みたい方向に近づけるのかを考えるのだと話していた。この話の核心は何かといえば、私は、どの角度を見せるかは選べても、CIを変えることだけでその企業自体の形を変えることなどできないということだと思う。この視点は本当に重要だと思う。ブランドについて考えるときにまず一番最初に考えてほしいポイントである。

ちなみに、名称について少し触れたので、ブランドの名称についても少し触れておきたい。大前提としてルイ・ヴィトンのようなプレミアムブランドを別にすると、基本的にブランド名称というのは、サービスの内容が分かりやすいものほどよいというのが私の立場である。その代表例が楽天で、楽天のブランドマネジメントで一番最初に決めたのも原則楽天グループのすべてのサービスは、楽天+〇〇という構造で〇〇に分かりやすいストレートな名称をつけるという方針であった。楽天カード、楽天モバイル、楽天銀行のような感じである。よく、いろいろな意味を掛け合わせたブランドの由来を一生懸命説明してくれる人がいたりするが、私は申し訳ないが分かりにくいという感想しか持たない。そもそも説明しなければいけない名称など手間がひとつ多いだけな気がしてしまう。サービスの名称を見ただけで、サービスの内容が直ぐに連想出来る方がコミュニケーションとしては遥かに楽であると思っている。

CI変更とはブランドの方向性を変える切っ掛けの手法の一つ

では、たまに見かけるCI変更などは何のために行うのであろうか?そもそもCIを変更するだけでは多くの場合何も変わらず、寧ろ新しいCIを認知させるためのコストが大きくかかることになるので、デメリットの方が実は大きい。私は答えは1つしかないと思う。切っ掛け作りである。

先ほど述べたように、ブランドというのは、CIを変えたから変わるというものではない。様々な側面でブランドエクイティが向上していくのはその会社が行っている企業活動全体の結果としてである。ということは、本質的にブランドを今いる地点から別の地点へと飛躍させる、シフトさせるためには、企業活動自体をそのディレクションへシフトさせなければいけない。また、そうするということを社外にも分かりやすく伝えなければいけない。もちろんその方法はCIの変更だけではない。経営者・リーダーに社内のメンバーを惹きつける強力なリーダーシップがあるのであれば社内向けにはそれでも良いだろう。その企業に強力なPRの発信力とか、コーポレートブランディングの予算を大量に使う余裕があるということであれば、社外向けにはそれでも構わない。他にも様々な手段はあるのだ。ただ、CI変更もたまにやるくらいであれば、ひとつのオプションとして検討しても良いのかもしれない程度に考えてもらえれば良いと思う。

ブランドマーケティングと会計の相性の悪さ

ブランドマネジメントにおいて次に理解をしておかなければいけないのは、手法として長期的な活動になる可能性が高く、短期的な効果を大きく期待しない方がよいという点である。もちろん、新商品、新サービスの発売などで、大規模なマーケティングキャンペーンを行い垂直的に立上げを狙うことや、商品が差別化されておりSNSのインフルエンサーマーケティングで一気に利用者を獲得するなどのケースがあることは否定しない。ただ、これも統計を取ったわけではないので分からないが、このような状況を実現しようとして成功する確率は限りなく低いと思う。

ということで、私は再現性が低いリスクの高いマーケティング施策というのはあまり得意ではないので、その辺の話はそれが得意な方にお願いするとして、ブランドマネジメントは長期的な時間がかかる前提で話を進める。

まず、なぜ長期の時間がかかるのかといえば、ブランドエクイティの向上というのは、基本的にはストックとして蓄積されるタイプのマーケティング施策であるからである。そもそも”equity”という英語の単語の意味自体が、純資産とか株主資本とか株式という意味なので、ストック的な価値を表現していると考えられる。一方パフォーマンスマーケティングというのは、一般的にはフローの活動である。今月投資した広告宣伝費に対してROASやROIが幾らになるのかというのは、基本的にPLを見ているわけで、BSを見ているわけではない。なぜそれが可能なのかといえば、事業によって投資回収期間は異なるが、1か月とか、3カ月とか、半年とかある程度短期間にパフォーマンスを計測出来ることを前提にマーケティングを行っているからである。半年とかになってしまうと少し辛くなるが、3カ月程度でパフォーマンスが計測出来るのであれば、1年の投資コストの打ち9カ月分くらいは当期の業績に計上できるため、PLの管理と非常に相性がよいということになる。私は、パフォーマンスマーケティングとデジタルマーケティングの投資が20年で急速に拡大した理由というのは実はここにあると思っている。

一方で、ブランドマネジメントというのは、ストック型の投資施策である。一般に資産系の投資というのはBSに資産計上され、投資金額は税法で決められた減価償却期間で案分されて費用化される。このため、お金を支出したタイミングと費用を計上するタイミングにずれが出てくるので、費用計上と収益実現のタイミングをコントロールすることが可能である。しかし、ブランドエクイティという試算は研究者がいろいろトライをしていることは理解しているが、おそらく会計帳簿に載せるレベルの精度で計算することはおそらく不可能であると思う。わたしは、これを理解している経営者、CMOが非常に少ないと感じている。ここが、多くの企業でブランドマネジメントを行い、ブランドエクイティを継続的に向上するような施策ができない大きな理由のひとつであると思っている。

ブランドエクイティとは長期にわたって少しずつ積み上げるもの

ちょっと会計の堅苦しい話をしたので、ではなぜブランドがストックなのかということを考えてみたい。一番分かりやすいのがブランドエクイティの事例の最初に上げた認知度である。もちろん人間は一度覚えたことも忘れてしまうことがあるため、認知度が一度上がれば維持し続けられるわけではないが、一般的に企業が継続的に同程度の活動をしていれば、おそらくブランドの認知度というのはある程度維持され、ストックの資産となって積みあがる。その証拠に、新年度が始まった瞬間に前年までの企業認知度がゼロになって、すべての会社がゼロから認知を獲得しなおすなどということはあり得ないであろう。もしそんなことが起こるとすれば、世の中スタートアップが成功し放題である。さらに、新年度に前年度の認知度がある程度引き継げるということは、同時に前年度末の認知度は当然前年度1年間のみで獲得したものである可能性も著しく低い。同じように、以前にブランドエクイティの例として話した「安心感」のようなブランドイメージであったり、「価格プレミアム」についても同様のことは言えるであろう。

このように考えるとブランドマネジメントが長期的な施策である理由はご理解いただけるのではないかと思う。ブランドマネジメントに費やした費用やリソースというのは、今結果としては見えなくても、辛抱強く続けられれば、自分で気が付かないうちに少しづつ積み上げられていくものなのだ。企業の認知度が上がり、純粋想起の量が増えれば増えるほど、広告を使わなくても自社のサイトに自然流入のトラフィックが流れてくるなどというのは代表的な例である。その意味で、Full Funnel Marketingのパートでも述べたが、ブランド系の投資というのは会社に余裕がある場合を除いて、短期の成功を狙ってギャンブル的に一か八かで投資をすべきではないというのが私の基本的な考えである。

ブランドマネジメントに関する意思決定はCEOの仕事

そして、この辺まで理解できてくると、最後にブランドマネジメントの責任は誰が持つのかという話になる。CMOを長年やってきた私がいうのも責任放棄になる気もするが、結論から言うとCEOしかあり得ないと思う。多くの会社でマーケティングの責任者がブランド管理の責任者になっていることは多いと思う。もしくは、PRの責任者のこともあるであろう。その理由は、この2つの職種が企業としての対外的な情報発信、コミュニケーションを取りまとめていることが多いからであると考えている。その点ではなんとなく正しい気もする。ただ、その2か所を抑えれば、対外的なコミュニケーションは本当にコントロール出来るのであろうか?例えば、営業はどうであろう?営業は顧客とコミュニケーションを取らないのであろうか?例えば、ネット系のサービスであれば、マーケティングより、PRより圧倒的に顧客とのコミュニケーション量が多いのは自社が提供するWebのサービスそのものであるケースが殆どである。人事はどうであろう?人事は社内だけであろうか?いや、多くの企業で人事は採用活動で対外的に多くのコミュニケーションをしていることが多い。このように、企業から外部のステークホルダーにコミュニケーションをとる機会というのは基本的にはマーケティングと、PR以外で多く発生しているケースが殆どである。では、ブラント統括のための新しいCXOを作ればいいのだろうか?Chief Brand Management Office(CBMO)であろうか?私の予想はおそらくワークしない。なぜなら、この職責を全うしようと思うとほぼCEOと役割がオーバーラップしてしまうからだ(たぶん同じ理由で、CIOとかCISOという職種がまともに機能しているのを見たことがない気がする。。。)。結論、CEOがやるしかないと思う。もちろんかつての楽天での私のようにそれをサポートすることは出来るかもしれないが。

と説明すれば、論理的にはそうだよねと理解してもらえるかもしれないが、もう少し具体的に話さないと実感できないと思うので少し書いてみる。例えば、マーケティングの部署内だけを考えても問題は発生したりする。良くある話は、ブランドコミュニケーションを管理するとなると最初に作ったりするのはVI(Visual Identity)ガイドラインという、自社が作成する対外的なクリエイティブのガイドラインを作ったりする。CIガイドはロゴだけだが、VIはもっと広範にブランドクリエイティブの色使いであったり、フォントであったり、グラフィックの表現手法であったり広範囲な規をする。私のようにパフォーマンスマーケティングをがっつりやっていると、このVIガイドを作成して部下に提示すると、このガイドを真面目に守ると今パフォーマンス広告で回している勝ちバナーを全部変えないといけなくなるみたいな話が出てくる。まあ、全部は極端かもしれないが、ある程度入れ替える必要があるのでパフォーマンスが落ちるみたいな話は経験上10中8,9の割合で発生する。さあ、貴方ならどうするであろうか?この時急進的にブランドマネジメントを強化したいのであれば、答えはそれでもVIを守れとなる。しかし、それには足元のパフォーマンスマーケティングの成果は悪化することになる。それでも、言えるであろうか?この話は何を意味するかというと、短期の施策と中長期の施策のバランス、つまり、ブランドマネジメントの強化を短期を犠牲にしてでも急進的に行うのかという話である。ここで、VIを徹底的に守れといえるCMOは相当なCEOのサポートがない限り少ないと思う(これは自分も含めて)。

同じような話で、マーケティングを越えた例も考えてみよう。ある企業で、CRMのメールの配信量が多すぎて問題になっている。A社のサービスに登録するとスパムメールがいっぱい飛んでくるみたいなSNSの投稿も散見される。同時に、この企業では、営業の管轄で電話による会員顧客に対する連絡も頻繁に行われていて、こちらも同様に評判がわるい。ブランド管理責任者としてブランドマネジメントの強化をCEOより命ぜられたCMOはCRMチームに指示してメールの量を30%減らしてもリピーター獲得数の減少を5%程度に抑えられるという手法を発見し即座に実行に移すことにした。これを1か月運用したところ、SNSでの悪評もメールについては確実に減っている。では、次は営業に電話の量を減らせないかと営業本部長に相談しに行く。答えは、売上が下がるかもしれないので電話のCall数は減らせないと断られる。CMOの貴方はどうするだろう。もちろんCRMの事例などは話して説得するであろうが、おそらく営業本部長に売上が下がってもよいからやれとは言えないであろう。

具体例として、ぱっと思いつくことを書いてみたが、この2つ事例を見ただけでも、ブランドマネジメントというのは、総論賛成、各論反対になりやすい典型的な課題であることが理解出来るであろう。私の経験上、ブランドマネジメントの強化というのは、短期的にはマイナスに働くことが各論では非常に多い。なぜなら、そもそもブランドマネジメントとはストック型の長期施策だからである。このため、急進的にブランドマネジメントを強化するということは、短期のマイナスを許容するという事である。このトレードオフをどこで許容し、どこで許容出来ないかを判断出来るのは、全社を俯瞰的に見ているCEOにしかできない仕事だと思う。私がCMOの立場でその判断まで含めてやってよいと言われればやるが、おそらくその意思決定はCMOの職務権限の範囲を大幅に越えたものになっていると思う。

ブランドマネジメントを上手くできて、ブランドエクイティが向上することは、多くの場合その企業、サービスの中長期的な競争優位性の向上に寄与することが多い。しかし、その実現のためには相当な忍耐力を要するし、長期間の取り組みを行わなければならない。これを高い精度で意図的にコントロール出来ている会社は本当に稀だと思う。はっきり言って、私自身も出来たといえる事例があるかといわれれば存在しない。しかし、それをやり切った暁には、素晴らしい成果が待っている。その証拠のひとつが、何度か例に上げたルイ・ヴィトンなどのブランドマネジメントを行うLVMHのベルナール・アルノーがForbesの世界長者番付で2年連続で世界No.1になっているという事実であろう。ブランドものを定価で買うということをほぼしない私のような人間でさえ、同社がマネジメントしているブランドコミュニケーションというのは本当に徹底しているなと思う。私からは、当然それほどの成功事例はないが、いろいろ苦労してきたので躓きやすいポイントは理解しているつもりなので、次回以降にブランドマネジメントの具体的な考慮点について議論していきたい。

クリエイティブが疲弊した?

2回にわたりマーケティングにおけるクリエイティブ制作について話してきたが、最後にデジタルマーケティングをしていると必ず出てくる「クリエイティブの疲弊」という話について私の考えを簡単にお伝えして、クリエイティブのパートは一区切りとしたい。

「クリエイティブの疲弊」という言葉は、パフォーマンス系のデジタルマーケティングをしているとよく聞く言葉であると思う。特にSNS系やディスプレイ系のメディアの広告を運用していると、Weeklyの報告などでよく聞く話である。どのようなシチュエーションで使われるかというと、しばらくパフォーマンスがよいクリエイティブ(勝ちクリエイティブ)があったとして、その勝ちクリエイティブにより安価で多くのユーザーが獲得できていたとしたときに、ある日を境に他のパラメータは殆ど動かしていないのに、広告のパフォーマンスが悪化するケースがある。このような場合に、悪くなった要因は、勝ちクリエイティブの効果が薄れたことが原因と考え、パフォーマンス広告の運用においては「クリエイティブの疲弊」という言葉が使われる。もちろん、実際にクリエイティブが疲弊することはあり得るのでこのロジックを否定するわけではないが、正直言うと私はこの言葉が嫌いである。なぜなら、パフォーマンスが悪くなった原因を深く追求せずに、簡単にクリエイティブに責任を押し付けていることが多いと感じているからだ。

リスティングよりターゲティング精度が低いディスプレイ系広告

では、そもそもクリエイティブの疲弊というのは、どのようなロジックで起こるのかということを考えてみたい。

ここに簡単な円グラフを載せる。A~Dまである4つの項目をあるサービスのターゲット顧客のセグメントとその構成割合を示すと仮定してもらいたい。つまりAという訴求が最もマジョリティで59%のボリュームを占めている。前回も説明した通り、デジタル広告の利点はターゲティング精度の向上による顧客セグメントの細分化とコミュニケーションの切り分けが可能なことであるので、もし市場がこの円グラフのとおりであれば、広告運用の理想はA59%、B23%のように、顧客セグメント毎のユーザー層の分布通りに広告が配信されていくことである。しかし、以前に主要メディア毎の特徴を説明したときにも触れたが、実際にはメディアによってそこまで細かくセグメントを正確にコントロールできるわけではない。具体的には、リスティング広告とそれ以外のメディアで差が出てくるというのが現実である。どのメディアでもレベルの差は多少あるが、個々のユーザーの理解レベルはそれほど極端に変わらないと思う。その人がスポーツのニュースやコンテンツをよく見ていて、同時に男性用のファッションアイテムをよく見ていれば、スポーツが好きな男性ユーザーで、さらに登録情報から住んでいる場所や年齢層なども推測出来るかもしれない。まあ、どのメディアもこのように行動履歴分析や登録情報からユーザーのデモグラフィック情報や趣味嗜好を推測する。リスティング広告とそれ以外の広告で異なるのは、より細かいニーズの把握とそれを適切なタイミングで表示する「いつ」のコントロールをする能力である。具体的には、上記のユーザーが、Googleのサイト上で、「ビジネス、革靴、ブラウン」と検索すれば、その人がファッションが好きなのかなレベルのターゲティングから、この人は今茶色の革靴を買いたい人だというターゲティングまで、精度もタイミングも向上させることができる。それができれば、このキーワードを検索したタイミングで、茶色の革靴の広告をだすというドンピシャな広告の配信が可能になる。一方で、それ以外のメディアでは、ファッションが好きそうな男性という顧客理解であれば、革靴でなくスニーカーであったり、靴でもなくバッグであったり、スーツであったり同年齢層の人が買いそうなファッションアイテムの広告を満遍なく配信するということになる。

SNS、ディスプレイ系広告でクリエイティブが疲弊するパターン

この違いが理解できると、最初に私がクリエイティブの疲弊問題が主にSNSやディスプレイ系の媒体で起こりがちであるという理由が見えてくる。リスティング広告のようにターゲティングの精度が高く、タイミングも適切にコントロール出来る場合は、上手くいけばA~Dの各セグメントに各セグメントのニーズに合った訴求のクリエイティブを最初から出し分けて配信できる可能性が高い。理想に近い形である。

一方で、それ以外の媒体は、どうであろう。顧客の理解がファッションに興味がある男性くらいのセグメンテーションしか出来なければ、革靴(D)か、スニーカー(C)か、バッグ(B)か、スーツ(A)かの出し分けをすることは難しい。その状況で、広告の担当者が、この4つのアイテムをそれぞれターゲティングしたいと思って4つのバナーを作って配信したら、どのようになるであろう。おそらくAのスーツのバナーのパフォーマンスが最も良くなる。当然である、市場の59%のユーザーがスーツを欲しいと思っているからである。では翌週、その結果を受けて、クリエイティブの方針を決めるとどうなるであろう。おそらく、違うスーツのバナーを作ってみようということになる。例えば最初のスーツのバナーがネイビーであれば、追加でグレーのスーツの画像でバナーを作ってみようとなる。非常にロジカルである。おそらく、2週目の結果は、スーツ2つのバナーのパフォーマンスが5個の中で2トップであろう。AはBに比べて2倍以上のユーザーがいる。少なくてもC、Dのバナーよりもパフォーマンスは良いはずである(ここで奇をてらいすぎてピンクのスーツのバナーを作ったりすると異なる結果になるかもしれないが)。こうなってくると、向こう2-3週間のABテストを重ねるとC,Dのバナーは何回やってもパフォーマンスが上がらないので回していても仕方ないという話になり運用するバナーのリストから落とすことになる。

特に、最近の広告運用のAIは広告のパフォーマンスを早期に最適化するため、パフォーマンスのよいクリエイティブに配信を集中させることが多いため、C、Dのようなバナーは落とさなくても殆ど配信されなくなるということになる。こうなると、A、Bの2つのアイテムだけで文字通りABテストを繰り返すことになる。では、ここまでのABテストのプロセスにおいて各判断ポイントにおけるロジックの破綻があるであろうか?おそらく殆どないと思う。しかし、この方法を続けていると、どうなるであろう?C、Dのクリエイティブ配信を停止してしばらくすると、おそらくC、Dのクリエイティブが配信されないだけでなく、そもそもC、Dの顧客セグメント自体に広告が配信されないことになる。それは当然であろう。靴やスニーカーが欲しいといっている人に永遠とスーツとバッグの広告を配信し続けても反応するわけがないからだ。そうなると、本当は100あった市場の20%くらいはそもそも捨てることになる。こうなってくると結末はそろそろ想像出来るのではないだろうか?C、Dを切ってしまうと、次の悪者探しをし始めるので、AよりBが悪いとなる。この状況がしばらく続くと、Bも同じ運命をたどる。そうすると、始めは4つのアイテムを100のお客さんに向けて売ろうと思っていたものが、いつの間にか59のお客さんにスーツだけを売るマーケティングに変わっていってしまうのだ。もちろん広告の運用担当者にそのような意図はない。ただ、真面目にABテストをやっただけである。

この状態になると恐ろしいクリエイティブの疲弊というやつが忍び寄ってくる。それはそうであろう。意図はしていないが、ターゲットセグメントを6割程度に絞り込んでしまった上に、スーツしか訴求できるものがないのだから。先ほどピンクのスーツに触れたが、そもそもスーツという商材は見てくれのバリエーションが少ない。おそらく売れ筋のスーツといってもバナーで表現できるのは、ネイビー、グレー、ブラックくらいの2-3種類であろう。コピーやバナーの背景色で一生懸命バリエーションを増やそうとしても、おそらくパフォーマンスするものは限られてくる。どうなるかというと、数種類のバナーが同じ人に永遠に繰り返し露出されることになるわけである。これで、クリエイティブのパフォーマンスが落ちない方が不思議である。

クリエイティブが疲弊する前に起こっている問題を把握する

では、どうすれば良いのだろうか?まず、ABテストをするときに、なぜ、良いクリエイティブのパフォーマンスがよく、悪いものが悪いのかということを、ここで私が説明したように背景も含めて理解する努力をすることである。前回も申し上げたように、ABテストという手法は市場を正しく理解するための手法であって、単純なクリエイティブの勝ち抜きゲームではない。この例のABテストの事例の良くない点は、この勝ち抜きゲームを盲目的に実施してしまっていることにある。例えば、アイディアとして、C、Dのクリエイティブが殆ど配信されなくなるか、止めざるを得なかった時に、別のキャンペーンを切り出して、C、Dのバナーだけ回すことを試してみることは出来ないであろうか?C、Dのパフォーマンスが悪い理由を推測出来ていれば、そのタイミングで、いずれC。Dの顧客にリーチすらしなくなるリスクを回避する方法を考えたはずである。そのような準備をしておけば、Bが排除される時の受け皿にも出来るかもしれない。別のやり方で、例えば、AとBだけになった場合には、Aに寄りすぎる機械学習のデータを使わないようにするために、A、Bのキャンペーンを作り直してゼロから学習をしなおすリセットという手法を取ることも有効かもしれない。そして、もしそれが上手く行くことが分かれば、C、Dのキャンペーンで同様な状況になったときの改善のオプションが増えることにも繋がるかもしれない。

まあ、改善のアイディアはあくまで一般論なので、その時の状況になってみなければ何が正しいか分からない。でも、ABテストの結果を表面的な勝ち抜きゲームから1-2回深ぼって考えることができれば、クリエイティブの疲弊のタイミングが遅らせられるかもしれないし、そもそも起こりにくい状況を構築出来るのかもしれない。しかし、勝ち抜きゲームをしているだけだと、ある日気が付いたら死にそうになっているAのみスーツキャンペーンをみて、クリエイティブが疲弊しましたとしか思わないわけである。でも、ここまでくれば直ぐに想像がつくと思うが、この状況では、幾らスーツのバナーのバリエーションを増やしても、バッグや靴のバナーを回しても、たぶん復活はしないであろう。

ABテストを単純作業にしてはいけない!

ABテストというのは、非常に簡単な手法で、はっきり言えば表面的に運用するのは誰でも機械的に行うことが可能である。しかし、ABテストを通じて、市場を理解し、マーケティングの基礎となる3要素を正しく把握するためには、広告システムの正しい理解と、それをもとに市場を分析するマーケティングの基礎体力の両者が揃っていなければいけない。

クリエイティブの疲弊というのは、一見正しそうな理由である。でも、多くの場合原因は他のところにあるし、そもそも疲弊する前に問題が起こっていることも多い。そこに逃げるのは簡単である。でも、自分の口からその言葉を発する前に、一度飲み込んで考え直してほしい。他に原因がないのかと。

デジタルマーケティングのクリエイティブ戦略

デジタルマーケティングのクリエイティブ制作3つのポイント

 データドリブンマーケティングを阻害する要因を以前説明したときに、User Insightを考えすぎることの問題点を指摘した。今回の話はその内容と結構被るかもしれないが、クリエイティブを考えるためには避けては通れないため、復習も含めて、もう一度考えてみたいと思う。前回マーケティングにおけるクリエイティブは8割はロジックが重要であり、このクオリティを上げることで最後の2割の表現の精度が変わること。最後の2割の表現の部分は出来るだけ信頼したクリエーターのセンスに任せる方が良いこと。この2つを私が考えるマーケティング・クリエイティブの基本方針として紹介した。そして、8割のロジックの中心となるポイントが「誰に、何を、何時伝えるのか?」という常に変わることのないマーケティングの基礎であるという話もした。

ここまでは、実施するマーケティングの手法がデジタルであろうとオフラインであろうと何も変わることはない基本中の基本である。では、デジタルマーケティングと対象を狭めると何が変わるのであろうか?

最初のポイントは、ロジックを組み上げるプロセスの違いである。これも何度も申し上げた通り、デジタルマーケティングのパフォーマンス向上の絶対条件は、小さな失敗を早く意図を持って行うことによるPDCAサイクルの回転数をどれだけ高速化出来るかである。このため、クリエイティブの制作においても、このプロセスを可能な限りサポートすることが求められる。これは、絶対条件である。

2番目のポイントはデータドリブンである。クリエイティブが良いか悪いかの判断は原則としてデータ分析の結果によって判断されるし、そのデータ分析の結果をもって次回以降の制作方針も決定される。

そして最後に、多様性への対応である。デジタルマーケティングにおいてはターゲティングを非常に細かく切り分けることが可能なため、クリエイティブ制作もその細かいターゲティング毎に調整がなされなければならない。

それでは、3つのポイントそれぞれについて、もう少し突っ込んで話をしてみたい。

リサーチ VS ABテスト

まず、ロジックを組み上げるプロセスであるが、デジタル広告において最も重視される手法はABテストである。これに対して、オフラインを中心とした伝統的マーケティングで重視される手法はリサーチであると思っている。この手法の違いが、クリエイティブ制作プロセスを全く異なるものにする。ABテストという手法は一言でいうと「とりあえず試してみよう」ということだ。一方でリサーチという手法は、「失敗しないように事前にしっかり調べよう」ということになる。つまり、良いと考えるものにたどり着くまでの方向性が全くことなるのだ。マーケティングの3要素「誰に、何を、何時」を決定するためには、基本的には可能性の低い組み合わせを削って、可能性の高いものを残していくという消去法的な考え方でやることが非常に多い。たまに天才的な人が、絶対ここがターゲットと閃いてしまうことがあったりするが、私はそういっている人も殆どの場合、頭の中でそれが正しそうかの答え合わせをする際にある程度消去法的なプロセスを踏んでいると想像している。

では、この2つの手法のどこに一番の違いがあるかというと、その消去法の駄目なものを決定する役割を誰が担うかという点である。ABテストというのは実際に顧客にクリエイティブを配信して、その結果を見て判断するということなので駄目なものを決定しているのは実際の顧客である。最近は広告メディアのAIのフィルターを通ってしまっていることも否定できないが、基本的な立ち位置は顧客に決めてもらうということで間違いがない。

一方で、リサーチという手法は、実際にクリエイティブの表現を見せてクリエイティブのアイディアを絞り込んでいくのではなく、事前の顧客リサーチなどをもとに、クリエイティブを作り始める前の段階で3要素の絞り込みを行うことを基本としている。つまり、リサーチデータを使うという意味で顧客の声を全く聞いていないわけではないが、現実的にはクリエイティブを作り始める前の段階でマーケターが3要素を決定している。

では、どちらがリスクが少ないかといえば、私は間違いなくABテストの方だと考えている。伝統的マーケティングの専門家程ではないが、私自身もこれまで様々なリサーチとその分析を経験してきたが、その結果をもとにどう考えても3つの組み合わせがひとつしかないという答えが得られるというシチュエーションに遭遇した経験は殆どない。例えば可能性を3つに絞り込むまでは出来るけど、そのどれを選ぶかはロジックでは分からないみたいなことが殆どであると思う。

しかし、伝統的マーケティングのリサーチ型の手法は、ここから1つを選ぶことをせざるを得ない。その理由は、こちらも以前に説明した通り、伝統的マーケティング手法がデジタル化以降も積極的に活用されているリテール型のビジネスのように、リテールの棚の確保などのために初期のマーケティングキャンペーンを垂直的に立ち上げなければいけないという構造にあるからだ。

もちろん、伝統的マーケティングを正しく学び、高いスキルを持っているマーケターの方は、マーケティングを非常にロジカルに、データドリブンに行っていることは全く否定していない。しかし、私の経験上、人間、どんなにロジカルに、データドリブンにやっていると思っても、どこかで個々人の様々なバッググラウンドに基づいた主観がどこかで入らざるを得ないとも思っている。もちろん、マーケティングというのは、最終的には顧客という人間を相手におこなうことであるため、このような人間的な主観も重要であると思う。しかし、ABテストの手法を20年見続けてきた結論でいえば、それでも私は、主観よりも顧客の判断を信用する方が間違える可能性が低くできると考えている。

リサーチ+ロジックの打率ってどのくらい?

私は、もちろん自分の部下が作るバナー広告はじめ、様々な広告クリエイティブを日々見ているが、事前にどのようなクリエイティブや3要素の組み合わせをABテストにかけてみるのかの報告を受けた場合には、部下に伝えるかどうかは別にして自分の中でどのクリエイティブが上手くいきそうかを必ず予想することにしている。基本的には毎週の定例報告の際にどのクリエイティブが今好調なのかみたいな話は聞くことが多いので、常にリサーチをしているわけではないが、顧客の志向は把握しているつもりである。おそらく、リサーチ型の手法をとる企業でも、毎週顧客リサーチをし続けているところはコストもかかりすぎるので少ないと思うので、私の判断基準がリサーチ側の判断基準よりも大きく主観によっているとは思っていない。では、結果はどうかというと、たぶん予想通りになる確率は5-6割くらいな感じがしている。私は、これは相当低いしリスクが高いと思っている。まあ、私のセンスがないと言われてしまえばそれまでであるが、一応20年マーケティングをしてきたので、センスがあるかどうかは別にして、ロジカルに顧客を理解する力はそれなりに高いと自負しているので、おそらく他の人がやって9割になるということは普通はないと思う(もしそういう方がいたら、自社運用でガンガンパフォーマンスを上げたら評価が上がるはず!)。このことが、何を意味しているかというと、リサーチ型の事前絞り込みという手法は、本当は可能性のある3つの組み合わせとかからクリエイティブの制作前の段階でよりパフォーマンスが高かったかもしれないアイディアを捨ててしまっているということだと思っている。それは非常に勿体ないことだし、それをし続けていると中長期視点では成長の頭打ちになるタイミングが早まってしまうことになる。

ABテストを徹底して、細かいセグメントのニーズまですくい上げる

そして、このABテストの手法を取ることが、次の2つのポイントと大きく関係してくる。まず、2つ目のデータドリブンについてであるが、これまでも述べた通り、ABテストにおいては、顧客の実際の反応結果のデータをもとにクリエイティブの良し悪しを決定するため、データドリブンであることは異論をはさむ余地がない。一方で、リサーチ型の場合は、3要素の組み合わせの選択肢の絞り込みまではリサーチデータをもとにデータドリブンに考えるが、それ以降はロジックはあっても、判断基準がデータではなくなってしまっていることが多い。また、ABテスト型のクリエイティブ制作において最も重要なのが、クリエイティブ制作のプロセス自体が継続したPDCAの回転に組み込まれているので、一度作ったクリエイティブを切っ掛けに、継続的にデータに基づいてクリエイティブのブラッシュアップや、新規の訴求点を探し続けるということである。もちろんリテール型の商品でも継続的なブランドキャンペーンを実施することもあるが、デジタルに比較してその回転スピードは全く異なるし、クリエイティブのパフォーマンスを評価するために取得可能なデータ量も相当低いと言わざるを得ない。

最後のターゲティングの細分化にクリエイティブワークを連動させることが出来るのもABテストという手法の大きなメリットである。そもそも私のクリエイティブの評価予想が5-6割程度にとどまる理由がなぜかといえば、一言でいうと、市場にはいろいろなニーズを持った人がいるということだと思っている。リサーチ型の手法の最大の弱点は、やろうとしている方向性が一番訴求出来る人が多そうな最大公約数を見つけることに主眼をおいているということである。しかし、市場にはそれ以外のニーズを持ったターゲットユーザもいる。リサーチ型最大公約数手法は、この小さなセグメントのニーズを事前に消去法で排除してしまっている。一方、デジタルマーケティングのターゲティング設定の細分化能力を使えば、このマイノリティのセグメントを切り捨てる必要がそもそもないので、マイノリティ向けにはマイノリティ向けのクリエイティブを残していけばよい。おそらく、私のクリエイティブ予想が当たらない理由もここにあると思う。例えば、Aという訴求でさんざんマーケティングをして顧客を十分獲得してしまった状態で、Bという訴求をしたとき、市場全体の顧客ニーズとしてはA>Bが間違いなく成り立っていたとしても、Aの訴求で獲得しきれなかったAの残存数と全くこれまで訴求してこなかったBの顧客の残存数の比較でいうと必ずしも(Aの残存数)>(Bの残存数)になるとは限らないのだ。おそらく、私の感覚では、相当大規模なターゲットユーザーがある市場で、相当なコストをかけた大規模なリサーチを継続的に行わない限り、この残存数まで把握するリサーチまでは実現できないと思う。少なくても私は良い方法は思いつかない。このため市場の多様な顧客ニーズに対応するためには、ABテスト型の手法がクリエイティブロジックの構築方法が非常に有効であると考えている。

ABテストは市場を理解する手法であり、作業工程ではない

ここまでで、何故デジタルマーケティングにおいてABテストの手法が用いられ、それを基盤としてロジックを組み立てるのかご理解いただけたと思う。但し、2点ほど重要な注意点がある一つ目は、私がABテストの手法をクリエイティブの勝ち抜け戦を決める手法として話しているのではないということだ。もちろんクリエイティブの評価にも使うが、根本は「誰に、何を、何時」という組み合わせを選択するロジックを構築するための手法として紹介しているということだ。よく現場でクリエイティブのABテストをしていて思うことは、ABテストが単純な作業になってしまっているということである。本来はABのどちらが勝つのかを認識した後で、それが何故そのような結果になったのかを分析することで、次のクリエイティブを作るロジックを再強化するというのがABテストの目的である。それが、大量のクリエイティブを作成し、勝つものを決めるというプロセスを盲目的に回しているだけになってしまうのである。特に、最近は大手代理店を中心に生成AIを活用したクリエイティブ制作の自動化ツールのようなものも登場しつつあるが、これがその傾向を加速してしまっている可能性がある。AI自体は過去の良いバナーの要素を統計評価して、次のクリエイティブ案を作っているためABテストをしているのであるが、それをAIに任せることによって人間がただのバナー登録ロボットのようになってしまっていることが多いのだ。もちろんAIは上手に活用すべきなのであるが、そもそも、クリエイティブを制作以前の3要素を決定するロジックをマーケターが理解出来ていなければ、そもそもマーケティングが出来なくなってしまう。この点を十分に理解してツールは活用してほしい。

2つ目は、これもAI化が進んで加速している問題点であるが、ABテストの問題点のひとつとして、視点が非常に短期的になりがちだということである。もう少し具体的に言うと、同じ訴求の中でバナーの色違いやコピーのバリエーション違いのような細かいABテストをしていると、実はデジタルマーケティングの良さである、多様なセグメントに多様な訴求で面を取っていくのではなく、絞り込まれたターゲティングに対して、ものすごく細かいバリエーションの違いのテストを永遠と繰り返すことになってしまっていることがある。このよう状態になることを防ぐためには、短期のABテストの結果と同時に1か月とか四半期とかでも良いので、長期のクリエイティブのパフォーマンスも比較して見られるように工夫をしておくとよいと思う。大抵の場合、重箱の隅をつつく状態になっている場合は、残念ながら中長期的なクリエイティブのパフォーマンスは落ちている可能性が高い。真面目にABテストをしてもそうなっているのであれば、一度だいぶ前に捨てた選択肢のオプションも復活させて、視点を変えた訴求をして、新しい、もしくは、しばらく寝かせたセグメントにも再アクセスするような調整を意図的に行うとよい。特にAIの自動生成系のツールは、この傾向が強いため、たまに機械学習のリセットのようなことが必要になる。

今回は、前回のクリエイティブ一般の話をどのようにデジタルマーケティングにアレンジしていくのかという具体的な手法をABテストという視点で説明した。繰り返すが、手法の違いはロジックの組み上げ方の違いであって、作業プロセス違いではないということである。クリエイティブは、マーケティングのタッチポイントで顧客が目にするものなので、そのクオリティはマーケティングの手法を問わず重要である。このため、くれぐれもクリエイティブ制作が作業や思い付きにならないように現在のオペレーションプロセスを確認してもらいたい。

若いマーケティングのクリエーターへのメッセージ

ここまで、ご理解いただいた前提で、最後に僭越ながら若いクリエーターの方にお伝えしたいことがある。私はクリエイター、アーティストではないので、専門職の方の仕事の仕方についてコメントしすぎない方がよいと思っているが、オッサンマーケターのアドバイスと思って読んでいただきたい。クリエイティブの制作が8割ロジックでデータドリブンでないといけないという話をすると、自分たちのクリエイティビティを発揮する余地が小さくなるとか、そもそも自分の思い通りのものが作られなくなるとか、クリエーターとしての不自由さを感じるかもしれない。しかし、マーケティングのクリエーターになりたいのであれば数字を見て、つまり、顧客の反応をみてものを作ることは絶対に避けて通れない。もし自分のクリエイティビティをフルに発揮して、自分の作りたいもの、格好いいと思うもの、美しいと思うもの、面白いと思うものを作りたいのであれば、「マーケティングの」という言葉を外して、純粋なクリエーターを目指してもらいたい。マーケティングのクリエーターというのは、マーケティングの目的を達成するための表現である。それであれば、その目的を実現できているかが絶対の評価基準である。そして、私はこれまで可士和さんをはじめとする何人もの素晴らしいクリエーターと仕事をしてきたが、クリエイティビティを発揮することにマーケティングのロジックが足かせになるということはないとも思っている。良いクリエーターをみていると、ロジックという枠組みがある方が、深い思考により、広くぼんやり考えていることでは得られないエッジの立ったアイディアが生まれているような感じもしている。これまでの経験上、自由にモノが作れないという言葉を若いクリエーターから何度も聞いてきたが、プロフェッショナルとしてマーケティングのクリエーターという職を選ぶのであれば是非考えてもらいたいので、ちょっと厳しめであるがお伝えさせていただければと思う。

良いクリエイティブを創るには?

クリエイティブ制作の8割はロジックで決まる

私はアーティストでもコピーライターでもないので自分でクリエイティブを作ることは出来ない。でも、自分がどこまでクリエイティブを理解しているかの自己評価は置いておいて(自分ではそれなりに出来ていると過大評価している)、マーケターに取ってクリエイティブが分かるということは重要なスキルであると思う。

正直、これまで何百人ものマーケターのマネジメントをしてきた経験から、クリエイティブを作ったり、アイディアを考えたり、評価したりする能力というのは、おそらく一定の割合で生まれ持った「センス」のようなものに最終的には依存してしまう部分は否定できない。しかし、この「一定の割合で」というのがポイントである。この一定の割合が、2割なのか、5割なのか、8割なのかで話は大きく変わってくる。結論から申し上げると、私は「センス」がなければどうしようもない世界は2割くらいなのではないかと思っている。

そもそも、私がアーティストでもないのにこんなところで偉そうにクリエイティブの話を話始めようとしているのは、私にマーケティングのクリエイティブの考え方について教えてくれた恩人がいるからである。その方の名前は佐藤可士和さんである。少しマーケティングの情報をかじったことがある人であれば知らない人はいないであろう、日本のマーケティングクリエイティブの代表的な人物のおひとりである。リンク先のページで可士和さんが関わられたプロジェクトを見れば、日本人でひとつも見たことがないという人はおそらく一人もいないだろう。私は可士和さんの弟子でも何でもないが、2003年くらいから楽天をやめるまでの6-7年の間、楽天グループのブランド管理責任者と楽天ブランドのクリエイティブディレクター/アートディレクターという関係で、継続してお仕事をさせていただく機会を持つことが出来た。当時は、およそ月に2回程度、三木谷さん、可士和さん、私をコアメンバーにして、その時々でお題を決めながら可士和さんにディレクションしていただいたブランド関連のクリエイティブについて、議論をさせていただくことができた。その継続的なディスカッションを通して、可士和さんというトップクリエーターがどのようにしてクリエイティブを作っていくのかというのを、非常に鮮明に理解することが出来た。この体験が、私がマーケティングのクリエイティブを考える時の基盤となっている。

正直、ここで述べることの何分の一かは可士和さんとの会話から教えていただいたことの受け売りである。このため、もし興味があって、ご本人の言葉で詳細に正しく理解したという事であれば、可士和さんの最初の著作であるこちらの書籍を読んでいただければと思う。最初の本なので、可士和さんの考えのエッセンスが非常によく纏まっていて理解がしやすい。

クリエイティブのロジック=マーケティングの基礎体力

と、可士和さんのご紹介をしたところで、本題に戻ろう。私がおそらくあれほど長期間に渡って可士和さんとお仕事をさせてもらえた最大の理由は、可士和さんのクリエイティブを作る時の8割はロジックの世界で、表現のセンスとかクリエイティビティというのは最後の2割くらいで発揮されるものという考え方のおかげであると思っている。おそらく、この割合が逆であれば、早々に私など窓口の責任者のポジションを首になっていたと思う。たぶんこのBlogをここまで辛抱強く読んでくださっている方であれば容易に推測可能だと思うが、私はロジックの世界であれば得意だし、実行出来る自身がある。

では、クリエイティブにおけるロジックとは何であろうか?実はこれも今までさんざん検討してきた「誰に、何を、何時伝えるのか」という事である。マーケティングの基礎体力として、このBlogで繰り返し議論してきた内容である。そもそも、クリエイティブというのはマーケティングにおいてどのような役割を担うものであるのかを今一度整理して考えたい。クリエイティブとは、マーケティング活動において、誰かに、何かを伝えたいときに最終的なタッチポイントとなるシチュエーションで顧客が見たり、聞いたり、読んだりするための表現である。このため、実は、誰に何をいうかというのは、クリエイティブ表見で規定されるのではなく、その前のロジックで規定されるということになる。可士和さんから私が教わったのは、どのようなクリエイティブを作るのかを考えるときは、アイディアを考え始める前に、この誰に、何を、何時伝えたいのかというロジックを徹底的に突き詰めて考えよという事であった。逆に言えば、この3つのポイントが曖昧だとクリエイティブを作る方向性も明確にならないということである。

私は、クリエイター以外のマーケターの仕事というのは、実はこの8割のロジックを徹底的に突き詰めることができれば、98%くらい終わりなのだと思っている。後の2割ははっきり言ってクリエーターのセンスに任せるしかないからである。例えば、クリエーターとして誰かを指名して、その人にクリエイティブを作ってくれとお願いするのであれば、それはそのクリエーターのセンスを信じてお金を支払うという事なのだと思っている。8割のロジックに合意したうえで、そのロジックに従ったクリエイティブをクリエータが作ってきたとしたら、その案が良いか悪いかを素人が口出しするのは、プロフェッショナルを雇った意味がそもそもないと思う。もちろん、合意したロジックどおりにクリエイティブを作っていなかったり、明らかに手を抜いているときには文句を言うべきであるが、そうでもない限り、クリエーターのセンスは最終的には信じなければいけないと思っている。

マネジメントはロジックの合意までが基本

このように考えれば、当然クリエイティブを評価する手法もおのずと見えてくるだろう。8割のロジック通りに表現が作られているかを確認すれば良いだけなのだ。あとは、ブランド全体のトーン&マナーにあっているかとか、個々のクリエイティブの内容ではなく、個別のクリエイティブ外の整合性の評価などをしていけばよいということになる。このクリエイティブの評価の時に、マネジメントの人間が気を付けなければいけないことは、最後の表現の良し悪しに中途半端に口を出さないことだと思っている。特に、表現の好き嫌いについて意思決定力が強い立場の人物はなるべく発言はしない方がよいというのが私の立ち位置である。例外は、BtoB向けの経営者層向けのクリエイティブなど、現場のメンバーよりも自分の方がターゲットユーザーの理解が深いと思えるときくらいであると考えておいた方がよい。なぜなら、好き嫌いの領域の判断というのは主観的な事項なので上位者の意見が必然的に通りやすい傾向が強い。例え、現場のメンバーに意見を聞いたとしても、先に自分の意見を表明してしまうと、日本的な同調圧力が働いたりして、客観的な意見が出てこなくなることも多い。特に、社風として上位者の意見に異を唱えにくい社風の会社(そもそも、そういう社風は即座に直した方が良いと思うが)では、この点は特に注意が必要である。

しかし、このように申し上げても、どうしても自分の意見は表明したい、しないと後で後悔すると考える経営者の方がいることもよく理解している。特に、成功した経営者の方というのは独特の商売センスのようなものをお持ちの方がいるので、自分で納得いくものでないとOKと言えないということがあることも経験しているし、その意見が正しいことも実は多くあったりする。そのような場合は、必ず最終案は自分が選ぶことを事前に社内外の関係者に表明しおくことをお勧めする。また、その場合はそのプロジェクトの成否について現場に重い責任を追わせることもなるべく控えたほうがよい。この2点を守らないと、現場のマーケターのモチベーションは下がるし、外部のクリエーターの場合、状況によっては一緒に仕事をしたくないというようなことになりかねないからだ。クリエイティブワークの最後の2割の表現というのは主観的な要素が強いため、どうしてもそのプロジェクトに取り組むモチベーションによってクオリティに差が出てくるように感じている。このため、私は、もちろん能力の高いクリエーターと仕事をすることは重要であるが、それと同程度の割合で一緒に仕事をするクリエーターのモチベーションが高いことも重要な要素であると思っている。この点は面倒くさがらずに、是非可能な限りの配慮をすることをおすすめしたい。

ここまでで、私が可士和さんから教えてもらったクリエイティブの8割ロジックの話をさせていただいたが、これから話すクリエイティブの話は基本この8割の話であるとご理解いただければと思う。残念ながら私に残りの2割のクオリティの上げ方をアドバイスする能力は全くない。その能力を伸ばしたい方は是非その道の専門家にあたってもらえればと思う。

クリエータータイプのマーケターへのアドバイス

最後に、一点だけ追加させていただきたい。私はこれを全く悪いことだと思わないが、数は多くないが、たまにロジックよりもアイディアが先に思いついてしまうクリエータータイプのマーケターの方が存在する。私もかつて一緒に仕事をした部下で思い浮かぶ顔が何人かいる。このようなタイプの人にいくつかアドバイスをさせていただく。まず、このタイプの方は、自分がロジックの積み上げでなくアイディア先行型であることをきちんと自覚することが重要である。また、そのような部下をもつ上司の方は、その部下に対して気が付いたら面談などで指摘してあげるとよい。人間自分のやり方を普通だと思っていることが多いので、実は指摘してあげないと気が付けないことも多いからだ。

もう一つのアドバイスは、もしアイディアが先行して出てきたときは必ず後付けでよいので、なぜそのアイディアがよいのかロジックを作り、他人に説明する練習をして欲しい。私は、アイディア先行のプランで実際に良いものもたくさんあると思う。ロジックの積み上げだけでは、予定調和的な無難な結論になってしまうことも否定しない(そうならないようにするのが最後の2割でのクリエーターの腕の見せ所なのだが)。しかし、データドリブンなマーケティングの世界ではどんなに良いアイディアでも「面白い」の一点張りでは、周りを説得できない可能性が高い。もし、自分一人で難しければ、周りの人に自分のアイディアのロジック付けをしてくれるサポート役を見つけておくという方法も良いかもしれない。一番良くないのは、クリエータータイプの人間同士でブレストをして面白いと盛り上がったアイディアを勢いで企画会議等に持っていくと熱が冷めてしまった翌日とかには、本人たちも含めて熱が覚めてしまったりして面白さがわからないみたいな状況である。こうならないためには、どこかで一度冷静になって考えてみる習慣を是非つけるようにして欲しい。

クリエイティブは最終的な顧客との接点である!

マーケティングにおいてクリエイティブは最終的な顧客との接点をコントロールする非常に重要な手段である。ここで失敗すると、どんなに緻密に積み上げた「誰に、何を、何時」というロジックも台無しになる。検索して記事を見つけられなかったが、以前Googleがどこかで紹介していた調査で、デジタルマーケティングのパフォーマンスの80%程度はクリエイティブの良し悪しで決定されるというような話も聞いた記憶がある。しかし、クリエイティブを「センス」の一言で片づけてしまうと、スキルアップをする余地がなくなってしまう。次回以降は、クリエイティブをロジックで考える際のポイントをいくつか議論していきたい。