良いクリエイティブを創るには?

クリエイティブ制作の8割はロジックで決まる

私はアーティストでもコピーライターでもないので自分でクリエイティブを作ることは出来ない。でも、自分がどこまでクリエイティブを理解しているかの自己評価は置いておいて(自分ではそれなりに出来ていると過大評価している)、マーケターに取ってクリエイティブが分かるということは重要なスキルであると思う。

正直、これまで何百人ものマーケターのマネジメントをしてきた経験から、クリエイティブを作ったり、アイディアを考えたり、評価したりする能力というのは、おそらく一定の割合で生まれ持った「センス」のようなものに最終的には依存してしまう部分は否定できない。しかし、この「一定の割合で」というのがポイントである。この一定の割合が、2割なのか、5割なのか、8割なのかで話は大きく変わってくる。結論から申し上げると、私は「センス」がなければどうしようもない世界は2割くらいなのではないかと思っている。

そもそも、私がアーティストでもないのにこんなところで偉そうにクリエイティブの話を話始めようとしているのは、私にマーケティングのクリエイティブの考え方について教えてくれた恩人がいるからである。その方の名前は佐藤可士和さんである。少しマーケティングの情報をかじったことがある人であれば知らない人はいないであろう、日本のマーケティングクリエイティブの代表的な人物のおひとりである。リンク先のページで可士和さんが関わられたプロジェクトを見れば、日本人でひとつも見たことがないという人はおそらく一人もいないだろう。私は可士和さんの弟子でも何でもないが、2003年くらいから楽天をやめるまでの6-7年の間、楽天グループのブランド管理責任者と楽天ブランドのクリエイティブディレクター/アートディレクターという関係で、継続してお仕事をさせていただく機会を持つことが出来た。当時は、およそ月に2回程度、三木谷さん、可士和さん、私をコアメンバーにして、その時々でお題を決めながら可士和さんにディレクションしていただいたブランド関連のクリエイティブについて、議論をさせていただくことができた。その継続的なディスカッションを通して、可士和さんというトップクリエーターがどのようにしてクリエイティブを作っていくのかというのを、非常に鮮明に理解することが出来た。この体験が、私がマーケティングのクリエイティブを考える時の基盤となっている。

正直、ここで述べることの何分の一かは可士和さんとの会話から教えていただいたことの受け売りである。このため、もし興味があって、ご本人の言葉で詳細に正しく理解したという事であれば、可士和さんの最初の著作であるこちらの書籍を読んでいただければと思う。最初の本なので、可士和さんの考えのエッセンスが非常によく纏まっていて理解がしやすい。

クリエイティブのロジック=マーケティングの基礎体力

と、可士和さんのご紹介をしたところで、本題に戻ろう。私がおそらくあれほど長期間に渡って可士和さんとお仕事をさせてもらえた最大の理由は、可士和さんのクリエイティブを作る時の8割はロジックの世界で、表現のセンスとかクリエイティビティというのは最後の2割くらいで発揮されるものという考え方のおかげであると思っている。おそらく、この割合が逆であれば、早々に私など窓口の責任者のポジションを首になっていたと思う。たぶんこのBlogをここまで辛抱強く読んでくださっている方であれば容易に推測可能だと思うが、私はロジックの世界であれば得意だし、実行出来る自身がある。

では、クリエイティブにおけるロジックとは何であろうか?実はこれも今までさんざん検討してきた「誰に、何を、何時伝えるのか」という事である。マーケティングの基礎体力として、このBlogで繰り返し議論してきた内容である。そもそも、クリエイティブというのはマーケティングにおいてどのような役割を担うものであるのかを今一度整理して考えたい。クリエイティブとは、マーケティング活動において、誰かに、何かを伝えたいときに最終的なタッチポイントとなるシチュエーションで顧客が見たり、聞いたり、読んだりするための表現である。このため、実は、誰に何をいうかというのは、クリエイティブ表見で規定されるのではなく、その前のロジックで規定されるということになる。可士和さんから私が教わったのは、どのようなクリエイティブを作るのかを考えるときは、アイディアを考え始める前に、この誰に、何を、何時伝えたいのかというロジックを徹底的に突き詰めて考えよという事であった。逆に言えば、この3つのポイントが曖昧だとクリエイティブを作る方向性も明確にならないということである。

私は、クリエイター以外のマーケターの仕事というのは、実はこの8割のロジックを徹底的に突き詰めることができれば、98%くらい終わりなのだと思っている。後の2割ははっきり言ってクリエーターのセンスに任せるしかないからである。例えば、クリエーターとして誰かを指名して、その人にクリエイティブを作ってくれとお願いするのであれば、それはそのクリエーターのセンスを信じてお金を支払うという事なのだと思っている。8割のロジックに合意したうえで、そのロジックに従ったクリエイティブをクリエータが作ってきたとしたら、その案が良いか悪いかを素人が口出しするのは、プロフェッショナルを雇った意味がそもそもないと思う。もちろん、合意したロジックどおりにクリエイティブを作っていなかったり、明らかに手を抜いているときには文句を言うべきであるが、そうでもない限り、クリエーターのセンスは最終的には信じなければいけないと思っている。

マネジメントはロジックの合意までが基本

このように考えれば、当然クリエイティブを評価する手法もおのずと見えてくるだろう。8割のロジック通りに表現が作られているかを確認すれば良いだけなのだ。あとは、ブランド全体のトーン&マナーにあっているかとか、個々のクリエイティブの内容ではなく、個別のクリエイティブ外の整合性の評価などをしていけばよいということになる。このクリエイティブの評価の時に、マネジメントの人間が気を付けなければいけないことは、最後の表現の良し悪しに中途半端に口を出さないことだと思っている。特に、表現の好き嫌いについて意思決定力が強い立場の人物はなるべく発言はしない方がよいというのが私の立ち位置である。例外は、BtoB向けの経営者層向けのクリエイティブなど、現場のメンバーよりも自分の方がターゲットユーザーの理解が深いと思えるときくらいであると考えておいた方がよい。なぜなら、好き嫌いの領域の判断というのは主観的な事項なので上位者の意見が必然的に通りやすい傾向が強い。例え、現場のメンバーに意見を聞いたとしても、先に自分の意見を表明してしまうと、日本的な同調圧力が働いたりして、客観的な意見が出てこなくなることも多い。特に、社風として上位者の意見に異を唱えにくい社風の会社(そもそも、そういう社風は即座に直した方が良いと思うが)では、この点は特に注意が必要である。

しかし、このように申し上げても、どうしても自分の意見は表明したい、しないと後で後悔すると考える経営者の方がいることもよく理解している。特に、成功した経営者の方というのは独特の商売センスのようなものをお持ちの方がいるので、自分で納得いくものでないとOKと言えないということがあることも経験しているし、その意見が正しいことも実は多くあったりする。そのような場合は、必ず最終案は自分が選ぶことを事前に社内外の関係者に表明しおくことをお勧めする。また、その場合はそのプロジェクトの成否について現場に重い責任を追わせることもなるべく控えたほうがよい。この2点を守らないと、現場のマーケターのモチベーションは下がるし、外部のクリエーターの場合、状況によっては一緒に仕事をしたくないというようなことになりかねないからだ。クリエイティブワークの最後の2割の表現というのは主観的な要素が強いため、どうしてもそのプロジェクトに取り組むモチベーションによってクオリティに差が出てくるように感じている。このため、私は、もちろん能力の高いクリエーターと仕事をすることは重要であるが、それと同程度の割合で一緒に仕事をするクリエーターのモチベーションが高いことも重要な要素であると思っている。この点は面倒くさがらずに、是非可能な限りの配慮をすることをおすすめしたい。

ここまでで、私が可士和さんから教えてもらったクリエイティブの8割ロジックの話をさせていただいたが、これから話すクリエイティブの話は基本この8割の話であるとご理解いただければと思う。残念ながら私に残りの2割のクオリティの上げ方をアドバイスする能力は全くない。その能力を伸ばしたい方は是非その道の専門家にあたってもらえればと思う。

クリエータータイプのマーケターへのアドバイス

最後に、一点だけ追加させていただきたい。私はこれを全く悪いことだと思わないが、数は多くないが、たまにロジックよりもアイディアが先に思いついてしまうクリエータータイプのマーケターの方が存在する。私もかつて一緒に仕事をした部下で思い浮かぶ顔が何人かいる。このようなタイプの人にいくつかアドバイスをさせていただく。まず、このタイプの方は、自分がロジックの積み上げでなくアイディア先行型であることをきちんと自覚することが重要である。また、そのような部下をもつ上司の方は、その部下に対して気が付いたら面談などで指摘してあげるとよい。人間自分のやり方を普通だと思っていることが多いので、実は指摘してあげないと気が付けないことも多いからだ。

もう一つのアドバイスは、もしアイディアが先行して出てきたときは必ず後付けでよいので、なぜそのアイディアがよいのかロジックを作り、他人に説明する練習をして欲しい。私は、アイディア先行のプランで実際に良いものもたくさんあると思う。ロジックの積み上げだけでは、予定調和的な無難な結論になってしまうことも否定しない(そうならないようにするのが最後の2割でのクリエーターの腕の見せ所なのだが)。しかし、データドリブンなマーケティングの世界ではどんなに良いアイディアでも「面白い」の一点張りでは、周りを説得できない可能性が高い。もし、自分一人で難しければ、周りの人に自分のアイディアのロジック付けをしてくれるサポート役を見つけておくという方法も良いかもしれない。一番良くないのは、クリエータータイプの人間同士でブレストをして面白いと盛り上がったアイディアを勢いで企画会議等に持っていくと熱が冷めてしまった翌日とかには、本人たちも含めて熱が覚めてしまったりして面白さがわからないみたいな状況である。こうならないためには、どこかで一度冷静になって考えてみる習慣を是非つけるようにして欲しい。

クリエイティブは最終的な顧客との接点である!

マーケティングにおいてクリエイティブは最終的な顧客との接点をコントロールする非常に重要な手段である。ここで失敗すると、どんなに緻密に積み上げた「誰に、何を、何時」というロジックも台無しになる。検索して記事を見つけられなかったが、以前Googleがどこかで紹介していた調査で、デジタルマーケティングのパフォーマンスの80%程度はクリエイティブの良し悪しで決定されるというような話も聞いた記憶がある。しかし、クリエイティブを「センス」の一言で片づけてしまうと、スキルアップをする余地がなくなってしまう。次回以降は、クリエイティブをロジックで考える際のポイントをいくつか議論していきたい。

顧客情報の鮮度と密度を高める

CRMの成果を改善するオールマイティな方法

CRMジャンキーにならないためには、CRM経由のリピートユーザーを増やす時に一人当たりの接触回数をむやみに増やすしてはいけないことを前回説明した。逆に言えば、CRMの実績を継続的に拡大していくためには顧客との接触機会あたりのリピート率を上げていくしか方法はないということになる(DBの規模拡大はCRMチームには所与の数字とする前提)。これを実現するためには、MAツールによるシナリオ実装が有効であることも多いと説明もしてきた。ロイヤリティプログラムも上手に使えば効率を改善することが出来るであろう。

但し、このリピート率を改善するために、ほぼオールマイティに使え、ここで対競合比で優位性を持てれば相当長期的にその状態を維持可能だという凄く美味しい手法がある。それは、顧客DBの質の充実である。ただ、質といっても曖昧過ぎるためもう少し限定して定義すると、①顧客DBのデータの新鮮さ(Update性)、②顧客DBに登録されている一人当たりの情報量(密度)の2点である。

顧客情報のUpdate性を高める

Update性については、私が直近で仕事をしていた人材紹介の事例など非常に分かりやすいかもしれない。普通に考えると、転職の機会が毎月発生するという人はほぼ確実にいない。業法で、自社で転職した顧客には2年間は転職を勧めてはいけないという規制があるため最低でも2年おき、一般的には3-5年くらいの頻度でしか需要が発生しないということになる。このため、転職サービスというのは一度会員になっても転職を実現してしまうと、次回のサービス利用まで年単位の空白期間が発生してしまうことになる。仮に計算しやすいように転職頻度を平均5年としよう。顧客DBに100万人のデータが存在するとしたら、単純計算で毎年20万人ずつが転職をすると想定できる。このため、CRMが完璧に機能した場合の成果の最大値は20万人の転職実績を継続して実現する事である。

では、この最大値に近づくための最も有効な方法は何であろうか?答えは非常に簡単で、100万人のうちどの20万人が今年転職するのかを特定するという事である。実際、トライトで分析した経験でも、現状の転職意向を把握出来ている既存顧客とそうでない既存顧客では、自社サービスで転職をする確率は数倍レベルで前者の方が高いという実績であった。しかし、問題は5年に1回程度しか利用しないサービスに対して、普通の顧客は自分の現在の最新状況を継続してUpdateし続けるインセンティブは放っておけば全くないということである。この問題は、転職サービスのようにサービスの利用頻度が非常に低いサービスなどで特に問題になる。直ぐに思いつくのは、不動産、自動車、冠婚葬祭、転職・就職などである。皆さん直ぐにピンと来るとおもうが、リクルートの事業領域である。

顧客情報の密度を高める

②の顧客DBの密度についても考えてみよう。この密度が表しているのは、顧客の情報を企業がどれだけ多く、正確に把握しているのかという事である。では、顧客の情報を企業はどのように取得出来るのだろうか?まず一番簡単に思いつくのは、会員登録時等に顧客自身が自己の情報を登録フォームなどに入力して提供する方法である。と書くと、それなら会員登録時に出来るだけたくさんの情報を入力してもらえばよいじゃないかとなるが、それには2つの問題点がある。まず、一般的に会員登録などのフォーム入力のUIは登録する情報量/項目数の増加と反比例して登録率は下がっていく傾向にある。つまり、登録情報量を増やせば増やすほど、一人当たりの情報量は増える半面、顧客数が減少するということになる。もう一つの問題は意外と見落とされがちだが、顧客自身の情報入力というのは必ずしも正確に入力されているわけではないという事である。よくあるのが何に使うかもわからない生年月日を適当に1月1日とかで入力してしまったことがないであろうか?真面目に分析したことはないが、たぶん顧客DBに登録されている1月1日の割合は、1/365よりもかなり高い気がする。このように、顧客情報を顧客から能動的に提供してもらうことには限界があるというのがマーケティングの前提になっている。その大きな代替手段となっているのが、顧客の行動履歴をもとにした情報の収集である。この目的のために、最も有効な手段がロイヤリティプログラムである。もし、顧客にとって、自分がAという人間であることを企業に知らせることで何かメリットがないのであれば、わざわざ商品の購入時等に自分の個人情報を提供することなどないであろう。例えば、旅先でフラット訪れたお土産店でレジでお金を払うときに利用目的も分からずに名前と住所と電話番号を入力してくれと言われたら、貴方は素直に情報を提供するであろうか?普通の人であれば、何のために必要なのか?何に使うつもりなのか?と聞き返すであろう。しかし、最近の楽天ポイントとか、Paypayポイントであるとか、Pontaポイントであるとか様々なポイントのサービスや、クレジットカードを利用すると、貴方はサービス提供会社にどこで何を購入したのかを情報を提供し続けていることになる。そんなに深く意識していないかもしれないが、顧客は自発的に提供しているのである。ではなぜそうしてくれるのかといえば、ポイントが貯まるであったり、現金を持ち歩きたくないであったり、そのサービスを利用することで享受できるメリットがあるからである。例に挙げたような共通ポイント系のサービスというのは、顧客の行動履歴、とりわけ購入履歴を把握するためには非常に有効な手段である。もう一つの方法は、Webの行動履歴を分析する方法である。とくサイトにアクセスしたときにCookieの情報を提供しますかと聞かれることがあるであろう。あれは、ほぼ同義であなたのWeb行動履歴を企業のDBに格納しても良いですか?と確認されていることになる。多くの企業は、この行動履歴データを用いて顧客のその時のニーズなどを把握しようと必死になって分析しているわけである。

質の高い顧客情報を蓄積し、有効に活用する

ここまでで、顧客DBの質の内容を理解し、情報を収集する方法も概ね把握出来たと思う。では、次に考えるべきは、これをいかに上手くやり、競合に比べて自社の顧客DBの質は高いと思える(実際に両者を比較することはほぼ不可能なので「思える」くらいしかいいようがない)ようになるのかという手法である。

具体的な手法を検討する前に、世の中にあるビジネスを大きく2つに分けて議論することにしたい。なぜならそれによって、考えなければいけないことが大きく異なるからである。それは、人材ビジネスの事例でも触れたサービスの利用頻度による分類である。A利用頻度が高い(イメージ最低年に数回程度)、B利用頻度が低い(数年に1回程度)と考えてもらいたい。

サービス利用頻度の高いビジネスの場合

まず、Aの利用頻度の高いビジネスにおいては基本的には、顧客情報を収集する機会も多く、機会が多いということは頻繁にUpdateも自然とされていくということになる。このため、重要なことは、①情報収集をする機会に確実に情報を獲得できるような仕組を構築すること、②収集したデータを正しく活用できるように分析力の強化とオペレーションの構築を行うことの2点である。①については先に挙げたロイヤリティプログラムやWebの行動履歴の他に、会員登録をするメリットを追加するなどサービスUIを見直しても良いかもしれない。例えば利用頻度が高いサービスであれば、会員情報として、氏名、住所、クレジットカード番号などを登録しておくと、何か商品を購入する際にいちいちそれらの情報を入力する手間が省けるなどのサービスの使い勝手が向上する。Amazonの1-click購入ボタンなどはその代表的な例である。昔実際にやった面白いと思った例で言えば、サイトに占いのコンテンツを作ると女性を中心に生年月日の情報のUpdateが大幅に増えるみたいなこともあった。そもそも間違った生年月日の占いの結果など見る価値が殆どないからである。もちろん、顧客の立場からすれば、自分の情報を企業に知られることを快く思わないことも多いと思う。このため、企業側は顧客が情報を提供する代わりに得られるメリットを同時に考えることが要求されると考えてほしい。

②については、ロイヤリティプログラムやMAツールの話を読み返してくださいという方が話が早いが、ここでひとつだけ申し上げておきたいことは、私の知る限り、利用頻度の高い系の商品・サービスを提供している企業の多くは、顧客DBの質が悪いことが問題なのではなく、②の活用のオペレーションにまで落とし込めずに立ち止まってしまっていることが多いということである。このような企業は、②をまず考えて、オペレーションを作ったうえで、そのオペレーションのPDCAの質を上げるために追加でどのような情報があると便利なのかを考えて取得データを増やしていった方がよい。そもそも目の前にデータが多くあり、その活用方法も分からないのに、さらに情報量を増やしても上手くいく可能性は非常に低いと思った方が良い。

サービス利用頻度の低いビジネスの場合

一方で、Bの利用頻度の低いサービスの場合は何を考えなければいけないのであろうか?まずこのような事業の問題は、顧客にそのサービスのニーズがない期間は、何もしないとそのサイトを訪れたりメルマガを開いたりすること自体になんの付加価値もないため、情報のUpdate性も情報の密度も増やしようがないことが多いことである。

人材系のビジネスで、最もこの問題を上手に解決している企業は、おそらく医師の情報サイトと転職サービスを組み合わせているM3という会社であろう。そもそも、M3の始まりは転職サービスではなく、医師向けの情報ポータルサイトである。学術情報や医薬品の情報、病院経営情報など医師に特化した情報を圧倒的な量で集積し、巨大な医師のデータベースを構築している。この医師のDBに対して後付けで転職サービスを提供している。この構図は大変有効で、既存のサービスを会員が頻繁に利用しているため、タッチポイントも多く、利用頻度もそもそも高いため顧客情報を収集しやすい環境にある。もちろん彼らの顧客情報は外から見えないため、実際にどのように活用しているかは不明であるが、行動履歴データから転職しそうだという何らかのサインとなる情報が把握出来れば、CRMでの転職顧客獲得の効率は転職サービスのみを生業としている企業と比較して圧倒的に高められる可能性がある。このM3の事例は、人材サービスのような利用頻度が低いサービスの顧客DBの質向上のヒントになる可能性が高い。サービスの利用頻度の間を埋める情報やサービスを提供し、それほど多くなくても定期的に接触するためのタッチポイントを作る方法を模索してみても良いかもしれない。先ほどのM3のケースはターゲットが医師という非常に限定されたものであったため考えやすかったが、不動産とか、中古車とか、冠婚葬祭などは非常にターゲットが広いので難しいかもしれないが。ただ、その場合でも、可能な限り、自社のサービスの周辺の情報やサービスを検討したい。もし自社でサービス構築する余力がなければ、周辺サービスの企業と事業提携して顧客情報をシェアするなども検討しても良いのかもしれない。

とにかく、利用頻度の少ないサービスは、情報のUpdate性も、密度も著しく低いことが多いので、この2点を増やすことに全力を注ぐべきであると思う。それができれば、元々情報量は少ないので、オペレーションへの落とし込みはそれほど複雑でないことが多い。

よく「わが社の強みは顧客DBです」という話を聞くが、顧客DBのことを本当に真剣に考え、活用出来ている経営者は意外と少ない気がする。これほど多くの顧客情報がデータベースに蓄積されていれば何かに使えるはず、飯のタネになるはずと思っているだけというパターンは意外と多い。上手に活用するためには、自社の顧客DBのUpdate性と密度を把握することは不可欠である。死んでいる顧客のデータなど何件あってもはっきり言ってほぼ価値はない。一橋の楠木先生がダメな経営者の条件のひとつとして「シナジーおじさん」という話をしていて、私は激しく同意するが、私としては「顧客DBおじさん」も世の中いっぱいいそうな気がする。AIの時代になり、情報は集めれば集めるほど価値があるとなるのかもしれないが、2024年時点で私が経験している範囲でいうとやはりUpdate性と密度の良し悪しでそこから享受出来る成果は大きく異なると思っている。では、そのために何が必要かと言えば、まず始めにできることは、自社の顧客DBに真剣に向き合い、リピート率を改善させるために何が出来るのかを考えることである。少なくても私は人材サービスというおそらくビジネス人生で最も利用頻度の低そうなサービスの顧客DBを真剣に見た時に最初は愕然とした。正直、最初はUpdate性も密度もこれまで経験した業種とは比較にならないくらい低かったからである。でもそれはスタートに過ぎず、様々なアイディアで活用法を検討して、大きな成果を出すことも出来たと思っている。顧客DBの情報は放っておいてもお金になることはない。利用価値があると思うのであれば、本気で使ってみなければならない。顧客DBおじさんにならないために。。。

※、もしお時間があったらここまで読んだ後で、もう一度CRMの最初の記事「CRMの可能性」の記事を読んでもらいたい。より内容が深く理解できるはずである。繰り返すが、CRMはまだまだ改善の余地が大きい分野である。しかも個々の効率を上げれば上げるほど顧客LTVは高まるため、競合よりも高い新規獲得CPAを投資することができ、CRMの所与条件とした顧客DBの顧客数も実現できるという完全に正のサイクルが回ることになる。これを実現できればマーケティング視点での競争優位性を長期的に実現可能となる。

適切なCRMの目標設定と限界値の見極め

リピートユーザ獲得の基本構造を理解する

ロイヤリティプログラムMAツールとCRMの代表的な手法の具体的な解説をここまでしてきたが、これらはあくまで手段であるので、今回はもう少し上位レイヤーの適切なCRMの目標設定と限界値の見極めについて話をしたい。

まず、CRMを顧客データベースにいる顧客に対するサービスのリピート利用率であると定義すると、CRMで獲得できるリピートユーザー数は下記の計算式で計算できることになる。

  • A:前年度末DBユーザー数×(1+B:年間顧客DB成長率)×C:年間のユーザーリピート率

凄く単純な計算式であるが、Aを100万人、Bと10%、Cを20%とすると、このサービスの年間のリピートユーザー獲得数は、100万×1.1×0.2=22万人となる。

私自身が数年前に事業計画を作るためにあたらめて考えて計算しだしたことなので、余り人のことは言えないが、実は昔の私のように、この基本的な計算式を把握している会社は意外と少ない。

しかし、あたらめて考えてみると、この基本的なメカニックを理解できていないとCRMの適切な目標設定というのは出来ないことになる。Aの数値は前年度の実績なので確実に算出可能なはずである。Bの数字は基本的にはCRMの責任範囲ではなく新規顧客獲得チームの責任範囲であるため、CRMチームとしては基本的には所与の数字である。このため、実際にCRMチームの目標値を決めようと思うと、Cのリピート率の数字の目標設定を正しく行うということになると覚えておいてもらいたい。

この数字の算出は多くの場合、前年からの改善率を見るという方法がシンプルで、私もよく利用する方法である。前年の実績がある程度改善基調を保っており、今年度もさらにPDCAの精度を上げていけばその改善ペースを実現出来そうな場合は、大きな問題はない。一方で、判断が難しく、多くの会社が判断を誤りがちなのが、PDCAの精度の改善の限界値が来ているかどうかの判断ある。この判断を誤らないようにするためには、リピート率をもう一段階ブレイクダウンして考えてみるとよい。

  • Cリピート率=D:年間リピートユーザー数/E;年間の接触回数

概念として一般化すると分かりにくいかもしれないが、メルマガ施策を例に考えてみるとイメージしやすいかもしれない。Dは年間にリピートする顧客の数、Eは一年間に配信するメールマガジンの総配信数である。リピート率を改善するロジックは、リピートユーザー数の改善率が年間の接触回数の増分を上回れば改善するということになる(Dの成長率>Eの増大率)。ここで、さらにEの接触回数をブレイクダウンする。

  • E;接触回数=年間のDB顧客数 × F:顧客当たり接触回数

となる。ちなみに、月次の増加率など若干の精緻化は必要だが、年間のDB顧客数は、最初に示した、AとBのパラメーターから所与の数値としてCRMチームには与えられている。

つまり、DとEの改善率でD>Eとなるためには、DとFの改善率がD>Fになっていなければならないという事である。しかし、私の経験上、メルマガなどCRM施策での顧客への接触回数というのは、ある地点を越えると回数が増えるほど効果は低減していく。いわゆるスパム化に近い状態になるからである。このため、前年のパフォーマンスでFを増やしているのにDの増加が伴わずCが悪化しているような状況において、Cの改善を計画することは危険であることが分かる。しかし、最初のA、B、Cの関係値を因数分解して把握しておかないと、リピートユーザー数の改善のために、DB規模を拡大するのか、リピート率を改善して実現するのかが把握出来ておらず、リピート率の大幅な改善をしないと計画が実現しないことに気が付かないことが結構多い。

リピート率悪化し続けているときにCRMの目標値を増大させてはいけない

これで、結果的に計画が実現しませんでしたという、単年の問題であれば、良くはないが、大きな問題ではない。ワーストケースは、この構造に気が付かずに、Cの悪化を無視して(もしくは、気が付かず)、何年にも渡ってFを増大することを現場に明確にか盲目的かは別にして実行させてしまうことである。

なぜ、そのようなことが起こってしまうのかというと理由は2つある。ひとつは、Fの回数を増やすと多くの場合Dも増える構造になっていることが多いからである。問題は、Cのリピートへの転換率が悪くなっているだけで、今月、今四半期、今年度の売上を1件でも積むことをポジティブなこととして評価してしまうと、Cの悪化に気が付かずFの回数を目標増に応じて増やしてしまうという状況が状態化してしまうのである。

そして、この悲惨な状況をストップ出来ない原因がコストである。メールが代表例だが、CRMのコストというのは接触コストが非常に低い場合が多いので、全体で平均化してしまうと、Cが悪化しても表面上は投資ROIが悪化はしていてもポジティブであり続けているケースが多い。

この状況を私は、余り良い言葉ではないが分かりやすく、CRMジャンキーと呼んでいる。誰とは申し上げられないが、かつての先輩で「スパムこそ営業」という名言(迷言?)を残した人がいたが、それはあくまで短期的な評価である。

CRMジャンキーの恐ろしさ

では、CRMジャンキーを発症してしまった場合のデメリットとは何であろうか?実は、Aの既存顧客DBが気が付かないうちに減少していくという事である。元々は、メルマガなどのCRM施策においてチャーンレートという指標があり、一回の配信において配信停止の数を施策のマイナスの効果として把握するという考え方があるが、最近はCRMジャンキー状態になるとスパム扱いされて配信停止すらされないことも多いため、チャーンレートだけを見ていてもCRMジャンキーになるのを止められないと考えている。少なくてもチャーンレートでCRM施策にストップをかけられた経験が私には殆ど記憶がない。では、実態はどうなるのかというと、顧客は企業になにも言わずサイレントに死んでいくのである。接触回数が顧客の許容範囲を越えると、ある日突然迷惑メール設定をするなどして、我々が知る由もなく顧客ではなくなってしまうのである。しかし、企業側はそのような状態を把握できないため、読んでもらえるかどうかも分からないメールなどを送り続けることになる。分かりやすく言えば、実際には死んでしまっている幽霊に一生懸命CRM施策をしているようなものである。この状況になると、今度はAの数が減っていくので、さらにCを改善させないと目標に行かなくなる。ここまで来ると容易に想像がつくと思うが、どこかで止めないと悲惨な負のスパイラルが永遠と回り続けることになる。

このような話はメールマガジンに限った話ではない。例えばポイント施策などでも同様のことが言える。最近は、楽天などでセール時等の様々なタイミングでポイントの還元率を上げて顧客の購買意欲を喚起する施策をよく見かけるが、実際の数値は見たことがないので推測だが、ユーザーにそのサイクルが理解されてしまうと、このような施策は、月なら月の中での売上の上がる日付の山と谷の位置と高低差が変わるだけで、売上の総額は殆ど変わらないという状況になることが多い。つまり、キャンペーン期間を区切って効果検証をしている場合などは、個別施策のROIは確保できていることになっているが、実はそれは購入されるタイミングが変わっているだけなのだ。

では何故それを続けるのか?大抵の場合、1社がポイントの倍付施策の上限値を上げてしまうと競合している企業は顧客を競合に取られないために追随せざるを得ないとリアクションしてしまうことが多い。これで一度売り上げてしまうと、これまたジャンキー症状から抜け出せないということになる。ポイント施策の場合などは、顧客のトータルの購買量増になっていないケースが多いだけで、顧客が死ぬわけではない点はメルマガなどとは異なるが、止められない構造はCRMの施策コストが新規ユーザー獲得よりも低く抑えられるので、見過ごされてしまっていることも多い。

私の経験上、上場企業が業績の適時開示をしなければいけない環境になり、CRMジャンキーの症状を発症してしまうと、分かってはいても抜け出せなくなってしまうことが多い。この深みにはまると、売上高マーケティング費比率の悪化を食い止めるのは、よほど無駄なコストを使っていない限り難しい。

 (ちなみに、自己保身ではないが、楽天のポイント倍付の歯止めが聞かなくなったのは、私の退職後で、Yahoo Shoppingとのポイント倍付競争において、楽天がYahooから売られた喧嘩に乗ってしまったことがトリガーであったと記憶している。もちろん、当時はYahooとその親会社の孫さんが威勢よくECを伸ばすと話していたので対抗せざるを得ない状況もあったのかもしれないし、外から見ていただけなので、当時の判断が結果的に正しかったのかどうかは分からないが)

CRMの目標管理を正しく行うのはCRMの重大な責任

 私はマーケティング責任者には、自社のCRMがこのような状況にならないようにCRMの目標値を適切に管理することを自分の業務として強く認識してもらいたいと思っている。そのためには、自社のCRMの置かれている状況を見極める必要がある。特に、CRMの拡大を顧客当たりの接触回数増によってしか増やせない状況で右肩上がりに目標値を上げていくことは避けなければならない。CRMジャンキーの症状はデジタル広告と違い費用が小さいことが多いので見過ごされることが多いわりに、発見されたときには止められない状況になっていることが多い。DBの量が急速に拡大しているか、それ以前にCRM施策を殆ど実施しておらずパフォーマンスが異常に高い場合を除いて、CRMの目標値の改善は、リピート率の改善により行われなければならない。そのために、ロイヤリティ施策やMAツールによるCRMシナリオの運用など様々な手法がある。しかし、どの施策にも長いPDCAのプロセスが必要であるため、一度拡大してしまったCRMジャンキー症状を脱することが出来るほどの成果を上げることは困難であることが多い。このため、これらの手法も発症してしまったジャンキー症状の特効薬にはなりえないことも多い。一度ジャンキー症状になってしまうとよほど天才的なマーケターでない限り、抜け出すためには一時的な売上減のような痛みを伴い改革を覚悟するしか方法はないことが多いのだ。

くれぐれもジャンキーにならないようにご注意いただきたい。

MAツールの使い方

使いこなすのが難しいマーケティングオートメーション(MA)ツール

私がゲーム業界にいてCRMマーケティングから少し離れていた間にすっかり浸透したツールがMAツール(Marketing Automation)である。代表的な商品名でいうと、MarketoとSalesforceのMarketing Cloudになるが、最近国内勢でもB-DashとかL Stepとかいうものが出てきた。特にLine対応となると、国内勢でないと対応されていない感じがする。それにしてもMAとはずいぶん思い切ったネーミングであるが、私がこの3年くらい見てきた感覚では、なんでも自動でやってくれるそんな便利なツールではない。実は使いこなすのが結構難しいツールだと思っていて、統計を取る手段がないので実態は分からないが、MAツールを使いこなして、費用回収出来ている企業の割合って、それほど多くないのではないかと感じている。

MarketoをはじめとするMAツールで具体的に何ができるのかというと、基本的には、こういう場合はこのコンテンツを配信するというルールを事前に決定しておいて、そのルールにしたがって自動的にメールを始めとしたコンテンツを配信してくれるという仕組が主な機能である。

このため、MAツールを使いこなすために、最初に取り組まなければいけないことはルール作りということになる。このルールを、多くのMAツールではシナリオと呼んでいる。一般的なセグメント配信のような使い方も出来るが、それであれば高いMAツールを利用せずにもっと安価なメールの配信ツールを利用する事で十分なので、ここではセグメント配信以上にMAツールのシナリオでしかできないことを具体的に説明する。

MAツールのシナリオを作る!

上記の表は、あるECサイトのメルマガ送信に対する簡単なシナリオを示したものである。メルマガの送信に対して、クリックがあったか、個別商品ページへのアクセスがあったか、商品に対しるリマインドメールにアクセスがあったか、購入したかという4段階でYes/Noの条件分岐を作り、それぞれの結果に応じて次のアクションを決め、商品の購入に至るまで顧客に継続的に次のステップに進むことを促すシナリオになっている。

通常のセグメントメールというのは、顧客セグメント毎に、その志向に合わせたコンテンツを作成しコンテンツを出し分けるということをするが、MAツールにおけるシナリオは、それに追加して顧客の行動履歴をトリガーとして、何時、何のコンテンツを送るのかという点まで細かく設定可能である。このシナリオを一度設定してしまえば、あとは、MAツールがトリガーを引いた顧客に対して、自動的に事前に指定されたアクションを発動するため、Marketing Automationという名前がついているという分けである。

折角具体例を出したので、少し詳細に見てみよう。楽天をはじめとするECサイトでは、最近は以前よりは減ってきている傾向があるが、依然としてメルマガというのは有力なタッチポイントのひとつである。しかし、幾らセグメント配信して顧客の趣味嗜好にあったコンテンツを作成したとしても、何万人、何十万人、何百万人という膨大な顧客一人一人のニーズに対応することには限界がある。このため、このシナリオでは、メールマガジンを顧客がECサイトにアクセスして具体的な商品をみる切っ掛けとして活用する。ダイレクトで購入してくれればラッキーだが、そこまでは期待しない。

顧客がメルマガからECサイトにアクセス後は、Web上での行動履歴をトラッキングして、実際にどの商品を閲覧しているかを把握する。具体的に顧客がページを閲覧した商品であれば、おそらく顧客が購入を検討している可能性が高いと判断出来るからだ。複数商品を閲覧している場合は、例えば一番閲覧時間が長いとか、最後に閲覧していたとか何らかの判定基準をいれても良いかもしれない。そして、顧客が購入しそうな商品を判定したら、その商品のリマインドメールを顧客に送信することになる。このシナリオでは、リマインドメールは購入するまで3回送る設定にしている。

MAツールの活用で期待できる2つの効果

このMAツールを活用したシナリオの良い点は、大きく2つある。1つ目は、セグメントメールとの違いのところでも説明した、顧客の行動履歴をトリガーとしてコミュニケーションのタイミングがコントロールできるという事である。このBlogで何度もマーケティングの基本は、「何時、誰に、何をいうか」をコントロールするかであると申し上げてきたが、セグメントメールの場合は、「誰に」と「何を」をざっくり分けて、コントロールしていることになる。これに対して、MAツールを用いたシナリオでは、これに「何時」の要素を項目として追加しているだけでなく、「誰に」「何を」の部分の精度をOne to Oneで格段に上げることが可能になっている。マーケティングの基本要素のすべてを確実に向上させることができるようになっているわけである。当然、精度の高いシナリオを作ることが出来れば、通常は単純なセグメントメールよりも顧客の反応率が大幅に向上することが期待できる。

2つ目のメリットは、1つ目のメリットの反応率の向上の結果として実現できる。当然反応率が高くなるということは、同じ効果を上げるために必要な行動量(このケースの場合はメルマガの配信量)を削減することが可能となる。皆さんご存じのように、現在は大量のメールを送るとそのメールが迷惑メールと判定されるリスクも高くなるため、メールでのコミュニケーションは適切なタイミングで適切な量で行うことが顧客からも期待されている。しかし、行動量の効率が一定であるとすれば、当然行動量が減れば成果も減ると考えるのが自然である。このため、成果を維持しながら行動量を減らすためには当然効率を改善しなければいけない。この目的のため、MAツールの活用によるシナリオは有効である可能性が高い。なお、CRMの行動量については、非常にクリティカルな問題なので後日詳細に議論したい。

いずれにしても、MAツールのシナリオを活用したCRM施策は、上手く設定できれば、CRMマーケティングの効率の向上が期待できる。では、次に考えるべきは、どのようにすれば上手く設定できて、効果を上げることが出来るかである。

まずはPDCAを回しやすいシンプルなシナリオから

まず、大前提で理解すべきは、デジタルマーケティングではなんでもそうであるが、どんなにスキルが高い人がやったとしても、一発で正解にたどりつくことを期待しないことである。シナリオのメリットでも説明した通り、MAツールのシナリオは「誰に、何時、何を」の3つの項目の組み合わせをコントロールすることになるわけであるが、当然その組み合わせは非常に多い。その最適な組み合わせを一発で言い当てるのは、どんなに詳細な顧客分析をしても簡単には行かないと思っておいた方がよい。つまり、シナリオの精度向上においても行うべきはPDCAの高速回転である。この点は誰が何と言おうと絶対である。たまに、MAツールの導入コンサルをしてくれる会社に依頼してシナリオ設定を外注すればすぐにうまくいくと思っているマーケティング責任者がいるが、それは大きな間違いである。同業他社事例などをもとに若干の時間短縮にはなるかもしれないが、そのような一般的な業界標準的なレベルのシナリオを入れても競合優位性を獲得できるレベルの洗練されたシナリオが出来ることはほぼないと思った方がよい。

そのうえで、注意すべき点を述べる。それは、導入時は余り複雑に考えすぎずに、出来るだけシンプルに考えていくという事である。先ほど示したシナリオのサンプルは4階層のトリガーを作っていたが、説明の便宜上このような例を作ってみたが、最初のトライとしてはもしかしたら複雑すぎるかもしれない。このようなツールを導入すると、人間の嵯峨なのか、担当者は一生懸命考えて、最初から複雑なことを考えがちである。単純にそういうことを考えることが楽しいからかもしれないし、ツールの機能を使い切らないと宝の持ち腐れと思うからなのかもしれない。ただ、動機はともかく、最初から複雑なことをしようとするのは余りお勧めしない。理由は、まずこのような新しい施策を導入した際には、可能な限り初期段階で分かりやすい成果を出すことがよいと考えているからである。私の経験上、マーケティングのアイディアというのは基本的にはシンプルに考えたほうが初期フェーズの成果は出やすいことが多い。

私がこの話をするときにいつも用いるのが、楽天市場のマーケティングをしていて、One to Oneに顧客別に膨大な楽天市場の商品群から適切な商品をレコメンドするレコメンデーションエンジンを開発した際の話である。ECのレコメンデーションエンジンというのはおそらくAmazonが先駆者で相当初期からWebサイトに導入されていて、競合の私からみても非常に効果の高そうな機能であった。当時のAmazonはまだ、書籍とCD、DVDといったメディア系の商材を中心に扱っていた直販Onlyのサイトであったため、商品カタログもシンプルで、レコメンドの精度も比較的高く見えた。楽天でも当然そのような機能はあった方がよいよねという話になり開発したが、外部のツールを導入したかは忘れたが実装を検討し始めた。では効果検証の比較対象を何にするかといえば、それまで、特にセグメンテーションもせずに男女とか、年齢層とかくらいで出し分け配信していたPick Up商品みたいな枠であったと思う。当然、複雑な統計処理をしてOne to Oneでカスタマイズしたレコメンデーションエンジンでだしたコンテンツの方がクリック率や購入転換率は高かったと思う。でも、この時、誰かのアイディアで、同時にもう一つテストのパターンを追加していた。それは、楽天市場の買い物かごに一度入れたが、購入を途中でやめてしまった商品(買い物カゴ落ちの商品)を出してみようということであった。落ちとしては、最後に説明したカゴ落ち商品リストのパフォーマンスが圧倒的に高かった。この話が意味するところは、人間はどうしても高度な技術を使い、複雑な分析をした結果は常に良い結果を生むと考えがちであるが、実は論理的に考えて精度が高い可能性が高いシンプルなデータを用いた施策の方がパフォーマンスが多いことは結構多いということである。もちろん常にそうとは限らないが、カゴ落ち商品のように顧客の意思が相当強く反映されたデータの活用のような場合は、対して複雑な統計処理などしなくてもすでに強固にスクリーニングされたデータであり、それ以上の処理などいらないのだ。

MAツールの導入当初は、このカゴ落ち商品の例のように、ひとつかふたつのトリガーにするところから始める。その方が、おそらく結果も早く認識でき、チームのモチベーションも向上し、その後のPDCAの回転速度も加速しやすくなる。

シンプルに考える利点は効果検証のフェーズでも発揮される。複雑なシナリオを作る最大のリスクは実は効果検証のフェーズで現れることが多い。複雑なシナリオというのは、当然分岐の数が多くなる。分岐の数が多いということは、必然的に、一つ一つの分岐のパターンの対象となる対象人数が少なくなるという事である。こうなると以前説明したCRM施策が上手くいかない典型例にはまっていくことになる。要は、分岐パターン毎の対象人数が少なすぎて効果検証が出来なくなってしまうのだ。そうなると、そもそもシナリオのアイディアが悪いのか、分岐パターン毎に配信しているコンテンツが悪いのかなど、PDCAを回すためのプロセスが回せなくなってしまう。前述のとおり、最初から正解にたどり着くことはなく、PDCAを回していくことがMAツールでも絶対条件なので、このようなシナリオを最初に作ってしまうといきなり息詰まることになる。

PDCAサイクルを回す分析母数を確保する

効果検証しやすくするためのシナリオ設計にあたっては、シンプルにすることと同時に、もう一つ注意点があるので、補足しておく。これも考えれば当然なのであるが、分岐のパターンが多い方になるべく多く顧客が残るように設計できる方がよいということだ。その意味で私が例示したメルマガのシナリオは余り良いアイディアではないかもしれない。なぜなら分岐が複雑なメルマガクリックNoの方が普通のメルマガの場合は対象人数が圧倒的に少ないからである。最初の分岐で人数を絞ってしまうと、それ以降の分岐を増やすと益々分岐ごとの対象人数は減っていく。それは当然効果検証の困難さを伴うことになるわけだ。では、なぜ私が良い例をすぐに思いつけないのかというと、そもそもCRM施策の殆どの施策というのは、タッチポイントの獲得コストが安いのをよいことに、施策の初期段階(シナリオの上位階層)で顧客を大量に離脱させてしまうことが殆どだからである。この注意点の理想を実現するのは正直なかなか難しいが、常に頭の片隅に置いておくことをお勧めする。私の経験上、典型的に上手く行かない例は、シナリオの分岐を詳細に落とし込むために最初の階層でアンケートを取るという手法である。私の知る限り大規模な顧客DBにアンケートを配信して得られる回答率というのは良くて一桁%程度であるので、多くの場合9割以上の顧客を最初の分岐で落としてしまうことになる。このようなシナリオは、経験上殆どうまくいかないので、注意が必要である。

このように、最終的には複雑に組み上げられたMAのシナリオを目指しても良いと思うが、導入当初はなるべくシンプルに考えてほしい。大抵複雑なシナリオを時間をかけて作り、その複雑なシナリオをオペレーションするコンテンツを準備するということをしても、時間がかかったわりに、リターンが見えないことが多い。経験上、MAツール導入当初は、準備にかけた時間が長くなる=成果が見えにくくなるという反比例の関係と言っても言い過ぎではない気がしている。PDCAの回すデータを入手し、チームのモチベーションを高めるためにも注意が必要な点である。

ちなみに、このように書くのは、当然私自身もすんなりうまくいことよりも、同じような失敗を何度も経験敷いているからであることは付記しておく。最初に申し上げた通り、私の知っている範囲でいうと、MAツールを導入しても、投資回収できるレベルで使いこなせている企業というのは非常に少ないと少ないと思う。どの会社も少なくても導入当初は、社内の誰かは積極的に利用する前提で、意思をもって導入したはずである。少なくても、放置する前提で導入するような人はいないであろう。では、なぜ上手くいかないのかといえば、私はこの導入フェーズを真面目にやりすぎ、上手くいかなかった事でのモチベーションの低下のパターンが相当多いのではないかと推測する。どうせ直ぐに正解にたどり着くことはないのだ。であれば、もっとシンプルに、気楽にやってみる方が良いはずである。成果こそ、PDCAを加速させる最高のエネルギーなのだから。

ロイヤリティプログラム

差別化の難しい事業は別の方法でリテンションを高める必要がある

楽天のマーケティングを2002年に一人で始めた時に、一番最初に行ったことのひとつが楽天スーパーポイント(現楽天ポイント)のサービスの立上げであった。それから22年くらいが経とうとしていて、楽天のサービスを使うとき以外でも、様々なお店などで、楽天ポイントはお持ちですかと聞かれるようになって、ビジネス一人、開発プロデューサー一人、エンジニア数人という感じで数カ月で作ったサービスが、これほどまでに成長したのもなかなか凄いものだなとしみじみ感じてしまう。

楽天ポイントを作ろうと思った動機は以前にも少し述べたが、楽天市場を使うユーザーのLTVを最大化するというのが当初の目的であった。その後、楽天グループのサービスが多角化していき、楽天経済圏という一連のサービス群の連携のキーとして楽天ポイントが利用されるようになった。その最大の成功例が楽天カードであろう。ゼロから立ち上げて、わずか10数年で一気に日本で一番利用されるクレジットカードになってしまった。

今回は、少し昔の話を思い出しながら、ポイントをはじめとするロイヤリティプログラムについて議論しいたいと思う。ポイントをはじめとするロイヤリティプログラムの最大の目的は、顧客の囲い込みである。ロイヤリティプログラムを提供することで、自社のサービスを継続的に使うことを促す。2002年ごろに、ロイヤリティプログラムの代表例は航空会社のマイレージプログラムであった。それ以外でも、クレジットカード会社のポイントプログラムも比較的普及していたものであった。では、このようなサービスの特徴とは何であろうか?基本的に飛行機の移動とか、カードでの決済などのメインとなるサービスでの差別化が非常に困難で、顧客のサービス間のスイッチングコストが非常に低いことが上げられる。このような商品、サービスは、何らかの方法で一度獲得した顧客を囲い込み、他社のサービスを利用するインセンティブを下げなければならない。マーケティング用語ではリテンションを高めるという。では、このリテンションが低くなってしまうとどのようなデメリットが発生するのであろうか?

まず一番大きな問題は、価格の維持が困難になる。差別化のない商品というのは、結局どのブランドを使っても同じということなので、サービス選択における価格の占める重要度が高くなる傾向にある。このため、顧客のリテンションが低い状態を放置しておくと、サービスの値下げ競争に真正面から参戦しなければならなくなる。そのような状況になると当然利益率は下がっていき、事業の継続性が厳しくなる。最近は聞かなくなったが、10年くらい前までは国内外でよく航空会社が倒産したというニュースを耳にしたのはこの点が関係しているのだと思う。

もう一つ発生しうる問題は、どの企業も永遠と新規顧客の獲得数を増大させなければいけなくなるため、顧客獲得の競争が激しくなり、顧客獲得単価が高騰していくことになる。しかし、獲得した顧客のリテンションを上げる施策を同時に準備しておかないと折角高い獲得単価で獲得した顧客を早々に失うことになりかねない。そうなると、顧客獲得コストを回収できないので、この場合も収益性が悪化する要因となる。

まずリワードとベネフィットという基本構造を決定する

このような状況を解決するための有力な施策が顧客ロイヤリティプログラムであり、その代表例がポイントプログラムである。今回は、私が最も経験のあるポイント系のロイヤリティプログラムについて考えていく。

まずポイントプログラムを構成する基本的なファンクションは2つである。ひとつはサービスの利用に対してポイントを付与するリワード機能である。楽天市場であれば、基本は100円に対して1ポイント付与するというのがベーシックな設計である。今は、様々なポイント倍付キャンペーンみたいなものが作られているので、1%の還元というのは低そうな感じがするかもしれないが、2002年に始めた当時航空会社のマイレージやクレジットカードのポイントというのは、基本的に0.5%程度の還元率であったので、相対的には高い還元率になるように設計した。楽天市場の売上マージンは2-3%程度であったので、その意味でもこの1%の還元率というのは相当思い切った還元率であったのだが、ここはロイヤリティプログラムの魅力の向上と、説明の分かりやすさを重視して、結構すんなりと決まったと記憶している。

そして、ロイヤリティプログラムのもう一つの機能が獲得したポイントの利用である。ここではベネフィット機能と呼ぶことにする。楽天ポイントの例で100円1ポイントを1%還元と先走って述べてしまったが、楽天ポイントの場合は、1ポイント=1円で楽天市場での買い物に利用できるようにした。最低利用金額は確か100ポイントからであった。

実は、このポイントプログラムを作る時に重要なのは、このベネフィット機能の設計であったりする。ポイントプログラム自体のコスト構造は、リワード機能が決めるのではなく、ベネフィット機能が決定することになるからだ。

楽天ポイントの場合は、1ポイント=1円と設定したので、1%の還元率となったが、1ポイント=0.5円と設定すれば、それは0.5%の還元率となる。このようにベネフィットプログラムのポイントの価値の決定の仕方で、プログラムの収益性が決定される。

楽天ポイントの普及以降、ポイントを通貨的に利用できるロイヤリティプログラムが増えたが、2002年当時は、非常に珍しかった。

ロイヤリティプログラムとして最も規模が大きそうであった航空会社のロイヤリティプログラムのメインの特典は自社のサービスの利用=航空券のチケット(特典旅行)であった。実はこれは結構賢いベネフィットの提供の仕方である。なぜなら、航空会社のような箱ものビジネスの空席を特典として提供するというベネフィット提供は追加コストが発生しない。もちろん、本来であれば売れたであろう座席を無料で提供することになるため、機会損失が発生するリスクはあるが、おそらくこの辺もシーズナルな空席情報の過去データなどから特典旅行として提供する座席数はコントロールしているはずである。このため、繁忙期には特典旅行のチケットの枠が殆どないということが発生する。

それ以外のベネフィットの提供方法として一般的だったのは、商品との交換という手法である。最近はだいぶ減ってきたような気がするが、実はこれも賢い方法で、そもそもの金額感が明確でないものとの交換になるケースも多いため、明確な還元率が顧客に分からないことになるし、例えば1万円の商品を8,000円で仕入れて、1万円相当の商品と交換とすれば20%程度プログラムの運営コストを減らすことも可能である。

このような競合環境の中で、当時考えたのは、ポイントプログラムの価値を最大限高めるためには、このベネフィット機能の差別化を徹底的に図ることが最も重要であると考えた。このため、いま記載したような競合のベネフィット機能を徹底的に研究してプログラムをデザインした。

まず、ベネフィットプログラムの内容は徹底的に明確な方がよいと考えた。1ポイント=1円というのはそのような方針で決定した。次に考えたのは利用ハードルを下げることであった。100ポイントから利用可能としたが、競合するサービスは1,000円分のポイントからというケースが結構多かった。この点は、実は結構悩ましい部分であった。当初思ったのが、ポイントを利用しやすくしすぎると、ポイントを付与してもすぐに使われてしまい、ポイントの残高がなくなるとリテンション効果がなくなってしまうのではないかと心配したのだ。この点は、他のサービスを見ていても利用ハードルは高くする方が良いのではないかと思った。じつは航空会社のマイレージプログラムの特典旅行のチケットの金額と必要マイレージの関係を調べてみたところ、マイレージプログラムの場合は、マイレージをためて高額なチケットと交換すればするほど1マイルあたりの価値が高くなるという設計になっていた。これはマイレージプログラムの設計としては凄く合理的であるように思えた。なぜなら、良い還元率のベネフィットを得るためには長くサービスを利用し、多くのマイレージをためなければならず、それはすなわち自社のサービスを継続利用するという本来のロイヤリティプログラムの役割に一致するように思われたからである。

そのような視点で、プレゼント交換系のベネフィットプログラムを見てみると、なんとなく同様な感じもするし、1000円程度の自分でも買える商品をもらうよりも、あまり自分で買わないような高額な商品をお金を払うことなくもらえるようポイントをためるモチベーションを高めさせる事の方がリテンションが高まる気がした。

ロイヤリティプログラムの基本設計の2つの方向性とは?

先行事例を分析しながら、そもそもポイント系のロイヤリティプログラムの基本設計というのは大きく分けて2つの方向性があるのでは考えるようになった。①ポイントを貯めることでリテンションを高める設計、②ポイントの獲得と利用を高速回転してサービス利用頻度とリテンションの双方を高める設計の2つである。先行事例を見て、純粋にロイヤリティプログラム本来のリテンションを高めるだけの目的であれば①の方が効果が高くなる。ポイントを多くためればためるほど1ポイントの価値を高くすれば顧客は積極的により多くのポイントをためるようになる。当然自分のポイントの口座に多くのポイントが残っていれば他のサービスを利用するスイッチングコストも高くなる。しかし、①のプログラムの弱点は、サービスの利用頻度を上げる仕掛けが弱いことである。そもそも、航空会社のマイレージプログラムの場合、飛行機での移動という需要自体をロイヤリティプログラムで追加で発生させること自体は余り重点においているようには思えず、飛行機での移動という需要が発生した際に他社ではなく自社のサービスを使ってくださいという目的のプログラムであると考えれば、①のようなデザインの方が合理的であると理解できる。

一方で、楽天市場でポイントを導入する目的は、日々発生する買い物をするという人々の需要のうちの多くの部分を楽天市場での買い物に置き換えることである。そのように考えると、もちろんリテンションも重要であるが、それと同時に頻度高くサービス利用することを促す要素もサービスデザインに組み込むことが必要である。それを実現するためには、ベネフィットプログラムの利用ハードルを下げ、獲得したポイントを積極的に活用してサービス利用を促す②型の方が目的にフィットすると考えた。このように考えて、最終的には100ポイントから利用可能という低い利用ハードル設計にして、競合サービスと差別化を図ることにした。

ポイントの失効期間は顧客の利用サイクルから判断する

また、細かいがポイントプログラムを作るうえで、意外とコスト面で違いが出てくるのが、ポイントの有効期間の設計である。私の記憶では、楽天のポイントプログラムはサービス開始当初は資金決済法の範囲外として行っていたと記憶しているが、現状ではポイント系サービスを実施しようとすると、この法律の適用を検討せざるを得ないことが多いので、ポイント残高に対して供託金的な資金のストックが必要になることも多い。このため、ポイントの有効期限を設けないと、何時利用されるかわからないポイント残高のためにも資金を抑えておかなければいけないことになる。この状況を避けるためにポイントの有効期限を設けるわけだ。詳細は覚えていないが、おそらく会計的にはポイントの発行時点でコスト認識をするはずなので、ポイントの失効は収益として計算されることになる。このため、ポイントの失効はロイヤリティプログラムの運用コストの削減に繋がるわけだ。

しかし、ポイントの失効は、すなわちその顧客との関係性が喪失される、もしくは、希薄化することを意味するため、コストメリットを重視して失効を推進しすぎると、そもそもロイヤリティプログラムとしての意味をなさなくなる。この設計については、自社のサービスの目指すべき利用頻度を過去ユーザーの分析を行ったうえで理解したうえで設計することが求められる。例えば、年に1回利用するかどうかの顧客が多いサービス(たぶん航空会社とかはそれに近いかもしれない)ではポイントの有効期限が1年ではおそらく短すぎ、折角獲得した大半の顧客を失うことになりかねない。一方で、1年に1回利用するかどうかの顧客の比率が非常に引く、年1回程度の利用ユーザーのリテンションにはコストを使いたくないという業態であれば有効期間は1年未満でも問題ないことになる楽天市場の例もそうだし、地場の食品スーパーなどはその典型であろう。

最終的には、様々なデータ分析であるとか、競合の同種のプログラムであるとかを見ながら最終的なデザインを決めていくことになるが、大体ここで上げたポイントをもしポイントプログラムを作る時は考えてもらうと切っ掛けとしては良いのではないかと思う。

ちなみに、競合サービスを担当する人と突っ込んで話したことはないが、おそらく楽天ポイントの設計は、競合からすると結構嫌がられたのではないかと思っている。ポイントの還元率も高く、利用ハードルも低く、失効も余りさせないなど、ポイントプログラムのコスト構造としては、悪い=マーケティングコストが高い設定としたからである。仕事として詳細にみることがないので、印象レベルの話だが、大手企業の最近の各種ポイントプログラムを見ると基本設計は楽天スーパーポイントに近いサービスデザインになっているので、ポイントサービスとしての競争という意味で、もしかしたら楽天のポイントが、日本におけるポイントプログラムのスタンダードを設定してしまったのかもしれない。

ロイヤリティプログラムの運用:RFM分析を例に

ここまでで、ポイントプログラムの基本設計の考え方を説明してきたので、次のステップとして、このポイント機能を使ったロイヤリティプログラムの運用について簡単に紹介したい。なお、私自身はデータ分析のプロフェッショナルではないので、凄くベーシックな手法を紹介するが、これ以上詳細な検討をするのであれば専門の人材に当たってもらいたい。

ロイヤリティプログラムの設計をする上で、おそらくベーシックでポピュラーな分析手法は、RFM分析という手法である。R(Recency 最終購入日)、F(Frequency 購入頻度)、M(Monetary 購入金額)の3つの頭文字を取ってRFMである。例えば、ロイヤリティプログラムを、ゴールド、シルバー、レギュラーの3階層とかに分けるのであれば、RFMそれぞれの数字に基準値を作り、その条件をクリアした顧客が、それぞれの顧客ランクを付与され、それに見合った特典を得られるようにプログラムをデザインすることが必要となる。

プログラムの設計においてどの指標を重視するべきかという点については、実際のデータと、将来の目指すべき姿の2つを作りながら、そのGapが大きい項目を促進しやすい設計とする。例えば、顧客の利用が一定期間なくなると再利用率が著しく下がるというような数字が見えているのであれば、Rの数字はシルバーへのランクアップ条件として設定すべきである。例えば、顧客の一回当たりの利用金額はほぼ一定であるようなサービスにおいては、ランクアップの条件はMよりもFを重視した方がよいことになる。最近は見かけなくなった気がするが昔あった美容院のスタンプカードみたいなものはこの考え方に近い。なぜなら、1回あたりの利用金額は実施内容ごとにメニュー化されて決まっているからだ。一方で、基本的には一人当たりの利用頻度が大きければ一人当たりの購入金額も大きくなるのが一般的であるが、購入金額の額が利用頻度よりも、1回あたりの購入額の差で発生していることが多い場合はMを重視したロイヤリティプログラムの設計をすることになる。良い例かはよくわからないが、食品スーパーのロイヤリティプログラムでFを重視した設計とするが、毎回10円のうまい棒一本だけ買われてFをクリアしても100円とか200円とかにMがなってしまっても困るので、Mの値を適切な数値に設定しましょうという話かもしれない。

ロイヤル顧客育成のロードマップをデザインする

スキルのある人が顧客の利用履歴のデータを分析すると、例えば、1年でMが幾ら以上になると、それ以降購入金額の伸びが加速するであるとか、逆に利用頻度が月〇回以下になると翌月の利用がなくなる可能性が高いとか、顧客の利用の加速ポイントや、離脱ポイントが見えるようになるはずである。ロイヤリティプログラムの基本設計とは、利用者に離脱基準や利用加速基準となる地点までマーケティング施策で意図的に移行させる手法である。そのため、サービス設計時点では、顧客がロイヤル顧客になるためのロードマップを作成することがスタート地点となる。RFMのモデルというのは、昔から使う古されたものであるが、このロードマップ作成のための分析フレームワークとしては比較的有効であることが多い。顧客のデータというのは、例えば新規ユーザー獲得数であるとか、総購入者数であるとか、平均購入単価であるとか、合計数や平均数の数字は日常的にみることは多いが、顧客セグメント別の分析を細かく見る機会というのは、実はそれほど多くなかったりする。その意味で、一度時間をかけ、顧客のセグメント分析をしっかり行い、顧客育成のロードマップのフレームを作っておくことは、CRMチームの目標設定や目指すべきGoalを明確にする意味でも非常に有効である。

ここまで、ポイントプログラムのサービス設計とロイヤリティプログラムの設計までに考えるポイントの概略程度はご理解いただけたであろうか?ここまで整えてしまえば、基本的にはデジタルマーケティングの鉄板である、顧客を動かす方法をPDCAで様々な施策を試しながら、行っていくことになる。一つ一つの施策の例を言い始めるときりがないので、注意点を一点だけ申し上げて終わりとしたい。RFMでもなんでも分析のフレームワークは良いと思われるものでやれば良いと思うが、RFMであれば、CRMの施策で実施するひとつひとつについて、必ずR.F.M.のどの指標を動かすのかというのを見定めて施策実施をするのを忘れないようにしてほしい。CRM施策というのは、どうしても分析が甘くなりがちなので、折角自社の顧客を動かすための顧客理解の基本フレームを作ったら、それを単発の理解に終わらせずに、そのフレームをもとに必ず顧客を継続的に理解するようにしてほしい。よくあるケースは、ECであればメールマガジン毎の売上高の多い少ないで一喜一憂し、多いメルマガはOKで悪いものはNGのような短絡的な判断をしないという事である。もしかしたら、売上の低いメルマガに、RやFを改善できているものが含まれているかもしれないからである。Mを見ない人はほとんどいないと思うが、RやFのような指標は忘れがちなので注意してもらいたい。

CRMの可能性

CRMの進化は遅い?

22年前に楽天のマーケティングを始めた時の話を自己紹介で書いたが、その時からマーケティングにおいて最も大事なことは顧客LTVの最大化だと思っている。自社の顧客LTVが対競合比で高ければ高いほど、その会社は高い単価で、多くの顧客を獲得するチャンスが出来るわけなので、事業成長の可能性が広がるのはほぼ間違いない。

では、この22年の間に、デジタルマーケティングの世界において、Googleを中心としたデジタル広告の発展と比較して、CRMがマーケティングの現場がどれだけ高度化してきたかといわれれば、実は大きく劣っていると思う。

ゲームアプリの世界のCRMというのは、どちらかというとマーケティングの領域ではなく、日々のゲーム内のイベントを実施したり、新しいアイテムやキャラクターを投入したりというゲームバランス、ゲーム運営の領域の側面が強いため、実は8年間ゲーム会社でマーケティングをしている間は、もちろん各タイトルのゲーム内でどのような運営を行っているのかは把握していたが、主体的にCRMマーケティングを突っ込んで行っていたわけではなかった。8年のブランクの後、トライトに転職したときに、最初に取り組んだことのひとつが、実はCRMの強化だった。その当時のCRMチームは人数も予算も少なく、大きな予算を使うデジタル広告の運用チームの隣で、細々と既存の顧客DBに対してメールやSMSを送って、転職活動を再開している人を獲得するという活動をしていた。これは、実際にその業務をしていたメンバー自身が私に言ってくれたことなので、個人の批判でもなんでもないが、当時のトライトのCRMチームのやっていたことは、ベーシックな施策のみで、MAツールを導入していても使いこなせているとはとても言えるような状況でもなかった。

ただ、よくよく数字をみてみると、実現しているKPIの数字はデジタル広告よりも遥かに効率がよかったため、ここはポテンシャルがあると判断して、結局3年半でCRMのマーケティング予算は10倍以上まで拡大させた。

そうこうしているうちに、最初はMAツールのベーシックなシナリオ構築みたいなことから始めてCRM業界の勉強会で教えてもらうばかりであったメンバーが、勉強会で自社の事例を話してほしいと依頼されるようなになってきた。おそらく、CRMの世界でもある程度クオリティの高い施策ができるようになったといえる証拠であろう。

楽天をやめてから、こんな感じでCRMに関わってきて思ったのは、他社から事例紹介を依頼されるようになったとはいえ、正直CRMの世界というのは、デジタル広告に比べて、まだまだ改善の余地があるということである。

CRMの高度化には個別企業のスキル向上が不可欠

では、なぜデジタル広告の高度化のスピードと比較してCRMは進化のスピードが遅いのであろうか?

ひとつはCRMマーケティングを高度化するプレーヤーの違いであると思う。デジタル広告をこの20年でここまで高度化してきたのは間違いなくGoogleである。では彼らがどのようにしてデジタル広告を高度化してきたのかといえば、Googleが、自社で保有するインターネットユーザーの行動履歴情報という巨大なBig Dataと、広告クライアントが提供する獲得したいユーザーの情報をAIでマッチングするシステムをひたすら高度化し、精度を上げることを絶え間なく行ってきた。つまり、AIがBig Dataを活用して、ターゲットユーザーとのマッチング精度を改善してきたわけだ。

このプロセスの最大のポイントは、この精度の改善をGoogle自身が行うことができた事であると思う。彼らが、巨大なユーザーの行動履歴情報を収集できるプラットフォームを自社で展開することが出来き、さらにそれを拡大し続けることが出来たため、他社に依存せずに自己完結的にこのプロセスを推進することが出来たわけである。

一方で、CRMを同じ視点で考えると、状況がだいぶ違うということになる。おそらくCRMの高度化を考えるときもディレクションは同じであると思う。Big Dataに蓄積された顧客情報の中からその時に動かししたいユーザーをピックアップするというマッチングをAI等を用いて高度化していくというのが、あるべき方向性であると思う。しかし、デジタル広告と大きく異なる点は、Big Dataのある場所である。デジタル広告の場合はこのDataがGoogleやMetaなどのメディア側に蓄積され、利用可能であったのと比較して、CRMの顧客情報は個々の企業において蓄積されており、個人情報保護法等の関連法規の問題もあり、外部企業が利用可能にするためには非常に高いハードルを越えなければいけない状況にある。

このため、CRMを高度化しようとすると、まず主体がGoogle等の巨大なIT企業ではなく、それらの企業とは規模もテクニカルなスキルも遥かにおとる個別企業になってしまう。こうなると、当然高度化のスピードが遅くなる。

では、個別企業がそれを出来ないのであれば、どこかの企業がツールみたいなものを作って、それを皆が利用すればいいのではという発想になる。そのアイディアが形になったものが、MarketoとかSalesforceのMarketing CloudのようなMAツールとかKarteみたいなWeb接客ツールであったりする。しかし、私が見たところ、CRMのツールの現状には、デジタル広告と比較して2つのGAPがある。ひとつは、そもそも各企業の顧客DBが全く汎用的ではなく、個々の企業によってDBの構成がバラバラであるため、それに汎用的に対応可能なお手軽なMAツールのようなものを提供することがほぼ不可能であるということである。どこに、どのようなデータがあって、それをどのように活用すると実施したい施策を実現できるのかが個々の企業ですべて異なる状況であるため、そもそも、Googleほど高度化されたAIによるマッチングのレベルにはこれらのツールは到底達していない。正直、まだ主流はAIが本格的に組み込まれておらず、シナリオベース、ルールベースのものである。

しかも、私が見たり聞いたりしている限りでは、MAツールを導入している多くの会社で、そのシナリオベースのツールすらまともに使いこなすことが出来ていない。昔のトライトも正直そうであったが、それなりの金額を支払って導入しているツールが、導入時にちょろっと作ったシナリオが少し動いているだけで、後はお高いメール配信ツールになってしまっているなどというケースは結構あるのではないかと思う。

CRMが高度化しなくても効率が良い理由

では、それが何故そのような状態のまま大きな改善活動もなく維持されてしまっているのか、それは私はCRMのパフォーマンスがそれでも新規ユーザー獲得のデジタルマーケティングよりも効率が良いからなのではないかと思っている。コトラーの伝統的マーケティングでは新規顧客へのマーケティングコストは既存顧客へのマーケティングコストの5倍かかるとか言われている(どうやって調べたのか知らないが)。まあ、その統計がどの程度正しいのかは別にして、私の経験上も既存向け施策の単価の方が新規顧客向けの単価よりもかなり安いという点には同意する。しかし、ここまで述べてきたように、その施策の高度化、洗練度のレベルでいうと、新規向けの施策の方がかなり洗練されていることが殆どである。それでもパフォーマンスがよいため、CRMはもっと改善の余地はあるが、とりあえずこの程度でよいという話で落ち着いてしまっていることが、結構多いのではないかという気がしている。

では、なぜCRMは効率が良いのであろうか?それは、既存顧客向けのCRM活動は新規顧客向けの広告と比較して、圧倒的にタッチポイント構築のための接触コストが低いことが要因だと思われる。代表的な例がメールの配信コストである。メールの配信コストは自社でツールを作ってしまえばサーバー費用分くらいしか費用くらいしかかからないし、外部のツールを使っても、一通の配信単価は1円よりも遥かに安い。それであれば、1万人に接触しても1万円にもならない。そうなると、ある程度効率が悪い運用をしても、既存顧客の獲得単価は、新規顧客と比較して相当安くできるのだと思っている。

このようにCRMの分野というのは、そもそもGoogleのような巨大な企業による集約的な活動によって精度向上するのではなく、個々の企業の施策の高度化が要求されることにより改善スピードが遅くなる構造的な問題があること。そして、その問題が、改善しなくてもパフォーマンスがそれほど悪くないため、問題視されていないこと。この2つの理由により、多少10年前よりは精度は高くなったとはいえ、正直デジタル広告と比べればそのスピードはかなり遅くなっていると私は考えている。

CRM高度化にしなければいけない2つのこと

そして、この私の仮説が正しいのであれば、CRMというマーケティングのエリアは実はこれまで以上に重視され、強化されるべき分野なのではないかと考えている。では、具体的には何をすれば良いのだろうか?基本的にはデジタル広告と同じことをすればよいはずである。ひとつは、徹底したデータ分析による顧客理解の精度向上である。はっきり言って、多くの事業会社においてこのエリアの施策精度はデジタル広告と比較すると相当に低いことが多いというのは私の見立てである。はっきり言って、このレベルをGoogleやMetaがやっているレベルまで個々の企業が高度化するのは現実的には相当難しいと思っている。ただ、すぐには難しくても、個々の企業は何としてでもこの精度向上には取り組まなければならない。

そして、もう一つの重要な課題は、その顧客理解のもとに、適切なタイミングでタッチポイントをつくり、適切なコンテンツを配信するというオペレーションスキームを構築するということである。どれだけ顧客分析を深く細かくしたとしても、その顧客理解に即して、適切なタイミングで適切なコミュニケーションを行えなければ、その顧客理解はマーケティング的にはほぼ意味をなさないからである。

別にこの話はCRMに限らずマーケティング的には当然の話なのであるが、実はデジタル広告の分野では、広告メディアがこのあたりのオペレーションツールを開発して、その運用ノウハウも整備しているため、事業会社のマーケターというのは、この業務をなんとなく広告の運用ツールの使い方として実行してしまっている。しかし、CRMの場合は、顧客理解とその理解に基づいたコミュニケーションの精度向上のオペレーションを事業会社が自分で行わなければいけない。このため、本当に同レベルでマーケティングをしようと思うと、おそらくデジタル広告の運用をするよりも、CRMのオペレーションを行う方が遥かに高いスキルを要求されるのである。

CRMのオペレーションスキームを作るのは難しい!

私自身の失敗例も含めて、CRMが上手くいかないケースは、実はデータの分析の精度よりも、後者のコミュニケーション精度向上のオペレーションが回らないことによって発生することの方が多い。実は、データ分析というのは、分析を細かくしてセグメントとかクラスタとか言われる傾向が近しい顧客群を細分化していく作業というのは比較的容易に出来てしまう。分析するパラメータの数を増やせばその選択肢の数分掛け算でパターンが分かれていくからである。簡単なデモグラ分析でも、10代から50代までの年代×性別で5×2=10パターンが作れる。私が直近で仕事をした人材紹介などでは、北海道の人が東京の仕事に応募することは普通は起こらないためエリアのセグメンテーションが重要なのだが、例えばこの10パターンを県別でセグメント分けしようとすると、10×47=470とおりになる。みたいな感じである。年齢と性別と県だけでもこんな調子なので、顧客セグメントを100とか1000とかにするのは実は簡単なのである。知らない人が、自社の顧客を1000のパターンに分類して詳細に特徴を分析しましたとか聞くと、物凄い精緻な分析をしているように聞こえるかもしれないが、私から言わせれば、別に大したことはないのである。

では、CRMがどこで躓くのかというと、その細かく分けたセグメンテーションに対して、どのタイミングで、何をすると良いのかというオペレーションを回す部分である。まず、単純に先ほどの人材の例で、年代×性別×都道府県=470とおりのセグメント分けをしたとして、それぞれの顧客に適切な転職案件を紹介するメルマガを作りましょうといっただけでも、470種類のメルマガを準備しなければいけないことになる。単純に考えても相当面倒である。おそらく人海戦術ではすでに不可能であろう。これに、例えば、希望職種の情報を登録時に取っていて20個ある職種で分けましょうとなると、おそらく手に負えなくなる。470×20=9,400通りである。これを週1でやりましょうとか言ったら、100%人手では難しい。ただ、この辺のツールはシステム部門と相談して作ってもらい、何とか9,400通りのメルマガコンテンツを作って配信するところまで漕ぎ着けるかもしれない。これで一件落着であろうか?

実は全くそうではない。この事例の企業の顧客DBには例えば100万人分のメールアドレスが蓄積されているとしよう。私の経験上、100万人規模のメルマガを送って、1%程度転職意思表示をしてくれたとしたら、そのメルマガの効果は相当優秀である。では、100万人に9,400通りのメルマガを配信したらどうなるだろうか、1パターンで配信される対象者数は100人程度であるので、1パターンで転換するユーザー数は1%の確率だとすると一人いるかいないかである。つまり、細かく分類しすぎると、今度は実行できたとしても効果検証が非常に難しくなってしまうのである。このような状況になると、大抵のCRMチームは途方に暮れて立ち止まってしまう。よくある悪いケースは、データ分析チームは一生懸命作ったデータをオペレーションチームが使ってくれないと不満をためるし、オペレーションチームは使えるデータを分析チームが作ってくれないと不満をためる。典型的なCRMあるあるな状況である。

私は、CRMはデジタルマーケティングにおける重要な改善エリアであると思っていると述べたが、実はすぐに劇的に良くなるエリアであるとは思っていない。たぶんこれから5-10年くらいかけて精度を向上させていかなければいけないのだと思う。それを普通にやっている企業ではなく、相当リソースをかけて、精緻に取り組んだ場合においてである。オペレーションまで考えると、CRMを一気に精度Upすることはたぶん難しいであろう。チームのモチベーションをキープしたまま、精緻なPDCAを回すためには、しっかりしたプランニングとディレクションが不可欠なエリアだと思う。

しかし、競合企業と比較して相対的に規模の大きく、質の高い顧客DBを構築し、それをFullに活用できるCRMオペレーションを構築できれば、その企業にとって圧倒的な差別化のポイントになるのは間違いない。次回からはCRM戦略を成功させるうえで重要だと思うポイントを検討していくことにする。

Full Funnel Marketingの実践(2024年版)

ここまで、Full Funnel Marketingの理解や実践のためのポイントを説明して来たが、最後に、現時点での私が良いと思っている具体的な手法を記載して終わりにしたい。2024年版としているがこの分野はまだまだ発展途上なので、以下で述べる具体的な方法が本ブログの議論の中では最も日進月歩で変わっていく可能性が高いためである。ただし、私自身独立してしまい、今後どの程度Full Funnel Marketingの実践ができるかちょっと分からないので、25年以降順調にUpdate出来るかどうかは現時点では不明である。

自社に適した小さな実験の基本単位を確立する

最初のステップとして絶対にやるべきなのは、自社にあった小さく実験する方法を何とか見つける事である。具体的なアイディアは前回述べたので、そちらを参考にしてもらえればと思う。これが必ず必要な理由は、この小さな実験がその後実施するPDCAの基礎的な単位となり、継続してFull Funnel Marketing施策を実施していく時の効果検証の基準ともなるからである。もちろん、この最初のステップの正解が、一発のテストで見つかる可能性は低いが、粘り強く試してみることを強く勧める。

なお、最初のステップを実行する場としては、Youtubeを使うことを強く推奨する。別にGoogleから何かをもらっているわけではないが、圧倒的なトラフィックと、Google自身が保有する巨大な顧客データがあるため、かなり細かいターゲティングをしても、Upper&Middle Funnel施策の効果の検証が出来る程度のユーザー母数の確保をできる可能性が高い。逆に言えば、Youtubeで十分なユーザー母数を確保できないような細かいセグメンテーションをそれ以外の媒体で行おうとしても私の経験上では難しいと思う。

また、Youtubeを使うもう一つの利点は、Googleの商品であるため比較的トラッキングできる項目が多いこともあげられる。

最後に、Youtubeの良い点は、セグメントの切り方にもよるが、私がこれまで様々な媒体を見てきた経験では、細かいセグメントのリーチ単価が最も安くなるケースがおおいことである。これは、実施する際に広告代理店にシミュレーションしてもらうと良いと思うが、大抵そうなると思う。

指名検索リフトを基準にROIを算定する

ROIを計算する手法としては、指名検索の増加量をある程度基準にするのがよいと思う。この手法はすでにデジタル系の総合代理店内では主流になってきている。以前も少し言及したが、指名検索がよさそうな理由は、①そもそもブランドが認知されなければ上昇しない数値であること、②Googleの様々なツール(リスティング広告のデータや、GA4,サーチコンソールなど)を駆使すれば指名検索数と売上・利益の連動性を試算するモデルを構築できる可能性が高いこと、③指名検索から入ってきたユーザーというのは少なくてもそのブランドに好意、興味を持って検索してくれている可能性が高いので売上に転換できる可能性が高く、マーケティングの効果を出すという意味でも方向性として間違ってはいないと思われること。の3点くらいが指名検索をROI算定のキーとすることをお勧めする理由である。

ROIの基準としては、私としては100%を越えればよいと思っている。理由はUpper &MiddleFunnelのテストの初期段階の目的は、その施策で大きな利益を出すことをではなく、赤字が出ない範囲で継続的にPDCAを回せるようにすることを重視すべきだと考えているからである。私の経験では、ROIを高くすることを追求しすぎると、動画を使ったBottom Funnel施策と差異がなくなっていくことが多い。理由は、おそらく指名検索を増やそうとすると、実は既存ブランド認知層にターゲティングを絞り込む方が効率がよいため、やればやるほどターゲティングが認知層へと偏っていってしまうからはないかと感じている。そのチェックとしては、ある一定以上のYoutube投資をすると利用できるサーチリフト(サーチ回数の広告接触者と広告非接触者との差)とブランドリフト(認知度の広告接触者と広告非接触者との差)の調査結果をみて、サーチリフトが高いのに、ブランドリフトの効果が小さいという状態になっていないかチェックしてみることを勧める。サーチリフトとブランドリフトが同様に改善していれば、そのFull Funnel施策のディレクションはある程度的を外していないと考えてよいと思う。

ROIは100%を超えれば良しとする

また、ROI100%はマーケティング外の経営陣の期待値のコントロールとしても非常に重要だと考えている。この期待値を高くしすぎる=すぐに結果が出るという前提条件が施策開始前に出来てしまうと、その目標を外すたびに、そもそも意味があるのか議論が再発する恐れがある。長期的に間違いなく必要になるという確信がマーケティング責任者にあるのであれば、着実にPDCAを回せる環境の堅持に努力すべきであると思う。

また、ROI100%を実現できていれば、Full Funnel施策の指名検索以外の効果は効果算定に入れていないため、実質的にはそれ以上の効果が出ており、ポジティブな結果が得られる可能性が高いと考えている。指名検索数増以外のFull Funnelの効果としては、将来の指名検索増、ブランド認知や好意度の向上によるデジタル広告のCTRやCVRの改善等である。これらの効果は徐々に蓄積され効果を発揮する数値なので、私も何度もトライしたが、短期の成果として計測することは非常に難しいと思っている。しかし、継続して施策を行っていれば、長期的には効果が発現する可能性が高いので、それを信じられるのであれば、100%でも十分なのではないかと思う。

ROIの算定期間は自社のビジネスに合わせて

なお、ROIを算定するときにいつも議論になるのは、施策の効果期間をどの程度で設定するかというポイントである。私はこれを「のこり香」と呼んでいる。前述の長期的な蓄積効果の話をすると、当然長い方が効果は高くなるのであるが、あまり長く取りすぎるとBottom Funnelも含めた複数の施策の効果がドンドン積みあがってしまい、施策毎の効果検証結果がMECEではなくなってしまうので、慎重に検討してほしい。ただ、これは一概にどのくらいの期間で計測するのが良いとは正直言いにくいので、自社のビジネスに合わせて検討してほしい。以前に話したゲームと人材の違いのように認知から購入までのリードタイムの長さをある程度考慮しなければいけないと思っている。当然転換のリードタイムが短いものも「のこり香」も短いが、転職のような業種ではある程度長いのではないかと思う。

クリエイティブは大きなテストをする前に可能な限りテストする

また、Upper&Middle Funnel施策で非常に重要なクリエイティブについてもいくつか言及しておく。まず、クリエイティブは一発勝負のギャンブルにならないように、小さなテスト段階で複数パターンをテストすることをお勧めする。Upper&Middle Funnelの場合、Bottom Funnelと異なり同時並行で大量のクリエイティブを配信することが難しいケースが多いため、1回のキャンペーンに対して1-3個程度の少数精鋭のクリエイティブで勝負せざるを得ないことが多い。1パターンで勝負せざるを得ない場合など、そのクリエイティブを外してしまうと幾ら媒体費を使っても全く効果が上がらないというような悲惨なことになるケースも多い。そうならないためにも、クリエイティブの精度は大規模な投資をする前の小規模テストの段階で確認出来ている方がよい。新商品の発売や期間指定で開始されるキャンペーンの告知の場合などはなかなか難しいが、可能な状況であれば、是非検討して欲しい。

具体的なクリエイティブの内容については特にここでは言及しないが、またGoogleかと言われるかもしれないが、彼らが最近推奨しているクリエイティブ作成のためのABDCフレームワークはそこまでスキルの高くない人でも理解しやすくチェックもしやすいため、自社のクリエイティブのチェックリスト的に参考にしたほうが良いのではないかと思う。

階層間のバランスはコツコツPDCAを回して正解を見るけつしかない

最後に、私が分かっていないことを書いても何も参考にならないかもしれないが、Full Funnel Marketingを実施する上で、最も難しく、おそらく世界中で誰も正解を見つけていないのではないかと思っていることを書いておきたい。つまり、これから書くことの正解が分からずに悩んでいるマーケターには、「安心していいですよ、たぶん誰も分からないので!」ということをお伝えしたいという意図だとご理解いただきたい。

それは、Full Funnelの各階層に幾らずつ予算を配分して、Full Funnel全体のバランスをどのように取るのかを導き出すフレームワークのような便利なものがないかという話である。私自身もそれをどのようにすればよいのは、この10年くらいずっと悩んできた。部下や代理店、メディアと議論しながら、何か良いアイディアはないかと考え続けている。結論としては、そのような便利なフレームワークはどうやらどこにも存在しないようだ。やはり問題は、Upper&Middle Funnelの効果検証の困難さがここでも影響しているような気がする。MMM(マーケティング ミックス モデリング)という手法をここ数年耳にするようになったが、私が聞いている感じでいうと、ひとつのFunnelの階層、つまり、認知施策の階層内の複数施策の最適バランスのモデリングには使えるという事であるが(ちょっと私は勉強不足で、これもやったことがない)、階層間のマーケティングミックスを導き出すようなフレームワークとしては、まだまだ実用性は低いということであった。現実的には、自社のブランドや商品の各種リサーチ結果を見ながら、各階層のどこにボトルネックがあるのかを慎重に分析し、全体の予算を徐々にそのボトルネックにシフトして行くということを繰り返しながら、正解を見つけに行くというPDCAのプロセスを繰り返すという王道を進むしかない気がしている。ただ、Full Funnel Marketingは同時並行で複数の施策が絡み合う複雑さに比較して、Bottom Funnelほど高頻度でPDCAを回すことが現実的に非常に難しい。このこともFull Funnel Marketingの正解への到達が長い道のりになりがちな大きな理由である。

Full Funnel Marketingは、Bottom Funnelに慣れてしまうとどうしても結果が見えにくいためフラストレーションがたまる部分は大きい。ただ、その分かりにくさ、困難さの分だけ遣り甲斐は非常にあるエリアであるし、デジタルネイティブなFull Funnel Marketingというのはまだまだ発展途上の領域であると思うので、自分も含めて悩みながら、チャレンジしていきたい分野である。

Upper &Middle Funnel施策の費用対効果

Upper &Middle Funnel施策の効果検証が困難な理由

Upper &Middle Funnel施策はROIが把握しにくいことがBottom Funnel中心にマーケティング活動をしてきた企業にはハードルが高いことの最大の理由であると前回言及した。それではそもそもなぜ難しいのであろうか?それが分かれば解決できる方法もあるかもしれないので、ここではその理由を改めて考え、それを乗り越える方法を見つけ出していきたい。

原因として考えられる代表的なものは以下のとおりである。

  • オフライン施策だとそもそも成果トラッキングが出来ない
  • ファネルの階層間の転換のトラッキングが困難
  • 施策実施から顧客化までのリードタイムが長い場合がある
  • 複数の施策の効果の切り分けができない
  • 小さな実験が行いにくい

オフライン施策だとそもそも成果トラッキングが出来ない

まず最大の問題点は、TVCMを始めとしたオフライン施策だとそもそも成果のトラッキングが出来ないという事であろう。また、Youtubeなどのオンライン施策であっても、認知系の施策であると広告を見たかどうかが施策の目的であったりして、広告経由で商品購入者や会員登録したひとの数をトラッキングしてもそもそも意味がなかったりするため、成果の把握が難しい。

また、技術的にトラッキングが出来ないのみでなく、そもそも例えばUpper Funnelの認知度の上昇が、どのようにBottom FunnelのKPIの向上として成果認識されるのかを把握すること難しいということも施策の評価を困難にしている大きな原因になっている。

ファネルの階層間の移動のトラッキングが困難

例えば、Upper Funnel向けに認知施策を実施したとして、認知率が改善したとする。その次にMiddle Funnel向けに商品理解を促進する施策を行い、商品の購入意向のリサーチ結果が改善したとする。しかし、Bottom Funnelの購入者数のKPIは両期間とも改善しない。みたいなことは良くある話である。よくあるプランニング時の仮説は、購入意向者数/認知者数=購入意向転換率、購入者数/購入意向者数=購入転換率を過去データから導き出し、認知施策をする場合には、認知者数増×購入意向転換率×購入転換率=購入者増という計算式で認知率がこのくらい増えるといくらくらい売上が増え、ROIがこのくらいになるという試算を出して施策を実施する。しかし、認知率の上昇が想定通りに起こったとしても、購入者が想定通り増えないことも多い。消費財メーカー等で常にリサーチ予算が大規模にあり継続的にリサーチを実施できるような企業であれば、3つの階層の連動性の解釈の仕方が理解できるかもしれないが、Bottom Funnel中心にマーケティングを行ってきた企業はそこまで継続的で詳細なデータがないことが多い。このためスナップショット的にとったデータで判断しなければいけないが、正確性の評価も難しいし、その各段階の数値の連動するメカニズムを理解するのも非常に困難である。

その結果に起こることは、いづれにしても不幸な2パターンである。致し方ないものとして認知率の向上を目的化して投資をつづけるか、意味がないものとしてUpper Funnel施策をやめてしまうかのような話になる。

施策実施から顧客化までのリードタイムが長い場合がある

Upper &Middle Funnel施策の評価が困難であるもう一つの大きな理由として、Upper→Middle→Bottomの階層間の移動が商品・サービスによってリードタイムが異なることも考えられる。このため、Full Funnel Marketingを実施するマーケターは自社のビジネスの特性をきちんと理解する必要がある。私が経験した業種を例に説明すると、例えばFree to Playのモバイルアプリのような商品は、Installは無料であるため顧客獲得のハードルは比較的低い。このような特性の商品は一般的に階層間の移動のリードタイムは短めに出ることが多い。それと比較して、人材業の転職のようなサービスはリードタイムは長い。何らかの転職サービスの広告を見てサービス名を認知したとしてもそのタイミングで転職をするつもりがなければ、利用意向も高くならないし、当然会員登録などもしないことが多い。当然、前者のリードタイムの短い商品は認知からサービス利用を短期間で測定できるため、相対的にROIの算定が容易であるが、後者の場合は施策効果の判定のハードルは相対的に高くなる。

複数の施策の効果の切り分けができない

特に、新商品の発売のタイミングのようにFull Funnel Marketingの施策を同時並行で複数走らせるような状況でよく発生するのが、施策ごとの効果の切り分けの問題である。もちろんスキルのあるマーケーターであれば、複数ある施策のそれぞれの主たる目的を設定し、ファネルの各階層に施策をマッピングして、トータルのデザインをするくらいのことはするであろう。しかし、問題は個別の施策のトラッキングが難しいため、どの施策がどの項目の改善にどのくらい影響したのかが判定できないことが多い。マーケティングのPDCAを回す場合は、当然個々の施策の効果検証が出来なければいけないが、残念ながらそれが難しいケースが多いのだ。代替手段としてよくある手法は、「このサービスをどこで知りましたか?」「このサービスを利用しようと思った切っ掛けは何ですか?」のようなリサーチである。しかし、この手法は、ユーザーの主観にかなり依存した結果で、よほど大規模なリサーチでない限り、結果の正確性がどの程度なのかは疑わしいため参考程度にしか使えないことが多い。もちろんそれ以外の方法も思いつかないないので、参考のデータとして取得する意味はあるとは思うが。

小さな実験が行いにくい

PDCAの高速回転の秘訣は小さな失敗を早く、意図を持って行う事であると以前に話したが、Full Funnel Marketingはこの「小さな」を実行することが難しいことが多い。例えば、Upper Funnelの施策を考えても、すでに長年Bottom Funnelに投資をしてきて、それなりの規模になって、サービスの認知がそこそこの規模であったりすると、その認知率を数%向上させようと思っても、Bottom Funnelの実験と比較して相対的に大きな金額が必要になることが殆どである。Upper &Middle Funnel施策で最も意味がないのは小さくやりすぎて認知率や購入意向率のような各階層のダイレクトなKPIの変化すら生じない場合で、これだとROIの正確性云々のレベルでなく、駄目だったということが分かったという以外、ほぼ意味がないことになってしまう。このため、小さな実験の規模がBottom Funnelと比較して大きくなることは許容せざるを得ないが、そうなると当然実験を行うこと自体のハードルが上がってしまう。これがFull Funnel施策の実施のハードルが上がることと、実施出来たとしても正解に至るまでの時間が長くかかることの原因になる。一言でいえばPDCAの高速回転という鉄板の成功手法が活用出来ないのである。

ここで上げた5つはあらゆる業種に当てはまるものもあれば、当てはまらないものもあるが、おそらくどの業種においてもこの5つのポイントのいくつかが組み合わさって、自社のFull Funnel Marketingの展開を困難にしている原因を作っているはずである。Full Funnel Marketingを実施したいと考えるマーケティング責任者は、自社のビジネスの特徴を理解し、どの問題点をクリアする必要があるのかをまず始めに認識することから始めてもらいたい。

それでも何とかUpper &Middle Funnelの効果測定をする

では、問題点を説明したところで、予告通り、完全に解決できるわけではないが、問題を改善するためのアイディアをいくつか提示したい。

期間差分をもとにBottom Funnelの効果を算出する方法

これは、Funnelの階層間の移動のリードタイムが短い業種には非常に有効な手法である。具体的には、例えばUpper &Middle Funnel施策としてTVCMを一定期間配信する場合、TVCM配信期間と、TVCMを配信していない期間の2つの期間のBottom Funnelの変化量の差分をTVCM施策の成果として効果検証をする方法である。もちろん、2つの期間の間に、TVCM以外の要因によるパフォーマンスの差が発生してしまうとこの分析は意味をなさなくなってしまうので、比較対象とする期間の選択は慎重に行わなければならない。

先ほど紹介したゲームアプリではこの方法によりある程度信頼できそうなデータを得ることは出来ていた。私はそこまで大量のTVCMの投下をしなかったが、知り合いのTVCMを多用していた企業から聞いた話では、TVCMを打つ時間帯の評価のために、1時間ごとに差分を取り有効な時間帯の評価することが出来たという話を聞いたことがある。

この1時間ごとの分析が本当に有効なのであれば、やはり無料のアプリゲームのような商材は、認知からインストールまでのリードタイムが非常に短く、ほぼ同時に発生していると推測される。このため、そのような特性を持つ業種の方にはかなり有効な解決策になる可能性が高い。

セグメントを細かく切る

セグメントの切り方を工夫してUpper&Middle施策を実施することによって、業種ごとに異なる効果検証の困難さを改善することは可能である。この手法は、セグメントの切り方によってはある程度どのような業種にも適用可能な改善策となる。この手法の現実味が増してきている理由は、Upper&Middle Funnel施策にYoutubeをはじめとするデジタル媒体が使える目途がこの数年でついてきたことが大きい。そもそも、TVCMなどでは、この手法を実現するほど細分化されたターゲティングが不可能であることが多いため実現性が低かった。

と、私的にはなかなか有効な選択肢なので、具体的な例で説明したい。最初に考えられるセグメントの切り方は、すでにやったことがある人が多いと思うが、エリアを限定して施策を実施する方法である。この手法が有効な点は、①費用を小さく実験ができる。②実施エリアと未実施エリアを比較することで期間差分よりも差分分析の精度を上げやすい、③エリアごとに実施施策の組み合わせを変更するなど、施策ごとの効果の評価も可能、④TVCMも県別であれば概ねターゲティングが可能など、様々なメリットがあると言える。

つぎのセグメントの切り方はターゲットユーザーの絞り込みである。この手法が解決できる問題点は階層間の移動のリードタイムが長い業種における評価期間の短縮化である。リードタイムが長い職種の例で紹介した人材紹介でいえば、例えば転職に興味があるサインを示しているユーザーに集中してUpper &Middle Funnel施策を投下することが考えられる。似たような職種には、不動産とか、結婚とか、出産とかライフイベント系のサービス(主にリクルートとか、ベネッセなどが得意にしているサービス)には非常に有効な手段である。なぜこの手法がワークするかといえば、そもそも転職や、不動産購入などの数年とか結婚のように人生で数回というようなタイミングでしか需要が発生しないサービスにおいては、認知から利用までのリードタイミングが長くなるので、普通に実施するとFunnelの階層間の移動のリードタイムは長くなる。しかし、逆転の発想で需要が発生しているユーザーにのみ施策を打てばそのリードタイムを短くしてUpperからBottomまでの移動の状況を短期間で観察できるであろうという考え方である。

当然、このようなターゲティングはオフラインではほぼ不可能であるため、デジタル施策限定でしか実施が出来ない点が難点であるが、TVCMの相対的なポジショニングの低下という現実を考えれば、今後有効性はますます高くなっていく可能性があると思う。

需要期の集中投下

3つ目のアイディアは、1年間におけるシーズナリティの変動が激しい業種などで効果が高い手法である。需要期に集中してFull Funnel施策を実施するという方法である。この手法は、リードタイムの短縮と、効果のトラッキングの改善になる可能性があるが、傾向として規模を小さくすることや施策の切り分けには向いていない。

具体例で思いつくのは。例えばお餅の認知施策などはどうであろうか?お餅を売るマーケティングをしことがないので実際のデータを見たことがあるわけではないが、おそらくお餅の需要というのはお正月前に集中していると思われる。このような商品の場合、12月近辺以外の時期にUpper&Middle Funnel施策を実施してもBottomへの波及効果を施策実施時期に検証するのは困難であると推測される。なぜなら、多くのユーザーは直ぐには買ってくれないからである。このような商品の場合は、需要期にFull Funnel施策を期間集中で実施してしまうことで階層間の移動のリードタイムを短縮でき、ROIの評価をしやすくなるメリットがある。そもそもマーケティング施策を需要期に厚くするのは、ここでの目的と関係なく多くの企業がやっていることではあるが。

しかし、この手法には明確な弱点がある。それは、お餅のように需要期がはっきりしており、期間が短い場合はマーケティング施策が一気に投下されることが殆どであるため、施策ごとの効果の切り分けの観点からはほぼ機能しない。また、競争の激しい業界であると、どの企業も施策の集中投下をするため、それに打ち勝つためには規模を縮小して小さな実験をするということは難しくなる。また、そもそも需要期を逃すと年度内でのリカバリーが難しくなるケースも多いと思われるため、実験的なチャレンジをすることも難しい可能性が高い。また、期間差分などで効果検証をしようとしても、閑散期と需要期の比較をしても意味がないので、おそらく前年同月など年単位でしかPDCAが回せないという状況になってしまう可能性も高い。

自社のビジネス特性に即した効果検証法を早めに見つけておこう!

まだまだ良いアイディアはあるのかもしれないが、私の経験上効果があると思われる改善手法としては、この3点が上げられる。自社のビジネスの特徴や解決すべき問題点に合わせてこれらのアイディアを使い分けるか、組み合わせるなどして活用してもらえればと思う。

Upper &Middle Funnel施策のROI算定を行うことは、のマーケティング予算をBottom FunnelからUpper&Middle Funnelにシフトしていくために解決しなければいけない大きな課題である。これが実現しないと、効果が曖昧なものより多少効率が悪化しても確実に売上利益の増大に繋がればと、悪化し続けるBottom Funnelの拡大を永遠に続け、最終的にはROIがネガティブになり会社の成長の限界地点に達するという悲しい結末へと突き進むことになる。まあ、普通はその手前のどこかで歯止めがかかる気がするが。ただ悪化が明確になった時点で、ROI算定のロジックがなく、時間的余裕もない中でUpper&Middle Funnel施策を無理やり実施しようとすると、キャンブル的なハイリスクの施策になってしまう。是非、そうならないように余裕のあるうちに準備を進めたいものである。

Full Funnelに移行するタイミングとは?

Bottom Funnelの限界点が見えてからでは遅い!

ここから、具体的にFull Funnel Marketingの実施方法のアイディアを検討していくことにするが、最初の議論として、どのようなタイミングでBottom Funnel特化型の企業がFull Funnelに移行すべきかという点について考えたいと思う。

伝統的マーケティングを体系立ててやってきたプロフェッショナルなマーケターの方は、そんなの最初からに決まっているだろうと仰る気はするが、現実的にはなかなかそうならないので、お叱り覚悟の上で私の考えを書きたいと思う。

Full Funnelが必要な理由でも、Bottom Funnelだけではいつか成長に限界が来る可能性が高いためFull Funnelを考えましょうと述べたが、それであれば、その限界点が具体的に見えてきたらという反応が出てきそうである。しかし、そのアイディアには賛同しない。なぜなら、これも前回話したように、Full Funnelの正解を見つけるためには、最初の施策が結果的に正解でいきなり正解に近い形でスタート出来るような運のよい場合を除いて、それなりの時間がかかる。このため、「限界点が見えてきた、もうヤバそう」と思い始めたタイミングで始めても、限界点に達したときに正解にたどり着いてFull Funnel施策により状況を改善できている可能性は結構低い。また、このアイディアのもう一つの問題点は、限界点が見え始めているということは、すでに効率の悪化が始まっている可能性が高いが、そのような状況になると、そもそもマーケティング部門のKPI達成が難しくなり、ROIが非明確なFull Funnel施策に予算を投下する余裕がなくなり、社内を説得できずに、そもそも実施ハードルが上がってしまう可能性が高い。

まずはBottom Funnelの運用クオリティを改善する

では、早ければ早いほど良いのかという議論になるが、このアイディアにも賛成しない。結論としてはなるべく早く取り組んだ方が良いが、取り組み始めるための条件をひとつ追加したいのだ。それは、少し主観的な基準になるが、次のようになる。「自社のBottom Funnelの広告運用クオリティが、最もレベルの高い競合他社と比較して同等以上に高いレベルになったと判断出来たタイミング」でという事である。

すでに言い訳した通り、この基準を客観的に判定できる手法はおそらく存在しない。ただ、スキルのあるマーケティング部門の責任者であれば、日々の運用のKPIを観察し、正しく市場の観察をしていれば、競合がどの程度の運用スキルでBottom Funnelの運用をしているのかはなんとなく理解できるはずだし、できるようにならなければいけない。

では、その判定がある程度確からしく出来るとして、なぜこの基準が必要なのかを説明する。思いつくのは下記の3点である。それは、自社の運用クオリティが競合内でトップクラスになっていないという事であれば、まずFull Funnelの話をする前にそちらを改善することにリソースとスキルアップの努力を集中したほうがよいからである。次に、競合で最高水準の運用が出来ていないと、自社の直面している状況が、市場の需給バランスで起こっているのか、自社の運用の失敗で起こっているのかの判別がつかないので、そもそも限界点がどのあたりなのかが判別できないこと。最後に、Full Funnelのデジタル広告は非常に高いマーケティングのスキルを要求されるため、Bottom Funnelの運用がハイレベルで出来ないようなスキルレベルの人材にやらせたところで、はっきり言って上手くいかず、投資コストの無駄遣いになってしまう可能性が高いことである。

伝統的マーケティングのプロフェッショナルの方からすれば、そもそもFull Funnel全体の状況が分かっていなければBottom Funnelだってちゃんと出来ないでしょうといわれそうであるが、私はそう思っていない。なぜなら、パフォーマンスマーケティングのPDCA高速回転モデルというのは、広告運用のPDCAを高速回転させる過程で、市場の理解を深めることができるからである。どのようなターゲティングのユーザーはどのクリエイティブへの反応が良いのかなど、PDCAのプロセスの中で丁寧に観察することによって、市場全体のマップがだんだんはっきりと見えてくるようになると思っている。逆にそういう視点でBottom Funnelの運用を出来ていないのであれば、その担当者のマーケティングスキルレベルは十分ではなく、マーケティング基礎体力の養成期間であると考えたほうがよい。

という分けで、私のお勧めのタイミングは、「Bottom Funnelの運用を業界最高水準で実施できると判断したらなるべく早く余裕があるうちに」となる。

Full Funnelを実施するタイミングのもう一つの正解とは?

ただ、私の経験や、いろいろな会社の事例を見ていて、別の考え方もひとつご紹介する。このケースは前回話した楽天のプロ野球参入の事例と似た考え方である。それは「社内にFull Funnel Marketingのスキルを持った人材がおり、資金的にも余裕があり、リスクを追っても成長スピードを上げたいと思っているのであればその時に」というものである。何度か言及してきたが、デジタル時代のFull Funnel Marketingの実践方法というのは全く確立していない分野であると思っている。このため、相当の時間とコストをかけてもはっきりとした正解にたどり着けるかどうかは、スキルの高いマーケターであっても難しいことも多い。

一方で、費用対効果がどの程度あるかは全く試算しがたいが、楽天がプロ野球に参入したときのように認知度が一気に上がり、世の中の人がそのサービスを広く認知する状況が生まれると、マーケティングの様々な施策の効果が改善して、成長スピードが加速したり、パフォーマンスの効率が良くなったりするケースは現実的には存在する。問題は、結果は良いが、それが投資対効果として適切かどうかが分からないということである。

このような状況のため、既存のBottom Funnelの予算を削ってUpper&Middle Funnelに投下しようという決断をすることは非常に難しい。Bottom Funnelを減らした分がROIとして返ってくるかがそもそも予測できないからである。しかし、資金に余裕があって、上手くいくかどうか分からないけど、〇億円の予算は捨てると思ってチャレンジするという決断が出来るのであれば、私はやってみる価値はあると思っている。私のようなCMOという立場で積極的に提案することはロジカルに説明できないため難しいが、オーナー経営者との信頼関係が確立されているとか、そもそも今年度は事業成績が想定を上振れて好調で資金的余裕があるとか、IPOで資金調達をしたので、リスクを取ってでも成長力を上げたいなど、考えられるタイミングはいろいろある。私は、この意思決定の手法を「アホなCMOのふりをしてやっちゃう法」と呼んでいる。ただ、もちろん会社の重要なお金を使うわけであるから、やるからには可能な限りしっかりした戦略と実行プランのもとに行わなければいいけないので、社内にそれができる人材がいることは当然絶対条件である。ただし、別に部下にスキルのある人間がいなければいけないわけではなく、定常的なオペレーションではなく単発の施策であるためその人材にCMO自身を含んでしまっても全く問題ない。そもそも、CMOにそのスキルがないのであれば、Full Funnel Marketingはリスクが高すぎるのでやらない方がよい。ただし、この施策をCMOとして引き受ける際の条件は、リターンが最悪ゼロでも文句言わないでくださいねという言質を取っておくということである。これが、「リスクを追っても」と記載した理由であるし、手法のネーミングを「アホなCMOのふり」と言っている理由である。ちなみに、私はつまらないプライドが邪魔をしてアホなふりをすることが下手なので、手法として紹介しておきながら、自分では実践したことはない。オーナー経営者のリスクテイクに乗ったことがあるだけである。結果は、楽天のプロ野球のようにたぶん費用対効果はポジティブに出来ていそうなものもあれば、どことは言わないが、とある企業のオーナー勅命で企業広告を数億円規模で実施させられたが、たぶんリターンは1円もなかったのではと思うような案件も経験している。

Full Funnel Marketingというのは、真面目にBottom Funnelをやればやるほど困難度が増す、反比例のような関係にある施策である。このため、社内の経営陣からの懸念や、実はこれまでBottom Funnelを真剣に取り組んできたスキルの高いデジタルネイティブのマーケター自身が違和感を感じてしまうケースもあったりする。

しかし、施策との費用対効果との連動性ははっきり見えなくても、長期的な認知度と事業利益の連動性であったり、指名検索数の広告費比率とリスティング広告のパフォーマンスの改善であったり、改善の可能性があるのは事実であると思う。問題は一つ一つの施策の効果が、大成功をした場合を除いてあまりよくわからないということだ。

成功するためには、運がよくない限り時間がかかることは覚悟しておかなければいけない。このため、ここで上げた条件さえそろえば、少しずつでもいいので、早めに始められると良いと思う。

なぜFull Funnelへの投資が必要?

デジタル広告はBottom Funnelに相性が良いマーケ手法

前回、Full Funnel Marketingの概念について説明をしたので、その考え方についてはご理解をいただけたと思う。今回は、デジタルマーケティングに軸足を置いた場合、Full Funnel Marketingをどのように捉えたらよいのかということについて考えてみたいと思う。

そもそも、デジタルマーケティングに軸足を置いたときと、そうでないときにFull Funnel Marketingの考え方が変わるのであろうか?本質的な意味では変わらないという意見もあるかもしれないが、実務上は非常に大きな違いがあるというのが私の意見である。問題は、デジタルマーケティングにおけるパフォーマンスマーケティングの比重の大きさに起因する。

そもそも、これまで議論してきたパフォーマンスマーケティングの手法というのは、Full Funnelのどの部分に該当するのであろうか?もちろん3レイヤーのそれぞれの層に少しずつ効いているといえなくはないが、間違いなく主眼においているのはBottom Funnelである。その一番の証拠がパフォーマンスマーケティングを行うときに企業が設定する成果認識をするポイントである。殆どの企業はパフォーマンスマーケティングの成果認識を商品購買や、会員登録、アプリインストールのようにBottom Funnelに該当する項目に設定している。そして、広告メディアのAIは認知度でもなく、商品理解度でもなく、Bottom FunnelのKPIを最大化するために広告配信を最適化する。

インターネットの普及に伴うデジタル広告のマーケティング視点での最大の変化は私はマーケティング施策の効果のトラッキング精度が劇的に向上したことであると私は思っているが、実はこの部分と最も相性がよいのがBottomo Funnelである。マーケティング施策実施において、Bottom Funnelの成果認識ポイントの結果を相当正確にトラッキングすることができるようになったため、マーケターは自分が行っている施策のROIを算出することができるようになった。この結果起こったことは、多くの企業でROIがある一定以上のパフォーマンスを維持できるのであれば、パフォーマンスマーケティングの広告費は理論上いくら増やしても売上利益は拡大するという相関関係を計算しやすくなった。そのロジックを理解した企業において、マーケティング費用が大幅にパフォーマンスマーケティング=Bottom Funnel施策に偏っていくという現象が起こってきた。私が関わってきた3つの会社においても、初期段階においてはそのような傾向が強かった。

Bottomの予算を減らしてUpper&Middleに予算シフトする難しさ

この現象は、実は、Upper&Middle Funnelへのマーケティング投資を拡大することのハードルを高くするという課題を同時に生むことになった。コネクテッドTVの普及により少しずつ状況は変化しているが、おそらく数年前までのUpper&Middle Funnelを大規模に行う代表的な媒体はTVCMであったが、TVCMをはじめとする旧来のオフライン広告ではそもそも施策の効果のトラッキングが出来ない。ユーザーの購入金額やLTVを計算することが可能なためROIの算出が可能なBottom Funnel施策に対して、Upper&Middle Funnel施策は、例えば認知施策であれば、認知率のリサーチ結果くらいであればサンプルリサーチをすれば出せるが、例え認知度が分かったとしても、その認知率の向上が売上増にどの程度反映されるのかが分からないというケースが大半である。

この状況になると、マーケティング予算の上限が決まっている中で、ROIが明確で、しかもポジティブなBottomo Funnelの広告予算を減らして、ROIが不明確か、計算が出来ないUpper&Middle Funnelに広告費を投下する決断をするための合理的なロジックが組めなくなる。結果として、理論上、Full Funnel Marketingの必要性は理解しつつも、Upper&Middle Funnelへの投資は拡大することが難しくなっていくのである。

実は、私自身がこれまで関わった3社の企業すべてにおいて、この課題に直面している。理由は、上述のとおりではあるのだが、この状況をさらに困難なものとする理由がある。パフォーマンスマーケティングという分野は実際に何をしているのかまでは分からなくても、CEOやCFOといった事業の数字をきちんと読める経営陣には非常に理解もしやすく、投資意思判断がしやすい性質を持っている。ロジックがシンプルで、成果認識の精度も非常に高いからである。このため、パフォーマンスマーケティングの投資規模が拡大し、長期間にわたって投資を続けていると、マーケティング部門以外の経営陣の間にも、デジタルマーケティングというのは非常にROIが正確に把握できるコントロールがしやすい分野であるというイメージが強く刷り込まれるようになってしまう。そこに、Upper&Middle Funnelの施策を持っていくと、これまで刷り込まれたクリアなロジックから、正しいかどうか分からないリサーチ結果で成果認識をして、ROIもよくわからないような施策の投資意思判断を求める形になる。そうなると、「これをやる意味が本当にあるのか?パフォーマンスマーケティングにこの金額を使った方が利益が上がるのではないか?」という話になってしまう。こうなってしまうと、Full Funnel Marketingを実施するハードルは非常に高くなる。特にそれなりの規模でパフォーマンスマーケティングを行って成功している企業になると、Upper&Middle Funnel施策に投下しなければいけないコストはいきなり数千万~数億円と規模が大きくならざるを得ないケースも多いため、ハードルは益々高くなるのである。

一方で、伝統的マーケティングの世界では、ある意味Full Funnel Marketingという概念は、おそらく必要性の議論もされることがないくらい当然のことであると思う。少なくとも私の少ないパッケージソフトのマーケティングの経験においてはそうであった。また、Upper&Middle Funnelの費用対効果が不明確な問題は、実はBottom Funnelにおいても同様であることが多いので、Bottom Funnelに予算を集中投下しようという議論も必ずしも起こらない。逆に、デジタルマーケティングにどっぷり漬かりすぎている私のような人間からすれば、どこにいくら費用投下するかを判断する根拠が殆どないため、非常に気持ち悪かったりするのであるが。

Full Funnel Marketingで中長期のマーケティング環境を改善する

いずれにしても、デジタルマーケティング、特に、パフォーマンスマーケティングを中心にマーケティングをデザインし成功してきた企業にとって、Full Funnel Marketingを本格的に実施するハードルは非常に高い。では、難しいからといって諦めてしまっても良いのだろうか?もちろん各社が置かれている状況において答えは違うが、中長期的に成長を維持しようという話になると、ほぼNoと言ってしまってもよいと思う。

この議論をするために、再度デジタル広告、パフォーマンスマーケティングにおける需要と供給のパランスに基づく価格決定の仕組の話を思い出してもらいたい。パフォーマンスマーケティングにおいては、自社と競合他社を含めたユーザー獲得の需要とそれに伴う広告予算の総額と、ターゲット顧客の数(つまり顧客の共有量)のバランスで顧客の獲得単価が決定されるということはこれまで述べてきたとおりである。

以前に議論した、正月に蟹を売るという話でも、売上を上げたい水産加工品の製造企業は予算を増やしていくが、関連しそうなリスティング広告の拡大余地がなくなり、ターゲットユーザーにアクセスしきってしまった状況でさらに売上拡大のために広告予算を増やせは、顧客獲得単価は上昇していくという話をした。

しかし、この状況を打破出来る可能性のある手法が実は2つくらい思いつくのである。

一つ目の方法は商品・サービスの需要自体を拡大するという事である。正月の蟹の例でいえば、それまで正月三が日におせち料理以外のものを食べるという発想がなかった人々に、「いくら品数が多いとはいえ3日間同じものを食べるのは嫌でしょう?だったら、折角正月に家族みんなで集まったのなら、暖かいカニ鍋などいかがでしょう?」みたいな広告をうって正月に蟹を食べるという需要を拡大するのである。もしこの施策が成功すると、例えば、「蟹 通販」みたいなキーワードの検索数自体が増大する。つまり商品の需要増=顧客の供給増になるわけである。

二つ目の方法は、蟹の需要拡大の施策を実施するときに、「蟹を買うなら〇〇水産」のようなコピーを必ず挿入し、「〇〇水産」という社名検索をしてもらい、自社のサイトに直接買いに来るユーザーの数を増やすことである。この施策は蟹の需要を増やし、「蟹 通販」のようなキーワードの検索量の増加を増やすよりも当然協力である。理由は簡単で、自社の社名を直接検索してもらえれば、競合に顧客を取られる心配が少ないからである。このような社名やサービス名での検索は「指名検索」とよばれ、非常に効果の高いリスティング広告のジャンルとしても確立している。

それ以外にも、自社の社名の認知が高まると、例えば、検索結果画面の最上部に競合の△△水産が表示され、2番目に自社の〇〇水産と低い順位で表示されていたとしても、知名度の高い自社の広告をユーザーがクリックしてくれるかもしれない。

この需要創出や、自社の認知度の向上のマーケティングというのがUpper&Middle Funnelの施策ということになるわけである。正直なところ、Bottom Funnelだけで事業成長を安定して出来ている企業には、短期的には必要な施策ではない。しかし、中長期的にそれが正しいのかといえば、よほど中長期的に競合が弱体化していき、自社が独り勝ちしてシェアを伸ばし続けられるというおいしい状況の市場でなければ、Bottom Funnel一辺倒では市場が飽和するか、過当競争となり、いつかはFull Funnel Marketingをやらなければならなくなるのである。

楽天のプロ野球参入をFull Funnel Marketing視点で考える

参考に、楽天時代の私の経験をFull Funnel Marketingの観点から述べてみたい。私が2002年に楽天市場でマーケティングを始めたころ、楽天市場で買う買わない以前に、「ECって危ない気がする。そもそもインターネットでクレジットカード情報を登録して危なくないのか?」のような意見が根強く残っており、「安心、安全」のようなキーワードを積極的にアピールせざるを得なかった。これまで市場になかった新規性の高いサービスの場合、そもそも、自社のブランドの認知度を上げることと同時に、その時点で世の中に存在しない需要自体を業界のリーダー企業が創出しなければいけない場合があり、これを全くしていないのに、Bottom Funnelにばかりコストを投下し続けても、そもそも市場への顧客の供給量が増えていかずに、事業が成長しないケースなどもよく見られるパターンである。2002年当時はそれでも何のマーケティングもしていなかったので、リスティング広告の予算もしばらくは拡大できていたし問題はなかった記憶である。

しかし、始めは楽天だけがやっていたリスティング広告も、次第に競合企業などが参加し始め、広告単価も当然高くなっていた。いま振り返れば、Full Funnel Marketingの視点でいえば、新しい市場のリーダー的なポジションにいる会社として高成長を維持するために、自社で市場を開拓しなければいけない時期に差し掛かっていたのかも知れない。

楽天の場合は、そんな状況であった2004年にプロ野球に参入するという事件が起こる。覚えていらっしゃる方は当時を思い返していただきたいが、ちょっと普通の1ベンチャー企業ではあり得ないくらいのTV等での露出があり、とにかく「楽天」というブランド名の認知度が数カ月の間に飛躍的に向上するということがあった。感覚的には、認知度20%とかの企業が一気に80-90%くらいまで上がった感覚であった。

当時の私はグループ全体のブランド管理の責任者の仕事をし始めたタイミングでもあったため、その爆発的に広がったブランド認知をどのように事業成長に活かすかを考える立場にあったが、実は結構難しい話だった。

当時の楽天ブランドの状況というのは、突然Upper Funnel施策が上手くいき、ブランドの認知度が飛躍的に増大していた。しかし、それまでBottom Funnel中心のマーケティング施策をしていたため、UpperとBottomをつなぐためのMiddle Funnelの施策がすっぽり抜け落ちているような状況であった。ただ、ではMiddleをやりましょうといっても、Upperの球団創設に結構なお金を使っており、それが自社の業績にどのように反映されるのかもよくわからないなかで、さらに費用対効果のよくわからないMiddleに大きな予算をかけるのが正しいようには思えなかったし、あれだけ広がったUpper Funnelに見合う適切なMiddleの規模もよくわからなかった。問題点は分かってはいたが、ちょっと普通ではあり得ないことが全く想定していない1-2カ月の間に起こってしまったので、準備もしていなかった。

結局は、少しづつ地方でTVCMをやってみたり、いろいろテストをしてデータを取るなどして正解を見つける期間が数年に渡ってかかった記憶がある。始めて大規模に楽天市場でTVCMをしたのは、半額セールを売りにした「楽天スーパーセール」のCM施策であったような記憶である。楽天を離れて13年くらいたつので、今のことは知らないが、私としては問題点が分かっていながら、なかなか正解が見つからない非常にチャレンジングな期間であった記憶がある。

Full Funnel Marketingというのは、TVCMをやれば良いのであれば、実施自体はたいして難しい事ではない。しかし、自社の状況に合わせて、正しい戦略で、正しい施策をデザインし、その答え合わせをして次につなげるというPDCAサイクルを作るのは非常に難しい。とくにデジタルマーケティングを真面目にやっている会社であればあるほど、そのBottom Funnelの精度の高さとUpper&Middle Funnelの精度のGAPに苦しむことになる。

ではどうすれば上手くいくのか?私なりの考えは、次回以降に議論しよう。