2軍監督の役割

2軍選手を怪我する一歩手前まで練習させる分け

野球Youtubeから好きな話第2弾。たぶん、僕くらいの歳の人でないと古すぎて全く知らない選手だと思うが、昔広島の一番バッターで高橋慶彦という選手がいた。スイッチヒッターで、足が速くて盗塁王になったりと、子供心にかっこいい選手であった。もとヤクルトの古田のYoutubeとかを見ていると、当時の野球界では高橋慶彦伝説がたくさんあったらしく、相当怖い触れてはいけない選手として恐れられていたらしい。まあ、そんな話もそれはそれで面白いのだが、別に野球の話をする場所でないので、本題に移る。

彼の話の中で、私が素晴らしいなと思った話が2軍監督の仕事について話していた内容である。2年くらいロッテの2軍監督をしたらしいのだが、その時若い選手に無茶苦茶厳しく練習をさせたということだ。そもそも高橋氏本人も現役時代は相当な練習量で有名で、いつもバッティング練習していると周りの人から見られているような選手だったと後輩の選手が証言している。体技心の話ではないが、彼も結局練習しなければ上手くもならないし選手としても大成出来ないと思っているそうだ。もちろん、そういう思いから厳しい練習を課すわけであるが、それをやり通した理由というのが素晴らしいと思ったのだ。

高橋氏が当時考えていた2軍監督の役割というのは、野球をやめていく選手に後悔させないことだと思っていたそうだ。毎年秋か初冬になるとプロ野球選手の引退とか、戦力外通告がスポーツニュースをにぎわすが、プロ野球球団というのは支配下に登録できる選手の数の上限が決められており、基本的にはその上限からあふれてしまった選手は契約を更新されないという仕組みになっている。新しく選手になる方は毎年ドラフト会議で華やかな話題となり、1球団6,7人の選手がプロ野球選手になるわけだが、逆にいえば、それと同数の選手が野球選手をやめなければいけない厳しいトコロテン方式の組織なわけだ。ではその6,7人の選手がプロ野球選手をやめなければいけないなかで、「引退」と呼ばれるように自分でやり切ったと自発的に選手をやめられる人がどのくらいいるかといえば、おそらく一人いるかどうかという確率で、大半の人は野球を続けたいのに続けられなくなる状況になる。

プロ野球の2軍選手が直面する厳しい現実

野球選手になるのは18-25才くらいなので、プロ野球選手をやめざるを得なくなるのも多くの場合20代の中盤から後半の若者である。そのあとも、社会人として長い人選を歩んでいかなければいけない。そのような厳しい現実を考えた時、高橋氏が2軍の責任者として考えていたのは、分かりやすく言えば「クビ」になったときに、その選手がどう自分のプロ野球人生を振り返ることが出来るかではないかと話していた。「これだけ全力でやり切ったのだからしょうがない」と思うのか、「こうなるのであれば、もっと頑張れば良かった」と思うのかということである。当然、前者であってほしいわけだ。

プロ野球というのは、周りに超高額の年俸をもらっているスター選手がいるような華やかな世界で、20代の若者には誘惑も多い世界である。勘違いしてしまいそうなシチュエーションもあるであろう。入団時の契約金など考えれば、1軍の選手ほどでなくても、周りの若者よりはお金もあるであろう。しかし、2軍の選手というのは残念ながらプロ野球という組織においてはその時点では全く事業貢献も出来ておらず、分かりやすく言えば、入口に立っているだけで、プロとして一人前に成れていない中途半端な存在である。

その彼らの中から、ほぼ確実に5名前後の選手がその年の年末に解雇される。大体2軍選手の人数というのは30人前後である。その中から5-6人が解雇される。そういう厳しい世界だと言ってしまえばそれまでだが、この話を聞いたとき、もしそれが自分の部署であったらと想像すると、高橋氏の話している気持ちが物凄くリアリティを持って感じられてしまったわけだ。

マーケターにも2軍選手のように練習量は必要!

間違いなくこういう話をすると、昔気質のオッサンと嫌がられるのを承知で言うが、ワークライフバランスが重視される昨今の日本社会で、本当に強く、スキルの高いビジネスパーソンが育つのか心配になることが多い。もちろん長時間残業すれば良いとは全く考えていない。その点は以前、作業=経験ではないという話をしたので、ご理解いただけていると思う。しかし、スポーツの反復練習と同じで、ビジネス、少なくても私の専門分野であるマーケティングにおいては、反復練習の数を増やして経験値を高める機会は必ず必要である。それをワークライフバランスの名のもとに機会として奪ってしまっている。もちろん、そのような働き方をしたくない人に強要することはあってはならない。その対策は当然行うべきだと思う。でも、上位何パーセントかの社会を背負って立っていかなければいけない若者たちから、自分を追い込んで成長させる機会まで奪ってしまってよいのであろうか?多くの私と同年代のマネジメントが悩んでいると思うが、この高橋氏の話を聞いているともっと真剣に考えなければいけないのではないかと思ってしまう。

最近の新卒の学生の子を見ていると、間違いなく自分のころより大学時代にお勉強しているし、真面目に考えていて、優秀な子も多い気がしている。だからこそ、この子たちをちゃんと一人前にしてあげるのは。2軍監督の役割を担う大人の責任なのではないかと思うのだ。

また、逆に、トップレベルのマーケターになりたいと思う若いマーケターに伝えたいのは、社会に奪われてしまった自分を鍛える機会をどのように自分自身で補完するのかを考えなければいけないのではないかということだ。特に、マーケティングの基礎体力となる「誰に、何時、何を伝えるか?」を考える力を蓄え、他の人よりもスピーディーに正解にたどり着くためには、どれだけこの作業を数多く深く経験し、様々なシチュエーションにおける成功例、失敗例を自分の中にストックしておけるかが重要である。それが必要ないのは、一部の天才的なマーケターだけである。ハッキリ言って、私などはそのストック量の多さだけを頼りにマーケターとして生きているようなものである。

30代中盤で気が付いてもおそらく手遅れ?

別に遊ぶなとは言わないし、寧ろ、リフレッシュのために遊んだ方が良いと思う。しかし、次のことは理解しておかなければいけない。ビジネスの世界、特に日本の労働環境というのは、一見プロ野球ほど直ぐにクビになったりしないので厳しくなさそうに感じられるかもしれない。ただ、それは、クビにならないという点がシビアでないだけで、実は能力の評価というのは確実にされている。若いころはそれほど差を感じないかもしれないが、30代中盤くらいから、出来る人と出来ない人の選別が結構シビアに進んでくると思う。前にどこかで話を聞いた人事の研究者みたいな人は日本の大企業では45歳くらいで急激にハイパフォーマーとローパフォーマーの差が出ると言っていたが、私がいたようなデジタル系の企業では10年は早く選別されると思う。そして、2軍のプロ野球選手がクビになってしまったら、ほぼリカバリー不可能なのと一緒で、ビジネスの世界でも、この選別が始まった時点で気が付いてリカバリーしようと思っても、ハッキリ言ってほぼ不可能である。プロ野球は数年の努力の結果での判断だが、ビジネスの場合、30代半ばと言えば、10年以上のビジネス経験で蓄積された差を判断されているのであるから。このように考えれば、実は早くアラートを上げてくれるプロ野球の方が実は優しいのではないかとすら私など思ってしまう。

50歳になりそうなおじさんが、60代半ばくらいのおじさんの話を聞いて感心した話なので、ずいぶん爺臭い話になってしまったが、最近の若者に優しくする社会だと、口頭ではなかなか言えない話なので、あえてこんな話をしてみた。

自分も含めて、「こうなるのであれば、もっと頑張れば良かった」と思わないようにできればなと思う今日この頃である。

体技心

勝敗が明確になるスポーツはPDCAの究極

私は運動神経、特に反射神経が決定的に欠如しているので、運動というものは基本苦手なのだが、その反動なのか理由はよくわからないが昔からトップスポーツ選手の話を聞いたり、読んだりすることが好きである(一番のお勧め)。最近Youtubeで暇があるとボケっとよく見ているのがプロ野球系のコンテンツである。ちなみに、野球のYoutubeは見るが、野球の試合は一切見ない。ちょっと2時間以上TVの前にじっとしていなければいけないという時間感覚が完全に生活のリズムと合わなくなってしまっている気がする。同じ理由で映画も殆ど見なくなってしまった。

話が逸れてしまったが、何故私がスポーツ、特に最近は野球選手の話を聞くのが好きかという事なのであるが、スポーツの世界というのは、勝敗がはっきりするということから、試合や練習での自分の体の動かし方とか、考え方とかを突き詰めて考えている度合いが、ビジネスよりも遥かにシビアで、私が好きな深堀の深さが非常に深い様が手に取るように分かるからだ。特に、野球のバッティングというのは私は全く出来ないが、話を聞いている限りでは超一流選手であっても、10人が10人言うことが違って、聞いているだけで大変面白い。

どこで読んだのかすっかり忘れてしまったが、野球のバッティングというのは、おそらくあらゆるスポーツの中で最も習得が難しい種目であるらしい。まあ、少し考えればそんな気がする。おそらく、卓球を除いてもっとも小さそうなボールをピッチャーが160キロとかのスピードで投げてくるのを、細い木の棒で100メートルとか打ち返すのだ。テニスであればほぼ同じ大きさのボールだが、ラケットの面のでかさはその数倍は確実にある。難しいと皆さん言うがゴルフなどはボールが止まっている。よくよく考えると、野球のバッティングというのは相当高度なことをやっているのだ。

では、それをどのように実現するのかというのを、いろいろな選手に語ってもらうと、驚いたことに殆ど体系的な理論がない模様である。確かに、サッカーとか、ゴルフとかってプロのコーチライセンスみたいなものがあり、学んだことはないが、プロコーチのテストがあるということはおそらく教科書的な体系はあるのであろう。しかし、野球というのはプロのコーチはいるが資格はなく、ある意味誰でもオファーさえあればなることができる。

なぜ、そうなるのかといえば、話を聞いていると、技術が高度すぎて、かつ、自分の感覚に合う合わないみたいなものが相当要素として大きいらしく、ひとつの理論でこれが正解というものもないらしいのだ。その結果、プロ野球でもトップクラスの成績を残した名選手たちの話を聞き出すと、びっくりするくらい人によって言うことが違ってくる。びっくりしたのが、バットの持ち方ひとつとっても、もとプロ野球選手同士で話していても、そんな持ち方では絶対打てないとか、言い合っているのだ。おそらく、超競争社会なので、現役時代は自分の本質的なノウハウみたいなものはライバルには教えられないので、引退後に話して始めて理由をお披露目できるという状態なのであろう。

心技体ではなく体技心

で、なぜ、マーケティング、マネジメントのBlogでわざわざ野球の話をトピックとして取り上げるのかというと、たまに、ビジネスにも共通するのではないかと思うことがあるからだ。今回はその中から、「心技体」について一流選手がどう考えているのかということを皆さんに共有できればと思う。

スポーツに限らず、何か物事を成し遂げるために必要な3つの要素として「心技体」をセットとして挙げることが昔からよくある。では、プロで名球会級の結果を残した元選手に、この3要素を優先順位順に並べてくれと聞くと、僕が聞いた限りでは、ほぼ100%の確率で、体技心と答える。つまり、体/体力→技術→精神力というわけだ。

ではなぜ、体が一番重要なのかというと、そもそも、一流選手になるためには技術を習得するためにライバルよりも練習を積まなければならないので、それに耐えられる追い込んでも怪我をしない体であったり、追い込んだ練習をできる体力がないと、技術を習得する入り口にも立てないのだという話をしている。そして、体がしっかりして、自分で考えて必死で練習すれば技術は習得でき、技術が習得できれば試合に出るチャンスもつかめるので、あとは試合で様々な経験をすれば心はおのずとついてくるようになるという感じである。

私のような運動神経のない人間からすると、クラスで運動が得意な上位数名でさえ、生まれ持った素質が違うと思っていたので、プロレベルで活躍できる選手になれば、最初からある程度出来るのだろうと勝手に思っていたので、この話を聞いたときには結構びっくりした。プロになれた選手でさえプロ野球選手になった後にどれだけ練習を積めるのかが勝負なのだ。逆に言えば、どの世界でもレベルが上がれば、その中での競争があり、競争相手より少しでも多く鍛錬を積み高みに登れないと勝利を得ることなど出来ないのだと知り、どこでも同じなのだと思った。

では、同じであるとして、私たちマーケター、ビジネスパーソンに置き換えて、この体技心の優先順位は同様であると言えるのであろうか?私はYesであると思う。心の話については、以前に私に最も似つかわしくない「気合」をテーマに話したときに触れたので、そちらをお読みいただくとして、今回は体・技の関係について話をしたい。

「体」=マーケティングの基礎体力

マーケティングにおいては、どのようなマーケティングの分化したファンクションを行う上においても共通するマーケティングの基礎体力がそもそもなければならないという話をこのBlogでも何度も申し上げてきた。私がマーケティングの基礎体力と呼ぶものは、自社の商品・サービスを顧客に売ろうと思ったときに、「誰に、何を、何時伝えるのか?」の3つの要素をどれだけ適切に把握して、実際の施策に落とし込んでいくのかということである。この3要素は、私が思いつく限り、マーケティングのいかなる活動においても当てはまる施策を実行するときの出発点で、この理解がない人が小手先のどのようなテクニックを駆使したところで、継続して高い成果を上げ続けることは決してできないと思っている。また、逆に言えば、この基礎体力がついていれば、新しいファンクションを学ぼうと思えば、そのファンクション特有のテクニックの特性と使用方法さえ理解すれば実行可能であるため、基礎体力がある人とない人では習得のスピードに大きな差が生まれる。

野球における体力というのは、私はこのマーケティングの基礎体力に該当するのだと思う。つまり、体がなければ、そもそも技術の習得がスタートしないわけである。さらに、共通するのは、この技術というのは、日々の訓練の中でしか養われないということである。野球のバッティングで、日々素振りをして、ティーバッティングをして、バッティングピッチャーのボールを打ち、最後に紅白戦などの試合形式の練習で技術を実践に近い形で洗練させていくように、マーケティングも、同様に日々の訓練のレベルを上げていくことでしかレベルアップしていかない。もちろん、皆さんならすでに想像つくと思うがマーケティングにおいてはそれがPDCAである。大事なのは、このPDCAをドンドン深堀していくことで、同じようなことをしている中でも、常に新しい発見を追い求めることが必要なわけである。その結果として、広告運用のテクニックであったり、クリエイティブ制作のノウハウであったりといった個別の技術スキルが習得でき、レベルアップしていくわけである。しかしそれを高いレベルで習得できるようになるためには、野球選手の体力のように、継続的に技術を追求できるようにする土台となるマーケティングの基礎体力が必要不可欠なのである。

もし、プロ野球の選手が、バットの素振りをそれっぽい形で出来ればよいと思ってしまえば、おそらくそんな練習は小学校くらいの時に卒業しても良いはずである。それなのに、プロの選手になってからも素振りをしている。常人には分からないが、それは確実に小学生の時にしていた素振りと、プロになってからする素振りでは、課題としている内容が違い、より細かいポイントを確認しているのだと思う。それにより技術は向上していく。私は、マーケティングのPDCAというのも、それと全く変わらないと思っている。

市場環境は常に変化するので過去と同じPDCAなどあり得ない

前も言ったが、私が好きではない言葉の一つは、1-2年マーケティングをかじっただけでもう学ぶものがないとか言い出す若者に発現である。こういう人は、それっぽくバットを振っているだけなのだと思う。分かりやすく言えば、プロ野球選手になって、素振りは小学生の時に出来るようになったのでやりません。そこから学ぶものはないのでと言っているようなものである。申し訳ないが、軽々しくそういう言葉を言う人は、そもそも深堀する力がないので、よほどの天才でない限り一流にはなれないと思っている。ビジネスを取り巻く環境というのは、常に変化している。例え自分が立ち止まって(いいこととは思わないが)変わっていなかったとしても、競争相手が過去と違うことをしたら、目の前に広がるマーケットは過去と同じということはあり得ない。それなのに、過去と同じ課題のPDCAを回せと指示したら、それは過去に経験済みなので学ぶことはないという。断言するが、絶対にそんなことはない。

なぜ、プロの選手が常に練習をして体力と技術を向上させるのかといえば、それは、相手のチームが自分を抑えようと様々な手法で攻めてくるからである。相手も進化するのであれば、自分が立ち止まってしまっては勝ち続けることなど出来はしない。なぜ、ビジネスは違うといえるのであろうか?

日々のPDCAが過去と同じことなどほぼあり得ない。時間が止まらない限り、必ず何かの条件は変わっている。それを毎回毎回深堀して見つめられる人は、それだけ深く狭く考えられ、マーケティングの基礎体力が高いということだし、そうなれなければ「なんちゃってマーケター」で終わってしまう。もちろんそれで満足なのであれば別にそれでよいと思う。でも、折角一日8時間とか自分の時間を使って行うのであれば、少しでも一流に近づけたほうが面白いのではないだろうか?

そのためには「体技心」の順番である。

あなたは「技体心」とか「技心体」になっていませんか?

良いところ取りでは成長しない

効率的に成功法則を見つけたいという間違った欲求

Cherry Pickという言葉を知っているだろうか?

「自分の気に入ったものだけをつまみ食いする

〔品物などを〕入念に[用心深く]選ぶ、

えり好みして買う

バーゲン品ばかりをあさる」

出典:英辞郎

辞書を調べると、こう書いてある。いわゆる「良いとこ取り」みたいな話だと思う。

私はよくある、「明日からできる簡単〇個の習慣」とか「〇を覚えれば効率が10倍アップする」みたいな何かを覚えればすぐに上手くいく的なノウハウ本みたいなものが大嫌いである。世の中そんな簡単で、おいしい話はないと思っている。このようなノウハウ本を一生懸命読んでいる人って、たぶん常に簡単に=効率的に上手くいく方法を探していて、何か自分で実践できそうで、楽そうな方法が見つかったら「これだ!」と飛びついて、なんとなく実践してみて、そんな簡単に上手くいかず、次のよさそうなヒントを探しに行くのではないだろうか。これは、完全にCherry Pickな状態である。

私は、社会人人生で、多くの人と一緒に仕事をしてきたが、はっきり言ってこのCherry Pick系の人で成功している人に殆ど会った記憶がない。たぶんゼロだと思う。では、ビジネスでパフォーマンスを上げる人と、Cherry Pick系の人で何に差が出るのだろうか?あまり読んだことはないが、そのようなノウハウ本みたいなもので言われている一つ一つの事に明らかに間違っている事というのは、あまりないのではないかと思う(読んだことないので推測だが)。どこで差が出るのかというと、凄くシンプルに言うと「タイミング」と「組み合わせ」であると思っている。この2つが揃うとビジネスは成功するのではないかと思う。

その瞬間にやるべきことを適切に判断する

GAFAの4社がなぜ2024年時点で史上類を見ないほどの大成功をおさめ巨大な時価総額をもつ企業になっているのかといえば、間違いなく2000年前後のインターネットの普及期において、ネットを中心としたビジネスを立ち上げた(Appleは若干微妙だが、一回ダメになったAppleをスティーブ・ジョブスがTopに再就任して立て直したところから考えれば同様と考えて良いだろう)ことが何よりも大きな原因だと思う。ジェフ・ベゾスがどれだけ優秀な起業家、経営者であったとしても、今から何かネット系のビジネスを始めても間違いなく今のAmazon程の成功はしないと思うし、おそらく彼であれば2024年にネット系のサービスの企業は立ち上げないと思う。おそらく、日本においては私がいた楽天がその代表例であろう。例えば、スマートフォン世代で日本で最も成功した事業、サービスはLineだと思うが、Lineの場合も2010年前後のスマートフォンが普及し始めたタイミングでサービスを開始したことが何よりも成功した原因であると思う。超大成功している例だけ見ていると、なんとなく本当かよと思うかもしれないが、ビジネスが大きく成功するためには、このタイミングの見極めが非常に重要なのは間違いないと思う。

では、何故タイミングが重要なのであろうか?私は単純にホワイトスペースの大きさが巨大であるからだと思う。インターネットにしろ、スマートフォンにしろ、新しいテクノロジーやデバイスが登場した時というのは、当然新しいものであるため、それらを使って展開されているサービスや商品というのは世の中に存在していない。そして、そのテクノロジーやデバイスが本格的に普及する兆しが見え始めると、そのテクノロジー等がなかった時代から存在していた既存サービスたちが新しいテクノロジーを使って展開され始める。それが巨大なビジネスチャンスが生まれる瞬間となる。先ほど例として上げたLineなどはその典型であろう。おそらくLineの登場によってほぼ使われなくなったものの代表例はモバイルメールであろう。若い人は知らないかもしれないが、Lineが登場する前に移動中に最も利用されていたコミュニケーションツールはおそらく携帯キャリアが提供していたモバイルでのemailであった。スマホの普及が本格化する少し前(たぶん1-2年前)にLineが登場した。このサービスは使いやすさ等を考えても明らかにモバイルメールの上位互換であったため、感覚的には2-3年のうちに市場を置き換えてしまった。似たような例で言えばメルカリもそうであろう。メルカリの登場前にもCtoCのECサービスが存在しなかったかといえば、全くそんなことはない。代表例はYahooオークションであった。それを、スマートフォンの普及期にメルカリがスマホのアプリで同様のサービスを立ち上げて、市場の大きな部分を置き換えてしまった。はっきり言ってサービスの骨格はブラウザ時代のYahooオークションとそれほど違わなかったと思うが、モバイルアプリで完結する優れたUIのサービスに再構成して、サービスのクオリティが抜群に良かったことで、一気にCtoCの売り手の数を拡大することに成功したのだと思う(ちなみに、メルカリが始まったとき、これほど上手くいくとは正直思わなかった。あれだけ市場を占拠していたヤフオクがなぜすんなりと負けてしまったのかは研究に値すると思う)。

このように、新しいテクノロジーやデバイスが登場すると、既存のサービスをその新しいテクノロー等を利用して再構成するという広大なビジネスチャンスがいきなり登場するわけである。この10年くらいのその最大の成功例は、エンジンからモーターへの転換を促進している電気自動車のテスラであろう。おそらくあのビジネスをあと10年早く始めていたら成功していなかったと思う。

事業というのは様々なパーツの組み合わせ

では、ビジネスにおいてこの「タイミング」をつかむことが出来れば成功は約束されるのであろうか?もちろんそんなことはあり得ない。そこで登場するのが「組み合わせ」である。話をシンプルにするために、一言で組み合わせと言ってしまっているが、この組み合わせるものにはとてつもなく多くのパーツがある。例えば、Lineで言えば、一番の発明はおそらくテキストメッセージにスタンプという日本独特の絵でのコミュニケーションを組み合わせるアイディアが秀逸であった。テキストメール時代からあった絵文字という文化は実は日本独特のもので、英語でもemojiは全員とは言わないが通じる人には通じる。でも、そのアイディアが良かったとしても、そのサービスを正しく創るためには開発スタッフが必要だ。そのビジネスをどのように儲かる収益事業にデザインするかという事業責任者も当然必要である。プロジェクトを立上げようとなれば当然人事も必要だし、事業にお金がかかるのであれば財務部門の協力も必要であろう。このようにひとつのビジネスを立ち上げるということは、非常に多角的な検討要素=パーツを組み上げていくという作業である。もちろん、事業が立ち上がってオペレーションフェーズになっても話は全く変わらない。事業が成功し、関わる人数が増えれば増えるほど話は複雑になる。さらに。Lineの場合は、サービス面でも、コミュニケーションアプリとして始まったものに、ゲームプラットフォームが追加され、ニュースが追加され、Paymentが追加され、動画機能が追加され、、、と多くの組み合わせの増が発生している。

では、その実現をするために、そこに関わっている一人一人の社員が物凄く特別なことをしているのであろうか?実は私はそうではないと思っている。開発スタッフがやっていることは、他のスマートフォンアプリを開発している会社のエンジニアとそれほど異なる仕事をしているわけではない(規模が大きい分要求される技術力は高度なものを要求されると思うが)。事業責任者は、他のデジタルビジネスの事業責任者の人とそれほど異なることを日々しているわけではないであろう。それは、大抵の場合、他の業務をしている人でも大差はない。

そうであるとすと、成功しているビジネスとそうでないビジネスとは何が違うのか?私は、一つ一つの業務のクオリティと、何時、何を、どのくらいのリソースで行うのかというその時々の組み合わせを適切に組み上げて仕組化しオペレーションにまで落とし込んでいくスキルであると思っている。

優先順位→業務クオリティUP→複雑化

私はこれまで多くの事業のマーケティング組織の改善活動をしてきた。しかし、私にはどの会社にも鉄板で適用出来るマーケティング成功の〇個の秘訣のような話は残念ながら思いつかない。それは、なぜそのマーケティング部門が上手くいっていないかの理由は、殆どの場合適切なタイミングで、適切な組み合わせが行われておらず、全体のバランスが崩れていることで起こっていることが多いからである。さらに、この組み合わせが適切に行われていないと、大抵の場合、仕組化が行われておらずオペレーションへの落とし込みが甘いので、一つ一つの業務のクオリティが非常に低くなっていることが多い。

このような状況において私がやることといえば、その事業が置かれている環境において、今やるべきことの優先順位を決め、優先順位が低いことはきっぱりとやめるか、大幅に縮小する。その代わりやるべきことにリソースを集中して、オペレーションにまで落とし込む。それにより、一つ一つの業務のクオリティが上がる。というプロセスでマーケティング部門の改善を図っていく。つまり、重要なのは、フラットに並べられた〇個の秘訣をひとつづつ実行するような簡単な話ではなく、今の状況で何が必要なのかを判断できる力なのである。そして、この組み合わせを考える過程で、今何をすべきかという「タイミング」の話がまた戻ってくるのである。「タイミング」は事業企画等の段階でも当然重要であるが、日々のオペレーション、改善活動においても私たちは今何をすべきかという「タイミング」の判断を常に求められているわけである。

そして、この全体の方針とオペレーションが組めてしまえば、そこから先はLineの例で話したように、一人一人のメンバーが実行することに特別なことはない。一つ一つのタスクを、丁寧に、クオリティ高く行うだけである。

もちろん、一度シンプル化して組み合わせをクオリティ高くオペレーションすることができるようになれば、次第にその組み合わせを複雑化していけばよい。そして、この組み合わせを精緻にデザインし、オペレーションする仕組みを高度に組み上げていくことで、企業の外部からはマネできない、差別化のされた事業が作り上げられると思っている。

誰かのノウハウをCherry Pickして成功するビジネスなど存在しない。ビジネスとはそんなに簡単なものではない。もしかしたら、アーティストとか、作家とかある程度仕事が一人で完結するようなものであればあり得るのかもしれないが(これは決して馬鹿にしているわけではない。シンプルで組み合わせが少ない仕事ほど差別化するには本質的な違いを創造しなければいけないので、死ぬほど大変だと思う。少なくても私には出来ない仕事である)、複数人で成長させるビジネスを行おうとすれば、複雑な状況を整理し正しい「タイミング」で正しい「組み合わせ」を選択し続けることが重要である。

楽しく勉強する方法

パーソナライズされた情報だけで生きられてしまう危険性

余り自慢をする話でもないので、何度も言うのもどうかと思うが、私は基本的に本を読むのがあまり好きではない。たぶん、この性分は子供のころからで、余り自分から積極的に本を読む子供ではなかった。おそらくそれが原因なのだと思うが、そもそも本を読むのが死ぬほど遅い。私の妻は私の数倍速く本を読むが、それでも自分よりも内容をよく覚えているので、驚くことが多い。と、残念ながら幼少期からの様々な要因が重なり、未だに本を読むことがそれほど好きではない(たぶん唯一の例外は大学院に行っていた時かな)。

そこに輪をかけて最近良くないと思うのが、テレビも紙の新聞も視なく/読まなくなり、YoutubeとNetflixとSmartnewsくらいしか情報と接しなくなってしまったので、自分に入ってくる情報がどんどんパーソナライズされ、興味があるものしか目に触れなくなってしまった。結果的に、世の中で何が起きているのかにもどんどん興味がなくなってきてしまっている。実は、そのようなひと結構増えているのではないだろうか?

ただ、マーケターとしてよくないと思っているのは、TVをリアルタイムで見なくなってしまったことで、自分がターゲティングされていない広告に触れなくなってきてしまったことだ。これには実は危機感を覚えており、唯一その機会として残しておこうと思っているのが、公共交通機関(主に電車)での移動である。これが全部自家用車で移動するようになったら、自分はマーケターをやめないといけないのではとか思ったりする。

本も読まず、情報も取りに行かずに最先端のマーケティングをする

別に清く正しい生活をしているわけでもない気がするが、情報との接し方でいうと、だんだん仙人みたいな生活になってきているような気がする今日この頃であるが、そうなってくると、お前はどうやって自分をUpdateして世の中の最新のマーケティングのトレンドをキャッチアップしているのかという話になる。そんな貴方に、本も読まず、自分で積極的に情報も取りに行かず、座って聞いているだけで勝手に自分がUpdateされていくという素晴らしい勉強方法を紹介する。

その方法は、日々の業務の打ち合わせを可能な限り真剣に、自分毎として聞き、その内容を腹落ちするまで理解するというやり方である。そもそも、自分のチームでデジタルマーケティングに真剣に向き合いPDCAを可能な限り高速で回せるようになってくると、おそらく1-1.5年くらいで世の中で記事になったり、書籍になったりするような事例は大抵遅いと感じるようになる。特に、本になるような情報は、目先のテクニックのようなものになると、スピード感が全く合わない。

また、Ad Tech系の情報については、大抵部下に数名はそちらに強いタイプの人材がいるので、そういうメンバーが良さげなものは手を出したがるので、定例の報告を聞いていれば自然とUpdateされていく。

さらに、ある程度予算を使い、広告メディア企業にアドバンスなアカウント、チームだと認定されてくると、そもそも発表される前の商品情報などが直接入ってくるようにもなる。

たぶん、2015年に日本に帰国して、大手ゲーム会社のマーケティングの責任者になって1年くらいでチームがある程度思い通りにワークするようになってきたころから、私の場合はこのような環境が出来始めてしまったので、自分から積極的に情報を取りに行くインセンティブが殆どなくなってしまった。

こうなると、生来の勉強嫌いが完全に大爆発で、自分で勉強するということが本当になくなってしまったし、周りが迷惑しているのかもしれないが、私個人はそれでも全く困ることがなくなってしまった。

インプット知識を利用するところまでやらないと意味がない

但し、この私の会議で報告を聞いて考えるだけという勉強法を実施するためには、いくつか条件がある。まず、本当に真剣に打ち合わせを聞いて、報告の背景まで含めてきちんと理解するという事である。ただ、「ハイ分かりました。」「いいです/ダメです。」というスタンスで聞いているようであれば、殆ど意味がない。

そもそも、たまに素晴らしい学歴で、バリバリMBAとかで、本もたくさん読んで、情報もいっぱい集めているのに仕事ができない人がいるが、私が思うにそういう人はInputに比重を置きすぎていることが原因なのではないかと思っている。私はビジネスのExecutionとOperationのフェーズというのは基本的にはOutputをする段階なので、記憶としてのInputでは全く不十分で、自分でOutputに使えるレベルまで腹落ちしている、血肉化していることが必要だと思っている。それができる自分の処理能力を越えて、大量のInputをしたとしても、基本的には普段の仕事で使えない知識が記憶に保存されているだけで、業務のクオリティが上がるのに殆ど役立っていないことが多いのだと思っている。

私が、会議を真剣に聞くといっている意味は、このOutputできるレベルまで自分のものにするという意味である。これをするためには、1時間なら1時間の報告を相当真剣に聞かないと、そのレベルまで理解出来ないと思う。まあ、私の能力では少なくてもそうである。

自部署の業務を業界最高水準のマーケティングに引き上げる

2つ目の条件は、自分の部署の業務のクオリティが業界の最高水準まで向上させられていることである。前述のとおり、世の中に出回っている情報のレベルまで業務クオリティが上がっていないのであれば、それは早急にそのレベルまでCatch Upしなければいけないので、お勉強をさぼっている場合ではない。早く、お勉強フェーズを脱することができるように、PDCAの回転速度を真剣に上げていくことが何よりも重要である。ただ、このフェーズをプロセスとして踏むことは必ずしも悪いことではない。そもそもPDCAを精度高く回すためには、マーケティングの基礎体力が備わっていなければいけないし、PDCAを行うための分析環境を整えるなど環境整備も必要である。このお勉強フェーズのうちに、チームが最先端のデジタルマーケティングをできるようにレベルアップして基盤を固めておくことで、最高水準に到達する準備が出来るわけである。逆に、それができていないのに、最先端の知識だけ学んで、Operationに落とし込もうとしても、殆どの場合上手くいかないことが多い。

最後は、部下でも、代理店でも、メディアでも、表に出ていない情報も含めて、最先端の情報をInputしてくれる協力者を周りにそろえておくという環境作りである。この一番手っ取り早い方法のひとつが、ある程度大規模な広告予算があるということで、私の場合はその点を楽天時代から理解していたので、自分が働く場を選ぶ際の選択基準として、この環境が作れそうかどうかはそれなりに優先順位を高く設定するようにしていた。ただ、予算の規模は誰でも実現出来るわけではないので、そのような場合は、まず自社のPDCAを高精度に回して、外部の協力会社候補の人たちに一目置いてもらう、面白い会社だと覆ってもらえるようにするということだと思う。

頑張って「守」から「破離」にステップアップする

よく守破離というが、そもそも本を読んでお勉強するというのは「守」のフェーズであると思っている。もし、自分たちが「守」のフェーズなのであれば、その事実を真摯に受けとめて「守」を卒業できるまでPDCAをグルグル回そう。でも、それをある程度までやってしまうと、必ず世の中に出回っている情報だけでは改善が出来なくなってくるフェーズがやってくる。そうすると「破離」のフェーズである。ここに来ると、おそらく自分で考えるか、さらに上級者のMasterみたいな人か会社を見つけなければ前に進めなくなる。そうなると、日々の業務内容こそがどの文献からも学べない学びの教科書になるわけである。

私の場合は、マーケティングがお仕事というよりも、ほぼオタクの趣味のような位置づけになっているので、そのフェーズに入った案件などは、部下の報告を聞いていると、それだけで楽しくて仕方がない。「ここまで考えても上手くいかないのか。。。」とか、「これとこれを組み合わせると上手くいくなんて想像もしなかった」とかいう感じである。人材育成の話の最後に、楽しむことの重要性を書いたが、そのフェーズになってくると、一生懸命仕事をするだけで成長できるサイクルに入ることができる。実際そのように仕事をしている部下を目の前で何人も見てきた。たぶん、私の部下はきっと私よりも真面目に勉強しているのだと思うが。

もちろん、本やWebの記事を読むことがいけないとは全く思わない。私が申し上げたいのは、本当に自分が成長できる勉強の仕方を、人それぞれ見つけられるといいのではないかということだ。ただ、その時の気を付けてもらいたいのは、InputとOutputのバランスである。もし仕事のクオリティを短期で上げたいのであれば、私はしっかりOutputで使えるレベルのInputの量を自分で見つけられるように気を付けてもらえればと思う。

性善説と性悪説

アメリカって結構性善説で社会が運用されている

3つの企業で仕事をしてきて、自分の働きやすい職場環境とかマネジメントの評価基準って何だろうと思うことがあるが、その代表例で挙げたいのが、会社が性善説でマネジメントされているのか、性悪説でマネジメントされているのかというポイントである。もちろん、マネジメント・管理される側から言えば性善説の方が過ごしやすいし、マネジメント・管理する側からすれば性悪説の方が安心ということになる。この話題を振っている時点で、当然私は性善説の方が好きなわけであるが。

私自身は日系の会社でしか仕事をしたことがないので、日系企業と外資系企業の比較は出来ないが、日本と米国で生活をしてきてなんとなく感じるのは、日本の社会って意外と性悪説で運用されていて、アメリカの社会は性善説で運用されているように感じることがよくあった。最近は日本でも米国でもレストランで現金で会計することが殆どなくなったので感じることもないかもしれないが、10数年前くらい前でも、米国で同僚とかと何人かで食事にいって割り勘にするときなど、まだ現金で支払いをすることがあった。日本のレストランって、テーブルでチェックするときも、casherでチェックするときも、お金を渡してお釣りをもらって、完了となる。しかし、米国の場合はTip文化が根底にあるためか、Cashで払う場合は渡された伝票の金額にtipを上乗せした金額をテーブルの上において客が勝手に出ていく感じになる。つまり、お店は客が請求額通り支払ったかどうかを客が店を出る前にチェックしないことになる。慣れてしまうと余り疑問に感じないかもしれないが、最初は結構違和感があった。だって、アメリカって日本よりも治安悪いんじゃなかったっけ?これって、やろうと思えば食い逃げ出来るんじゃない?電車を乗るときとかも、私が住んでいたサンフランシスコの市内のちょっと中心街から離れたあたり(といっても本当の繁華街から2-3キロ)だと完全に無人駅で、路面電車だと運転手オンリーの昔でいうワンマン運航が基本であるため、ぶっちゃけ無賃乗車しようと思えば出来てしまう仕組みであったりする。その代わり不定期でやってくる車掌さんみたいな人に見つかってしまうと高額な罰金を払わされる。一方、日本は都会の電車はほぼ間違いなく駅には自動改札があり、そこを通って、運賃を払わないとほぼ確実に電車には乗られない。

日本は性悪説で運用される社会

なぜ、このような違いが生まれるのだろうか?私は日本と米国では、そもそもの目的意識が違うのではないかと思う。まず日本の社会の基本思想って、悪いことをする(この場合は食い逃げとか無賃乗車とか)をする人間は必ずいる。そのような人間は、監視を緩くするとどんどん増えてしまうので、抑止力の意味も込めて全員をチェックしようと考えているような気がする。つまり、多くの人は監視を緩めると悪くなるという性悪説的な考え方が強い気がする。

一方で、米国の考え方は、一人一人細かくチェックしなくても、大抵の人はきちんと食事代は請求通り支払うし、電車の運賃も正直に払うものだ。でも、中には悪い人もいて、ズルをしようとする人もいるかもしれない。そういう人にはルールを破ったのだからペナルティを課すことで抑止力としよう。それで社会がワークするのであれば、大半の善良な人を疑って、全員をチェックすることにコストをかけるよりも、サンプルチェックですます方がオペレーションコストも安くなり、効率的である。という感じなのではないかと思う。つまり、大半の人はルールには従うものだという性善説的な思想が強い気がする。

どちらが正しいという問題でもないし、好みの問題とすましてしまっても良いのかもしれないが、私はそれで片づけてはいけない話な気がする。キーワードは、米国の例で上げた「効率」であると思うのだ。2つの国の社会のオペレーションスキームの作り方の違いは、当初は、人間にルールを守らせるアプローチの違いであったのだと思う。この時の動機には、どちらが正しいかは結局分からないので特に異論はない。

日本式性悪説は効率を考えないルール順守の目的化

しかし、日本式性悪説アプローチの問題点は、途中からチェックすることが目的化して、悪いことをする人を一人も逃さないためのチェックオペレーションを作ることに重点が置かれるようになってしまった。このため、オペレーションコストの増大に対する費用対効果の試算が行われず、そもそもそのコストを何のために支払っているのかという根本思想が抜け落ちてしまっているのではないかと思うのだ。

このように考えて、日本の大企業のオペレーションを見ると、同じような性悪説に依拠した数えきれないような目的も分からないようなルールとか報告のスキームとかが頻発して、お金を稼ぐ営利企業であるはずなのに、社内の管理業務であるとか、報告書の作成であるとかに膨大な時間と労力を使っているような気がする。私自身、全く事務処理能力がないタイプの人間で、そのような仕事が増えていくと人並み以上にパフォーマンスが落ちるのであるが、私は程度が悪いにしても管理業務が増えることによる生産性の低下は、多くの企業で問題なのではないかと思う。

そもそも、そのあたりの話が酷くなりだしたのは、エンロン事件など性善説に依拠した米国企業の巨額粉飾決済に端を発するSOX法とそれを模したJSOX対応のような話が本格化してからなので、一概に性善説がいいとも言い切れないのであるが。

性善説でマネジメントを成立させる2条件

では、マネジメントを性善説で行うためにはどうすれば良いのだろうか。私は2つであるのではないかと思う。「信頼関係」と「少ないルールの徹底」である。まず、性善説で組織をマネジメントするための大前提は上司と部下の間の信頼関係の有無に大きく依存するのは間違いない。とても曖昧で、目に見えない話なので、確認できるわけでも、信頼していたのに結果的に騙されたということもあるのかもしれないが、組織内のメンバー間の信頼関係がなければ、組織は性悪説でマネジメントをせざるを得ない。

これは、組織の人数が多いと実現性が困難になるのは事実なので、企業規模が大きくなるほど性善説的なマネジメントのハードルは上がっていく。これが、私自身が本当の大企業で仕事を出来ない理由なのかもしれないが。もう一つ組織内の信頼関係が低くなる要因は離職率が高く、人の入れ替わりの激しい場合である。規模が大きく、入れ替わりの激しい組織は個々人のパーソナリティの把握をすることが当然難しくなるので、信頼関係も必然的に低くなる。そうすると、性悪説マネジメントが強化され、業務効率は下がるし、社員のモチベーションが下がり、離職率が上がっていくという負のスパイラルが止まらなくなる可能性が高い。

ただし、もちろん信頼関係だけでマネジメントをするのは余りに楽観的過ぎるのは間違いないので、二つ目のポイントが重要になる。ポイントは「少ないルールの徹底」の「少ない」の部分である。日本の性悪説のオペレーションの最大の問題点は、ルールを守ることが目的化して、ルールを守るためのルールみたいなものが指数関数的に増えていく傾向が強いことである。良くある話が、とあるルールを守らなかった人が発生すると、そのルールを守らない人をチェックするための別のルールが出来るみたいな話だ。例えば、会社の飲み会でパワハラ案件が発生すると、いつの間にか部署の飲み会が申請制になり、各部署の飲み会の管理を会社がするというような馬鹿げた管理項目が増えるみたいな話である。実際にそんなルールのある会社があるのかどうかは知らないが、似たような話は皆さん思いつくのではないだろうか?

このようなくだらないルールやチェック項目が増えていくと、困ったことが発生する。ルールの意義が低いため、そもそもルールが守られなかったりチェックがいい加減になったりする。こうなると、さらに良くないのは、本来着実に守られなければならない基本的なルールの管理も一緒に曖昧になるという事態が発生しがちなことである。こうならないための一番の方法は、最初に決めた基本のルールを徹底的に遵守させ、そのルールを守らなかった人物には厳正に対処するという事である。私は自分の部署の運用のためのルールは可能な限り少なくなるように心がけている。特にマーケティング部門という組織は基本的にお金を使う部署であるので、お金周りの管理は徹底して行うことにしている。この管理が甘くなると、マーケティング部門に対する他部署、特に管理部門からの業務への介入が増えてくる。そんな仕事は管理部門もしなくてよいのであればしたくはないだろう。管理される方も、余計や資料作りが発生されたりしてマーケティング以外の仕事が増えていく。そのような事態は何としても避けたいといつも考えている。お金は最も代表的な例であるが、このような基礎的な決裁ルールはきちんと整備し、抜け漏れがないように徹底的な管理をするのが私はよいと思う。ルールというのは、義務であると同時に、本来安心感でなければいけない。ルールを守っていれば、その人は何か問題が起こったときに守ってもらえる。例えば、きちんとした手続きで決裁を得た支出が失敗をしたとしても、その責任は決裁を承認した上司にあると私は思っている。他方、決裁を得る前に暴走して、例えば口頭で発注してしまって後に引けず、事後的に承認を得て失敗した施策の責任は完全に暴走した人間の責任である。正しい手続きとは、その施策を実行する人間を守るための保険のようなものなのだ。そう考えれば、ルールを課す方にも、ルールを守る方にもメリットが存在する。そのような状況をどう作っていくのかを真剣に考えるべきである。

メンバーの信頼関係があり、自分の専門分野に集中できる職場を作る

私は自分自身が典型的なビジネスパーソンだとは正直思っておらず、だいぶ変わった人間であると自覚はしている。でも、常に考えているのは少なくても自分が働きたいような職場を部下に提供したいと思っている。その代表例が、上司や同僚に信頼され、自分の専門分野に出来るだけ集中できる職場である。そしてそれを実現するのが、性善説に基づいたマネジメントなのではないかと思っている。

貴方の部署のマネジメントは性善説 or 性悪説?

One on Oneって本当に大事?

いつからか増えだしたOne on Oneが嫌いな理由

何時からOne on Oneというミーティング形態がマネジメントの中で重要視されてきたのだろうか?もちろん昔から、面談とか個別ミーティングみたいな上司と部下、先輩と後輩が1対1で行う会議を表す会議は存在したが、なんかこの5年くらいOne on Oneという英語の言葉が職場で日常的に聞こえ始めたり、面接とかで実践しているマネジメントやオペレーション管理の手法を質問すると、こまめにOne on Oneをしていますといえば、気を使ってやっていると聞こえるのだ思っていそうな回答をするひとが増えてきた。なんとなく、システム開発系の人に多い気がするのでシリコンバーレー界隈のマネジメントの手法から流行りだしたやり方なのだろうか?それとも、コロナ禍でリモートワークが増えたことで、日常的にコミュニケーションが出来ないことの代替手段として出てきた手法なのであろうか?

この3年くらいいろいろ試してみたが、私は手法として好きではない。特に上司部下の関係でのOne on Oneみたいな話は、個別で案件がある場合と、多くても四半期に1回程度の個別面談で十分であると思う。それ以上の頻度で行うのは時間の効率が良くないと思っている。

この話をすると、そもそも部署のマネジメントをするのに、どのような会議体が良いかという議論から始めないといけない。よく上司と二人で話して合意を取ってくるのを得意にしている管理職やマネジメントがいるが、私はそもそも、上司と二人で何かをコソコソと密室で決めることが嫌いである。別に悪いことをしているわけでもないのに、周りの人に不必要な憶測を生むし、そもそも部下が何週間もかけて作った提案の結論を、同席していない密室での上同士の話し合いで決められ、嘘かほんとかわからない理由をそれっぽく聞かされても、何の納得感もないと思うからである。

私は、これまで何人もの上司を持ってきたが、定例的に上司と二人で話す機会を自分から依頼して設定したことは記憶の限り、一度もないと思う。自分でしたいと思わないので、自分の部下とも一人部署のような特殊な状況でない限り個別のMTGを定期的に行うことは基本的に自分からしないようにしていた。

現場メンバーとの定例MTGで組織と事業の実態を把握する

参考までに、自分の部署のマネジメントをするときに、私が実行している会議体の仕組を紹介しておく。私は自部署を基本ファンクション別組織にするので、ファンクションごとの定例MTGを週次~隔週くらい頻度で行って報告を聞くことにしている。その際の参加者は最低自分の配下2レイヤー下のメンバーをいれ、そのメンバーから直接報告してもらうように心がけている。定例MTGを重視する最も大きな理由は、以前述べたように、同じフォーマットの報告を繰り返し聞くことで、微妙な変化や時系列の理解を深めることが可能になるからである。そして、もう一つの理由は、直下の管理職ではなく、2レイヤー下の現場のメンバーからの報告を聞くことによって、各チーム内で起こっている問題点や課題を直接理解することができるからである。

この視点から、One on Oneの弊害を考えると、後者の機能を果たす場が、2レイヤー下のメンバー全員とOne on Oneをするという方法以外なさそうで、それを真面目に実施しようと思うと、例えばひとつのファンクションチームのメンバーが5人だとすれば5倍、10人だとすれば10倍の時間がかかるが、全く持って非効率だと思うからだ。

以前、ある部門の責任者とのOne on Oneを重視して、その部下をハブにその部署の状況を理解しようとして大失敗したことがあった。部署の状況の報告内容に、その直下の部下のフィルターがかかってしまっていて、その部署での問題が相当深刻になるまで表面化しない状況になってしまった。また、その時判明したのは、私の指示や考えもその部下のフィルターを通ったものしか伝わっていないという状況になっていた。

モチベーションが低いのはOne on Oneの有無ではない

よくOne on Oneの効用を部下のモチベーション管理と退職防止みたいに書いている文章をよく読むが、これまで、多くのマネジメントを見てきたが、トップレイヤーのマネジメントがOne on Oneを多用する組織において、現場のモチベーションが高い会社を殆ど見たことがない。そのような会社で必ず聞くのが、偉い人たちは現場のことが分かっていないという不満である。大抵、そいういう組織のOne on Oneで話されているのは、その部下たちのパフォーマンスが低いという話なのであるが。

ちなみに、私は自分の部署で、近年の異常なエンジニア不足でエンジニアの退職に苦しんだ経験はあるが、いわゆるマーケティング職の組織での人員の離職率はおそら年間で1-2%の間くらいではないかと思う。ちょっとWEBで検索すると日本企業の平均離職率は10-15%の間くらいのようなので、別にOne on Oneを多用しなくても、そこまでモチベーションが下がるということはない気がする。

管理職の仕事は管理ではなく専門分野のプロフェッショナルのリーダー

Middle Managementのことを日本語で中間管理職とか単純に管理職というが、なんか管理が仕事のようなネーミングで私は全く好きではない。ちなみに、私は、1浪大学院卒なので、25歳で社会人になり、28歳で管理職になってしまった。しかもマーケティングをゼロから始めたのと、管理職になったのが同時であったので、もし管理職の仕事が管理なのであれば、そもそも自分でマーケティングは1秒もしていないことになる。前に、人材マネジメントの研究者の人の話を見ていてびっくりしたのだが、結構多くの日本の大企業というのは、課長から部長になれる確率が10-20%くらいで、殆どの管理職というのは40代から20年間くらい課長であり続けるらしい。そして、40代半ば以降急速にパフォーマンスが落ちる傾向にあるそうだ。その理由は、おそらく、Middle Managementになったときに、中間管理職という間違ったManagementの略語に騙され、日本の企業の社内調整とか根回しとか、会議資料作りとか、そして、最近流行りのOne on Oneとかいう管理の仕事に時間を使いすぎているからだと思う。私は、Managementというのは、組織全体で部下と一緒に自己の専門分野の業務をよりクオリティの高いものへと押し上げる先導役でなければいけないと思っている。そのためには、効率の悪い管理の時間は極力減らさなければならない。私は、その効率の悪い代表例みたいな話が、One on One神話なのではないかと思ってしまう。もちろん、私のように下手な使い方ではなく、One on Oneを大変有効に使うメソッドもあるのかもしれない。それでも私は、管理ではなく、チームの皆と一緒にマーケティングがしたいのである。

部下に言ったことを覚えているか?

マネジメントに求められる一貫性

人と比べて自分が優れたマーケターである自信はあるが、一方で何か特別優れた能力があるとは思ったことはない。でも、お世辞かもしれないが、一緒に仕事を長くしたいろいろな方に一緒に仕事をして楽しいと言っていただけるし、勉強になるとお褒めいただくことが多い。

その方法論を纏めようとおもって、このように文章を書き始めると、一つ一つ言っていることは誰でも言ったことがあるような普通の事ばかりである。おそらく、このBlogのタイトルリストを読んでも、ごく普通の言葉が並んでいるだけで、面白そうな内容が書いてあるとは思わないであろう。まあ、その時点で読者数を増やそうというマーケター視点から言うと大いにセンスがないという気がするが。

では、他の人と私でどこに違いがあるのであろうか?私は実はひとつしかないのではないかと思っている。それは、「一貫性」である。要は言動に筋が一本通っているかいないか、一度決めた方針を貫き通すということなのではないかと思う。

普段から考えていない事柄にどうやって一貫性をもって意思決定するか?

ひとつの事業を経営しようと思うと、日々数えきれないほどの判断をしなければいけない。中にはとても重要な決断もあるかもしれないが、実は個々の意思決定というのは、他愛もないことも多く含まれたりする。意思決定を求められる立場にある人であればなんとなく同意してもらえるかもしれないが、実は意思決定を求められる事柄について、普段から全く考えていないようなことも結構多かったりする。私は特にいい加減なので酷いのかもしれないが。私の場合は自分の中のルールで、よほどのことがない限り、1時間なら1時間のミーティングで聞いて判断を求められたら、その1時間の間に理解して結論を出すことにしている。それはどういうことかというと、その事項について基本的にはその打ち合わせ中しか考えておらず、それ以外の時間はその人がやっていることには基本的に大きな関心を振り分けていない。つまり、はっきり言うと、部下のその人が普段行っていることを考えている時間は打ち合わせ時間以外にはほとんどないと言ってよい。しかも、自分で発した言葉を自分自身で全部覚えている自信も全くない。

そこで問題になるのが「一貫性」である。普段考えていないことについて、瞬時に判断を求められたときに、その時の思い付きや、感覚で返答していると、一つ一つのお題に対しては特に間違っていない判断であっても、ひとつのお題で答えた内容と、他のお題で答えた内容に齟齬が生まれたり、そのぞれのパーツのディレクションが微妙にずれたりして、組織全体で組み合わせると上手く整合性が取れなくなったりする。

報告スキルが低い部下に間違った反応をしないようにするためには

例えば、人材業界で、前月新規獲得ユーザーからの求人提案転換率の悪化から、求人提案数の目標が達成できなかったとする。今月の重点改善ポイントは求人提案転換率の改善をする事と担当者と目標をきめてプランを作ったとする。

何週間かして、担当者が今月も目標達成が厳しそうだと報告をしてきた。原因を聞くと前月よりも新規獲得CPAが上昇したためだという。

ここで、考えてみよう、ここで一番してはいけない発言は何だろう?私は、「何で新規獲得CPAが上がったのか?」と問い詰める事だと考える。なぜなら、今月の基本方針は求人提案転換率の回復であったのであるから、そこには多少の新規獲得CPAの上昇は想定していなければおかしいはずである。

この担当者のダメなところは、そもそも今月の改善ポイントは求人提案転換率なのだから、まずその報告をしていないことが明らかにおかしい。さらに、今月の求人提案数の目標未達見込みの理由が、①求人提案率は想定通り改善したが、新規登録CPAの悪化がそれ改善幅を上回ってしまったことが原因なのか、②求人提案率は改善せず新規登録CPAだけが悪化してしまったことが原因なのか、③求人提案率は改善し、新規登録CPAも若干悪化したがそもそも求人提案率の改善が想定より小さかったことが原因なのかの3パターンくらいは検討出来るが、そのどのパターンであるのかも説明できていない。一番最悪なのは②であるが、①、③は状況としてはそれほど悪くないのかもしれない。とくに③のケースなど、経験の少ない担当者であったりすると前月比の数字だけ見て新規獲得CPAが悪化していることが問題であると報告しているのかもしれない。

もしこの上司が私の例示した最悪の発言をしてしまうとすれば、大きな原因は、報告者が今月の求人転換率の改善という基本方針をきちんと説明せずに新規獲得CPAの悪化を問題点として報告したことに対して、上司がその基本方針をわすれて報告内容に反射的に反応してしまっていることである。そもそもは報告者の報告スキルの低さに原因があるのだが、実は業務の現場ではこのようなことは日常的によく起きることである。しかもよくある最悪な事態は、このようなスキル不足の担当者が、打ち合わせが終わった後に、まわりの同僚等に、自分の報告スキルに問題があることに気が付かずに、上司が基本方針を忘れていると陰で文句を言っていたりするのである。しかし、私の仕事のやり方は極端だとしても、多くの管理職、マネジメントは日々瞬時の判断を求められているので、じつはこのような状況は多かれ少なかれ発生すると考えておいた方がよい。

一貫性の高い部署を作り、部下の心理的安全性を確保する

このようなことが頻発すると、まず職場が部下にとって心理的な安心感がある場所ではなくなる。さらに最悪なことに、その上司の心無い一言のために、部下の仕事の仕方は状況対処的なものばかりになる。その結果、組織のメンバー個々の業務内容がバラバラになり、皆で上司に言われた通り一生懸命働いているはずなのに、組織全体として一向に成果が出ないということになる。その結果は、右肩下がりのモチベーションの低下である。

では、このような事態を防ぐためにはどのようにするべきなのだろうか?私の実践している方法は、「未来からの逆算」である。多くの会社では、中期経営計画などで、向こう3-5年くらいの事業計画はあると思う。私は、いつもその事業計画全体とマーケティングの数字を作りながら、大体この計画を実現するためには、ここから1年ごとにどの程度の数字の改善が必要で、それを実現するためにはこれとこれをすればたぶん実現するくらいの大きな絵図を作る。別に詳細なPPTの資料など必要ない。たぶん、年初か年度初めの時期に一回くらいはマーケティング部門の方針のような資料を作るであろう。そんな程度のものでよい。そして、その内容は当然自分で作るのであるから、自分の頭に叩き込まれているはずである。

それが出来ると、当然、今年は四半期ごとくらいで大雑把にこのくらいのことは出来ていないといけないだろうと自分の配下の部署の大きなディレクションも考えられるようになる。もちろん、そのような内容は、各部署のミドルマネジメントと目標設定面談などで確認、合意するであろう。

まず、このくらいの内容は、忘れず記憶していつでも取り出せるようにしておかなければならない。これも相変わらず凄く普通のことを言っているように思われるかもしれないが、周りの人を見ていると、計画とか目標を決めるときに作ることが目的化してしまい、作った後でその時の「作文内容」をすっかり忘れてしまっている人は結構多い。

このくらいまで出来れば、あとは基本的にはそれほど難しい話ではない。日々の打ち合わせの中で提案される内容や、報告での問題や成功事項に対して、この計画からの逆算のラインに乗っているかどうか、それを遅らせる要因になるのか、加速させうる要因になるのかを常に考え続ければ良いわけである。なぜなら、過去の似たようなシチュエーションにおいても、ディレクションに沿うものにはYesといい、ディレクションからずれたものにはNoと言っているはずだからである。

そうすれば、そもそもの判断に必ず筋が通るはずである。つまり、意思決定の「一貫性」が生まれる。

一貫性のあるマネジメントは部下の自走力を強化する

そして、この一貫性が部下に理解されると、さらに大きなメリットがある。部下が、そのディレクションに向かって、勝手に自走しだすのである。なぜなら、部門全体の方向性がクリアであれば、細かいディテールまで報告や確認をしなくても、部署内で問題になることがほぼないという安心感があるからである。

私は、例え自分の部下から細かい報告がなく、多少上手くいかなかったことがあっても、部下が論理だててディレクションにそってやった施策であれば、なぜ報告せずに勝手にやったのかとか、聞いていないと門前払いにするとかはしないようにしている。もちろん、決裁権限の範囲など、会社のルールは絶対に厳守することは条件であるが。

なぜなら、それをしてしまうと、部下が私の言ったことしかやらなくなってしまうので、私の考えていることしか前に進まなくなる。しかし、私自身は、前に申し上げたように部下が考えていること以上のことは基本的に考えていないため、部下が私が考えていないようなことを考え続けてくれないと、部署としての推進力が著しく落ちてしまうだ。

部署の責任者としての意思決定の一貫性は、部下の自発的な創意工夫や、狭く深く考えるモチベーションを促進するための最高のエンジンなのではないかと思う。

部下に上司の間違いを訂正できる環境を構築する

私は、この「一貫性」の堅持が自分の日々の仕事をする上でも最も重要なマネジメント上のポイントであると思っているが、その実行にあたって、「未来からの逆算」と同等レベルで重要だと思っていることがある。それは「部下に間違いを指摘してもらう」環境を作るということである。まあ、私自身はそう心がけているつもりだし、打ち合わせで「堀内さん前にそう言っていませんでしたよ」と言ってくれる部下がいるので、完ぺきではなくても、全く言えない環境にはなっていないとは思っているが、自分でも自信はない。でも、この上司にきちんと間違いを指摘できる環境を作れるかどうかが、自己の言動の一貫性を担保するために非常に重要だと思っている。なぜなら、これもよく部下に正直に言うが、日々多くの判断をしすぎて、自分で自分の発言を全部覚えられているわけではないからだ。昔のある出来ない上司が「自分は朝令暮改でいうことが変わるので、そういうもんだと思って諦めてください」と全員の前で宣言したどうしようもない人がいたが、こういう人のもとでは本当に安心して仕事ができないと心から思ったので、自分はそうならないように心がけているつもりだし、例え、以前の判断と異なる判断をするときには、非を認めたうえで、部下に謝罪をするようにいしている。当然、経営メンバーに名を連ねているからといって、何から何まで完璧に出来るわけでもないし、自分の理想通りに行動できるわけでもない。やはり、自分の間違えを部下から指摘してもらえる環境は私としては何とかして維持、改善していく努力をしたいと思っている。

そして、最後にこの一貫性を下支えする基盤となる前提がある。「Data is God!」の考え方である。これは前にも言ったが、このData is God!の最も重要な基本思想は、上司よりもDataの方が偉いということである。私の発言であれ、社長の発言であれ、データで証明出来ないのであれば、または、データで反論出来るのであれば、議論をしても全くリスクがないという絶対的なルールである。自分の意思決定を極力その時持つデータをもとに行っていれば、データ=状況が変わらない限り、発言がブレるリスクは低く抑えることが可能である。もちろん、データの解釈が変わるリスクもあるが、それが頻繁に発生するのであれば、その人はDataを読む力に問題があるのかもしれないので、今やっている仕事が向いているかどうか真剣に考えたほうが良いかもしれない。

OOH

デジタル化で再注目されるOOH

OOHとは、Out of Homeの略で、分かりやすく言うと屋外看板や電車や駅の看板のような交通広告などを指す言葉である。もちろん、この手法自体は全く新しいものではなく相当古い広告手法であるが、個人的には意識することが多い広告媒体である。事実、こちらの記事をみても、22年のグローバルのOOHの売上は過去最高を記録しているとのことである。4マス媒体の国内の市場規模を見ると、市場全体としては、4マス媒体、OOH(プロモーションメディア)とも大幅にシェアをインターネット広告に取られているので、厳しいことに違いはないのかもしれないが。

OOH広告の最大の問題点は、オフラインメディア共通の効果のトラッキングが出来ないという事であり、この点については今も昔も大きく変わらない。ただ、この数年での大きな変化としては、媒体がオフラインからデジタルに置き換わりつつあるという事である。皆さんもデジタルサイネージという言葉を聞いたことがあるかもしれない。昔はOOHといえば、駅や電車の車内、街角に張られた紙のポスターや、ビルの壁や屋上に作られた巨大な看板であった。ただ、この数年でこれらの広告の一部がデジタルのモニターに置き換わっている。多くの場合、これらのデジタルモニターはインターネットに繋がっており、モニターに表示する広告は、管理センター的なところで、配信管理がなされるようになっている。

例えば、渋谷の有名なスクランブル交差点に立ち止まって、360度見回してみると、多分10個近い巨大なLEDモニターを目にするであろう。

OOHがデジタル化されたことにより、広告主にとっては、それ以前と比べ物理的な設置費用のようなコストが大幅削減されたことや、静止画から動画になったことによる表現力が高くなったことが利点といえる。一方、媒体としては、ひとつのスペースを一社に一定期間独占で売らなければいけなかったのと比較して、ひとつのスペースを細かく分けて、単価を下げて売ることが出来るようになるため、販売がしやすくなるという利点がある(と思われる)。

OOHの活用アイディア4選

という感じで、デジタルOOHの登場が、OOHが再注目され始めた原因のひとつだと思われるが、デジタル化云々の前に、そもそもOOHとはどのような特徴を持った媒体であるのかということから考えて、有効な利用手段を検討してみたい。

私が考えるOOHの特徴は次の4点である。

  • エリアターゲティングが可能
  • 場所によっては、物理的に大型の広告を掲示可能
  • 特定のエリアに集中して出稿することが可能
  • 特定のシチュエーションに合わせたターゲティングが可能

エリアターゲティングが可能

まず、OOHというのは、当然屋外に看板を出したり、映像を流すという手法であるので、広告出稿をする物理的な場所を選ぶ必要がある。そもそもこの作業自体が、広告のターゲティングという視点で考えるとエリアターゲティングをしているということになる。

もちろん、定点カメラなどを置いて動画配信するなどすれば不可能ではないが、普通に考えると渋谷のスクランブル交差点の周辺のモニターに表示されている広告は、スクランブル交差点にいる人しか見ることはできない。

マーケティングにおいて、エリアターゲティングをする手法というのは、昔ながらのやり方でいえば、折り込み広告であったり、ダイレクトメールであったり、県別のエリアでいえば地方のTVCMであったり、新聞のエリア誌であったりと選択肢はあるし、デジタルにおいても、位置情報を媒体に共有しているユーザーに向けたエリアターゲティングも手法として考えられる。ただ、デジタルのエリアターゲティング以外は、残念ながら手法としては市場が縮小傾向であり、残念ながらエリアターゲティングに使える媒体の選択肢がだんだん少なくなってきている印象である。このあたりが、おそらくOOHの市場が相対的に成長してきている理由のひとつであると思う。

場所によっては、物理的に大型の広告を掲示可能

もちろんエリアターゲティングというのは基礎的な要素であると思うが、私はOOH広告の最大の利点は、広告表現として他の媒体ではほぼあり得ないような物理的に大きな広告を作ることができることだと思っている。

日本だとそれほど感じないが、以前サンフランシスコに住んでいた時に感じていたのが、Appleの巨大なOOHの看板を非常によく目にすることであった。人通りが多い一等地の非常に目立つ規模の大きなスペースは積極的に長期間買いきっているような印象であった。そんな話を誰だか忘れてしまったが現地の人にしたところ、そもそもスティーブ・ジョブスはOOHが大好きらしいという小話を教えてくれた。私が知っている限りでも、ジョブスではないが、結構名のあるクリエーターでOOHが好きな人は多い。

何故なのだろうと考えると、実は単純な話で、物理的な大きさなのではないかと思っている。以前に、朝起きてから寝るまでに広告をいくつ見て、そのうち何個覚えているだろうかという話をしたが、そのように考えると実は物理的な大きさというのは大きな武器であると思っている。そう思ってAppleのOOHを思い出してみると、未だにいくつかのOOH広告は町のどこにあって、どのような広告であったのが明確に覚えている。なぜ覚えているかといえば、例えば、いつも町の繁華街から自宅に歩いて帰る通り道の交差点で信号待ちしている際に、ほぼそれしか見るものがないというシチュエーションで15メートル四方くらいの大きさの巨大な広告が比較的に低い位置でビルの側面に設置されていたからだ。映画館でもない限り、それほどの大きさの広告をOOH以外でみることはほぼあり得ないであろう。私は、この物理的な大きさという点で考えると、OOHに勝るインパクトを出せる広告メディアというのはないのではないかと思っている。もちろん、どのような媒体でもクリエイティブ表現でインパクトをだすことは可能ではあるのだが、確率的に成功率が高い媒体であることは確かであると思う。

特定のエリアに集中して出稿することが可能

OOHには、物理的な大きさ以外にも、集中して出稿することしやすいという利点もある。分かりやすい事例でいうと、たまに山手線などで、1つの電車のすべての広告が1社買い切りなっている車両ジャックを想像してもらえるとよい。このジャック系の広告というのは、車両以外にも、駅の一部のエリアの広告を買切るであるとか、商業施設の一部のエリアの広告枠を買切るとか方法は考えられる。

私の生活圏でいうと新宿駅の東口から丸の内線の改札に抜ける地下通路があるが、その通路は結構な割合でジャックされていることも多く(実は私も実施したことがあるが)、アニメやゲームの広告などでは、よく広告を背に写真を取っている若い人もよく見かける。

私はジャック系の広告というのは、デジタル広告的に表現すると、あり得ないくらいフリークエンシーを高めるという手法であると思っている。デジタルで真面目にトラッキングするとフリークエンシーは対数関数的にある一定以上になると効果が低減していくのであるが、それを振り切ってさらに増加させることによって、感覚的には傾きが逓増する瞬間みたいなものがあるような気がしている。

もちろん、デジタルでもジャックするというような手法も可能ではあるが、デジタル広告のトラッキングというのは広告をクリックしてくれたユーザーの測定には適しているが、広告を視認してくれただけのユーザーに対する効果のトラッキングが不得意であるという弱点があり、交通広告のように極端なフリークエンシーを上げるような手法は効果が把握しにくいため敬遠されがちな印象である。

特定のシチュエーションに合わせたターゲティングが可能

またターゲティングの話に戻るが、OOHの広告の利点に目的が特化した場所で、「誰に、何時、何を言うか」の3要素を非常に限定して広告を配信するシチュエーションに応じたターゲティングという要素も利点として考えられる。

 この話で最初に思いつくのが、前項のスポーツマーケティングと少し被るが野球のスタジアムでのビール会社の広告などである。プロ野球をスタジアムで観戦しながらビールを飲むというのは定番の組み合わせであるが、そのスタジアムに特定のビールのブランドの広告が出ていると、ブランド選考に大きく寄与するのかもしれない。

別の例で思いつくのは、国際線の空港などで見かける旅行保険の広告などは、保険に入り忘れていた人などには分かりやすいブランド選考を促す広告になるのかもしれない。このような広告効果は、比較的Bottom Funnel施策に近い役割とみなすことが出来るので、もしかしたら、ROIの検証もしやすいというメリットがあるかもしれない。

OOH実施の注意点3点

もちろん、OOHに対する異なる考え方もあるので、私の見解がすべて正しいとは思わないが、OOHの特徴を、ターゲティングとクリエイティブの観点から4つの視点で考えてきた。特に、クリエイティブ面でのOOHの特徴というのは、他の広告媒体では代用が難しいケースが多いため、よいクリエイティブのアイディアがあればチャレンジしてみる価値はあると私は思っている。

但し、その前提で注意点を何点か指摘しておきたい。

まず、私の経験上中途半端なOOHというのは、広告の認知率を高めることが非常に難しいため、やるのであればコストをかけて、目立つものを買うべきだというのが私の意見である。よく、OOHの媒体資料などを見ると、その看板の前を期間中何人ぐらいのひとが通過するのかみたいな数値が記載されているが、その数字の大きさはそれほど重要ではないと思う。どんなに人通りの多い場所に広告が設置されていても、その広告が認知されなければ全く意味はない。人通りの多いところというのは基本的に広告が多い場所である可能性が高いので、実際にその場所を確認して、もしくは、代理店等に多角的な角度から撮影した資料を提供してもらうなどして、目立つ場所に十分な大きさで掲示されるのかは確認しておいた方がよい。OOHの安かろう悪かろうは、経験上意味があるとは思い難い。

また、この効果が低いであろう中途半端な広告を買ってしまう悪影響は効果検証にも現れる。そもそもOOHも効果検証が難しい媒体であると最初に述べたが、効果検証の実施方法は、通常特定エリアにおける広告目標(認知率、態度変容など)の期間差分、もしくは、未実施エリアとの差分分析によることになる。しかし、見られているかどうかも分からないような中途半端な広告を買ってしまうと、差分の認識がされないケースが多いため、そもそも意味があるかどうかも分からないという話になってしまう。私の立場は、トラッキングが難しいとはいえども、今後のために実施の効果検証を行うことにチャレンジはすべきだと思っているので、可能な限り、検証結果が有意に得られるくらいの媒体と規模で投資すべきだと持っている。

最後の注意点として、場所の選定についてである。OOHの場所の選定については、余り意思決定者の個人的な意見は聞かないことをお勧めする。例えば、私が前述した新宿駅の話は、使われ方を見ると多分それなりに意味のある場所だと評価されていると推測するが、私が会社員時代に通勤でほぼ毎日通っていたという著しい個人のバイアスがかかっている。以前、とある企業の社長がやたら首都高速道路わきの看板を買え買え言っていたのを聞いていたが、よくよく聞いてみると毎日通勤時に見て効果があると思い込んでいるというのが理由であった。毎日運転手付きのくるまで首都高で通勤する人などターゲットとして狭すぎて、その会社のビジネスとは全くそぐわないアドバイスであった。

OOHの媒体選定は気を付けないと、自分が知らないところは意味がないと思いがちである。このため、代理店などに依頼するときに、可能な限り客観的なデータと現場の写真・映像を提供してもらって、ロジカルに選定をするように気を付けてもらいたい。

OOHは「目立つ」と「繰り返す」を実行しやすい媒体

私は、マーケティングのクリエイティブが人の印象に残る方法は単純に言うと2つしかないと思っている。「目立つ」か「繰り返すか」の2つである。このどちらかの要素、もしくは、両方の要素が圧倒的であれば、その広告クリエイティブはターゲットユーザーの脳内に認知され、記憶にも残りやすいのであると思っている。OOHというのは、ここまで話してきた理由で、この実行が最もやり易い広告媒体であると思っている。この意味で、デジタル派の私が好きな数少ないオフラインの広告メディアである。

ただ、「眼立つ」と「繰り返す」を実現出来ないレベルの出稿は、意味がないと思っている。よく、本社がある駅に企業のブランド広告のような交通広告をだしている企業があるが、従業員に広告を見せることに何の意味があるのであろうと良く思ってしまう。

肯定派の私は、上手に使えばいい媒体だと思うので、是非やる時は思いっきり意味のある形でやるのをお勧めする。

スポーツマーケティング

デジタルマーケターにしては豊富(?)なスポーツマーケ経験

全く新しくはないが、番外編的にスポーツ系のスポンサードマーケティングについても、個人的には余り積極的ではないのであるが、それなりに経験を積んでしまっているので、コメントをしておきたい。

まず、私の主なスポーツ系のマーケティングの経験実績の紹介から始める。最初は、楽天でマーケティングを私が始める前から唯一決まっていた施策である。覚えている方もいらっしゃるかもしれないが、1-2年だけ東京ヴェルディのユニフォームの胸のメインスポンサーを楽天が契約していたことがあった。おそらく楽天市場の従量課金導入を出店店舗に説明するお土産的に目立つ施策が必要と判断されたのであろう。

その後、三木谷さんの個人会社が買収したヴィッセル神戸のユニフォームの胸のスポンサー、楽天イーグルスの超大口スポンサー、テニスの日本最大級の国際大会である楽天ジャパンオープン(現 木下グループ・ジャパンオープン)などが楽天時代の主なものである。その後、ゲーム業界に移ってから、商品開発とマーケティング双方の需要から欧州、南米のサッカーのトップクラブチームやUEFAチャンピオンズリーグのスポンサーなども経験した。

私個人として、スポーツマーケティングを積極的に行いたいと思ったことは実は1度もないのであるが、たまたま、楽天とゲーム会社というスポーツビジネスやスポーツコンテンツに関わる事業会社で働いてしまった縁で、デジタルマーケターにしては豊富なスポーツマーケティングの経験を有するという変わった経歴になってしまった。

余り、正直に言いすぎるとスポーツチームの営業の人に怒られそうだが、スポーツ系のマーケティングについて、私の経験から感じていることは正直に書くことにする。

大前提はスポンサードする目的を明確に検討する

私の経験の中でも最大のスポーツマーケティングの経験は、楽天が50年ぶりにプロ野球に新規参入して楽天イーグルスをゼロから半年で立ち上げるという前代未聞の大騒ぎを経験したことであろう。参入前からオリックスと近鉄という2球団が統合して2リーグ12球団が維持できなくなりそうだという話が浮上し、それに反対する選手会がストライキを起こすという大騒ぎがあった後の話だったので、通常のプロスポーツチームへのスポンサードというレベルを超えた異常な量のコーポレートブランドの露出があった(2004年プロ野球再編問題)。おそらくあの時点で日本国内における楽天という企業名の認知度は、ほぼ100%に近くなったと思ったし、あれ以上認知を上げるマーケティング施策をすること自体合理的に不可能だと思ったので、お金の無駄だと思ってブランドの認知度調査などもしなかったので、費用対効果も殆ど計測していない。そもそも施策として全く再現性がないためありがたいと思いつつも、本来の目的である認知を上げるというポイントについてはそれほど関心がなかった。

ただ、以前Full Funnelの議論の中でも触れたが、その時に改めて感じたのは、マーケティングというのは、Full FunnelのUpper、Middle、Bottomの3階層のバランスが重要だということだ。

スポーツマーケティングで得られる権益の代表例

スポーツマーケティングというのは、多くの場合スポンサードするメリットとして3つくらいの権利を付与されることが多い。

  1. チームのユニフォームや球場内の看板、チームの広報物などでのブランドの露出
  2. 広告等でのチームの選手等の肖像権の利用
  3. 球場などでのイベントの開催等の付帯権利。

1.ブランドの露出

おそらくスポーツのスポンサード系のマーケティングの最もイメージしやすいマーケティング手法が、自社のブランドロゴをスポーツのTV中継(最近ではネット配信)やスポーツニュース・報道などを通じて露出させることである。代表的な露出場所は、選手が着用するユニフォーム、球場内の看板、また、最近多く利用されるのがスタジアムのネーミングライツの権利である。もちろん球場に来てくれたファン向けに露出するということも目的としてあるが、広告効果として大きいのは試合映像を通して露出される機会であろう。野球場やサッカーのスタジアムに行くと、壁のあらゆる部分に企業のロゴが貼り付けられたりしているのはこの目的のためである。

別の手段としては、サッカーであれば胸の部分であるとか、背中、半袖の袖口部分、パンツの腰骨の当たりなど、リーグの既定の範囲内でスポンサー企業の露出が出来そうなところは広告として販売したりする。プロ野球も昔はそれほど積極的にやっていなかったように思うが、楽天イーグルスの立ち上げ時に、売れるものは何でも売るという感じで営業したので、他のチームもそれに追随して多くのスペースをスポンサーに販売している。特にサッカーの胸スポンサーの場合は、レプリカユニフォームにも企業ロゴが掲載されて販売されるので、以前楽天が購入していたFCバルセロナの胸スポンサーの場合など、楽天のロゴがプリントされたおそらく何百万枚というレプリカユニフォームを着た世界中のチームのファンが楽天のロゴの露出に無意識のうちに協力しているということになる。

ブランド露出のスポンサーについては、まずスペース的に、ロゴ以外を掲載することが出来ないか、出来たとしてもほぼ視認性が出せないという問題があるので、ブランド認知のための施策以外ほぼやりようがない。このため、Upper Funnel施策限定の手法であると割り切った方が現実的である。いろいろな機会に、Middle Funnelに使えそうなクリエイティブの工夫などにチャレンジしたが、現実的には意図通りの効果が出せそうにも思えなかった。

近年は欧州サッカーのトップリーグなどは、ピッチ脇の看板がLEDモニターに置き換わっているため、ある程度長尺で表現することができるようになってきたので、この点では多少改善されてはいるが、それでも余り過剰にMiddle Funnel以下の効果を期待しない方がよいと思う。

そして、このブランド露出施策の最大の問題点は、効果が全く不明な事である。私は、楽天イーグルスに対する楽天グループ本社のスポンサードの統括の立場であったため、毎年球団とスポンサードの予算とそれに対する権益の内容を調整することを球団創設時から退職する前年まで行っていたため、少なくてもイーグルスの球場の大きめの露出枠というのは殆ど出稿主として体験したが、効果として実感できたものはごくごくわずかであった。

これを言うと多くのスポーツチームの営業に怒られそうであるが、ブランド露出系のスポンサードを行うのであれば、中途半端な枠を買うのではなく、可能な限り目立つものを購入すべきであると思う。少なくても1試合中継を見ていて、広告主が注意深く見て何回か目にする程度の露出がターゲットの消費者に認知される可能性は残念ながら非常に低いと思う。

もし、スポンサードを実施する場合で、小規模の枠しか購入出来ないのであれば、ブランド露出の効果以外の権益で投資回収を目指すことをお勧めする。

2.広告等での選手の肖像権の利用

選手の肖像権の利用については、競技やリーグ、チーム毎に選手との契約内容が違うので、出来る場合と出来ない場合があるが、欧米のサッカーチームと大口のスポンサー契約を締結すると多くの場合集合利用(同時に何名かを一緒に利用)であれば、スポンサー権益として利用可能というケースがある。分かりやすくいうと、FCバルセロナにメッシ選手が在籍していた当時に契約していたとして、集合利用の権利があったとしても、スポンサーの広告にメッシ選手一人を露出したい場合にはメッシ選手個人と契約しなければいけない。但し、チームにスポンサードせずに、メッシ選手個人とだけ契約するとした場合は、今度はチームのブランドを利用する権利を保有していないので、メッシ選手の露出時に、チームのユニフォームを着て露出させることが出来なくな。(バルセロナとメッシ選手の話は、世界一有名なサッカーチームと選手という意味で便宜的に例として使っているだけで、あくまで仮定の話とご理解いただきたい)。

と、選手の肖像権の利用には、非常に複雑な契約に基づいたルールがあるが、デジタルマーケティング中心のマーケティングをするケースにおいては、私はこの選手の肖像利用の権益が最も効果が計測しやすいと思う。例えば、何らかの広告で、選手権益を利用した場合と、フリー素材等で作った場合でクリエイティブのパフォーマンスを比べるなどして効果検証出来れば、ある程度数値化した効果検証をすることも可能である。

私が大手ゲーム会社で経験したサッカーゲームのマーケティングにおいては、スポンサードしている各チームのファン向けに個別のクリエイティブを作ったり、ゲーム運用において各チームごとの選手をまとめた商品を発売してそれをSNSマーケティングに活用したり等、積極的に利用することで、可能な限り投資回収を図っていた。

私は、残念ながら余り小口のスポーツチームへのスポンサードというのはしたことがないので経験はないが、おそらくこの選手肖像の利用の権利などもある一定以上のスポンサーにしか解放されていないということもあると思うので、そのあたりは契約時に確認が必要かもしれない。

3.球場などでのイベントの開催等の付帯権利

これは、契約の内容によって様々である。例えば、下記のようなものが考えられる。

  • 試合チケットの割り当て
  • VIP向けブースの割り当て
  • 球場、スタジアムでイベントを実施する権利
  • 特定の試合を「〇〇(スポンサーのブランド名)デー」のような感じで冠試合のようにする権利
  • 球場内にブースを出すなどして販促活動を行う権利

こんなものはよくあった記憶である。

一番わかりやすいマーケティング施策は、試合のチケットのプレゼントキャンペーンのような販促施策である。こういう話をしても、一定以上の年齢の人しかピンとこないが、昔読売新聞を新規で定期購読すると販売店からジャイアンツの試合のチケットがもらえたみたいな話である。

最近は、どのスタジアムもホスピタリティが上がってきたので、VIP向けのラウンジとか、個別ブースの部屋などが用意されているスタジアムも増えてきた。大口のスポンサーになると、このような施設を利用する権利なども割り当てられたりする。このような権益は、BtoBの接待的な活用の仕方もあるし、ほぼ一般のユーザーは購入できない特別なチケットなので、契約が許せば、自社のVIP顧客向けの特別なキャンペーンなどでC向けのキャンペーンとして活用しても良いかもしれない。

また、球場周りでマーケティング活動をする権利も考えられる。野球やサッカーでは、毎試合に万単位の観客があつまるため、そのような観客向けのイベントを球場で実施するのだ。リアルイベントをやると当然オペレーションに追加のコストもかかるため、自社の商材サービスが、オフラインの販促等に向いているのであれば、これらの権利を目当てにスポンサードをすることも検討可能であろう。

UpperとMiddle Funnelのバランスと連動性を考える

スポーツマーケティングの代表的な利用方法をここまでで見てきた。ハッキリ言って、大分大雑把な説明になっているが、始めてスポーツマーケティングをする方にとっては、ある程度具体的にイメージ出来たのではないだろうか?

その前提で、最後に、もう一度何のためにスポーツを自社のマーケティングに活用するのかを考えてみたい。

一つ目のブランド露出で大規模な露出枠の購入が可能の場合はまず考えるべきはUpper Funnelの認知率の向上である。もしすでにブランド認知施策を行っている場合は、そこにかかる認知度の改善単価を目標値として設定してみることは効果の判定には有効であろう。

ただし、注意が必要なのは、スポーツマーケティングのブランド露出により認知獲得の場合、本当にブランドロゴの露出しかされないことが多いため、Middle Funnel的な商品・サービスの理解促進効果はほぼ皆無であるということである。Liveでスポーツ観戦をする機会があるかたで、スタジアムで見たロゴなどで、そのブランドがどのようなサービスをしているのか全く分からない広告があったりしないだろうか?私はコロナ禍前は仕事で東京ドームに行く機会がそれなりにあったが、結構大きな看板でも、何をしているのか全く分からないブランドがあったりした。

このため、ブランド露出を行う場合の注意点は、それに見合う規模のMiddle Funnel向けの施策も同時に予算を確保し、検討すべきということである。

以前も書いたが、楽天の野球参入のケースはこの点が決定的に欠如していた。ブランド露出効果が目立つ看板を買うとかいうレベルとは全く異なる状況が突然発生してしまったので、それに見合うMiddle Funnel向けの施策の準備がなされておらず、認知度向上と企業業績の向上の連動性は十分に出し切れなかったと考えている。

これが、TVCMなどになると、それが正解かどうかは別にして、クリエイティブの作り方によってはUpperとMiddle Funnelを同時に実現する施策とすることも可能であるので、そのブランドの置かれている状況、例えば、認知が低いことが問題であれば認知を重視して、認知はそこそこあるがブランドの理解促進が足りていないのであれば理解促進を重視してなど、施策の調整をすることが可能になる。

 スポーツマーケティングのブランド露出は、このバランスがUpper Funnelに極端に偏るため、ブランド露出だけで収益増を見込んだり、ブランド露出効果でROIを計算しようとすると、全く期待した効果がでないという悲しい結果になる可能性が非常に高い。

 こういう話をすると3つ目の付帯権利とセットでと考えるかもしれないが、そのアイディアは個人的にはお勧めしない。理由は、それぞれの施策がターゲットとしているユーザー層が一致しないからだ。ブランド露出については、試合の放映などスタジアムに来ていない人が主なターゲットであると私は考えているが(広告を売っている側はそうでないかもしれないが)、スタジアム等でのオフライン系の施策はスタジアムの来場さ向けの施策である。つまり、UpperとMiddleの施策を異なる顧客群に当てていることになるため、施策の連続性、連携性に問題がある。このため、Middle Funnel向けの施策は基本的にはスポーツマーケティングの予算とは別枠で適切な規模の予算を確保して施策をセットでやる方がよいと思われる。

2つ目の選手の肖像権の広告利用の目的を中心に活用するという事であれば、自社のターゲットとする顧客層と、そのスポーツチームが選手のファン層のオーバーラップ度合いの評価を事前にすることが重要である。但し、スポーツ選手の場合、特に海外のスポーツの場合は選手の移籍のリスクが少なくないので、特定の選手1名に頼るのではなく、チーム全体で訴求できるユーザー層の評価をしなければいけない。プロセスとしては、スポーツではなく、企業のイメージキャラクターとなるタレントを選定するプロセスとそれほど大きく変わらない。

③の付帯権利を中心に考えるケースでスポーツチームにスポンサードする際の私のお勧めの考え方はエリアマーケティングである。スポーツチームは殆どの場合フランチャイズ制(呼び方はいろいろあるのかもしれないが)になっており、特定のエリアでは圧倒的な知名度と訴求力を持っていることが多い。また、スタジアムの観客動員数も全国をターゲットとすると小さな割合になってしまうかもしれないが、特に地方エリアの人口比で考えると十分な割合のターゲットユーザーにアクセス可能という見方ができるケースも多い。このようなケースにおいては、余り欲張らずに、特定のエリアに的を絞ったFull Funnelの施策を行うことの方が現実的にパフォーマンスを得やすいと思う。例えば、楽天時代に、Middle Funnelの施策の強化をするためのTVCM施策のテストマーケティング施策は宮城県で集中的に行った。そもそも、楽天イーグルスの地元である宮城県以上に楽天ブランドの相対的ポジションが高い地域があるとは思われなかったので、宮城県で上手くいかない施策が他のエリアで上手くいはずは合理的に考えてあり得ないと考えていたためである。このため、宮城県で良い反応の得られる施策を粘り強く見つけに行くという方法を継続的に模索していたというわけである。

私個人はスポーツ観戦にほとんど興味がないのでそうではないのだが、その競技に思い入れのある人はスポーツを絡めたマーケティングというのは仕事としてだけでなく、働くモチベーションとしても有意義なものになるかもしれない。単純に仕事としては華やかに見えるかもしれない。但し、今回議論してきたように、真面目にROIを追求しようとおもうと、結構難しい施策であったりする。とはいえ、野球であれば、1年でひとつのチームが100万人とかいう単位で集客を安定して実現できるコンテンツというのは他を探してもなかなか存在しないため上手くはまれば有効なマーケティングの手段として活用出来るのかもしれない。しかしその効果を実現するためには、きちんとしたFull Funnelをトータルにデザインする必要がある。状況が許すのであれば、スポンサードを決めてから施策を検討するのではなく、実施決定前に具体的な活用方法を事前に考えておけると良い結果が得られるのではないかと思う。

インフルエンサーマーケティング

SNSやYoutubeから生まれた新しいメディア

おそらくこの10年で出てきたマーケティングの手法で最も影響力があるマーケティングの手法がインフルエンサーマーケティングであろう。元々、有名人のお勧め的なマーケティングの仕方は存在したが、ソーシャルメディアとYoutubeを始めとする動画サイトの普及により、芸能人やスポーツ選手のような有名人ではなくても、情報の発信主体になることが可能になったことにより、強力な拡散力とアピール力を持つ存在がそれ以前とは全く異なる方法で生まれる環境になってきた。少し前であれば考えられないような変化である。

2023年10月の景品表示法の改正により、ステルスマーケティングが法律上も明確に禁止されたため、以前よりはやりにくくなる部分は出てくるのかもしれないし、このエリアで最も成功した企業であったUUUM社が赤字に転落し、TOBの対象になるなど一時期とは状況が変わってきているのかもしれないが、とは言いつつも、最盛期がおそらくおかしかっただけだと思うので、どこかでよい落ち着きどころが見つかり、ある程度安定したマーケティング手法として集約されていくのであろう。

私の場合は、インフルエンサーマーケティングが流行りだした当初に、比較的に有力なコンテンツがゲーム関連の動画とクリエーターであったため、2015年に帰国する少し前くらいから米国を皮切りに少しずつ実験的に利用を開始した。特に、英語圏のインフルエンサーは英語で配信するとGlobalでリーチできる訴求力があるため、なかなか無視できない存在であり、有効な活用方法を検討せざるを得ない状況であった。

では、インフルエンサーマーケティングの利点はどこにあり、どのように活用することが成功への近道なのであろうか?(なお、人材紹介会社に転職してからは殆ど活用していないので、少し情報が古いかもしれないので、基礎編くらいで考えてもらえれば。最新版は専門の方の情報を当たってください)。

  • TVなどでリーチ出来ない顧客層にアクセス可能
  • ターゲット層にピンポイントで情報を伝えられる
  • 訴求内容を詳細に伝えられる

この3点くらいが主要な特徴であるかもしれない。

TVや雑誌などでリーチ出来ない顧客層にアクセス可能

ゲーム業界でインフルエンサーを早々に無視できなくなってしまった理由が、それまで主力としていた情報発信の媒体の訴求力がYoutubeを中心とする動画プラットフォームに置き換わってしまい、ターゲット層にリーチするためにはYoutubeのインフルエンサーを活用せざるを得なくなってしまったからである。どこまで意図されたものかは不明(というかおそらく意図的ではない)だが、ゲーム業界で当初最もインフルエンサーマーケティングで成功したと思われるタイトルはMinecraftであった。それ以外でいうとFortniteRobloxなども代表例であろう。Minecraftは私がゲーム業界に入る以前からある程度Hitタイトルとしての地位を確立していたが、FortniteとRobloxがヒットする過程はほぼゼロから見ていたが、どう見ても自分がこれまでやってきたパフォーマンスマーケティングを中心とした手法とは異なる方法により大ヒットしたゲームという状況であった。特に、ゲーム業界で非常にマーケティングが難しい対象が13歳以下の子供で、米国は子供に対する広告の規制が非常に厳しいため、子供にリーチする方法が相当限られるのであるが、そのポジションを私のイメージではYoutubeが根こそぎ持って行ってしまった感じであった。そこにガッツリはまった代表例が、この3タイトルであろう。私が米国にいたころはまだMinecraft全盛期で、小学生以上の子供の親に聞くと学校中のほぼ全員の子供がスマートフォンでMinecraftを遊んで、遊んでいない時間は親が許す限りYoutubeでMinecraftのインフルエンサー動画を見ていると大げさでなく話していた。Fortniteがヒットしたのは日本に帰国後であったが、同僚に話を聞くとMinecraftで米国の小学校で起こっていたことと全く同じ現象が日本の小学校でも起こっている感じであった。

おそらく子供は代表例であるが、最近の新卒の若者とかに聞くと、一人暮らししている家にテレビを買わないというのが全く珍しくない状況であるため、今後益々既存媒体を中心にマーケティングをしていた企業はその代替手段を考えなければいけなくなる。

家にテレビがある自分の日々の生活を振り返っても、TVは決まった番組の録画しか見ないので、広告はスキップしてしまい、それ以外の時間はYoutubeかNetflixしかみない生活である。先日実家に帰ったときに84歳になる自分の父親が、毎日楽しみにしている巨人戦の試合中継を倍速で見ているのを目の当たりにして、時代は変わったものだと心から驚いたくらいなので、マーケティングの活用メディアも根本的に考え直さなければいけないと心から思った次第である。

もちろん、デジタル系の広告で代替出来ることも十分にあるが、デジタルの中心であるパフォーマンスマーケティングの手法はBottom Funnel中心であるため、Upper&Middle Funnel向けの施策の代替手段は確実に必要であり、この側面でインフルエンサーマーケティングは有効に活用すべき手法であると考えられる。

ターゲット層にピンポイントで情報を伝えられる

一口にインフルエンサーといっても、チャンネル登録者やフォロワーが何百万人以上おり、一回の動画の再生も数百万となるようなメガインフルエンサーもいれば、ニッチな情報発信をコツコツ行っているようなマイクロインフルエンサーといわれる人たちもいる。

メガインフルエンサー

もちろん、メガインフルエンサーを活用するとリーチ力、訴求力もあるため、上手くいけば非常に高いパフォーマンスを期待できる。大手ゲーム会社時代に、日本有数のメガインフルエンサーが自社のトレーディングカードゲームの大ファンであり、何度かコラボレーション企画を行った経験がある。ただ、このような特殊なケースを除くと、私自身はメガインフルエンサー系の露出には消極的である。

まず、そもそも企画当たりの値段が高すぎるという問題が単純にある。UUUMの状況を見るとすこし状況は変わってきているのかもしれないが、UUUM全盛期は、ターゲット外の自分が名前も知らない人にこんなお金を払わなければいけないのかと正直躊躇するような金額であった。

ただ、費用が消極的な最大の理由ではない。もちろん企画の作り方にもよるが、一般的にインフルエンサー施策の契約というのは一本幾らで動画をインフルエンサーに作ってもらい彼らのチャンネルで配信してもらうというものになる。多くの場合、ある程度こちらの意図と希望は伝えつつも、基本的には自己のチャネル登録者やファンに訴求できる動画を最も理解しているのはインフルエンサーであるため、最終的な動画の内容の主導権はインフルエンサー側にゆだねざるを得ないことが多い。そうすると、ハッキリ言うと当たりはずれが多くなる。それが、下手な鉄砲数う打ちゃ当たるで何発も気軽に出来るのであれば問題ないが、問題は先ほど申し上げたように一発の値段が高いので、悠長にそうも言っていられない。では、下手な鉄砲にならないように、自分たち手動で企画を作るみたいな話になるが、マーケターは動画クリエーターではないのでそこから出てくる企画は予定調和的な面白いものにならないことが多く、そのような無難ことをするのであればそもそもインフルエンサーを使うこともないということになってしまう。

マイクロインフルエンサー

メガインフルエンサーにはこのような難しさがあり、同じような課題感を持っている人が他にもいたのだと思われるが、2018年頃から、マイクロインフルエンサーを数多くやるという手法が出てき始めた。私はこの手法は3つの利点があると思っている。一つ目は、デジタルマーケティングの利点であるターゲティングを細かく設定可能であるということだ。メガインフルエンサーになると、広く女性をターゲットにできる化粧品とか、消費財とかであれば良いかもしれないが(たまたま思いついたのがハリウッドのアーティストの多くが化粧品ブランドを立ち上げるので、この例にした)、例えばゲームのように細かいセグメントがあり、セグメントごとに顧客が分かれているような業種の場合、メガインフルエンサーになってしまうとリーチできる層の中に、ターゲットでない割合が大きくなってしまう恐れがある。一方、マイクロインフルエンサーの場合は、一人一人の訴求力は弱い代わりに、訴求のターゲットの精度が正しいインフルエンサー選定が行えれば拡大に高くなるのである。

2つ目の利点は、先ほどメガインフルエンサーでは費用的に難しいといった、「下手な鉄砲」手法を比較的気軽に実施可能な事である。マイクロインフルエンサーを数多く活用することで、ゼロサムで上手くいくか行かないかというギャンブル的な施策にならないようにリスクヘッジをするのだ。また、この手法は同時並行でABテストを回すことも出来るため、どこかでうまくいった手法を別のインフルエンサーに横展開するみたいなことも実施可能である。

最後は、複数のインフルエンサーがいくつも動画を上げ、それをターゲットユーザーが見ることによって、インフルエンサー内でそのタイトルが人気で話題になっている雰囲気を出すことができるという事である。3つ目は、そんな感じがするくらいの話で、特に何の証拠もないのだが、自社や他社の手法と結果を見ながら、このような雰囲気の醸成はマーケティング的に必要な事なのではないかと感じている。

私の理解では、メガインフルエンサーは手法や媒体は異なるが、私としてはタレントを雇ってTVCMをやるのと発想としてはそれほど変わらない手法だと思っている。このため、おそらくメガインフルエンサー施策を上手くコントロールする方法は伝統的マーケティングの手法に詳しい人の方が上手にやれる気がする。

一方マイクロインフルエンサー施策は、非常にデジタルマーケティング的である。今回のターゲティングの精度という利点も、マイクロインフルエンサーでの利点として考えてもらえるとよいと思う。

  

訴求内容を詳細に伝えられる

3つ目の利点は、インフルエンサー動画の尺の長さに由来する。最近TikTokやYoutubeショートなどがどんどんポジションを強めてきているため、ある程度短めになってきているが、それでも15秒のTVCMよりは長い尺のクリエイティブを作ることが可能である。

この特性を考えると、私はインフルエンサーマーケティングが最も効果を発揮できるのはMiddle Funnelの領域であると考えている。実はこれまでMiddle Funnel向けの施策というのはUpperとBottomと比較して有効な手段がなかったように思う。UpperはTVCMなどでお金をかければ何とかなる。Bottomはデジタルマーケティングの誕生によりこの20年でもっとも効率化したマーケティングの領域であろう。これに比べてMiddle Funnelというのは余りこれという有効な手だてが少なかった気がする。あるとしたら、TVCMなどでブランド名よりもサービス内容の訴求を厚くすタイプのクリエイティブで絞りに絞り込んだ訴求点を15-30秒の間にやり切るくらいであろうか?もちろん、それ以外にも、サンプリングで実際に体験してもらうであるとか、街頭やイベントなど集客力の高い場所で体験型の施策を行うなどの手法も検討可能である。しかし、このようなリアルイベントも場合によっては有効であるが、例えば認知をTVCMで全国で獲得しているとしたら、その受け皿の施策がそのようなオフライン体験会のようなものであれば受け皿としては貧弱で、ファネルが急に絞り込まれすぎてしまう。

このように考えると、インフルエンサー施策というのは、ある程度その人物とそれなりのリレーションがあるユーザーが視聴してくれるため、多少長尺でも見てもらえる。これにより商品・サービスについての詳細な情報を伝えることが可能となる。もちろん、それを説明口調で棒読みされても面白くないので、そこはクリエーターに工夫してもらわなければならないが。

このような意味でも、インフルエンサーの選定はきちんとターゲティングにあったものでなければいけない。さらに理想的なのは、トレーディングカードゲームの例で紹介したように、そもそもそのインフルエンサー自体がビジネスとしてお勧めするというよりも、契約以前から商品・サービスのユーザーであったり、新商品・サービスであったとしても、本当に良いものだと思ってもらえているとなおよいということになる。もちろん、多くのインフルエンサーはプロフェッショナルとして活動しているのできちんとパフォーマンスはしてくれるはずだが、やはり普段から使ったり、体験したり、勧めたいと思っているものとそうでないものというのは分かるものだし、そもそも説得力が違ってくるからである。

Full Funnelの問題点を明確にして有効に活用する!

ここまで見てきたように、インフルエンサーマーケティングというのは新しい手法であるが、非常に可能性が高い手法である。但し、インフルエンサーが紹介したことで爆発的にヒットした商品のような成功事例を見たりすると、インフルエンサーマーケティングをすればそれだけで物が売れると思ってしまう人がいるかもしれないが、それは過剰な期待である。実施を検討するときは、そもそもFull Funnel全体の中で現状何が問題で、その問題を解決するためにインフルエンサーの活用が適切なのかどうかを必ずロジカルに検討しなければならい。そのロジックがあることで、インフルエンサーに対して明確なオリエンテーションが初めて可能になる。また、そのプロセスが正しければ、インフルエンサー施策の効果検証をするポイントも明確になるであろう。

多くの場合、Upper&Middle Funnel向けの施策になるはずなので、御多分に漏れず効果検証は難しいかもしれないが、少なくても何に気を付けてチェックしなければいけないかは、これまでの議論を読んできた読者の方であれば判断できるであろう。

正直、私のようなおじさんマーケターには、特に若いターゲット向けのクリエイティブが良いのか悪いのかは判断がつかないことが多い。全くいいと思えないコンテンツが良いパフォーマンスを出したり、良いと思うものがパフォーマンスを出せなかったり、予想の精度はハッキリ言って低い施策であることは確かである。しかし、だからといって無視してよい存在では決してない。特に若年層や子供向けのマーケティングには欠くべからざる手法である。是非、いきなりメガインフルエンサーに投資するようなギャンブルはせず、デジタルマーケターの得意技の小さな失敗を早く、意図を持って行うという鉄則にしたがって、自社にあった活用法を考えてみて欲しい。