User Insightの調査って本当に重要?

伝統的マーケティングにおけるUser Insightの重要性

この議論をしていると、私が伝統的マーケティングと言っているデジタル化以前のマーケティング手法が嫌いなことがどんどんバレてしまうが、次の議論として、よく伝統的なマーケティングで重要視されるキーワードとして上がってくる「User Insight(ユーザーインサイト)」という言葉についても考えてみたい。

前項で、消費財の広告クリエイティブの作成のプロセスと、デジタル化された現在のマーケティング環境での訴求点の発見プロセスについて説明した。User Insightという概念は、前者において、顧客に対してリサーチ等を行い、その内容を分析することによって、顧客が自社のサービスや商品についてどのように捉え、何を問題として感じているのかを解明するプロセスの結果導き出される顧客理解とでも説明できると思う。

一本のクリエイティブの制作に何千万円もかかるのであれば、たくさんの訴求点で、たくさんのクリエイティブを作ることは現実的ではない。また、マス広告的な手法において重要なのは、訴求したいことを何度も繰り返して(高いfrequencyフリークエンシー)で消費者に確固とした訴求点の認知と理解を促すということが重視されるため、訴求点を分散させることを良しとしないという考え方もある。このような背景を理解すれば、オフライン広告を中心としたマーケティング活動におけるUser Insightの重要性は、非常に高く、ここを読み違えると何億円もかけたマーケティングキャンペーンが全く機能しないなど、恐ろしいい結果を招くことになる。

私自身も、デジタルの運用型広告ではなく、Upper&Middle Funnel向けの広告キャンペーンを行う場合などは、このUser Insightを起点としてプランニングを行うので、必ずしもこの手法自体を否定するのもではない。

デジタル化で実現した飛躍的なターゲティング精度の向上

ただ、このUser Insight重視の考え方が、デジタル化されたマーケティングの世界で、最も重要な概念なのかと問われれば、私は大いに否定的である。その理由は、TVCMを中心としたいわゆるマス広告とデジタルマーケティングの広告配信の考え方の根本的な手法の違いに依存する。デジタル広告、特に2000年代前半にGoogleが開発したリスティング広告の登場以降に圧倒的に発展し、今もAI化により日々進化しているテクノロジーはターゲティングの概念である。こちろん、オフライン広告においても、TVよりは雑誌などの方がユーザーの趣味嗜好やデモグラフィックなターゲティングがしやすいとか、OOHといわれる屋外広告・交通広告においてはエリア的なターゲティングがしやすいなど、ターゲティングの精度を絞り込む手法はある程度はあった。しかし、リスティング広告の登場による運用型広告という概念とその運用精度の向上、そして、この5年くらい急速に発達し始めたAI化の流れの中で、このターゲティングの精度はそれ以前とは全く比較にならないくらい飛躍的に向上したといえる。

その背景を理解したうえで、このターゲティング精度の向上とUser Insightがどのように関係しているのかをここで考えたい。私は、これまで説明したUser Insightという概念は、徹底的なユーザーリサーチに基づいて、最も多くのユーザーに訴求できるような訴求点と表現方法を見つけることが必要であるという前提で出てきたアイディアだと考えている。これを一言でいえば「最大公約数」を見つける手法であると考えている。そしてその前提になっているのは、TVのような広いターゲットに対して、絞り込んだ少数の訴求点を繰り返し伝えて、認知・行動を促すというマーケティングの手法である。

少し話は逸れるが、そもそもマーケティングとはどのような活動であるかを考えてみたい。私はマーケティングとはどういうものかと聞かれたらシンプルに、「いつ、誰に、何を伝えるかを考えること」であると応えている。デジタル以前のマーケティングの環境においては、この「いつ」「誰に」「何を」をコントロールすることが非常に難しいという現実があった。このため多くのマーケターは、この3つの要素が多少想定と異なったとしても失敗に終わらないように、できるだけリスクを下げる手法として、正しい最大公約数を見出すことと、それをできるだけ上手に伝えるクリエイティブを作るということに多くの時間を割き、様々な手法を見出してきた。

しかし、前述したデジタル技術の発展によって、この「いつ」「誰に」「何を」をコントロールする力、すなわち、ターゲットとのタッチポイントをコントロールする力は、全く別次元になり、以前にマーケターが直面していたリスクは格段にコントロールしやすくなったと言える。

User Insightの絞り込みは機会損失を生む

では、デジタル化されたマーケティングの環境においてマーケターに求められる考え方とはどのようなものであろうか?まず前提として最も異なる点は、「誰に」と「何を」の組み合わせを一つに絞り込む必要がないということである。この前提が異なることによって、User Insightとの立ち位置が根本的に異なるのである。

具体的な例で考えてみよう。自分がゲーム会社のモバイルアプリ野球ゲームの集客担当のマーケターであると仮定しよう。このゲームはインストールは無料で、無料で遊ぶこともできるが、早くゲームを進めようとしたり、他のユーザーよりも強くなろうとするとゲーム内でアイテムやキャラクターを購入(課金)しなければいけない。

この前提において、このゲーム会社が売上を上げていくためやらなければいけないことは、課金ユーザー数を増やすことと課金者一人当たりの単価を上げることとなる。このような状況で担当のマーケターに求められることは、短期的には、高額課金してくれそうなユーザーを見つけて連れてくることである。そのためには、例えば以前にそのゲームを遊んでいて、課金もしていたが今は頻度高く遊んでいない休眠ユーザーにゲームに復帰する何らかの訴求をすればよい。

但し、中長期的な視点で考えると、ゲームをプレイしているユーザーがコアユーザーばかりで、課金しないと楽しめない状況になってしまうと新規ユーザーのエントリーハードルが高くなり、そのようなゲームはユーザー数だ低減していき、売上が落ちていくことになるため、短期的な売上には繋がる可能性は低いが新規ユーザーの獲得も継続的に行わなければいけない。その場合、どのような訴求が考えられるだろうか?他の野球ゲームをプレイしているユーザーには他のゲームとの差別化のポイントを訴求出来ればスイッチしてもらえるかもしれない。野球ファンに向けては、リアルの野球を見たり、プレイしたりすることと野球ゲームの共通点を訴求して、興味を持ってもらうことができるかもしれない。ゲーム愛好家に対しては、ゲームの新しい選択肢として野球のゲームもこういう点が面白いと説得することも可能化もしれない。

これはあくまで仮想のゲームのマーケティングの話だが、ちょっと考えただけでも、マーケターには「誰に」と「何を」の組み合わせは多く存在する分けである。User Insightという概念は、この中から今の最大の課題はなんで、それを一番解決できる「誰に」と「何を」を絞り込まなければいけなかった。しかし、繰り返すが、デジタルマーケティングの世界では、これら複数の選択肢を同時並行で施策に落とし込み、実行することが可能になっている。逆にUser Insightを検討して、絞り込むという行為は、現状をシンプル化し過ぎで、複雑化した実態との乖離を生んでしまう可能性も否定できないと私は考えている。もちろん、同時並行とは言いつつ、その時の課題の重要度であるとか、各セグメントの獲得単価とか、インストール後の課金転換率だとかいろいろな指標を見ながら、そのセグメントにいくらかけて、どのくらいの単価でユーザーを獲得するかなど、実際には考えなければいけない。しかし、根本的な前提として、「誰に」と「何を」の組み合わせを複数、同時並行で動かすという前提は捨ててはいけない概念であると私は考えている。

最後に、これまで言及してこなかった「いつ」のコントロールと実際の実行フェーズでの手法について話をしたいと思う。「いつ」の概念で重要な点は2つである。一つ目のポイントは、どの媒体にいくら投資するのかというメディアプランニングの検討になる。例えば、リスティング広告であればユーザーが能動的に検索キーワードを入力しているため、その時点で何を求めているのかの特定がしやすいので、ターゲティングの精度が非常に高く、コントロールがしやすいという特徴がある。一方、SNSの広告などは、ユーザーの趣味嗜好やデモグラのターゲティングは出来ても、その時点で何を求めているのかの、つまり「いつ」をコントロールすることは難しくなるので、ターゲティングの精度は落ちると考えるのが一般的である。マーケターはターゲティングの正確性と単価のバランスを見ながら最適なメディアプランニングをしなければいけない。二つ目のポイントは、AIの活用である。詳細は別で議論したいと思うが、ターゲティングをコントロールするAIに獲得したユーザーが求めていたユーザーであるかどうかをできるだけ正確にフィードバックし、機械学習によい学習データを提供し続けることで、ターゲティングの精度はどんどん改善されていくというのが、一般的な考え方である。

ABテストこそがUser Insightに代わる重要概念

ただ、デジタル広告の実施経験がない人が決して間違ってはいけないのは、正解に一発で到達することはほぼあり得ないということである。おそらくこれが、伝統的な手法を最も異なる部分で、最初は大まかな仮説からスタートして、それを発射台に改善活動を繰り返した結果、高い精度のマーケティングを実現することができる、つまりPDCAな分けである。そして、このPDCAを実現するうえで、User Insightに変わる最重要な手法が私は「ABテスト」という手法だと考えている。

ABテストとは、2つ以上の仮説のどちらが正しいかをリサーチなどで検証するのではなく、実際に広告等で試すことによって良いものを勝ち抜き戦で残していき、施策の精度を上げていく手法である。一番簡単かつ、代表的な例が、良い広告バナーを見つけるときに、複数のバナーを同時に回してパフォーマンスが高いものを勝ちバナーとして残し、その後、その勝ちバナーと新規のバナーを同時に回してより良い勝ちバナーを探し続けるケースなどが上げられる。

ABテストという概念は、デジタルマーケティングをやったことがある人からすればたいして目新しいやり方でもないし、何の意識もなく、当然のこととして行っていると思う。しかし、私はこの手法は本項で述べたように、デジタル以前のマーケティングから、仕事の進め方を根本的に変える重要な手法であると思っている。